「安全運航に影響はありません」
2009.01.24 Saturday | よんなん的旅行
帯広から羽田への帰りは、MD-81。
来たとき(確かA300-600R)と違ってクラスJもなく、新幹線と同じ2列-3列の小さな飛行機でした。
小さいこともあって、搭乗率は(目測で)8割くらいだったのではないでしょうか。
で、参ったのは離陸時のすっごい揺れ。
左右はもちろん、上下にも揺れ、もし地震計があったら震度5〜6くらいはじき出していたんじゃないでしょうか。
よく「離陸後の3分」とは聞きますが、5〜10分ほど続いていたように思います。
やっぱり、同じ風にあおられても大きな機材と小さな機材ではゆれ方が違うんでしょうかね。(船みたいに)
乗る前に空港ラウンジでサッポロクラシックの生を飲み干し、3日間の心地よい疲労感とともにすっかりいい気分で、こりゃ機内サービスが来る前に寝ちゃうんじゃないかな、と思ってたんです。
それが左右にガクガクするだけならまだしも、上に下に、しかも下にフッと落ちるときの高速エレベーターやジェットコースターにも似た気味悪い感覚と、エンジンの回転音(?)が時折「ギュゥゥゥゥゥ.......ン」と小さくなってゆくのが何度も何度も繰り返され、とても羽田まで帰れる気がせずすっかり酔いが覚めてしまいました。
地面に足がくっついていない状況で「スゥッ」と一瞬落ちる感覚を味わうと、もしこのまま日高山脈へ真っ逆さまだったら、あぁ、生きて帰ろうなんて思わないほうがいいんだろうな、、、という気分になります。
この程度の揺れで座席にしがみつくのが精いっぱいな私には、1985年のJAL123便事故を題材にした『クライマーズ・ハイ』『沈まぬ太陽』のどちらにも登場する、ダッチロールが続く機内で家族宛てに書かれた遺書があらためて思い出されます。
……あんな状況下であれほどのことを書き遺す相手を持つ「パパ」と遺された家族は、文字通り「本当に今迄は幸せ」だったのだろうなぁ、と。
あまりに揺れがひどいとすかさずアテンダントが表題のような機内アナウンスを入れるんですが、きっと123便も似たような放送をしていたんだろうなぁ(←推測ですが)……というか、「この世にもともと存在するのは『危険』であり、『安全』とは云々……」と、どこかで習ったようなフレーズが思い出され、この航空会社の客室乗務員は正社員なんだか契約社員なんだか知らないけれど本当に分かってアナウンスしているのかなという気分になります。
どうせアナウンスするなら「いつものことです」とか「この程度の揺れは朝飯前同然に操縦士は訓練を受けています」みたいに言ってくれた方が信用できます。
あと、「安全運航に…」に続いて
「気分が悪くなられたお客さまは…」
という言葉が出てきたので、え、シートベルト着用中なのにアテンダントさんはどう対処するのだろう、と思ったら
「座席前のポケットにございます紙袋を…」
セ、セルフサービスですか。。。
公共の乗り物なんだし、そういう考え方もありだよな、と、ふと思いました。
さて、揺れも収まってシートベルト着用サインが消えると、機内サービスです。
アテンダントの数を数えたら、4人でした。
非常口は6ヶ所ではないのか? と思いましたが、非常専用口を除くドアの数は3つなので、それを考えると異常時の非常専用口はアテンダントではなく付近の乗客3人がアテンダント1人に指導されながら誘導する前提か、あるいは操縦士2人を含めると数がピッタリだなと推測できます。
(この航空会社の社内基準はどうなっているか知る由もないですが)
自分なんか酒気帯びだけど、こんな乗客が非常口座席に座っていたらどうするんだろう、と思って後で調べたら、今年(2009年)4月から一定の基準を満たさないと座れないようになるんですね。(参照)
私の席は2列席の通路側で、たまたま窓側が空いていたので移ったら、背もたれがリクライニングしません。
見るからに古そうな飛行機ですし、高崎線の特急「あかぎ」と同じリクライニング故障(←ごくまれに出くわす)かよ! 天下のフラッグキャリアが老朽機材をこんなメンテナンス状態で飛ばしちゃダメだろう、と思いつつ通りかかったアテンダントの方にあの〜と声をおかけしたら
「こちらは非常口の前の席ですので、背もたれが倒れないようになっております」
た……大変失礼致しましたァっ!
確かに、窓側の席で背もたれを倒したとしたら、非常口が隠れてしまいます。
それならそうと書いておいてほしい、という気もしますが、こういう席は最後の最後まで空席にしておくのでしょう。きっと。
アテンダントの方々は来たときの便と違って、飲み終えた紙コップを集めた後も、新聞を配ったりアメを配ったり機内販売だったり常に機内を歩いており、なぁんだちゃんとやることあるんじゃん、と少し見直します。
…来たときの便との違いは何なんですかね?
来たとき(確かA300-600R)と違ってクラスJもなく、新幹線と同じ2列-3列の小さな飛行機でした。
小さいこともあって、搭乗率は(目測で)8割くらいだったのではないでしょうか。
で、参ったのは離陸時のすっごい揺れ。
左右はもちろん、上下にも揺れ、もし地震計があったら震度5〜6くらいはじき出していたんじゃないでしょうか。
よく「離陸後の3分」とは聞きますが、5〜10分ほど続いていたように思います。
やっぱり、同じ風にあおられても大きな機材と小さな機材ではゆれ方が違うんでしょうかね。(船みたいに)
乗る前に空港ラウンジでサッポロクラシックの生を飲み干し、3日間の心地よい疲労感とともにすっかりいい気分で、こりゃ機内サービスが来る前に寝ちゃうんじゃないかな、と思ってたんです。
それが左右にガクガクするだけならまだしも、上に下に、しかも下にフッと落ちるときの高速エレベーターやジェットコースターにも似た気味悪い感覚と、エンジンの回転音(?)が時折「ギュゥゥゥゥゥ.......ン」と小さくなってゆくのが何度も何度も繰り返され、とても羽田まで帰れる気がせずすっかり酔いが覚めてしまいました。
地面に足がくっついていない状況で「スゥッ」と一瞬落ちる感覚を味わうと、もしこのまま日高山脈へ真っ逆さまだったら、あぁ、生きて帰ろうなんて思わないほうがいいんだろうな、、、という気分になります。
この程度の揺れで座席にしがみつくのが精いっぱいな私には、1985年のJAL123便事故を題材にした『クライマーズ・ハイ』『沈まぬ太陽』のどちらにも登場する、ダッチロールが続く機内で家族宛てに書かれた遺書があらためて思い出されます。
……あんな状況下であれほどのことを書き遺す相手を持つ「パパ」と遺された家族は、文字通り「本当に今迄は幸せ」だったのだろうなぁ、と。
あまりに揺れがひどいとすかさずアテンダントが表題のような機内アナウンスを入れるんですが、きっと123便も似たような放送をしていたんだろうなぁ(←推測ですが)……というか、「この世にもともと存在するのは『危険』であり、『安全』とは云々……」と、どこかで習ったようなフレーズが思い出され、この航空会社の客室乗務員は正社員なんだか契約社員なんだか知らないけれど本当に分かってアナウンスしているのかなという気分になります。
どうせアナウンスするなら「いつものことです」とか「この程度の揺れは朝飯前同然に操縦士は訓練を受けています」みたいに言ってくれた方が信用できます。
あと、「安全運航に…」に続いて
「気分が悪くなられたお客さまは…」
という言葉が出てきたので、え、シートベルト着用中なのにアテンダントさんはどう対処するのだろう、と思ったら
「座席前のポケットにございます紙袋を…」
セ、セルフサービスですか。。。
公共の乗り物なんだし、そういう考え方もありだよな、と、ふと思いました。
さて、揺れも収まってシートベルト着用サインが消えると、機内サービスです。
アテンダントの数を数えたら、4人でした。
非常口は6ヶ所ではないのか? と思いましたが、非常専用口を除くドアの数は3つなので、それを考えると異常時の非常専用口はアテンダントではなく付近の乗客3人がアテンダント1人に指導されながら誘導する前提か、あるいは操縦士2人を含めると数がピッタリだなと推測できます。
(この航空会社の社内基準はどうなっているか知る由もないですが)
自分なんか酒気帯びだけど、こんな乗客が非常口座席に座っていたらどうするんだろう、と思って後で調べたら、今年(2009年)4月から一定の基準を満たさないと座れないようになるんですね。(参照)
私の席は2列席の通路側で、たまたま窓側が空いていたので移ったら、背もたれがリクライニングしません。
見るからに古そうな飛行機ですし、高崎線の特急「あかぎ」と同じリクライニング故障(←ごくまれに出くわす)かよ! 天下のフラッグキャリアが老朽機材をこんなメンテナンス状態で飛ばしちゃダメだろう、と思いつつ通りかかったアテンダントの方にあの〜と声をおかけしたら
「こちらは非常口の前の席ですので、背もたれが倒れないようになっております」
た……大変失礼致しましたァっ!
確かに、窓側の席で背もたれを倒したとしたら、非常口が隠れてしまいます。
それならそうと書いておいてほしい、という気もしますが、こういう席は最後の最後まで空席にしておくのでしょう。きっと。
アテンダントの方々は来たときの便と違って、飲み終えた紙コップを集めた後も、新聞を配ったりアメを配ったり機内販売だったり常に機内を歩いており、なぁんだちゃんとやることあるんじゃん、と少し見直します。
…来たときの便との違いは何なんですかね?