空気が読みたいです

 きのう、スキーの帰りに近隣に住む知人Aの家へ招かれていたので、軽井沢駅で共通の知人B(都内在住)と待ち合わせをしました。

 知人Bは軽井沢で買い物をしていたと言うので何を買ったのだろうと思ったら、片手には菓子折りらしき包みの入った袋が。

 聞けば、軽井沢で買ったのではなく、出かける途中に都内で買ってきたのだとか。




……

………

…………なぜ?


 知人Bは私の表情を察するなり、「お前は他人の家に呼ばれて手ぶらで行くつもりだったのか!」とあきれたように言うわけです。

 そして、「あたしはちゃんと空気が読める子だから」と、涼宮ハルヒ並みの勝ち誇った表情でたたみ掛けるように一言追加。

 そうなると、もう私の立場などキョン以下、たぶん谷口・国木田レベルにも届かずに、コンピ研部長と同程度ですよ。
(例えが正しいかどうかは別として)



 残念ながら「人は見た目が9割」でして、こういうところでツボを押さえた振る舞いができるかどうかは、社会人生活を送る上で必要不可欠な要素なのは明らかです。

 どんなに日ごろ堕落していようと、空気を読むべきところでは読む能力の大切さは、織田信長・斎藤道三の正徳寺での会見を例に出せば、まさに歴史が教えてくれる事柄です。

 本来ならこういうのは社会に出る前に培われておくべきなんですよね。


 こうして振り返ると、中学から大学を出るまで鉄道研究部・鉄道研究会という、人生の急坂を転げ落ちるも同然の部活・サークルに軸足を置いていた私には、そういうのを背中で教えてくれる先輩がほとんどいなかったのかもしれません。

 先日も、グリークラブ出身の後輩(←同業他社)と飲んだとき、どちらの言動が社会人としてできているかと考えたら、彼のほうが数段上だと痛感させられて帰りの電車で落ち込んだものです。


 今年の目標は、「空気を読めるようにする」と掲げようと思ったはよいものの、はて、いまさら何(or 誰)をお手本にすればよいのだろう、と途方にくれるのです。
author by よんなん
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