岡山→津山→新見

DSC00567.jpg 実は、昨日の岡山着の時間(21:05)から東京方面へ引き返すと、大阪駅23:50発の夜行バスをつかまえて帰ることもできたのですが、「青春18きっぷ」がもう1日分あるので旅を続けます。

 まずは岡山駅7:00発の津山線で津山駅へ。駅徒歩10分の扇形機関庫を隣接する公園から眺めて過ごします。……ここは単に機関庫の建物を残してあるのではなく、JR西日本で引退した歴史的な車両を保存してある場所でもあるのです。

 キハ58・キハ28・キハ52なんて、中学〜高校生の頃は非電化ローカル線ではちっとも珍しくない存在で、全国のJR線を乗りつぶす過程で何度も乗ったものですが、もうこんなところに飾られるような時代になったんですね〜。
(キハ40系列はまだまだ主力ですが)

DSC00622.jpg 津山から乗った新見行きの姫新線では、ついつい沿線の標識類に目が行ってしまいます。

 こういうのは哀しいかなその道に生きる者の性というものでしょうか。

 JR線の速度制限標識で「電車・気動車のカーブ制限速度は機関車列車より何km/hアップ」というのは、なんらかの暗号的(?)看板で表示しているケースならよく見かけるのですが、こういう誰でも読める形での表示は初めて見ました。(写真では字が潰れていますが、「60」の下の黄色い板に「機関車」と書いてあります)


 どうでもよいですが、キハ120って自動ブレーキなんですね。

 平成に入ってからの軽快気動車でブレーキが電気指令式ではないとは意外です。
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窪川→高知→岡山

DSC00438.jpg 窪川でおよそ1時間20分の待ち合わせののち、青春18きっぷの旅を再開です。

 13:10発高知行きの土讃線は、ときおり太平洋を眺めながらの道中ですが、昼食後ということもあってか、14:55に高知へ着くまでほとんどの区間でウトウト……。



DSC00443.jpg 高知駅は2008年に高架化したときに「くじらドーム」と呼ばれる大屋根で駅もろとも覆う、斬新なデザインの駅になりました。

 ……厳密には、大屋根で覆われているのはホームの真ん中あたりだけで、中央線の東京駅ホームの屋根が、真ん中だけ高くなっているようなイメージでしょうか。

 四国のJR駅で最初に自動改札がついたのは、高松駅よりも早くてこちらでしたね。



DSC00455.jpg 予定では高知駅で40分ほど乗り継ぎの時間がありましたが、「ごめん・なはり線」直通の列車で後免駅まで先に行ってみることにします。

 土佐くろしお鉄道「ごめん・なはり線」は、全20駅にやなせたかし氏が描いたイメージキャラクターがいます。……頼まれれば断らない(らしい)同氏の多数のキャラは時として「ゆるキャラ」呼ばわりされることがあり、この20キャラの中にも、確かにこれはプロの作品としてどうなのか、、、と思うものがあったりなかったり。。。

 夜須駅のやすにんぎょちゃんって、こんなのありか……と思っていたら、pixivにこんな作品があって笑ってしまいました。世のオタクのみなさんはすごいですね。


DSC00507.jpg 後免駅から予定していた土讃線の列車に戻ります。

 予土線の「ハゲ駅」に続く変わった駅名として土讃線には「大ボケ駅」があります。……駅の後ろに見える「歩危マート」というお店の看板は、そのまま読めば「ぼけマート」で合っているのかどうか。

 さて、やれ大歩危渓谷だ、新改駅(スイッチバック駅)だ、土佐北川駅(鉄橋上の駅)だ、と列車内で明らかに不審人物と化していたら、イケメンのお兄さんに声をかけられました。

「玄人の方ですね。自分、青春18きっぷの『初心者』なんでいろいろ教えてください」

はいっ!?

 刺繍の入ったジーンズを腰履きしてそうな(シャツに隠れて不明)、チェックではない柄のシャツ、カンカン帽に、センスのよさげなメガネ、そして整えられたヒゲ、と、ステレオタイプな鉄道マニアとは明らかに違う人種の方です。


DSC00520.jpg 岡山にお住まいの方で、高知へ酒を飲みに行った帰りだそうですが、そんな方から

「秘境駅」とか
「いつかNゲージを部屋いっぱい広げたい」とか
「青春18きっぷで北海道行けますかねー」

などという言葉が飛び出るとは、時代は変わったものです。

 「秘境駅」といえば写真の坪尻駅はとっくに日が暮れて真っ暗闇。

 新改駅のスイッチバックもそうですけど、本線の勾配は思ったほど急ではないので、駅の信号装置が老朽取替の時期を迎えると棒線駅にされてもおかしくはない気がします。


 さて、酔っ払いは35歳既婚という明るいお兄さんで、もう少し元気なら、見知らぬ人から声をかけられてもきちんと相手できるんですが、ちょっぴり厳しいものがありました。……が、自分も今日は岡山泊なので、この先ずっと一緒ということになります。。。

 阿波池田・琴平・坂出でともに電車を乗り継ぎ、阿波池田駅で「飲み物おごらせてください」とのことだったので缶コーヒーを買ってもらいました。


DSC00530.jpg 夜の瀬戸大橋は、眼下に広がる坂出の工業地帯の夜景がすごくて(あとで地図を見たらコスモ石油の製油所があった)うおおおおおー!! これは萌える!! と思ったものの、人前ではさすがに感情を露わにできず……。

#お兄さんはそういう見どころを教えてほしかったのかもですが

 お兄さんは児島で降りてゆき、ようやく一人になって岡山に着きました。

 快速「マリンライナー」用JR四国5000系電車は、平屋の普通自由席車がJR西日本223系電車、2階建ての指定席車がJR東日本のE217系電車(←総武快速線の電車)をベースに作られています。

 ……ということは、平屋側の運転席はJR西日本仕様で2ハンドルでも、2階建て車両の運転台はJR東日本仕様でワンハンドルなのか、、、と思いきや、当たり前の話ですが平屋側と同じ運転台がついていましたとさ。

 まぁ、JR東日本・東急車輛のE231系シリーズも、導入する各社に合わせて運転台の形は違いますからね。
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窪川にて

DSC00415.jpg 高知県四万十町の窪川駅で予土線から土讃線の普通列車に乗り継ぐのに1時間20分ほど待ち時間がありました。

 予土線から10分の待ち合わせで連絡する特急「南風16号」は青春18きっぷでは乗れないので、乗車券・特急券を買って「ワープ」する選択肢もあるものの、せっかくなのでのんびり待つことにします。

 ちょうどお昼時だったので、四万十へ来たことですし昼食はうなぎ屋へ(詳細は「ごはん日記」に)。……ついでに、窪川駅から近い四国八十八箇所の一つ「岩本寺」にも立ち寄ってみました。

 「スタンプラリー」的なものは私のようなマニアを引き寄せるものがあり、境内の売店で「納経帳」も売られていましたが、「納経」の仕組みもよく分からず、信心もないのに手を出せばバチが当たりそうだったので境内を眺めておみくじを引いて帰りました。

 おみくじはめでたく「大吉」を引き当てましたが、それによると……

>病気 精神の安定第一

と、ズバリその通り。(なんと!)


DSC00417.jpg さて、窪川駅周辺は四万十町の中心部のわりに信号機はほとんど点いておらず(写真では消えていますが、自動車用は黄色の点滅)、なんとも平和な場所でありました。

 ところで、この写真に写っているNTTの建物には日本生命の支所が入居していましたよ。

 NTTは電話局の営業窓口をどんどん閉めているものの、建物にある電話交換の機能がそのまま残っているのか、市街地のど真ん中で見た目がまるで巨大な空き店舗のようなNTTの建物をよく見るのですが、テナントが入居しているケースもあるのですね。……自分ははじめて見ました。

 建物には「NTT窪川電話交換所」の看板も出ているものの、NTTの窓口はないようです。


DSC00422.jpg さらに駅へ戻る途中にJR四国窪川自動車営業所の跡地があります。

 窪川自動車営業所は1994年に廃止されており、写真のような駐車場に看板が残っていて「窪川自動車営業所」の上には「四国旅客鉄道」の「旅」の字だけが見えるのですが、さらによく目を凝らすと……「日本国有鉄道」の文字をはがした跡が見えますよ!

 「日本国有鉄道 窪川自動車営業所」! 東京から1000km近く離れたこの地のバス路線まで、国鉄の全国路線ネットワークとして東京の本社で面倒を見ていたわけですか。……もちろん四国総局を間にはさんでいたとはいえ、いまとなっては隔世の感があります。
(四国には鉄道管理局がなくて総局直轄だった)

 その後、JRでは最後までバスを直営していたJR四国の自動車部門も、2004年に再分割されて「ジェイアール四国バス」(JR四国の100%子会社)となり、独自の経営をしています。
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松山→北宇和島→窪川

DSC00311.jpg 青春18きっぷ3日分を使った旅の2日目は、松山駅6:05発の普通列車からスタートです。

 3両編成の先頭に真っ赤なディーゼルカーがくっついていて、松山発車前にJR四国の制服を着た方が3人ほど珍しそうに車内のフィギュア陳列ケースを見ていましたよ。

 ……これは予土線で走っている「海洋堂ホビートレイン」で、時刻表によるとこのあと北宇和島駅で乗り継ぐ予土線の列車がこの車両で運行のはずですが、、、

DSC00347.jpg あとで分かったことですが、9/6に定期検査があった模様で、6、7日の予土線は一般車両で運行しますという掲示が駅にありました。

 ……この日の朝の宇和島行きに連結されていたのは、松山の車両基地で検査が終わって予土線へ戻る「送り込み」だったわけですね。

 道理で、松山駅にいたJR社員の方が珍しそうに見ていたわけです。……この車両が定期検査で松山入りするのはおよそ3ヶ月に1回(のはず)ですから。


DSC00377.jpg 松山から3時間半ほど揺られたのち、北宇和島で予土線に乗り換えます。

 写真の江川崎駅には側線があるものの、信号の類は「入換標識」しかありません。

 入換標識で構内入換をするには運転士のほかに誘導する係が必要ですが……無人駅なので、もう夜間滞泊・入換はないのだろうか、もう使われることがない設備なのだろうか、と思って時刻表を見ると夜間に江川崎止まりが2本、早朝の江川崎始発が1本あります。


yodosen.jpg これは何ぞ……と時刻表をもう一度よーく見てみると、夜の1本と朝の1本だけ、予土線なのに列車番号が4000番台ではありません。ははぁ、なるほど。

 JR四国は列車番号4000番台がワンマン列車を意味するので、おそらくは、

・夜、車掌を乗せた列車(832D列車)が江川崎に着いたら車掌の誘導で側線に滞泊→運転士・車掌も就寝
・その約1時間半後の終列車はホームに滞泊。

……そして朝になったら、再び車掌が側線から車両を誘導してホーム上の車両と連結して朝の列車を仕立てるのですね。きっと。

 全列車ワンマンカーだと思い込んでいたら、江川崎駅で構内入換をやるために宇和島から車掌を送り込むツーマン列車が予土線にあるのかぁ。……そんなところばかり見てニヤニヤしているのですよ。ええ。


DSC00384.jpg さて、途中の江川崎駅からは1974年に開業した(ローカル線としては)新線で、特に土佐大正駅までの区間は蛇行する四万十川をトンネルと鉄橋でガンガン直線に貫いてすっ飛ばします。

 トンネルこそ増えるものの景色がよいのはこの区間で、江川崎からはJR西日本(日本旅行)「ジパング倶楽部」の団体が乗ってきました。……添乗員さんが「さっそく一つ目の沈下橋が見えますよ〜」と窓の外を指差すと、、、、なんと橋が落ちてるじゃないですかっ!!

 先日の台風12号の影響でしょうか??


DSC00387.jpg あと、予土線といえば「はげ駅」。

 (確か)高校1年のときの記憶を頼りに、ホームは進行右側だったはずッ! と周囲の方に断って窓を開けたら、まさに駅名標が目の前に!

 Wikipediaによると、この地名は平家の落人が「平」の横棒を1本ずらして名前を変え、この地で追っ手を逃れたのが由来……とか?

 そうかー落人もハゲだもんねー(何を言いやがる)

 ちなみにJRには「増毛」駅もあるんですけれども北海道の駅なので、「ハゲから増毛ゆき」の片道キップは「goo乗換案内」によれば21660円(予讃・山陽・北陸・羽越・奥羽・千歳線経由)です。……おまじないで買うにはちょっと、、、

 またハゲ駅へ戻ってくる往復キップは4万円超ということになります。誰か買いませんか。
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道後温泉本館2階休憩つき初履修

DSC00281.jpg 道後温泉本館は松山市の市営で、入浴だけなら400円です。

 400円足して800円を支払うと、2階の座敷で休憩(お茶、せんべい、浴衣つき)サービスを受けられます。

 中学・高校生時代は(宿代を浮かすのに)駅ネしながらJR線の乗りつぶしをしていた旅行の途上で、休憩つきなんてとんでもない話でしたが、いまとなっては400円のプチ贅沢ならよいではありませんか。


 チケットを買って中へ入ると、2階へ通されました。

 スタッフのおねいさんが、どうぞこちらへ、と空席に案内してくれ、座布団に腰掛けるとしくみを説明してくれます。

・まずは風呂に入ってくる
・風呂から上がって座敷へ戻ってきたらお茶とお菓子が出る
・1時間をめどに退出する
・浴衣は、男性はここで着替えて風呂へ行ってもよいし、風呂あがりに1階の脱衣所で着てきてもよい

女性のお客さんもいるのに「ここで着替えてよい」というのにちょっぴりびっくりですが、男性は着替え途中の下着姿までなら許容されるようです。

 あとは、自分の席には目印になるものを置いていってほしいことと、貴重品は100円が戻らないコインロッカーに入れるか、簡易な鍵でも構わなければ脱衣所の脱衣ロッカー(無料)へ、とのこと。

 まぁ、「目印」といっても自分なんぞは脱いだ服を置いてゆけばよいわけですが、道後温泉に泊まっている人で旅館の浴衣+最低限の貴重品で来てしまうと困ることになりそうです。


 階下の「神の湯」の男湯には実は浴室が2つあることに気づかずに前回帰ってしまったので、今回は両方履修。

 なぜか片方は芋を洗うようだったのに、もう片方は片手で余るほどの人しかおらず。。。前回の自分みたいなお客さんばっかりだったのでしょうか。

 ……リニューアルをしたのか、洗い場が前に来たときよりきれいになった気がします。一方、お湯はかけ流しなのに塩素を添加するようになったのだそうですね。


 がらがらのほうの浴室で、高い天井を眺めながらの温泉もよいですが、今回のメインは「休憩」です。20分ほどだったかでさっさとあがります。

DSC00279.jpg お茶とせんべい(といっても一般的なせんべいではなく、八ツ橋みたいなお菓子風味のせんべい)はサービスですが、「坊ちゃん団子」(確か80円)というのがあったので追加。

 ただの「団子80円」だったら絶対に頼まなかっただろうなぁ……ネーミングの勝利だよなぁ、と思っていたら、あとで調べたところによると「坊ちゃん団子」は立派な松山銘菓だったのですね。

 団子を追加したとき「お茶のおかわりはいかがですか?」と言われ、お茶は飲み放題であることが判明。

 お茶は湯のみにあらかじめ淹れて用意してあるのを持ってきてくれるので、悪い言い方をすれば「作り置き」ということになりますが、猫舌の自分にとっては冷めるのを待つ必要がなくてありがたいことです。


DSC00278.jpg どうやらここにはクーラーという設備はないようで、9月に入って日が暮れれば涼しい季節となり、なかなかよい時期に来たなぁ、と鈴虫の鳴き声を聞きながら嬉しくなりました。

 冒頭の写真のようにガラガラで、「1時間」といっても誰かが時計で測っているわけでもなく、待っている人がいるわけでもないので、カラオケボックスのように「あと何分です」と言われるでもなく、自分で頃合を見計らって帰るしたくをします。

 係のおねいさんに、やっぱり週末は混むんですかーと聞くと、明日あたりからお客さんが増えてくると思います、というお話だったので、言葉通り受け取っておくとすれば、火曜日が一番すいているのでしょうか。(推測)

 21時ごろまでのんびりして、再び着替えて路面電車で松山駅前のホテルへ帰りました。
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伊予鉄道 郊外電車の運転にまつわる設備ほか

 伊予鉄道の郊外電車に乗ってまず度肝を抜かれたのは発車のシーンです。

 古町から乗った高浜ゆきの最後部で観察していると、車掌が客室のドアを閉めると合図なしに勝手に電車が走り始めます。


 厳密には「勝手に」運転士が発車させるのではなく、ドアが閉まると運転席にランプがつくのでそれが合図、というわけです。……旧国鉄のこのやり方を継承したJR各社が次々とブザー合図へ改めているなか、このやり方をしている私鉄があったのか!

 Wikipediaの「車掌による出発合図」によると、我が国ではJR東日本と伊予鉄道だけだそうです。


 おまけに、見ていると車掌が車イスの乗客対応をした駅では、対応が終わると車掌は客室ドアから車内へ入り、車掌が乗務員室へ戻る前に運転士が先頭の乗務員室のスイッチでドアを閉めているじゃありませんか。

 臨機応変といえば臨機応変なのですが、この会社の規程はどうなっているんだ!? と驚くばかりです。

 「知らせ灯式」当時のJR東海でも、飯田線や身延線の車掌が旅客対応をするため運転士がドアを扱うケースはありましたが、その場合は車掌が乗務員室へ戻ってからブザー合図で発車でした。(3年前に乗ったときの記事


 また、この高浜ゆき電車は、社内便(?)の輸送列車らしく有人駅で車掌さんが駅員さんへ手提げ袋を手渡しているのですが、駅員さんはホームに出てくるのではなく、車掌さんも駅に着く前から乗務員室の扉を開け放して(この到着姿勢は京成電鉄などでも見られますが)まだ走っている電車から、地上で手を伸ばしている駅員さんへポーンと渡しています。

 まるで往年の通過タブレット授受のよう、というか、曲芸のよう、というか……。


 高浜駅から折り返して横河原へ向かう先頭で観察していると、運転士は「知らせ灯」を合図に発車させているというより、「待ちノッチ」です。
(ドアが閉まらないと電車が動く電気回路がつながらない=ドアが閉まると回路がつながるので、あらかじめアクセルを踏んでいるようなもの)

 待ちノッチはワンマン運行の路面電車でときおり見られる手法で、市内電車(路面電車)も経営している伊予鉄道らしいといえばらしいのかもしれませんが、いまどきJR東日本だってそんな操作しているのを見たことはありません。

 ただ、途中から添乗者が乗ってくるとランプが点くのを待って電車を動かしていたので、正式にはそちらが正しいのでしょう。(たぶん)


DSC00229.jpg さて、設備に目を転じると、不思議なのが直線区間上にある速度制限標識と、(おそらく)速度照査用の保安設備。

 地上子(写真の線路上にある白い板)の上だけ徐行して、過ぎるとまた加速していたので、踏切の鳴動時分確保のためか何かでしょうか? それにしてはずいぶんあちこちにありましたが……。

 遠方信号機に「減速」が現示されて、次に見える場内信号機が「注意」をすっ飛ばして「警戒」なのは、これで正しいんですが、群馬在勤時に乗り歩いたローカル線では見たことがなかったです。勉強になりました。

#単線区間で行き違い駅へ列車が同時に進入するときは一定の条件を満たさない限り場内信号機は「警戒」を現示して25km/h以下で進入させる……と、「鉄道に関する技術上の基準を定める省令の解釈基準」(国土交通省鉄道局長通知 平成14年3月8日国鉄技第157号)に書いてある

 とはいえ、行き違い駅はすべてホーム手前付近に「25」の速度制限標識と、やはり速度照査用(と思われる)設備があったので、場内「進行」で勢いよく進入してきても、ホームにはゆっくり入ってくることになります。


DSC00268.jpg それはそうと、やたらあちこちに「電圧確認」と書いてあるので、過去に電圧にまつわる何かがあったのだろうか?? と思って後で調べたら伊予鉄道は高浜線だけ600Vで郡中線・横河原線は750Vなんだそうで。

 高浜線は市内電車(600V)との平面交差が2か所あるからでしょう。

 ……で、実際の運行系統は高浜線(600V)と横河原線(750V)が直通運転しているんですけども、高浜から横河原へ向かう電車の運転席の後ろでかぶりついていた限りでは、特に何かのスイッチを扱ったふうもなく、自分も電圧計の変化には気づかず。。。(知ってなきゃ見ねーよそんなもん!)

DSC00248.jpg Wikipediaの「伊予鉄道」を見ると、特に電車を複電圧対応として作ってあるのではないそうです。

 主回路は直流600Vが入力されようと750Vが入力されようと電車が動くのには問題ないとして、サービス機器用の「電動発電機」の類はちゃんと安定した電圧・周波数の交流100Vなどを出力してくれるのかしらん?

DSC00219.jpg というか、直流電化鉄道の架線電圧って、平気で100〜150Vくらいは上下しますよねぇ? 「電圧確認」も何も、600Vも750Vもその「振れ」の範囲では……という気もします。

 写真は、高浜駅(=600V区間)に停車中に撮った写真にたまたま写りこんでいた電圧計。……高圧(=架線電圧)はおよそ700V、低圧(=車上で変圧)は110V付近をさしています。

 んー、そんなだったら電圧計をもうちょっとちゃんと見ておけばよかった!


DSC00265.jpg ちょっぴり横道ですが、700系(旧京王5000系)の運転台に

「快適運転」
「大きな声で指差確認」

と書いてオレンジ色の制服を着たお兄さんが笑顔で手を挙げているイラストのシールが貼ってありました。

 京王電鉄の古い制服は濃い茶色だったので、たぶん色あせてオレンジになっちゃった京王時代に貼られたステッカーじゃないかと思うんですが、少なくとも伊予鉄道には「大きな声で指差確認」なんてことしてる運転士いません。(笑)

#オレンジ色の制服というと東武鉄道の旧制服がそうでしたが……関連が思い当たらない


DSC00246.jpg あとはめぼしいものといえば、伊予市駅に「出発信号」「出発合図」の札がついた表示灯があったくらいでしょうか。

 「出発合図」のランプが点いても、車掌さんはホームへ上がってくる階段をのぞきこんで乗客を待っていましたが……誰がどうやってこのランプをつけるしくみなのかは、そこまで観察する気力はなかったです。
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伊予鉄のギャップ

DSC00233.jpg 別項にまとめますが、伊予鉄道の郊外電車線に乗って乗務員さんの仕事ぶりを見ていると、「いまどきこんなのありか!」と思う作業の連続です。
(ありだからやってるんですが)

 よく表現すれば「古き良き時代の地方鉄道」がそのまま残っているような感じです。


 ……伊予鉄道の鉄道部門は黒字経営だそうですから、業務のしくみがいきなり大きく変わったり、存廃の話が出る心配は当分なさそうです。


 駅舎も、中には建て替えられて近代的になっている駅もありますが、映画のロケに使われそうな年代物の駅がほとんどです。

 駅の入り口に「不良図書投函箱」(白ポスト)があるなんて……まぁ白ポスト自体は置いてある場所には置いてありますが、こういう駅舎と組み合わせると、昭和4〜50年代にタイムスリップしたかのようです。


 一方で、伊予鉄道は郊外電車・市内電車・バスの全路線でIC乗車券「ICい〜カード」が使え、しかもIC乗車券専用運賃(普通運賃の1割引)まであります。

 なんと、「モバイルい〜カード」は「モバイルSuica」より早かったのです。
(おサイフケータイ対応は日本の鉄道・バス事業者で伊予鉄道が最初)

 一日乗車券が400円で発売されている市内電車は、当日中にICい〜カードで繰り返し乗ると自動的に判定されて、400円で頭打ちとなる先進的なサービスも提供しています。


DSC00249.jpg 運転に関する業務や設備が前時代的にすら見える場面が多数あるのに、営業面でこれほど先進的な取り組みをしているこのギャップが、その方面のマニアである自分には軽い衝撃でした。

 どうでもよいですが、高浜駅の目の前には港があるのに、郡中港駅は駅名とは裏腹に駅を出ても港があるような気配はなく、道の向かい側にJR伊予市駅があるのにびっくりです。
(郡中港はこの駅の西1kmのところのあるものの、現在定期航路がないそうです)
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伊予鉄 高浜駅にて

DSC00210.jpg 中学・高校の頃にJR線の乗りつぶしをしていた頃は、行き止まり駅に来ると折り返しの列車ですぐに引き返していたものです。

 今回の伊予鉄道郊外電車の乗りつぶしでは、1本見送ることにしました。

 各線とも20分間隔です。


 ……といっても、特にやることがあるわけでもなく、駅前に港があったので、風に吹かれながら海を眺めてぽけ〜っとしていました。


 日差しは暑いですが、気分がいいです。

 きのうの夜、東京駅を出発したばかりなのに、もう、こんな場所でこんなことをしていられるなんて。


 あとは、駅の斜向かいに郵便局があって、16時を過ぎて貯金窓口は終わっていたものの、風景印があるというお話で50円のはがきに押してもらいました。


DSC00211.jpg 離島への船が出るこの高浜港のほか、600mほど北に本州・九州への船が出る松山観光港があり、この駅は乗り継ぎ客で賑わうことがあるのかどうか。

 飲料の自動販売機はICい〜カードが電子マネーとして使えるので、この売店もこんな見た目(失礼)でも何気なく電子マネー対応だったりするのだろうか……と思いきや、意外にも非対応。

DSC00202.jpg 20分後にやってきた電車に乗って、引き返します。

 20分前の電車と同じ形の電車でしたが、あとで調べたら伊予鉄道に2編成しかない自社発注車だそうで、なかなかめずらしいものに乗れました。(そのほかの郊外電車はすべて京王電鉄からの譲渡車だそう)
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伊予鉄道のICい〜カード

 松山に15時過ぎに着きました。……ホテルにはチェックインしましたが、まだ日が高いので外出して伊予鉄道の郊外電車を乗り歩くことにします。
(市内電車=路面電車はもう全部乗った……はず)

DSC00859.jpg 伊予鉄道にはICカード乗車券「ICい〜カード」があり、ICカードで乗ると運賃1割引(10円未満四捨五入)、記名式ICカードならデポジット500円不要、という他のICカード乗車券にはない特徴があります。

 伊予鉄のICい〜カード特設ページで事前に調べたら、JR松山駅に近い記名式ICい〜カードの発売駅は古町駅(松山駅からおよそ1.1km)だったので、松山駅前のホテルから歩いて行きました。


DSC00201.jpg 古町駅は着いてみればコンビニ「い〜ショップ」(ヤマザキショップ)併設で、駅の営業窓口はなく、記名式ICい〜カードはコンビニレジの一角で受付・発売でした。

 伊予鉄道ウェブサイトには記載が見つけられなかったのですが、実は「ICい〜カード」には4種類の柄があり、レギュラーのほかに「坊っちゃん列車」「マドンナバス」「くるりん」の観光用絵柄が用意されていることが、申込用紙で判明。

 しかし、古町駅ではレギュラーのみの取り扱いで、選択の余地なく購入。初回購入額2000円は他の地域のIC乗車券と同じですが、記名式はデポジット0円なので全額使えます。


 さっそくやってきた高浜行きに乗って乗りつぶし開始です。

 JRですらワンマン運転をやっている地方の私鉄……という勝手なイメージでワンマン運転かと思い込んでいたら、車掌さんが乗っているツーマン運転です。(しかも鉄道は黒字らしい)

 車掌さんはいわゆる「車掌かばん」(大きながま口)をたすき掛けしていて、こまめに車内を巡回しては切符を売り、無人駅では集札をしています。(何気なく有人駅も多い)

DSC00204.jpg 高浜駅では4種類のICい〜カードを取り扱っているので、古町駅から無札で乗って車掌さんからキップを買い、これは降りるとき記念にもらってコレクションにし、高浜駅で観光用図柄のICい〜カードを購入する、という方法もあったか……高浜までの運賃は350円でIC割引320円だけど30円だったら、といまさら思ってもしょうがないです。

 写真は高浜駅にあった飲料の自動販売機。……ICい〜カードはもちろん電子マネーとして使えます。(上記の「い〜ショップ」でも)
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四国って意外と近い

 四国へ行ったのは、確か中学3年か高校1〜2年生のときだったかに四国のJR線を乗りつぶして以来(のはず)で、ずっと足が遠のいていました。

 あのころは京都始発の九州・四国・山陰行きの夜行列車があって、「青春18きっぷ」で四国へ行く(個人的な)定番は昼に東京を出て東海道本線を延々と下り、京都で「ムーンライト高知・松山」をつかまえるルートで、四国入りは翌朝だったのです。

 それでなんとなく「遠い」というイメージを持っていたのですが、実際に時刻表をめくってみると、青春18きっぷを使って「ムーンライトながら」号から乗り継いでいくと松山には17:12に着いて、道後温泉に泊まるにはちょうどよい時間です。

 今回は、夜行バスに乗って京都駅6:08発の快速電車から「18きっぷ」の旅をスタートさせたので、松山へはまだ日も高い15:06に着いてしまいます。


DSC00146.jpg 大阪、姫路と電車を乗り継いで、岡山から瀬戸大橋線へ。

 瀬戸大橋が雄大な吊り橋であるのを堪能できるのは上段を走る道路のほうで、鉄道で渡ると「ただの鉄橋でしかない」とは耳にしますが、車窓を見ながら、さだまさしの「帰郷」という曲が脳内で再生されると

今も あの海は 青く 澄んでいるか
オリーブ色の風は 今日も吹いているか
あの橋を渡って 故郷へ帰ろう

今もあの空は 島の影を写し
鳥たちは白い船を かすめて飛んでいるか
あの海を渡って 故郷へ帰ろう

「あ〜〜のはしをわた〜って ふ〜るさとへかえ〜ろぉ〜」という一節で(香川出身じゃなくても)泣けてきます。

#本州と四国を結ぶ橋は現在3ルートありますが、香川のイベントとのタイアップ曲であることと、歌詞や曲の発表時期(1996年)を考えると、「あの橋」は瀬戸大橋と思って間違いないはずです。


DSC00163.jpg 坂出で乗り継いだ観音寺行きは121系電車。……旧国鉄が1987年3月のダイヤ改正で“JR四国への置き土産”的に製造・投入した(JR発足は1987年4月)ような電車です。

 JR発足前後の似たような電車には「JR最初の新車」JR東日本の107系があり、121系ともども当時の国鉄〜JRの経営状況を鑑みて廃車発生品が多数流用されているのが特徴です。

 ……が! 107系が「車体以外の構造はほとんど165系」なのに対し、121系には電気指令式ブレーキが取り入れられていたとは。

 他の国鉄設計の電気指令式ブレーキ電車(205系や211系)の運転台はハンドルが固定された「ブレーキ設定器」なのに対し、121系のはハンドルが空気指令式車と共通の取り外せるタイプです。……電気指令式でもハンドルが取り外せるのは民鉄ではめずらしくありませんが、国鉄〜JRの車両では他にありましたっけ??


DSC00172.jpg 観音寺(かん「お」んじ)で乗り継いだ松山行きは7000系電車。

 1990年にJR四国が新製した電車ですが、東急電鉄に詳しいマニアの方が「当初、東急で廃車になった東急7000系電車を購入する(東急からJRへ払い下げてもらう)予定だったのでそのまま7000系と名づけられた」と言っていたのを聞いたことがあります。

 ……本当なのかどうかは知る由もないものの、7000系新製の9年後、JR四国はJR東日本で廃車となった113系電車を購入しています。

#なお、JR四国による「**00系」という民鉄のような形式名は、2000系気動車が先


DSC00178.jpg 「旅行といえばボックスシート」という向きもあるようですが、一人旅だとロングシートも悪くないと思っています。

 平成に入ってボックスシートとロングシートの千鳥配置を取り入れる車両が出はじめ、この電車もそうです。……観音寺駅でドアが開いた瞬間にボックスシートはそれっぽい人が真っ先に座ってしまいましたが、向かい側のロングシートから真正面に瀬戸内海を眺めながらの移動は、何気なくこちらのほうが勝ち組では? なんて思っちゃったり。

 15時過ぎに松山に着いたら、さっそくホテルにチェックインして大きめの荷物は置いて、身軽になって活動開始です。
author by よんなん
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