背負っているものはあるか
2008.02.13 Wednesday | よんなん的戯言
社員寮の新年会が(いまごろ)ありました。
こういう場でつくづく思い知らされるのは、よほど親しい人以外とはちっとも会話が続かないことです。
学生のころはそうでもなかったはずなのに、どうしたことだか。
最近は、こういう場では誰かと話すより食べるものを食べて飲むものが飲めれば満足、という性分になってしまったので、一人でもぐもぐと寮母さんお手製のオードブルやらビールやら口に運んでひそかにご満悦気分でした。
ときおり、ほかの人から話しかけられるものの、会話の糸口がありません。
ありません、というか、また一人で食べて飲みたいとひそかに思っているので見つけようとしないだけなんだろうと自分で分析しているんですけど。
まぁとにかく、何もしゃべらないというのは楽でいいものです。
後日になって揚げ足を取られることがありませんし。
しゃべりさえしなければ失言なんてないんです。
……なんてネガティブな。
たぶん、学生時代との違いは、ここなんではないか、とふと思いました。
あのころは、考え方の違う相手と衝突しても、「早大生が(研究室の用事をすっぽかして)神宮へ行って何が悪い」「早稲田祭2002を放ったらかしてゼミ合宿なんて行けるか!」なんて強情にタンカを切っていたものです。(←空気を読まない、とも言う)
#こんな学生をきちんと修士課程修了にしてくださった教授には頭が上がりません。
それが今や、考えが柔軟になったというか、それ以前に何も考えていないというか、長いものに巻かれておけというか、少なくとも表面上だけは波風立てないように…なんて考えるようになったのかもしれません。(←空気の読み方が間違っている)
自分自身に、ほかの人とは考え方の違う部分があまりにも多いようなので、なおさらです。
よほど気心が知れていないと安心して話すらできない自分がいたりします。
でも、最近のこういう場での振舞い方を振り返ってみると、花火が上がるのを恐れて、火をつける前からバケツの水に漬けてしまっているような……分かりにくいですね、すみません。
普段がそれなので、ロケット級の花火をぶつけていい相手と話す機会があっても、上げるべき花火が全部湿気てて不発に終わる…という気分になるときもありますし。
要は、もうちょっと、いまの自分の立場や考え方に自信や誇りを持ったほうがいいんじゃないのかな、と。
こういう場でつくづく思い知らされるのは、よほど親しい人以外とはちっとも会話が続かないことです。
学生のころはそうでもなかったはずなのに、どうしたことだか。
最近は、こういう場では誰かと話すより食べるものを食べて飲むものが飲めれば満足、という性分になってしまったので、一人でもぐもぐと寮母さんお手製のオードブルやらビールやら口に運んでひそかにご満悦気分でした。
ときおり、ほかの人から話しかけられるものの、会話の糸口がありません。
ありません、というか、また一人で食べて飲みたいとひそかに思っているので見つけようとしないだけなんだろうと自分で分析しているんですけど。
まぁとにかく、何もしゃべらないというのは楽でいいものです。
後日になって揚げ足を取られることがありませんし。
しゃべりさえしなければ失言なんてないんです。
……なんてネガティブな。
たぶん、学生時代との違いは、ここなんではないか、とふと思いました。
あのころは、考え方の違う相手と衝突しても、「早大生が(研究室の用事をすっぽかして)神宮へ行って何が悪い」「早稲田祭2002を放ったらかしてゼミ合宿なんて行けるか!」なんて強情にタンカを切っていたものです。(←空気を読まない、とも言う)
#こんな学生をきちんと修士課程修了にしてくださった教授には頭が上がりません。
それが今や、考えが柔軟になったというか、それ以前に何も考えていないというか、長いものに巻かれておけというか、少なくとも表面上だけは波風立てないように…なんて考えるようになったのかもしれません。(←空気の読み方が間違っている)
自分自身に、ほかの人とは考え方の違う部分があまりにも多いようなので、なおさらです。
よほど気心が知れていないと安心して話すらできない自分がいたりします。
でも、最近のこういう場での振舞い方を振り返ってみると、花火が上がるのを恐れて、火をつける前からバケツの水に漬けてしまっているような……分かりにくいですね、すみません。
普段がそれなので、ロケット級の花火をぶつけていい相手と話す機会があっても、上げるべき花火が全部湿気てて不発に終わる…という気分になるときもありますし。
要は、もうちょっと、いまの自分の立場や考え方に自信や誇りを持ったほうがいいんじゃないのかな、と。