稲門鉄研総会

IMGP8391.jpg 早大鉄研のOB・OG会「稲門(とうもん)鉄研」の総会に顔を出しました。

 例年は2月の第1日曜日なのに、今年だけイレギュラーで1月最終日曜日で、前職場の職場旅行(転勤したけど声をかけてくれた!)をキャンセルしての参加です。むぅ。

#来年も1月最終日曜日にやるらしい……

 まずは実行委員にさせられてしまった早大鉄研60周年(=2012年)記念イベントの打ち合わせ。

 2年後の2012年にSLを貸切運行したい、、、って自分を実行委員に仕立てあげたってなんにもならないってば!


 そして、「鉄道ジャーナル」で「鉄道とともに50年」の連載が面白かった、元国鉄新幹線支社運転車両部長の斎藤雅男氏による講演。

 斎藤氏が早稲田の機械科出身とは知りませんでしたよ。
(早稲田に鉄研ができたのは戦後のことなので、斎藤氏は鉄研出身ではない)

 ただ、「東南アジアの新幹線鉄道」という、最近ホットな話題のタイトルだったから楽しみにしてたのに、前段の戦中・戦後の鉄道の様子が大半で、ちょっとがっかり。。

 氏曰く、学生の身分で都電の仮免許を取り、都電職員がストライキに入ったとき管理職に頼まれて早稲田の角帽をかぶったまま運転席に座り電車を走らせたが、交差点で別の路線に入ってしまって次の停留所で乗客を降ろし回送で早稲田に帰ってきた、、、って、本当なんですかね?

 私は戦前の鉄道関連法規には通じてないので判断しかねますけど、現行の法規下ならアウトもアウト、とんでもない話ですよねぇ。。。


 唯一へぇと思ったのは、新幹線支社時代、指令室でダイヤ上のスジを乗務員が東京か大阪かで赤と青で塗り分け、関西の乗務員からの無線は関西出身の指令員に、関東の乗務員からの無線には関東出身の指令員に対応させた、それだけ文化や言葉の違いを考えないと意志疎通も難しいのだ、という話でしょうか。

 でも、当時の新幹線支社の運転車両部長が言うんだから本当なんでしょうけど、勤務を作成したであろう指令長は相当苦労したのでは、、、っていうか、それほど国鉄には職員の数にゆとりがあったということなのか……。

 ともかく、海外に鉄道、とりわけ新幹線を売り込むとき、乗務員や指令員の構成には苦労しそうです。


 終了後の会場での懇親会(1次会)はいつも乾き物しか出ないので、ワセ弁(写真)でおかず3000円分を買い込んで差し入れました。

 差し入れというか……ワセ弁だなんてある種いやがらせ? という気もしなくはありませんでしたが、30分ほどの短い時間で懇親会が終了すると、どのテーブルもワセ弁の容器は空っぽだったので悪くはなかったようです。

 2次会は比較的年代の近い面々で清龍。……同業他社の方々や、公務員、自由業などいろいろ混じってどうでもよい話をしていました。
author by よんなん
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