さぁ、やってまいりました、今回の北海道旅行最大のメインイベントです!
築別炭鉱、それは北海道の山奥に眠る廃墟中の廃墟といえるのではないでしょうか!
厳密には、
羽幌炭鉱に3つあった「羽幌抗」「築別抗」「上羽幌抗」のひとつですが、地名が「築別炭鉱」なのでこう呼ぶことにします。
築別炭鉱には10年前に名羽線跡をたどるついでに一度来ていたのですが、9月の築別炭鉱はバッタが大量に飛び交って窓も満足に開けられない状況で、早々に引き返したのでした……。
11月になってムシの心配はないですが、冬眠前のクマの心配と、何より人が住んでいない地域なので道路がすでに冬期通行止めになっている心配がありました。
……が、築別から道道356号に入るところの看板には「築別炭鉱築別(停)線 全区開通 通行注意」の文字! よしきた!!
とはいえ、この時期の北海道は16時半には真っ暗になるというのに、時計はすでに15時半を過ぎています。
脇目も振らずに築別炭鉱を目指しました。
さて、築別炭鉱と羽幌炭鉱鉄道は会社そのものが消滅したので、全て放置されたままです。
なんと言ってもメインは、写真の社宅と思われる住宅団地跡。
……鉄筋コンクリート5階建てのアパート(というかマンション)が6棟(くらい)あります。
クマが怖くて、STVラジオ「
日高晤郎ショー」を音量最大でカーラジオから放ちながら、クルマを降りて住宅団地へ足を踏み入れます。……頼みますよ晤郎さん。。
築年は不明ですが、ダストシュートがあるほか、入口から少し中をのぞくと集合ポストもそのままです。
中にほんの少しだけ足を踏み入れると、トイレは水洗です。……台所がどのあたりだったか、風呂はあったのかは不明ですが、トイレが水洗という時点でかなり文化的に思えます。
#というか、集合住宅で水洗ではないトイレというのも考えにくいですが
東京の明治公園わきにある、都営霞ヶ丘アパートに非常によく似ている気がします。
おそらく、40年前の1970年に閉山してから放置されっぱなしだと思うのですが、躯体はいまなおしっかりしているように感じました。
アパート群から見た、消防署跡と、火力発電所跡の煙突。
16時が近づくにつれて辺りは日暮れ感が次第に増す一方で、本当は、診療所の跡や小学校の跡など、見どころは満載なんですけれども、本来なら複数人で来るべきところへ一人で来ている時点で危険です。
このままクルマへ戻って、来た道を引き返すことにしました。
道道はちょうど診療所のところ(団地跡や消防署跡への曲がり角があるところ)で通行止めになっていました。
誰も住んでいないんだし、なにしろ自分みたいな人が興味本位にやってきて危険なんだから、もっと手前にゲートを置くべきでは、、、と思うものの、一部のサイトの記述によれば、診療所跡や消防署跡を地元の方が農機具等の倉庫に活用している模様で、その関係でここまで道路をあけてあるのでしょう。
……と、ここで、一台のクルマがやってきてすれ違います。
二人以上揃えば、単独では危険なところにも行くことができるじゃないですか!
あわててクルマをUターンして診療所付近へ戻ると、向こうもさっそく引き返してきました。…窓を開けると、なんと向こうは外国人!
「Lost town?」
「Yes, ghost town.」
思わず「ゴーストタウン」と言ってしまいましたが、確かに先方は「ロストタウン」と言ってたんだよなぁ……どちらにしろ意味は合ってる(はず)と思いますが。
そのまま外国人さんは行ってしまい、自分が再び取り残されてしまいました。
そうか……外国人にまで知られているのか、、って、一人で右ハンドルのクルマを平気で左側通行で運転している時点で、おそらく北大あたりの留学生じゃないかという気がしますが。
ついでに、築別からの道道の沿線には、羽幌炭鉱鉄道跡の鉄橋がそのまま残っています。
築別炭鉱への道を曙という集落から分かれて別の方向へ行くと、国鉄名羽線の未成線跡があります。
……名羽線跡のほうは、簡単に行けるところは撤去がほぼ済んでおり、営林署から林道の鍵を借りてクマ対策も万全に行かねばならないようなところにドーンと立派なコンクリート橋やトンネル群が残っているそうです。
築別炭鉱ともども、いずれもう一度、日帰りではなく腰を据えて見に行きたいところです。