往復4時間通勤はつらいけれど

 自宅から往復4時間かかる職場に日勤職で赴任して4年半が過ぎました。

 泊まり勤務なら通勤の手間は半分ですが、日勤職だと日々4時間かけて職場から家に帰り、寝て起きたら家から職場に向かう繰り返しです。

 平日は寝に帰っているようなものですし、赴任した34歳のころならまだしも、すでに39歳になり不惑も間近になってくると週末の2日間のうち1日は体を休めるだけで終わってしまうことが増えました。

 週末に知人と会うなど外出の用事をひとつ入れてしまうと、それともう1日で体を休めただけでもう月曜日です。

 家のことがもう何年も先送りになっていて、部屋は散らかり放題、妻にあてがった部屋はいまだにエアコンもなければ幹線道路に面した部屋だというのに二重窓になっていません。
(妻の部屋はエアコンの電源もダクト穴もないので、大工さんを呼んで工事してもらわないとエアコンが買えない)


 休みが毎週3日あれば、家のことも多少は手をつけられるのに……と思うこともあります。


 勤務先で週休3日の制度というと、育児や介護をする社員は毎月4日間多く休むことができます。5週間ある月は休めない週がありますが、祝日を含めれば実質的な週休3日制といえそうです。

 その代わり、週5日働くところ4日しか働かないわけですから、月給もボーナスも定期昇給もすべて約2割カットになります。


 育児のために会社を辞めてパートで働くことを考えたら、2割減でもまだ収入面で(時給面で)有利かもしれませんが、もしも理由を問わず週休3日が認められたとして、じゃぁ「家が遠くて通勤が負担だから」と週休3日を選ぶ代わりに収入2割ダウンを受け入れられるかどうか……


 それだったら、もう少しでも職場に近い社宅なり単身赴任寮に入って週5日出勤したほうがまだソロバンが合いそうです。

 単身寮(週末などにいまの家に帰ってくる)はまだしも社宅に引越すには今の家を片付けなければなりませんから、そもそも家を片付けて引越しをする時間や体力がない(から週休3日がほしい)というジレンマもあります。


 実はもうこの職場から動くことなんかなくて会社が給料泥棒を抱え込み続けるか自分から会社を辞めるかの根くらべなんじゃないか、と思うことも時々ありますが、いまのところ次があると信じて引き続き日々往復4時間通勤をしていこうと思います。
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「いちかわエフエム」継承の私案(4) どんな収益事業をするか

 7月からすでに市川エフエム放送の周波数や送信設備を継承したエフエム浦安(市川うららFM)がFM放送を開始していますが、ここではそれとはまったく無関係に、引き続いて「自分が破産管財人の先生に手を挙げて継承していたとしたら」という個人的な妄想を書きます。


 さて、これまでスポンサー収入で経費をまかなえないぶんはスタッフの方々にもお願いする、と書いてさらに経費節減の道も探ると書きました。

 一方、できる限り(寄付でない)収入でまかなう努力をするにあたって、スポンサー収入以外にも方法がないか考えたいと思います。


 ひとつは「副業」をすることです。

 前の記事で、ボランティア(社外)スタッフが局舎に出入りする以上は社員が常駐しないといけない、と書きました。

 この、常駐する社員は放送局そのものの仕事以外に何かやっていたっていいわけです。

 旧市川エフエム放送でも、放送局事業のほかに技術コンサルタントを手掛けていて、ディレクターさんの中には技術が専門の方もいました。

 これらの方はおそらくコンサルの業務が本業で、そのかたわらでボランティアスタッフの指導をされていたはずです。……もっとも、放送局のコンサル事業に携わる方ですから、(コンテンツである)番組にもそれなりの知見はあったと思いますけれども。


 あるいは逆に、ほかの業態の事業者が副業として放送局をやることも考えられます。

 ボランティアスタッフなり社外の方がスタジオを使うときの「施設管理」の面だけでいえば、管理人さんのような方さえいればいいのですから、貸スタジオや貸会議室に似ています。
(世の中には無人の貸会議室もありますが…)

 社屋の一角がスタジオになっていれば、少なくとも9時5時の間は社内に誰かいるでしょう。……コンビニの2階がスタジオなら(アルバイトかもしれませんが)24時間人がいます。

 全国のコミュニティ放送局の中には観光地のロープウェー会社や、それこそ公民館の指定管理者が運営している局もあります。

 もちろん、社員ディレクターにはボランティアスタッフに対する番組内容のアドバイスや指導なども重要な役割として期待されるわけで、単にスタジオの施設管理だけで内容に関知しないようでは問題があります。

 とはいえ、放送局専業でボランティアスタッフがいる時間はワンオペの社員が外出もできない、というよりは人材のやりくりの面で自由度が上がるような気もします。


 ここまでくると、これまで述べたNPO法人よりは株式会社のままのほうがやりやすい面があるのかもしれません。
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「いちかわエフエム」継承のあり方の私案(3)

 7月からすでに市川エフエム放送の周波数や送信設備を継承したエフエム浦安(市川うららFM)がFM放送を開始していますが、ここではそれとはまったく無関係に、「(2)」までに引き続いて「自分が破産管財人の先生に手を挙げて継承していたとしたら」という個人的な妄想を書きます。


 前回まで、放送局の収益でまかなえないぶんはスタッフに協力をお願いするなどなど書きました。

 もちろんそれには、スポンサー収入で経費をまかなう努力をするのが大前提です。


 経費節減の面では、固定費をより一層見直すには局舎をさらに移転するか、人件費を見直すしかなさそうです。

 そうすると、従前の「いちかわエフエム」のようなボランティアスタッフを起用した生放送を中心に編成するのであれば、週に何日か放送休止日を設けることも選択肢の一つと思っていました。

 いくら善意で参加しているボランティアスタッフといえど、放送局の施設管理も含めて全面的におまかせすることは難しいですから、生放送でスタジオを使う時間帯に社員の立ち会いを省略することはできないでしょう。

 潤沢なスポンサー収入が見込めるのでない限り、人件費が発生する時間=社員が勤務する時間は短くすることを考えなくてはいけません。

 収録した番組を流すだけなら送出はシステムにまかせて放送局内は無人にしてもよいわけですが、生放送にこだわるならば、立ち会う社員の人件費をどう賄うかがわりと大きな課題になります。


 「いちかわエフエム」当時も、最後のほうは社員数を5人から3人に減らしていて、おそらくそれに伴って23時台以降の深夜番組「夜もラジオぼーや」を取りやめていましたから、さらに人件費を絞り込もうと思えば生放送する日や時間帯を一歩踏み込んで見直すことになります。

 ……もっとも、週の何日かは休止する放送局となると、果たして放送局の存在意義とは? という話になってくるだろうとは思います。

 そのあたりは、社員が勤務する曜日を週替わりにして、隔週の生放送(そうでない週は収録を流す)という工夫もありかもしれません。


 全国的には、過半の時間帯でミュージックバードの番組を再送信しているコミュニティ放送局も少なくないのは、そういった事情なのだろうなぁと思い至ります。


 一方で、スポンサーを開拓して収入を確保することも追及する必要があります。

 ラジオ放送のCMは、端的に言えば「これだけの人が聴いているので、CMを流せば多くの人にPRできます」と売り込むわけで、まずは番組を聴いてもらうこと、がスタートになりそうです。

 しかし、鶏か卵かではありませんが「CMを聴いてください」とスポンサーみずからPRしてくれる仕掛けも考えられます。

 たとえば学校の運動会など、雨天中止(または予定通り開催)を知らせるのに学校の電話連絡網ではなくラジオCMで流すなどが考えられます。……当日の何時ごろにいちかわエフエムを聴いてください、と先生が生徒や保護者へPRしてくれるわけです。

 広域から生徒が通うような都内の私立学校がニッポン放送でこの種のCMを流しているのを聴いたことがあります。……コミュニティ放送局の放送料金(旧いちかわエフエムで20秒2,000円+制作費)ならば、市内にしか学区がない学校にも採用の可能性があるかもしれません。

 もっとも、いまどきは電話連絡網など使わずに電子メールの一斉配信で済ませる学校も多いかもしれませんが、町内会や商店会のおまつりなどにも応用が可能です。

 課題としては、運動会などイベントの決行・中止を判断するであろう早朝の時間帯に社員が出勤していなければ連絡を受られない点が一番大きいでしょうか。
(そういうときくらい管理職=経営陣が局舎に詰めていたってバチは当たらないでしょう)


 同様の発想で、旧いちかわエフエムが取り組んでいた秋の人権作文入選作の朗読のような番組は、学校が同様に放送のお知らせ(=宣伝)をしてくれますし、少なくとも入選した生徒の家族は周波数を83.0MHzに合わせて聴いてくれるはずです。

 そういう聴取者層は、放送時間ぴったりにラジオをつけるわけがなくて、しばらく前から流して時間になるのを待つわけです。……そういうタイミングでどんな番組が流れているかによって、放送局を気に入ってもらえる人が一人でも二人でも増えてくれればいいです。

 さらに妄想を膨らませると、花火大会の個人スポンサーのように誕生日祝いのメッセージなどをCMとして流すことも考えられます。……新生いちかわエフエムのCMでプロポーズをする人なんてのも出てくるかもしれません。


 もちろん、そんなのだけで大きく収支が改善できるわけではないでしょうし、もしかしたら旧市川エフエム放送の営業担当の方もとっくに取り組んでいた(けどCMを流してくれる学校がなかった)のかもしれません。

 しかし、パーソナリティに「逆ギャラ」をお願いするのならば、できることは一つでも二つでも取り組み、放送局の(主に収支の)現状をオープンにしなければ理解を得るのは難しいでしょう。……そうした点でも株式会社よりはNPO法人が向いているように思っていました。


 そんなことをつらつら考えていたら、ふと1998年の開局当初、放送局の営業対象にどんな顧客が考えられるかアイデアを求められたのを思い出しました。

 どうしてそのときこういうアイデアを出せなかったんだろう……。
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転職活動をしているか

 病気で休職〜復職してからというもの、

「今の状態の自分をこの待遇で雇ってくれる会社はほかにないから、しがみつくしかない」

と考えてやってきました。

 7年前、ある日突然会社を休み始めて1年半も休職するようなマネをしたのにクビにならなかったどころか、復職したあとも始業から終業まで席に座っているのが仕事みたいな状態が1年半ほど続き、それはさすがに、と「今の自分が成果を出せる業務を」と希望したところ埼玉県内の事業場に転勤することになり、以来、倉庫の在庫管理の仕事をしています。

 もっとも、倉庫の在庫管理といっても古き良き時代のように倉庫で1日中座っている倉庫番ではなく、普段は倉庫から離れた事務室にいて簡単な仕訳の入力作業から予算要求時の積算、そのほか庶務関連のお手伝いもするのですが、でもメインの仕事は在庫管理です。

 そういう業務内容でも、休職中の定期昇給が止まっていた+昇進・昇級も同期諸君に比べて5年遅れていたとはいえ、休職する前の賃金水準は維持したままです。……いま会社を辞めてほかの会社に倉庫係なり経理係として転職しても、こんな給料は確かにもらえないだろうと思ってやってきました。


 そんな自分も、通院加療生活が2年前に終わり、1年前にはようやく社内の昇職試験も通って、すべてが順調とは言わないまでも、(少なくとも休職〜復職〜転勤当初に比べれば)それなりにしゃきっとしてきたように思います。

#休職前の水準に戻りつつあるようには感じていますが、この7年間で周囲の方々は7年分の経験を積んで成長しているわけで、道のりはまだ長いと思いますけれども


 そんななか、書店で中公新書の『左遷論』という本のタイトルが気になって買って読みました。(Amazon

 大手生命保険会社(おそらく日本生命?)を定年まで勤めて在職中は人事部門も経験された方の著作です。

 主に旧来型の企業や官僚組織での人事運用にまつわる本で、会社側が明らかに意図した左遷もあれば、会社の思惑とは裏腹に社員が左遷と受け止めてしまう例、そのほかに病気だとか家庭の都合でキャリアの蓄積が停滞してしまう例や、その後の道の進み方などいろいろ書いてありました。

 その中には、社外での居場所(趣味や転職など)に活路を見出す例もありました。


 読み終えてふと考えると、仮に転職をするのだとすれば、ヘッドハンティングでない限り自分で応募して書類なり面接なりで自分をアピールする必要があるわけです。

 はて自分がアピールできることってなんだろうな……と考えたとき、そもそも今の勤め先に自分をアピールしていただろうか、と思い当たるわけです。

 上記の本で、社内での人事運用のミスマッチを招かないように、自己申告の機会を設けている企業が過半、という話がありました。……確かに私の勤務先にも年1回、今後の進路について思うところを書いて上司の面談を受ける機会があります。


 そうした表立った機会のほかにも、会議で支社へ出張したときなど人事担当の方に顔を見せて自分の近況をお話しする機会もあります。(さすがに本社へ行く機会はありませんが)


 そのようなオフィシャル・アンオフィシャルも含めた場で、就職活動のときほどに熱意をもって自分の希望を伝えていただろうか、仮に社外へ転職活動をするとしてこれまで社内でしてきたようなトーンで自分の経歴や希望を述べるのか、といえば、答えは「ノー」といわざるを得ません。


 たまに社外の知人から「高橋君の勤務先ってそういう(病歴があってまともに働けない人は自宅から離れた場所に転勤させて4年近くそのままにする)人事運用をするんだね」という言われ方をするのですが、そもそも社内に自分をアピールしていたのだろうか……とつらつら考えるようになりました。
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硬軟使い分け

 学生時代に出入りをしていた放送局のつながりで、何年に一度かのペースで集まっている方々がいます。

 その中のお一人が海外へ赴任されることになり、先週、2年ぶりくらいに集まりました。


 みなさんおもしろい方ばかりで、なぜかその場に私も呼んでもらえるのは、酒の肴にちょうどよいいじられキャラということもあるのだろうと思います。


 さて、私のどうでもよさそうな身の上話を酒の肴に供しつつ盛り上がっているところ、主賓の席で終始笑顔だった方が急に怖い顔になって私にひと言

「待っていたってなんにも変わらないんだからね」

と超低音で告げられ、ふたたび元の笑顔で会話に戻られました。


 こんな急に怖い顔になれる方、という共通点でふと群馬在勤当時の上司(→いまは本社の部長)を思い出しました。

 今後の進路について面談をして自分が(はたから見れば)甘ったれたようなことを口にした瞬間、急に表情と声色が変わったのはいまでも記憶に残っています。


 自分は(感情的にカッとなる以外に)人に何かを伝える手段としてあえて怖い顔をする、というスキルを持ち合わせていないので、それなりの立場に進まれる方というのはそういうところが違うのかも……と思ったりしたのでした。
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市川エフエム放送の終焉

 6月13日(火)、破産手続中だった市川エフエム放送の放送エリアを、近隣の既存放送局であるエフエム浦安が継承することが、エフエム浦安により発表されました。

 まず、破産管財人の先生が、そもそも局舎内のがらくた同然の設備を中古品として売却して微々たる額を配当して破産処理を終結しても何の落ち度もないところ、放送局の事業譲渡という前例のない処理方法に取り組まれ、見事に成果を出されたことに、賞賛と感謝の意を表したいと思います。

 おそらくこれにより、市川エフエム放送株式会社が持つ資産の換価は終わることになると思われ、そう遠くないうちに計算報告のための債権者集会が開かれて破産手続は終結することになるでしょう。


 エフエム浦安は、もともと出力5Wでしか免許がおりておらず、放送エリアは浦安市全域すらカバーできていたかどうかという放送局でしたから、市川エフエム放送の放送エリア(浦安市内でもほぼ聴こえる)を継承できれば「業務拡大」ができるメリットがあります。

 また、現に放送をしている既存の放送局ですから、2月の説明会で破産管財人の先生が言われていた「リスナーなし、スポンサーなし、スタッフなしの状態からの再スタート」という課題をすでにクリアしている唯一の事業体だったことも間違いありません。

 ほかに名乗りを上げた事業体が仮にあったとしても、管財人の先生としては安心して電波法関係の手続きを進められる継承候補だったでしょうし、おそらくは譲受のために提示した金額もエフエム浦安にとってのメリットに相応するものだったのではないでしょうか。(推測)


 破産処理の過程での放送局事業の譲渡……でしたから、放送局の免許ごとの譲渡と思われましたが、コールサインはエフエム浦安のもの(JOZZ3AY-FM)が引き続き使われるとのことです。

 市川エフエム放送の放送局免許と、エフエム浦安の免許、どちらを存続させてどちらを廃止するかは、総務省により実態に即した指導があったものと思われます。(推察)

 このように、放送エリアは市川エフエム放送のものが継承されることになりましたが、中身としては現在放送をしているエフエム浦安がそのまま引越してくることになります。


 ひとくちに「コミュニティ放送局」といっても放送局それぞれに番組編成の特徴があります。

 放送休止前の市川エフエム放送は市民ボランティアを起用した生放送の自社制作番組を主体とした編成でした。……開局当時の社長の弁を借りれば「聴けば市川がどんな場所か分かる放送局」、確かに市民がパーソナリティですから、どんな人が住んでいるかはよく伝わってくる番組が多かったと思います。
(フィラーの時間も多かったですが)

 一方のエフエム浦安は、現在の番組表を見る限りでは平日昼のワイド番組以外は多くが社外制作番組となっており、放送料金の案内と合わせると、ほとんどが収録済みの番組として(いわゆる「完パケ」で)スポンサー料金とともに持ち込まれる番組のようです。

 週末にエフエム浦安のサイマル放送(インターネット同時放送)を聞いてみると雰囲気は元のいちかわエフエムとだいぶ違い、放送エリア(浦安市)内へ向けた放送というよりはインターネット放送をすることを主眼にした番組が過半のように感じました。(個人の感想です)


 「業務拡大」とともに、インターネット経由ではなく放送そのもので聴こえるエリアが大きく広がることで、スポンサー(←重要)や番組編成に変化があるかどうか、実際の放送開始を楽しみにしたいと思います。
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「ワークライフバランス」って要は家にいる時間

 今年のGWは水曜日から日曜日までの5連休になり、家にいる時間がそれなりに確保できて、少しは散らかった部屋を片付けたりできました。

 人を通せるには程遠いですが、床が見えるようになりましたよ。

 このところ月2〜3回程度の更新になっているこのブログも、5連休の間に2つも記事を書いたり。……1か月分の投稿を5日でですよ!


 日勤職で片道2時間、往復4時間かかる職場へ通勤をし始めて3年半が経ち、それなりに仕事も任されるようになって残業をすることも増え、日々、朝6時半に家を出て帰宅は21時前後という生活です。

 週2回は定時退社をするのですが、昨年に首をけがしてしまって(当時の記事)整骨院に寄って帰るので、やはり帰宅は21時前後です。

 (世の中にはもっと過酷に働いている人もいるのでしょうけれども)日々6〜7時間程度は寝るようにしていると、あとは入浴やら食事の準備をしに帰るだけの我が家になり果てている現状です。土曜日も昼まで寝ていることが増えました。

 月間の残業時間は多くても25時間を下回る程度なので、いま世の中で言われている80時間とか100時間に比べれば圧倒的に短いです。

 ……しかし、片道1時間で通える職場と比べて、毎日2時間余計に通勤時間を要しているので、出勤日が月20日なら合計40時間は家にいる時間が短い計算で、月間65時間の残業をしている人レベルになります。
(少なくとも、勤務先の36協定で月65時間の残業は労働組合との事前協議が必要なレベル)

 もちろん、行き帰りの通勤時間は電車内でマンガを読もうが居眠りしようがツイッターを見ていようが自由なので、労働時間として緊張感を持たなければいけない時間ではありません。

 この長い通勤時間を活かして勉強をして取った資格もあります。


 そうなのですが、この部屋の散らかりようや、すっかりオブジェと化してしまったピアノ(始めたころの記事)やらを見ると、ワークライフバランスっていうけれど、労働時間の長短というよりは家にいる時間なんだろうな……と思ったりするわけです。

 じゃぁ転勤が多い会社に勤めていて持ち家なんかにするのが間違いなんだ、賃貸住宅に住んで転勤のつど職場に近い場所へ引越せばいいんじゃないか、という考えもあるわけですが、勤務先は異動の通知が10日前なのと、35歳を過ぎて独身だと寮に入るのにも制限があり、実質的に転勤まで1回の週末で物件を探して契約する、、、というのはなかなか難しいところだと考えています。
(やり遂げている先輩方もいらっしゃいますが)
author by よんなん
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「いちかわエフエム」のその後

 5月になり、市川エフエム放送が事業を停止して自己破産を申し立ててから6か月目に入りました。

 官報で公告されていた債権者集会の日(3月13日)もとっくに過ぎましたが、4月30日現在、本八幡駅近くのビル屋上にある送信アンテナはそのままで、放送局設備(や放送局免許)も含めた会社の清算処理には入っていない模様(推察)です。

 ということは、2月に説明会があったあとどこかしらの事業体と破産管財人の先生とで放送局事業の譲渡へ向けて取り組まれているに違いない、と期待をしています。

 インターネット上の匿名掲示板には4月17日に

自殺労災騒動で潰れた市川FMの事業譲渡。
入札落札したのがFM浦安。
FM浦安は移転。浦安は停波。
7月からの名称不明。病院みたいに市川浦安FMになるかな?

と、その事業体は隣接エリアの既存放送局だというような情報が書き込まれていましたが、真偽のほどは分からず論評は差し控えます。


 さて、現時点で確認をしている、昨年11月までのスタッフの方々によるインターネット上での情報発信についてまとめたいと思います。

 まずは元Web担当さん。

 ブログの新規記事はありませんが、indexページの文言はときどき変化があって、現在にわたってメンテナンスされ続けている様子です。Twitter(@ichikawafm_web)は12月から鍵つきアカウントになっていましたが、5月に入って元のアカウント名では存在を確認できなくなっています。

 そのほか、12月からさっそくインターネット上での情報発信を始められた方々の中では、日曜夜の「Nightでないと!」(Youtubeでの番組配信)や金曜夜の「きままなお部屋」(ブログ)が、更新を毎週継続中です。

 4月に入り、金曜昼の番組を担当されていた3人のパーソナリティのみなさんが「チームふらいでー」として不定期の番組配信を始められました。……毎週更新だとか毎月決まった日に更新というわけではないようで、まだ4月4日更新の第1回のみの配信ですが、次回を楽しみにしています。


 ところで個人的な話題ですが、自分はGWがカレンダー通りということもあり、部屋の掃除をしています。

 BGMは過去に録音してあった「いちかわエフエム」の番組を流しています……何年か前の番組でも、主に日常の話題を話している番組は4月末〜5月はじめに流れていたものならそんなに話題に違和感なく聴けて楽しいです。(新年度から1か月たったとかGWの過ごし方とかそんな話題)

 時事ネタが豊富な番組は、当時はそんなこともあったんだなぁという話題ばっかりですが。

 現時点では過半の番組は11月末でそれっきり、というのがとても寂しいです。
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「いちかわエフエム」継承のあり方の私案(2) というかハードルの話

 きょうは官報に告示されていた「市川エフエム放送株式会社」の債権者集会の日でした。

 私は債権者ではないので出席する資格もありませんでしたが、破産管財人の先生から破産財団の換価の見通し(≒放送局事業の譲渡のめどの有無)について、どのようなお話があったのかとても気になるところです。


 継承のあり方は前の記事に書いたようなことをなんとなく考えていました。

 元のスタッフで会社なりNPO法人なりを作り、放送局の収益で必要な経費をまかなえないぶんは、主に社会人のスタッフに協力をお願いするほかに、「応援団」を組織してリスナーからも寄付を募ることが主眼です。
(もちろん、スポンサー収入で経費をまかなえれば言うことありませんが)


 ただ、最大のネックは「誰が中心になってやるのか」です。


 新事業体で放送局の免許を引き継ぐには、単に元の会社と事業の売買契約を結べばよいのではなくて、総務省の審査があります。

 そろえなければならない書類もありますし、スポンサー候補との交渉も必要になるでしょう。

 ……総務省に顔を出すにも、まず想定されるスポンサー=放送エリア内の自治体などへ足を運ぶにも、平日の昼間に時間がなければいけません。

 仮に平日に休みが取れる人でも、会社勤めの方は勤務先の副業禁止規定との兼ね合いも出てくるかもしれません。


 私自身は、勤務先の副業禁止規定以前の話として月〜金勤務のサラリーマンですから、仮に副業云々をクリアしたとしても、官公庁との打ち合わせがあるたびに休暇をとるか、あるいは会社を辞めるかしかありません。

 立ち上げ時点のお金ならいくらか集まるだろうとは思いましたが、平日に自由な時間がある人がいるだろうか……というところで、私は見つけることができず断念しました。


 学生時代の知り合いには、いったん勤め先を辞めて他人の起業を手伝って新会社が軌道に乗ったら元の会社に再就職をした、という方が何人かいるのですが、残念ながら私のいまの勤務先はいったん辞めたら再就職の道はほぼない(いったん辞めた人を再度採用した話を聞いたことがないうえに、中途採用の募集要項を見てもいまの私の業務ジャンルは募集がない)ので、その点もある意味でネックでした。

 退路を断って本気で放送局の再建に臨むにはよいのでしょうが、今後の生活を考えると二の足を踏まざるを得なかったのも正直なところです。
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「いちかわエフエム」継承のあり方の私案(1)

 3月になり、破産手続中の市川エフエム放送から事業を継承する意思を管財人の先生あてに表明する一つの区切りが過ぎました。

 私は残念ながら仕事を辞めて取り組む決心はできず、志を同じくする方も見つけられず、意思表明は見送ることにしました。

♯この件をかなり思い悩んだからかどうか、先週末に白髪が数本見つかりました、、、まだ30代なのに、なかなかショックでしたよ…!

 心ある方に引き継いでいただき、ふたたび83.0MHzで、市民のボランティアスタッフ=放送エリアに住む人と等身大のパーソナリティが話す身近な話題を聴けたらどんなにいいかと思います。


 もし名乗り出る事業体がなければその時点で事業継承の可能性はなくなり、破産管財人の先生によってすみやかな清算処理が始まるでしょうから、そう遠くないうちに屋外にある送信アンテナが撤去されてそれで分かると思います。

 もし何らかの事業体が引き継ぎに手を挙げて免許の継承に取り組まれるなら、早ければ夏ごろ、遅くても年内には83.0MHzから再び何かが聴こえ始めるのではないか……と楽しみにしたいです。


 それで、上で「志を同じくする人」と書きましたが、どんな継承のあり方を考えていたか、書こうと思います。

 手を挙げなかった以上、もはや私の妄想です。


 基本的なスタンスとして、元の放送局と同じくボランティアスタッフ中心のワンマンパーソナリティによる番組を主に編成します。
(それは、元あった放送局と同じような番組、できれば元の番組の続きを聴きたいからです! ……文句あるか!)

 事業として継続するには、運営に必要な経費は収入でまかなわなければいけません。

 ……元の会社は赤字経営続きだったという新聞報道でしたから、スポンサー料だけではまかなえなかったということでしょう。(新聞によれば市川市の広報番組の放送料は年およそ200万円とのことでした)

 さらに開局時の資本金7,000万円から破たん時点で1億3,000万円に増資されていましたが、総務省のWebサイトの情報から増資分はほぼ社長個人による拠出だったことが分かります。
(放送局はその事業内容から、1割以上出資する個人や法人の名前が監督官庁によって公開されています)

 そうして家一軒買えるくらいの私財を投じて赤字をつぐない、ボランティアスタッフに番組をやらせてくれた方はもういないわけです。


 後継の事業体では、さらなるスポンサー獲得に営業を強化する一方で、ボランティアスタッフから一定の拠出をつのることも考えなければならないでしょう。

 私自身、学生時代の4年あまりにわたって放送の現場に立つ経験が得られたのは、実は身を削り続けて赤字を埋めていた経営陣がいたからだったわけです。

 同じようなお大尽がどこかから現れてくれるのを期待するか、自分たちでお金を出し合うか……まずは後者を考えなければいけないだろうと思うのです。

 じゃぁボランティアスタッフがそれぞれスポンサーになって番組枠を買って放送をするのか、というと難しいですが、特に社会人パーソナリティの方々を中心に負担をお願いすることは考えてもよいのではないかと思います。

 さらに広く、「いちかわエフエム応援団」みたいな組織を作ってリスナーから会費をつのり、応援メッセージをCMという形で流すことができればいいと思います。


 さてそうしたときに、お金を出しやすくするしくみがあるとよいです。……手っ取り早いところでは「お金を出すと税金対策になる」というのが分かりやすいでしょう。

 事業を営んでいる方はスポンサーになればCM料金は損金にできるでしょうが、一個人がたとえば応援団の会費を払ったからといって税金の控除を受けることは難しいです。

 そこで、運営主体をNPO法人として、5年後には「認定NPO法人」となることを目指します。(一般財団法人でスタート→公益財団法人へ移行でもよいです)

 認定NPO法人に寄付をした額は寄付金控除を受けることができます。……少額の寄付はもちろん、もしも「お大尽」のような方が現れたとすれば、放送局にお金を出すこと=税金対策になります。


 もともとコミュニティ放送局という事業はそう簡単に黒字が出るようなものではなく、元の会社の経営陣がそうしたように赤字を償いながら事業を継続することも想定しなければなりません。

 そういう事業を営むなら、株式会社よりはNPO法人が合っているのではないかと思います。……現実に、NPO法人が運営しているコミュニティ放送局もかなりあります。


 破産処理というなかでの事業譲渡ですから、NPO法人を設立する審査を受けている時間があるのかどうか、という問題もあります。

 その点は、いったん株式会社で引き継ぎ、並行してNPO法人の設立を準備して新会社からNPO法人にさらに引き継ぐことも考えてよいのではないでしょうか。

(続く……かも?)
author by よんなん
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