2日(金)の東京新聞を見て、驚きました。
「列車運転ホンモノ体験 廃線を活用 新施設構想 埼玉の愛好家ら開業めざし奔走」
この話、着々と進んでいたんですか……。
北海道のあちこちには、ほぼ完成しながら開業せずに打ち捨てられたままの国鉄新線があります。
マニアの間では「未成線」と呼ばれます。
ただし、赤字確実な国鉄新線の開業見送りが決まったのは、26年前の昭和55年。
国鉄そのものも19年前になくなり、無用の施設は各地で撤去も進みました。
が、道内北部にある美深町内から枝幸町内にかけて(天の川トンネル手前まで)の美幸線跡は、トンネルにフタをされただけで、高架橋から築堤から線路の砂利までほぼ全部そのまま。
ないのはレールと枕木と信号・通信設備だけです。
まぁ、そのまま放ったらかしでも困る人がいないほど、誰も住んでいないところに造られた鉄道、ということでもあるのですけれど。
さて、私はその美幸線の未成線跡の起点、美深町仁宇布にある牧場で、4年前、夏休みの1か月半あまりを過ごしました。
……そのとき、何度か仁宇布に来ていたのが、記事で取り上げられている桐原さんという「
埼玉の愛好家」なんです。
当時すでに本物の鉄道車両を動かせる施設は、群馬県の「鉄道文化むら」などいくつかありましたが、どれも車庫や公園の中を時速10km程度でノロノロ走らせるだけです。
時速40km以上で“列車”を運転できる施設を造って、いろんな人に操縦してもらいたい、という構想でした。
私は牧場や宿の仕事のついでの趣味で、宿のお客さんでもあった桐原さんは実地調査で、ともに何か所かの高架橋やトンネルを見てまわったりしましたっけ。
課題は車両とレールと枕木の入手、ということで、運搬費なども考えて北海道内で廃車になるディーゼルカーはないだろうかという話をされていたように思います。
……当時の北海道ちほく高原鉄道は廃線よりも活性化を模索していた時期で、JR北海道もキハ40の廃車はほとんどありませんから、車両の入手が最大のハードルでした。
その後、私が何度か仁宇布を訪れたとき、桐原さんのその後を聞くと「最近来ないねぇ」という反応だったので、あーやっぱり頓挫したんだろうかと思っていたのです。
そこへ、冒頭の新聞記事。
4月に北海道ちほく高原鉄道が廃止になり、記事によればすでにディーゼルカー1両を譲り受ける話がちほく鉄道側とほぼまとまっている由です。
あと、個人的に気になるのは、25年以上放っておかれたコンクリート橋やトンネルは大丈夫か、というところです。
素人の目で実際に見た感じでは、何ら問題なさそうに見えますけれども。
(一部で土砂崩れが起きているという情報もありますが未確認です)
そういえば、当時の私はエフエム局で番組をやっていたことから、桐原さんにインタビューをさせてもらったんですよねぇ。
結局放送では使うことがありませんでしたが、さて、あの音源はどこへしまったか…。