日本人の「曇りガラス」観(?)
2010.09.23 Thursday | よんなん的戯言
きょうの早朝、父親から住宅エコポイントがつくうちに我が家(=実家)に内窓をつけようかという相談をされました。
大いに結構なんじゃない? と思ったんですが、唯一平行線だったのが「内窓を曇りガラスにするか否か」。父親が曇りガラス派、自分は透明派です。
父親の根拠は
(ア)内窓を曇りガラスにするのは、和室の窓に障子があるのと同じである
(イ)プライバシー保護の観点からも望ましい
(内窓がつくとカーテンレールの設置が難しい…らしい)
対する自分は
(1)和室の障子と洋室の曇りガラスは違う。曇りガラスだけの部屋は非常に閉塞感がある(例:代ゼミの教室)
(2)我が家も隣家も北窓はすでに曇りガラスであり、わざわざ覗かない限り見えないのであって我が家の南窓まで曇りガラスにする必要はない
(3)障子はその気になれば簡単に外せるが、窓は一度つけたら半分まで開けるのが限度
(4)よって、内窓は透明にして着替え等の際に使えるロールカーテンなどを設置するのが望ましい
父親はヒデノブ語を理解できないらしく、
(1)北向きで曇りガラスになっている応接間でテレビを見ていて閉塞感があるのか?(反語)
(2)それでは風呂やトイレも南側なら窓を透明にするんだな?
(3)内窓もその気になれば外すのは簡単で(←そうなの?)、そんなこと言うなら家中の障子を今日から外して丸見えにしてしまえ。
と出てきました。
朝っぱらからそこまで言われちゃうと理屈ではなく「なんとなくイヤ」としか言いようがないのだよなぁ、というところでひとまず終了です。(昼でも夜でも同じですが)
その後、朝の7時半を過ぎて風呂に入りながらラジオを聴いていたら、文化放送で「週刊エンター:吉田照美選曲によります音楽特集!『秋の歌をあなたに』〜童謡唱歌」をやっていて、そこへダークダックスの合唱で「ちいさい秋みつけた」が流れました。
ラジオではめずらしくワンコーラスではなく歌は2番に入って…
♪だれかさんが だれかさんが だれかさんが みつけた
♪ちいさい あき ちいさい あき ちいさい あき みつけた
♪おへやは きたむき くもりの ガラス
♪うつろな めのいろ とかした ミルク
♪わずかな すきから あきの かぜ
………
あのメロディーとダークダックスの歌声でこの歌詞を聴いたら、あまりに寂しすぎる情景が思い浮かぶようで、涙腺がゆるい人はときっと泣いてしまいますよ……
自分は、、慶應出身者の合唱なんかで泣くもんかっ! ううっ、それでも目から汗が……
………はっ!
これこれ! これだ! まさにこれだって!
………
……
…
オレ達はとんでもない考え違いをしていたんだ
日本人は、昔から曇りガラスにいいイメージを持ってないんだよー!(MMRのキバヤシ調)
Ω ΩΩ <な、なんだってー!!
って、理屈以前にそんなレベルの話ですが。
「ちいさい秋みつけた」の歌詞の解釈にはいくつか説がある(らしい)うえ、確かなことはサトウハチローがもはや故人なので分からない(3番の由来だけは書き残している)のですけれども、一説には
1番=幼少時に大ケガをして友達と満足に遊べなかった作詞者がはせた想い
2番=愛人に溺れた父親から一切隔絶された母親 or 隔離病人だった子の様子
3番=作詞時に部屋から見えたハゼノキ+幼少時に風見鶏のある教会へ連れられた想い出
というものがあるようです。(参考1・参考2・Wikipediaほか)
#自分は、2番は留置場や感化院に入れられていた頃の作詞者の様子ではないかと推測
(特に作詞者の経歴以外の根拠はない)
NHKで「うたのおねえさん」が歌っているように見えなくもない動画でも、2番の情景は省略されています。
藤城清治(だと思う)の描写で2番なんか表現したら、「小さいお友達」は大人とは違う意味で泣き出すか、トラウマになってしまうに違いありません。
(↑「NHK+影絵=藤城清治」しか思い浮かばない人)
そんな曇りガラスを、家中の窓につけようだなんて、いつぞやの社会党じゃありませんが「ダメなものはダメ」じゃないですかっ! ねぇ。
……さっそくこれを父親に話さねば、、、と風呂を上がり、髪を乾かして階下へ降りると、祝日のきょう、父親はとっくに趣味友達と出かけた後でしたとさ。
まぁ、話したら話したで、精神病患者のタワゴトなど相手にされないでしょうけどね。
(ただいまうつ病にて会社を絶賛病欠中)
大いに結構なんじゃない? と思ったんですが、唯一平行線だったのが「内窓を曇りガラスにするか否か」。父親が曇りガラス派、自分は透明派です。
父親の根拠は
(ア)内窓を曇りガラスにするのは、和室の窓に障子があるのと同じである
(イ)プライバシー保護の観点からも望ましい
(内窓がつくとカーテンレールの設置が難しい…らしい)
対する自分は
(1)和室の障子と洋室の曇りガラスは違う。曇りガラスだけの部屋は非常に閉塞感がある(例:代ゼミの教室)
(2)我が家も隣家も北窓はすでに曇りガラスであり、わざわざ覗かない限り見えないのであって我が家の南窓まで曇りガラスにする必要はない
(3)障子はその気になれば簡単に外せるが、窓は一度つけたら半分まで開けるのが限度
(4)よって、内窓は透明にして着替え等の際に使えるロールカーテンなどを設置するのが望ましい
父親はヒデノブ語を理解できないらしく、
(1)北向きで曇りガラスになっている応接間でテレビを見ていて閉塞感があるのか?(反語)
(2)それでは風呂やトイレも南側なら窓を透明にするんだな?
(3)内窓もその気になれば外すのは簡単で(←そうなの?)、そんなこと言うなら家中の障子を今日から外して丸見えにしてしまえ。
と出てきました。
朝っぱらからそこまで言われちゃうと理屈ではなく「なんとなくイヤ」としか言いようがないのだよなぁ、というところでひとまず終了です。(昼でも夜でも同じですが)
その後、朝の7時半を過ぎて風呂に入りながらラジオを聴いていたら、文化放送で「週刊エンター:吉田照美選曲によります音楽特集!『秋の歌をあなたに』〜童謡唱歌」をやっていて、そこへダークダックスの合唱で「ちいさい秋みつけた」が流れました。
ラジオではめずらしくワンコーラスではなく歌は2番に入って…
♪だれかさんが だれかさんが だれかさんが みつけた
♪ちいさい あき ちいさい あき ちいさい あき みつけた
♪おへやは きたむき くもりの ガラス
♪うつろな めのいろ とかした ミルク
♪わずかな すきから あきの かぜ
………
あのメロディーとダークダックスの歌声でこの歌詞を聴いたら、あまりに寂しすぎる情景が思い浮かぶようで、涙腺がゆるい人はときっと泣いてしまいますよ……
自分は、、慶應出身者の合唱なんかで泣くもんかっ! ううっ、それでも目から汗が……
………はっ!
これこれ! これだ! まさにこれだって!
………
……
…
オレ達はとんでもない考え違いをしていたんだ
日本人は、昔から曇りガラスにいいイメージを持ってないんだよー!(MMRのキバヤシ調)
Ω ΩΩ <な、なんだってー!!
って、理屈以前にそんなレベルの話ですが。
「ちいさい秋みつけた」の歌詞の解釈にはいくつか説がある(らしい)うえ、確かなことはサトウハチローがもはや故人なので分からない(3番の由来だけは書き残している)のですけれども、一説には
1番=幼少時に大ケガをして友達と満足に遊べなかった作詞者がはせた想い
2番=愛人に溺れた父親から一切隔絶された母親 or 隔離病人だった子の様子
3番=作詞時に部屋から見えたハゼノキ+幼少時に風見鶏のある教会へ連れられた想い出
というものがあるようです。(参考1・参考2・Wikipediaほか)
#自分は、2番は留置場や感化院に入れられていた頃の作詞者の様子ではないかと推測
(特に作詞者の経歴以外の根拠はない)
NHKで「うたのおねえさん」が歌っているように見えなくもない動画でも、2番の情景は省略されています。
藤城清治(だと思う)の描写で2番なんか表現したら、「小さいお友達」は大人とは違う意味で泣き出すか、トラウマになってしまうに違いありません。
(↑「NHK+影絵=藤城清治」しか思い浮かばない人)
そんな曇りガラスを、家中の窓につけようだなんて、いつぞやの社会党じゃありませんが「ダメなものはダメ」じゃないですかっ! ねぇ。
……さっそくこれを父親に話さねば、、、と風呂を上がり、髪を乾かして階下へ降りると、祝日のきょう、父親はとっくに趣味友達と出かけた後でしたとさ。
まぁ、話したら話したで、精神病患者のタワゴトなど相手にされないでしょうけどね。
(ただいまうつ病にて会社を絶賛病欠中)