その気になれば

DSC00718.jpg 一昨年の11月、泊まり勤務から日勤職に異動して失ったものは「泊まり勤務明け」と「平日休み」でした。

 それまでのおよそ4年間「明け」と「平日休み」がある勤務に生活が慣れてしまい、カレンダー通りの日勤職では、仕事が終われば外はもう真っ暗だわ、週末はもとより連休に至ってはどこへ行っても混んでいるわ、パック旅行は連休料金を取られるわ、すっかり調子が狂ってしまいました。

 役所も銀行も行けませんし、昼しか営業していない店へ行くには週末を当てるしかありません。(泊まり勤務の頃は勤務が終わってからでも行けた)

 泊まり勤務の頃、何かの拍子に泊まり勤務明け+2〜3連休が入ったりすると、カレンダーとは無関係の休みなので、全国どこへ行ってもすいていましたし、有給休暇をつけ足して海外へ行けば航空料金は安いし、いいことばっかりだったんですが。

 とりあえず、独身でいるうちはそうです。


 今回、「青春18きっぷ」3日分を使った旅行でしたが、おとといの岡山から引き返すと、同じく大阪23:50発の「青春中央エコドリーム24号」をつかまえることができます。(昨日と同じく大阪駅で12分しか待ち時間がないんですが)

 夜行バスを活用して京都・大阪起点なら、普通列車を使った旅行でも2日あれば四国を軽く一周できるわけです。案外遠くへ行けるものだなぁと思いました。


 泊まり勤務だった4年間、土日の用事に有給休暇を使うことがあった(←ここが世間とは違う点)ように、逆にこれまで所定の休みで出かけていたところを、たとえば水・木に有給休暇を取得して、火曜の夜行バスで出発すれば、丸々2日間を楽しんだ上で金曜の朝には新宿の職場へ出勤できるのです。

 金曜日の仕事は夜行バス明けでつらいかもしれませんが、すぐ土曜と日曜が来ます。

#意外にも今回の旅行で疲れが出たのは帰宅当日ではなく2〜3日後だった


 今回の旅行は、復職後の、個人的なリフレッシュ方法を見いだすきっかけになったような気がします。


 それはそうと、「青春中央エコドリーム24号」は途中の谷保駅(南武線)は30分ほど早着していたものの、新宿駅には若干遅れて9時ごろに着きました。

 新宿の職場は4月からフレックスタイム制になったので10時までに出勤すればよく、もしこのまま出勤するのでも時間的な余裕はあります。……心配なら谷保駅などで降りて電車で新宿へ向かう方法もあります。


 今日のところは休職中の身なので、新宿御苑前のジョナサンで朝ごはんをゆっくり食べながら、地下鉄の時差回数券が使える10時になるのを待って帰りました。
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三次→広島→大阪

DSC00696.jpg 芸備線の三次からは本数も増えて広島に17:28着です。……今回の旅行で唯一のキハ47でした。キハ40系統は本当に数が減ったなと思います。

 さて、本当は広島17:23発の上り快速電車に乗れれば行程にゆとりを持たせられたのですが、芸備線の東城〜備後落合が1日3本しかないので、この区間に合わせて行程を組まざるを得ず、広島から乗り継ぐ電車は1本後の17:52発です。

 大阪駅23:50発の夜行バスに乗るのに、広島17:23発に乗れば大阪に22:58に着けて1時間弱の余裕があるのですが、17:52の電車から乗り継いでいくと大阪着23:38で12分しかありません。

 夜行バスは西日本ジェイアールバスの「青春中央エコドリーム24号」で、おなじJRグループとはいえ、連絡運輸をしていない(=乗り継ぎは自己責任)ところで12分乗り継ぎでは、電車が少しでも遅れれば置いていかれることになります。

 芸備線が着く5分前に出てしまう快速電車……この5分、、、5分が憎い!! とはいえ、電車が定時で走りさえすれば大阪駅での12分乗り継ぎは余裕です。

 鉄道の定時性をそこまであてにしてはいけないのは分かっているものの、、ここで芸備線に乗るのをあきらめる、備後落合へ行くのをあきらめる、という選択肢は、ありませんでした。


DSC00706.jpg 糸崎で乗り継いだ普通列車は115系の6両編成。3両編成が2つつながっています。

 JR西日本は2011年5月1日から先頭車どうしの連結部でも前部標識灯を点灯させています。……中間車ならこの部分に転落防止幌があるのですが、2010年12月にこの部分から転落した乗客の死亡事故を受けての措置とのこと。

 すれ違う下り電車でも、中間部が光っているのは結構目立ちます。

 岡山駅で見た限りでは山陽本線の列車だけでしたが、「鉄道ジャーナル」2011年7月号によればJR西日本管内全域が対象で、キハ120とキハ40系のみが電気回路の都合で例外とか。

DSC00707.jpg ……誌面では触れられていないものの、どうやらJR四国へ直通する瀬戸大橋線「マリンライナー」も例外のようです。

 ここで「前部標識」が列車中間で光っているのはいかがなものか……という杓子定規なツッコミは野暮というものでしょう。

#鉄道のヘッドライトは列車の先頭であることを示す「標識」で、国土交通省令で定められた「鉄道信号」の一つ。

 さて、岡山・瀬戸、と電車を乗り継ぎ、あとは姫路で新快速電車に乗り継ぐだけです。

 ところが瀬戸から乗った姫路ゆき電車でウトウトしていたら、姫路到着前の車内アナウンスで

「この電車は途中、前を走る電車が遅れたため、姫路駅に4分遅れで到着します。なお、新快速電車には『フセツ』となります」

フセツ……「不接続」ですとっ!? 大阪駅で乗り継ぎ時間が12分しかないのに、1本後の電車では当然間に合わないではないか!

 遅れ始めた段階で新快速への乗り継ぎ客がいることを車掌さんに申告していれば無線で連絡してくれたはずで、居眠りをしていた自分が情けない!


 ……と絶望した思いで電車が姫路駅ホームに入ると、向かい側に新快速電車がまだ停まっているじゃないですか! これは勝つる!!

 姫路ゆきの車掌と車掌見習が「フセツ」(=不接続)とアナウンスしたということは、おそらく、姫路駅の判断で発車を待たせたに違いないです。(推測)


 姫路駅を3分遅れで新快速電車が発車します。……いやはやどうにかこのまま順調に走ってくれれば間に合いそうだ、と思ったら、車内アナウンスが

「本日は16時ごろ発生した甲子園口駅での人身事故の影響により……」

ぐはぁぁ……発生から6時間以上経っているとはいえ大丈夫か、、、と思っていたところへ車掌さんが車内巡回に来たので聞いてみると、ほぼ正常に戻っているが、先行する普通電車が遅れていて西明石駅場面で8分遅れの見込みとの返事。

 12分しか乗り継ぎ時間がないところへ8分遅れ!

 逆に言えば、どうせ増延が見込まれるから姫路駅は新快速電車の発車を3分待たせたのですね。確かに頭を押さえられているかのように電車のスピードが出ません。


 実はかくかくしかじか……と恐る恐る事情を説明すると、車掌さんは「どちらから来られましたか」と聞かれ「広島から…」と返事をすると「もう少し早く来ていただきたかったです……」と困った顔をしつつ「とりあえず、当たってみます。お客さまのほうでもバス会社に連絡してみてください」と連絡を引き受けてくださいました。

 広島じゃなくて、備後落合からと言っておけばよかったかな……。

 時刻表記載の西日本ジェイアールバスの電話番号も、ジェイアールバス関東の電話番号も、22時を過ぎて(電車内ではあるもののこっそり)電話をかけてもこれは予約受付の番号で、「営業時間内におかけ直しください」のテープが流れるだけです。orz

 もう一度車掌さんが来られ、ひとまず指令→大阪駅→JRバスのルートで連絡を依頼したけど、返事はまだない旨を知らせてくれました。

 ジェイアールバスの連絡先は、車掌さんがお持ちの小型時刻表記載も同じ電話番号でしたから、もう打つ手はありません。

 JR神戸線で人身事故があったとなれば指令室はてんやわんやでしょうし、大阪駅も列車遅れの対応で忙しいに違いないです。


 大阪まであと2駅、という芦屋を出て今度はこちらから車掌さんのところへ足を運び、その後どうか聞いてみたものの、まだ返事は来ない由。

 電車は、西明石を出たときのまま8分遅れで走っており、あとは大阪駅で走るだけです。車掌さんも「(バスの)のりばは(電車の進行方向に対して)左側ですから」とアドバイスしてくれました。

 大阪駅に着いてドアが開いたのは、23時45分55秒。乗っていた4号車が中央口へ降りる階段の目の前、ということも幸いして、一目散に走ってみれば、23:50発「青春中央エコドリーム24号」は改札中でした。間に合った!

 列の後ろに並び、何事もなかったかのように運転係の方に乗車票を出して改札を済ませ、荷物を預けてバスに乗り込むと、続々と走ってくる人がいます。

 同じような境遇の人がいたようです。


 さて、無事に乗れたはよいものの、バスがなかなか発車しません。

 そのうちバスの外で西日本ジェイアールバスのスタッフの人たちが

「新快速のお客さんまだかいなー」
「46分ごろ着くって言うから、5分なら待つ、それ以上は知らん、って言ってあるんやけどな」

としゃべっているのが耳に入りました。

 連 絡 が 届 い て い た の か !


 一旦座った席を立って、外にいたスタッフの方に、すみませんそれ私です、ありがとうございました、と申告すると、おおそうでしたかよかったよかった、と相成ってバスは発車です。

 いやはや……今回はどうにか間に合いましたけど、次回こういうことをやるときは「置いていかれたらどうする」ということも考えておかなきゃ、、、、じゃなくて、ちゃんと余裕を持った行程にするのが先ですよ。>自分
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電車の中にゴキブリキャップ

 その昔、電車の中にゴキブリホイホイが置いてある路線があったそうであります。

 1980年代の東急目蒲線がそうであった、と、1991年に目蒲線沿線の中学・高校一貫校に入学した頃に鉄道研究部の先輩方から聞かされました。

 まぁ、そんなのは東急に緑色の電車が走っていて、社員の制服もシャツの裾をズボンから出すのが正式(←本当に! 夏は涼しそうだった)という時代の、過去の話だと思っていたんです。

DSC00705.jpg ところが……


 わたくし、きょうJR西日本の115系電車の中に、ゴキブリキャップが仕掛けられているのを見てしまったのです。(ガーン)


 21世紀になっても、出るところには出るのですね……。

 自分も他地域の115系電車でゴキブリを見たことがまったくないといえばウソですが、家で出るようなおぞましいのではなく、学校やオフィスなどでよく出る米粒みたいなミニゴキブリです。

#なんという種類かgoogle先生に聞いてみたいけど、たぶん写真を見なきゃいけないと思うので調べない
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最低限の安全輸送

DSC00649.jpg 新見から芸備線に入り、備後落合を経て、三次・広島を目指します。

 ローカル線を多く抱えるJR西日本に見られるのが「最低限の安全輸送」です。……鉄道の本来の特性である「高速大量輸送機関」としての役割を事実上返上している姿です。

 JR本州三社は政府保有の株式がすべて売却された2002年に「完全民営化」され、政府が株主として経営に介入することはなくなりました。……が、JR会社法附則では引き続き「新会社がその事業を営むに際し当分の間配慮すべき事項に関する指針」(平成13年国土交通省告示第1622号)のもと、国土交通大臣により

輸送需要の動向その他の新たな事情の変化を踏まえた現に営業している路線の適切な維持及び駅その他の鉄道施設の整備に当たっての利用者の利便の確保に関する事項

について「指導及び助言」そして「勧告及び命令」ができることになっています。

……つまり、JR本州3社がローカル線を廃止するには、他の鉄道会社とは違ったそれなりのハードルがあるわけです。

 そして現在、JR西日本の各ローカル線で見られるのが、「最低限の安全輸送」です。

 もはや高速大量輸送機関としての役割を果たしえない区間でも廃止はせず、その一方で新たな設備投資もやめて、事故だけは起こさないように、明日にも撤退しそうな地方私鉄並みかそれ以上に突き詰めた体制で運行を細々と続けているものです。

 手元に2001年5月の時刻表があるので、芸備線の「359D」の時刻を2011年9月の時刻表と比べてみると、

・2001年5月 備後落合12:59発→三次14:03着(所要1時間04分)
・2011年9月 備後落合12:39発→三次13:58着(所要1時間19分)

と、45kmあまりの区間を結ぶのに10年間で15分スピードダウンしています。……鉄道の歴史はスピードアップの歴史と思ったら大間違いです。
(45kmというと、京都〜大阪、東京〜大船・八王子くらいの距離)


DSC00650.jpg 沿線には「15」「20」「25」「30」といった速度制限標識があちこちにボンボン建てられて、列車はノロノロノロノロ走ります。

 山あいの区間なので、落石や路盤流失を運転士が見つけてからでも列車が止まれるスピードでしか走らせないのでしょう。おそらく。

 ……従来であれば、線路のメンテナンス体制だったり落石や土砂崩れを検知するセンサーの設置、さもなくば斜面の補強工事などでカバーしていた部分だと思うんです。

 2枚目の写真では字が潰れていますが、「20」の下に「5」と書いてあって、要はほんの5mの区間が20km/h制限だというわけです。(5m先に解除標も建っている)

 ここまでくると、15km/h制限と、20km/h制限と、25km/h制限に何の違いがあるのかとすら思わされます。

 おまけに部外者にとって不思議なのが、単線なのに上りと下りで速度制限箇所が違うことです。同じ単線の上でも列車の向きが違うと危険度も違うのかどうか。

DSC00682.jpg もう一つよく分からないのが、黒板に黄色い「S」の標識と、青い板に白い字の「雨15」の標識。

 1枚目と2枚目の写真のように速度制限標識の下に「雨**」(**は数字)だけがついている箇所がほとんどですが、「S」だけの箇所もあれば、写真のように「S」と「雨15」が併設されている箇所もあります。

 この「雨**」というのは、運転士が降雨を認めたらその時点で適用なんでしょうか? それとも、一定の降雨量があったら規制がかかるのでしょうか?

 それ以前に、3枚目の写真はもともと15km/h制限なのに「雨15」もついているのです。……たぶん解除標の場所が違うのでしょうけれども。


DSC00685.jpg 雨が降ったらここからどこまで時速何キロ以下で走るのが正解なのか、クイズにしたくなるのがこの場所。

 「45」「S」「雨15」とあり、写真では小さくなっちゃってますがカーブ手前に、「45」の解除標識と「●」の標識があります。

 45km/h制限がカーブ制限ではなく直線に設けられているというのがなんとも象徴的でありますけれども。

DSC00687.jpg で、その先に、やけに細長くて青い制限速度解除標識があるのですよ。……これってたぶん「雨15」に対する解除標識だと思うんですよね。

 じゃぁ「S」と「●」の意味って何なのかなぁ、と。

 「S」や「●」は他のJR線でも見かけるのでおそらく国鉄時代からある標識で、「雨**」はJR西日本になってからついた標識か、と推察はしてみるものの、それだと「S」と「雨**」が両方ついている場合の説明がつかないです。

DSC00679.jpg これはたぶん速度制限と関係ないんだと思うんですが、ところどころに建っている「曲」という字が書いてある黄色い看板も、これは何を意味するのかなぁ……と気になりました。

 新見から芸備線の列車に乗ったら、備中神代までの伯備線区間で最初に見かけたので、てっきり振り子電車に関係する標識かと思ったのですが、芸備線に入ってからも見ることができました。むむむ。


 こんなこと、部外者の自分が気にする必要なんかまったくなくて、プロの皆さんに任せて安心して乗ってればいいのに、遠くまで来て何をやっているのだろうか自分は……。
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備後落合駅

DSC00665.jpg 備後落合駅は、越後川口駅と並んで私が好きな駅の一つです。

 何がどう好きなのか、と言われても「なんとなく印象に残った乗り継ぎ駅だから」としか答えが見つからないのですが、曲がりなりにも木次線と芸備線のターミナル駅なのに駅周辺に何もなさすぎる、ひなびている、というのは大きな特徴だと思います。

 いまや木次線も芸備線もローカル線になって、この駅から木次方面と新見方面へは1日3本しか列車がありません。

 大学生の頃までは急行「ちどり」が広島から備後落合まで走っていましたし、私が初めて降りた高校生の頃は有人駅で、さらに昔はホームに「おでんうどん」が名物のうどん屋も営業していた(と本で読んだことがある)のですが。

#急行「ちどり」は松江城の別名「千鳥城」が列車名の由来で、1990年までは木次線を経由して松江・米子まで走っていた


DSC00655.jpg 駅前の坂を下って橋を渡ると、簡易郵便局がまだ営業していました。

 ……とっくに廃局になったもんだと思い込んでいました。ごめんなさい。前回来たのが土曜だか日曜日だったのでしょうか。

 今回来た14時ごろは、三次方面・新見方面・木次方面の列車が着いて、備後落合駅が一番賑わう時間帯のはずなのに、どうやら自分以外に郵便局へ誰かが来た様子が見受けられません。

 鉄道マニアもだいぶ裾野が広がって「旅行貯金」の類を楽しむ人の割合も低くなったのでしょうか。……確かに、週末を中心に鉄道旅行を楽しむ人には、平日昼しか営業していない郵便局の貯金窓口は無縁な存在に違いないです。


DSC00663.jpg ホームの柱には、こんな掲示と押しボタンが残っていましたよ。

 「通票よいか」「信号よいか」「旅客よいか」でボタンを押す、ということは……出発指示合図器だ!

 うおおお! こんな駅(失礼)にこんな設備があったのか!

 現在でも津軽線三厩駅や山田線の一部の駅で、ローカル線なのにわざわざ駅長がホームへ出てきて車掌へ出発指示合図を出す体制が残っている例は見かけますが、合図器なんて設備はなくて旗や合図灯が使われます。

 備後落合駅は無人駅なのはもちろん、発着する列車もワンマン列車がほとんどで(実は木次鉄道部には車掌が配置されている)、もはや使われることはないでしょう。
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岡山→津山→新見

DSC00567.jpg 実は、昨日の岡山着の時間(21:05)から東京方面へ引き返すと、大阪駅23:50発の夜行バスをつかまえて帰ることもできたのですが、「青春18きっぷ」がもう1日分あるので旅を続けます。

 まずは岡山駅7:00発の津山線で津山駅へ。駅徒歩10分の扇形機関庫を隣接する公園から眺めて過ごします。……ここは単に機関庫の建物を残してあるのではなく、JR西日本で引退した歴史的な車両を保存してある場所でもあるのです。

 キハ58・キハ28・キハ52なんて、中学〜高校生の頃は非電化ローカル線ではちっとも珍しくない存在で、全国のJR線を乗りつぶす過程で何度も乗ったものですが、もうこんなところに飾られるような時代になったんですね〜。
(キハ40系列はまだまだ主力ですが)

DSC00622.jpg 津山から乗った新見行きの姫新線では、ついつい沿線の標識類に目が行ってしまいます。

 こういうのは哀しいかなその道に生きる者の性というものでしょうか。

 JR線の速度制限標識で「電車・気動車のカーブ制限速度は機関車列車より何km/hアップ」というのは、なんらかの暗号的(?)看板で表示しているケースならよく見かけるのですが、こういう誰でも読める形での表示は初めて見ました。(写真では字が潰れていますが、「60」の下の黄色い板に「機関車」と書いてあります)


 どうでもよいですが、キハ120って自動ブレーキなんですね。

 平成に入ってからの軽快気動車でブレーキが電気指令式ではないとは意外です。
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窪川→高知→岡山

DSC00438.jpg 窪川でおよそ1時間20分の待ち合わせののち、青春18きっぷの旅を再開です。

 13:10発高知行きの土讃線は、ときおり太平洋を眺めながらの道中ですが、昼食後ということもあってか、14:55に高知へ着くまでほとんどの区間でウトウト……。



DSC00443.jpg 高知駅は2008年に高架化したときに「くじらドーム」と呼ばれる大屋根で駅もろとも覆う、斬新なデザインの駅になりました。

 ……厳密には、大屋根で覆われているのはホームの真ん中あたりだけで、中央線の東京駅ホームの屋根が、真ん中だけ高くなっているようなイメージでしょうか。

 四国のJR駅で最初に自動改札がついたのは、高松駅よりも早くてこちらでしたね。



DSC00455.jpg 予定では高知駅で40分ほど乗り継ぎの時間がありましたが、「ごめん・なはり線」直通の列車で後免駅まで先に行ってみることにします。

 土佐くろしお鉄道「ごめん・なはり線」は、全20駅にやなせたかし氏が描いたイメージキャラクターがいます。……頼まれれば断らない(らしい)同氏の多数のキャラは時として「ゆるキャラ」呼ばわりされることがあり、この20キャラの中にも、確かにこれはプロの作品としてどうなのか、、、と思うものがあったりなかったり。。。

 夜須駅のやすにんぎょちゃんって、こんなのありか……と思っていたら、pixivにこんな作品があって笑ってしまいました。世のオタクのみなさんはすごいですね。


DSC00507.jpg 後免駅から予定していた土讃線の列車に戻ります。

 予土線の「ハゲ駅」に続く変わった駅名として土讃線には「大ボケ駅」があります。……駅の後ろに見える「歩危マート」というお店の看板は、そのまま読めば「ぼけマート」で合っているのかどうか。

 さて、やれ大歩危渓谷だ、新改駅(スイッチバック駅)だ、土佐北川駅(鉄橋上の駅)だ、と列車内で明らかに不審人物と化していたら、イケメンのお兄さんに声をかけられました。

「玄人の方ですね。自分、青春18きっぷの『初心者』なんでいろいろ教えてください」

はいっ!?

 刺繍の入ったジーンズを腰履きしてそうな(シャツに隠れて不明)、チェックではない柄のシャツ、カンカン帽に、センスのよさげなメガネ、そして整えられたヒゲ、と、ステレオタイプな鉄道マニアとは明らかに違う人種の方です。


DSC00520.jpg 岡山にお住まいの方で、高知へ酒を飲みに行った帰りだそうですが、そんな方から

「秘境駅」とか
「いつかNゲージを部屋いっぱい広げたい」とか
「青春18きっぷで北海道行けますかねー」

などという言葉が飛び出るとは、時代は変わったものです。

 「秘境駅」といえば写真の坪尻駅はとっくに日が暮れて真っ暗闇。

 新改駅のスイッチバックもそうですけど、本線の勾配は思ったほど急ではないので、駅の信号装置が老朽取替の時期を迎えると棒線駅にされてもおかしくはない気がします。


 さて、酔っ払いは35歳既婚という明るいお兄さんで、もう少し元気なら、見知らぬ人から声をかけられてもきちんと相手できるんですが、ちょっぴり厳しいものがありました。……が、自分も今日は岡山泊なので、この先ずっと一緒ということになります。。。

 阿波池田・琴平・坂出でともに電車を乗り継ぎ、阿波池田駅で「飲み物おごらせてください」とのことだったので缶コーヒーを買ってもらいました。


DSC00530.jpg 夜の瀬戸大橋は、眼下に広がる坂出の工業地帯の夜景がすごくて(あとで地図を見たらコスモ石油の製油所があった)うおおおおおー!! これは萌える!! と思ったものの、人前ではさすがに感情を露わにできず……。

#お兄さんはそういう見どころを教えてほしかったのかもですが

 お兄さんは児島で降りてゆき、ようやく一人になって岡山に着きました。

 快速「マリンライナー」用JR四国5000系電車は、平屋の普通自由席車がJR西日本223系電車、2階建ての指定席車がJR東日本のE217系電車(←総武快速線の電車)をベースに作られています。

 ……ということは、平屋側の運転席はJR西日本仕様で2ハンドルでも、2階建て車両の運転台はJR東日本仕様でワンハンドルなのか、、、と思いきや、当たり前の話ですが平屋側と同じ運転台がついていましたとさ。

 まぁ、JR東日本・東急車輛のE231系シリーズも、導入する各社に合わせて運転台の形は違いますからね。
author by よんなん
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窪川にて

DSC00415.jpg 高知県四万十町の窪川駅で予土線から土讃線の普通列車に乗り継ぐのに1時間20分ほど待ち時間がありました。

 予土線から10分の待ち合わせで連絡する特急「南風16号」は青春18きっぷでは乗れないので、乗車券・特急券を買って「ワープ」する選択肢もあるものの、せっかくなのでのんびり待つことにします。

 ちょうどお昼時だったので、四万十へ来たことですし昼食はうなぎ屋へ(詳細は「ごはん日記」に)。……ついでに、窪川駅から近い四国八十八箇所の一つ「岩本寺」にも立ち寄ってみました。

 「スタンプラリー」的なものは私のようなマニアを引き寄せるものがあり、境内の売店で「納経帳」も売られていましたが、「納経」の仕組みもよく分からず、信心もないのに手を出せばバチが当たりそうだったので境内を眺めておみくじを引いて帰りました。

 おみくじはめでたく「大吉」を引き当てましたが、それによると……

>病気 精神の安定第一

と、ズバリその通り。(なんと!)


DSC00417.jpg さて、窪川駅周辺は四万十町の中心部のわりに信号機はほとんど点いておらず(写真では消えていますが、自動車用は黄色の点滅)、なんとも平和な場所でありました。

 ところで、この写真に写っているNTTの建物には日本生命の支所が入居していましたよ。

 NTTは電話局の営業窓口をどんどん閉めているものの、建物にある電話交換の機能がそのまま残っているのか、市街地のど真ん中で見た目がまるで巨大な空き店舗のようなNTTの建物をよく見るのですが、テナントが入居しているケースもあるのですね。……自分ははじめて見ました。

 建物には「NTT窪川電話交換所」の看板も出ているものの、NTTの窓口はないようです。


DSC00422.jpg さらに駅へ戻る途中にJR四国窪川自動車営業所の跡地があります。

 窪川自動車営業所は1994年に廃止されており、写真のような駐車場に看板が残っていて「窪川自動車営業所」の上には「四国旅客鉄道」の「旅」の字だけが見えるのですが、さらによく目を凝らすと……「日本国有鉄道」の文字をはがした跡が見えますよ!

 「日本国有鉄道 窪川自動車営業所」! 東京から1000km近く離れたこの地のバス路線まで、国鉄の全国路線ネットワークとして東京の本社で面倒を見ていたわけですか。……もちろん四国総局を間にはさんでいたとはいえ、いまとなっては隔世の感があります。
(四国には鉄道管理局がなくて総局直轄だった)

 その後、JRでは最後までバスを直営していたJR四国の自動車部門も、2004年に再分割されて「ジェイアール四国バス」(JR四国の100%子会社)となり、独自の経営をしています。
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松山→北宇和島→窪川

DSC00311.jpg 青春18きっぷ3日分を使った旅の2日目は、松山駅6:05発の普通列車からスタートです。

 3両編成の先頭に真っ赤なディーゼルカーがくっついていて、松山発車前にJR四国の制服を着た方が3人ほど珍しそうに車内のフィギュア陳列ケースを見ていましたよ。

 ……これは予土線で走っている「海洋堂ホビートレイン」で、時刻表によるとこのあと北宇和島駅で乗り継ぐ予土線の列車がこの車両で運行のはずですが、、、

DSC00347.jpg あとで分かったことですが、9/6に定期検査があった模様で、6、7日の予土線は一般車両で運行しますという掲示が駅にありました。

 ……この日の朝の宇和島行きに連結されていたのは、松山の車両基地で検査が終わって予土線へ戻る「送り込み」だったわけですね。

 道理で、松山駅にいたJR社員の方が珍しそうに見ていたわけです。……この車両が定期検査で松山入りするのはおよそ3ヶ月に1回(のはず)ですから。


DSC00377.jpg 松山から3時間半ほど揺られたのち、北宇和島で予土線に乗り換えます。

 写真の江川崎駅には側線があるものの、信号の類は「入換標識」しかありません。

 入換標識で構内入換をするには運転士のほかに誘導する係が必要ですが……無人駅なので、もう夜間滞泊・入換はないのだろうか、もう使われることがない設備なのだろうか、と思って時刻表を見ると夜間に江川崎止まりが2本、早朝の江川崎始発が1本あります。


yodosen.jpg これは何ぞ……と時刻表をもう一度よーく見てみると、夜の1本と朝の1本だけ、予土線なのに列車番号が4000番台ではありません。ははぁ、なるほど。

 JR四国は列車番号4000番台がワンマン列車を意味するので、おそらくは、

・夜、車掌を乗せた列車(832D列車)が江川崎に着いたら車掌の誘導で側線に滞泊→運転士・車掌も就寝
・その約1時間半後の終列車はホームに滞泊。

……そして朝になったら、再び車掌が側線から車両を誘導してホーム上の車両と連結して朝の列車を仕立てるのですね。きっと。

 全列車ワンマンカーだと思い込んでいたら、江川崎駅で構内入換をやるために宇和島から車掌を送り込むツーマン列車が予土線にあるのかぁ。……そんなところばかり見てニヤニヤしているのですよ。ええ。


DSC00384.jpg さて、途中の江川崎駅からは1974年に開業した(ローカル線としては)新線で、特に土佐大正駅までの区間は蛇行する四万十川をトンネルと鉄橋でガンガン直線に貫いてすっ飛ばします。

 トンネルこそ増えるものの景色がよいのはこの区間で、江川崎からはJR西日本(日本旅行)「ジパング倶楽部」の団体が乗ってきました。……添乗員さんが「さっそく一つ目の沈下橋が見えますよ〜」と窓の外を指差すと、、、、なんと橋が落ちてるじゃないですかっ!!

 先日の台風12号の影響でしょうか??


DSC00387.jpg あと、予土線といえば「はげ駅」。

 (確か)高校1年のときの記憶を頼りに、ホームは進行右側だったはずッ! と周囲の方に断って窓を開けたら、まさに駅名標が目の前に!

 Wikipediaによると、この地名は平家の落人が「平」の横棒を1本ずらして名前を変え、この地で追っ手を逃れたのが由来……とか?

 そうかー落人もハゲだもんねー(何を言いやがる)

 ちなみにJRには「増毛」駅もあるんですけれども北海道の駅なので、「ハゲから増毛ゆき」の片道キップは「goo乗換案内」によれば21660円(予讃・山陽・北陸・羽越・奥羽・千歳線経由)です。……おまじないで買うにはちょっと、、、

 またハゲ駅へ戻ってくる往復キップは4万円超ということになります。誰か買いませんか。
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道後温泉本館2階休憩つき初履修

DSC00281.jpg 道後温泉本館は松山市の市営で、入浴だけなら400円です。

 400円足して800円を支払うと、2階の座敷で休憩(お茶、せんべい、浴衣つき)サービスを受けられます。

 中学・高校生時代は(宿代を浮かすのに)駅ネしながらJR線の乗りつぶしをしていた旅行の途上で、休憩つきなんてとんでもない話でしたが、いまとなっては400円のプチ贅沢ならよいではありませんか。


 チケットを買って中へ入ると、2階へ通されました。

 スタッフのおねいさんが、どうぞこちらへ、と空席に案内してくれ、座布団に腰掛けるとしくみを説明してくれます。

・まずは風呂に入ってくる
・風呂から上がって座敷へ戻ってきたらお茶とお菓子が出る
・1時間をめどに退出する
・浴衣は、男性はここで着替えて風呂へ行ってもよいし、風呂あがりに1階の脱衣所で着てきてもよい

女性のお客さんもいるのに「ここで着替えてよい」というのにちょっぴりびっくりですが、男性は着替え途中の下着姿までなら許容されるようです。

 あとは、自分の席には目印になるものを置いていってほしいことと、貴重品は100円が戻らないコインロッカーに入れるか、簡易な鍵でも構わなければ脱衣所の脱衣ロッカー(無料)へ、とのこと。

 まぁ、「目印」といっても自分なんぞは脱いだ服を置いてゆけばよいわけですが、道後温泉に泊まっている人で旅館の浴衣+最低限の貴重品で来てしまうと困ることになりそうです。


 階下の「神の湯」の男湯には実は浴室が2つあることに気づかずに前回帰ってしまったので、今回は両方履修。

 なぜか片方は芋を洗うようだったのに、もう片方は片手で余るほどの人しかおらず。。。前回の自分みたいなお客さんばっかりだったのでしょうか。

 ……リニューアルをしたのか、洗い場が前に来たときよりきれいになった気がします。一方、お湯はかけ流しなのに塩素を添加するようになったのだそうですね。


 がらがらのほうの浴室で、高い天井を眺めながらの温泉もよいですが、今回のメインは「休憩」です。20分ほどだったかでさっさとあがります。

DSC00279.jpg お茶とせんべい(といっても一般的なせんべいではなく、八ツ橋みたいなお菓子風味のせんべい)はサービスですが、「坊ちゃん団子」(確か80円)というのがあったので追加。

 ただの「団子80円」だったら絶対に頼まなかっただろうなぁ……ネーミングの勝利だよなぁ、と思っていたら、あとで調べたところによると「坊ちゃん団子」は立派な松山銘菓だったのですね。

 団子を追加したとき「お茶のおかわりはいかがですか?」と言われ、お茶は飲み放題であることが判明。

 お茶は湯のみにあらかじめ淹れて用意してあるのを持ってきてくれるので、悪い言い方をすれば「作り置き」ということになりますが、猫舌の自分にとっては冷めるのを待つ必要がなくてありがたいことです。


DSC00278.jpg どうやらここにはクーラーという設備はないようで、9月に入って日が暮れれば涼しい季節となり、なかなかよい時期に来たなぁ、と鈴虫の鳴き声を聞きながら嬉しくなりました。

 冒頭の写真のようにガラガラで、「1時間」といっても誰かが時計で測っているわけでもなく、待っている人がいるわけでもないので、カラオケボックスのように「あと何分です」と言われるでもなく、自分で頃合を見計らって帰るしたくをします。

 係のおねいさんに、やっぱり週末は混むんですかーと聞くと、明日あたりからお客さんが増えてくると思います、というお話だったので、言葉通り受け取っておくとすれば、火曜日が一番すいているのでしょうか。(推測)

 21時ごろまでのんびりして、再び着替えて路面電車で松山駅前のホテルへ帰りました。
author by よんなん
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