「明日萌駅」その後

IMGP1093.jpg 留萌から札幌へ出る途中、JR留萌本線の恵比島駅へ立ち寄りました。

 1999年のNHK朝ドラ「すずらん」で「明日萌駅」として撮影に使われた駅です。

 当時は少し賑わっていましたが、テレビ番組としての「すずらん」も朝から流すには内容がシリアス過ぎて、観光名所としてはあんまり長続きしなかったように思います。……SL「すずらん号」は2006年まで走ってたんですけれども。


 一応、撮影当時のままのセットが残っていますが、「明日萌」駅舎を含めてどの建物もカギがかかって入れません。

 「中村旅館」の建物を使った食堂も「商い中」の看板とは裏腹に、誰一人としていません。

 ……トイレを借りるか、、と、屋外の(おそらく)公衆トイレに入ろうとしたら、ここにもカギかかってるよ!!


 それよりなにより、写真撮影用と思われるボードが「平成11年」のまま(写真)っていうのはどうなんですかね。。。

 主演の遠野凪子も、5年前にフジテレビの昼ドラ(あの「ごきげんよう」の後のドロドロしたメロドラマ枠)で久しぶりに見たっきり(←上州弁)だなぁ、と思ったら、今年になって芸名を「遠野なぎこ」に変えたんだそうで。

 はぁ。そうですか。
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萌え萌え「留萌市」

IMGP1072.jpg いわゆる「萌えブーム」はとっくに過ぎ去った感がありますが、留萌市は市名に「萌」の字が入っているのをよいことに、いろいろあやかろうとしているみたいです。

 まず、留萌市のコミュニティFM局が「FMもえる」……漢字を当てないだけマシという気もしますが。

 昨晩の17〜18時台に聴いていたら、ひたすらファミコン音楽と声優の話題の番組……思いっきりオタク狙いだ!

 って、ファミコンのビープ音ってどこでどうやって著作権処理済の音源を取ってきたのか気になります。(そこかよ)


IMGP1073_2.jpg そして、留萌駅前にある留萌観光協会のお土産屋さんがズバリ


「萌」


……さすがに萌えグッズを売っているわけではなさそうですが。。。


IMGP1339.jpg それよりなにより一番ひどい(←ほめ言葉)のが、留萌地域で営業しているバス会社、沿岸バスです。

 公式サイトのトップページで、まずぶっ飛びます。……これが本当に交通企業のWebサイトかと。

 しかも、4月1日にはしっかりとエイプリルフール企画やりますからね、この会社。(……今年は、トップページの女の子が実は女装だったと称して「オトコの娘フリーきっぷ」を発売するという告知だった)

#(蛇足)「オトコの娘」と書いて「おとこのこ」と読みます。。。


 で、この会社が走らせている旧国鉄羽幌線代替バスと周辺の路線バスのフリーきっぷが


萌えっ子フリーきっぷ


……きのう、遠別の沿岸バス営業所で3枚とも買っちゃったよ!(写真)

 別に今回の旅行で使わなくても、来年の4月30日までのいずれか1日(2日券は連続する2日)有効だから、今回はそのまま持って帰っても損じゃないもん……。。。
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北海道の「軍艦島」その2 築別炭鉱

IMGP0982.jpg さぁ、やってまいりました、今回の北海道旅行最大のメインイベントです!

 築別炭鉱、それは北海道の山奥に眠る廃墟中の廃墟といえるのではないでしょうか!

 厳密には、羽幌炭鉱に3つあった「羽幌抗」「築別抗」「上羽幌抗」のひとつですが、地名が「築別炭鉱」なのでこう呼ぶことにします。


 築別炭鉱には10年前に名羽線跡をたどるついでに一度来ていたのですが、9月の築別炭鉱はバッタが大量に飛び交って窓も満足に開けられない状況で、早々に引き返したのでした……。


 11月になってムシの心配はないですが、冬眠前のクマの心配と、何より人が住んでいない地域なので道路がすでに冬期通行止めになっている心配がありました。

 ……が、築別から道道356号に入るところの看板には「築別炭鉱築別(停)線 全区開通 通行注意」の文字! よしきた!!


 とはいえ、この時期の北海道は16時半には真っ暗になるというのに、時計はすでに15時半を過ぎています。

 脇目も振らずに築別炭鉱を目指しました。


 さて、築別炭鉱と羽幌炭鉱鉄道は会社そのものが消滅したので、全て放置されたままです。

 なんと言ってもメインは、写真の社宅と思われる住宅団地跡。

 ……鉄筋コンクリート5階建てのアパート(というかマンション)が6棟(くらい)あります。


 クマが怖くて、STVラジオ「日高晤郎ショー」を音量最大でカーラジオから放ちながら、クルマを降りて住宅団地へ足を踏み入れます。……頼みますよ晤郎さん。。

IMGP0992.jpg 築年は不明ですが、ダストシュートがあるほか、入口から少し中をのぞくと集合ポストもそのままです。

 中にほんの少しだけ足を踏み入れると、トイレは水洗です。……台所がどのあたりだったか、風呂はあったのかは不明ですが、トイレが水洗という時点でかなり文化的に思えます。

#というか、集合住宅で水洗ではないトイレというのも考えにくいですが

 東京の明治公園わきにある、都営霞ヶ丘アパートに非常によく似ている気がします。

 おそらく、40年前の1970年に閉山してから放置されっぱなしだと思うのですが、躯体はいまなおしっかりしているように感じました。


IMGP0998.jpg アパート群から見た、消防署跡と、火力発電所跡の煙突。

 16時が近づくにつれて辺りは日暮れ感が次第に増す一方で、本当は、診療所の跡や小学校の跡など、見どころは満載なんですけれども、本来なら複数人で来るべきところへ一人で来ている時点で危険です。

 このままクルマへ戻って、来た道を引き返すことにしました。


IMGP1000.jpg 道道はちょうど診療所のところ(団地跡や消防署跡への曲がり角があるところ)で通行止めになっていました。

 誰も住んでいないんだし、なにしろ自分みたいな人が興味本位にやってきて危険なんだから、もっと手前にゲートを置くべきでは、、、と思うものの、一部のサイトの記述によれば、診療所跡や消防署跡を地元の方が農機具等の倉庫に活用している模様で、その関係でここまで道路をあけてあるのでしょう。


 ……と、ここで、一台のクルマがやってきてすれ違います。

 二人以上揃えば、単独では危険なところにも行くことができるじゃないですか!


 あわててクルマをUターンして診療所付近へ戻ると、向こうもさっそく引き返してきました。…窓を開けると、なんと向こうは外国人!

「Lost town?」
「Yes, ghost town.」

思わず「ゴーストタウン」と言ってしまいましたが、確かに先方は「ロストタウン」と言ってたんだよなぁ……どちらにしろ意味は合ってる(はず)と思いますが。

 そのまま外国人さんは行ってしまい、自分が再び取り残されてしまいました。

 そうか……外国人にまで知られているのか、、って、一人で右ハンドルのクルマを平気で左側通行で運転している時点で、おそらく北大あたりの留学生じゃないかという気がしますが。


IMGP1026.jpg ついでに、築別からの道道の沿線には、羽幌炭鉱鉄道跡の鉄橋がそのまま残っています。

 築別炭鉱への道を曙という集落から分かれて別の方向へ行くと、国鉄名羽線の未成線跡があります。

 ……名羽線跡のほうは、簡単に行けるところは撤去がほぼ済んでおり、営林署から林道の鍵を借りてクマ対策も万全に行かねばならないようなところにドーンと立派なコンクリート橋やトンネル群が残っているそうです。


 築別炭鉱ともども、いずれもう一度、日帰りではなく腰を据えて見に行きたいところです。
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「最北の料金所」と「最北のインターチェンジ」

IMGP0513.jpg 現在、高速道路としての道央自動車道は士別剣淵ICまでで、ここの料金所には「日本最北の料金所」という看板があります。

 ……が、道央自動車道そのものは稚内方面を目指して着々と工事が進んでおり、部分的に完成した区間は順次

・「国道40号線 名寄バイパス」
・「国道40号線 幌富バイパス〜豊富バイパス」(区間は連続)

として無料供用されています。


IMGP0947.jpg きょう、豊富バイパスの豊富北ICから幌富バイパスの幌延ICまで乗ったら、看板類は思いっきり高速道路仕様です。

 キロポストの数字は、どこが起点なのかなぁ…と思ったら、「200.0」のところにドーンと

「旭川まで200km」

の大看板……って、これ、旭川起点のキロポストじゃんよ!


 士別剣淵までの道央道を延ばして来る気満々だよ!!


IMGP0955.jpg 高速道路料金を無料にするのしないの、東京の国会で政権与党や野党のセンセイ方があーだこーだ騒いでいるじゃないですか。

 その一方で、新規区間は北海道の最北の地で着々と「国道のバイパス」と称して建設・供用が進んでいるんだってさ!

 この写真、見てくださいよ。幌富バイパスの起点(幌延IC)で「198.4」キロポストですよ?

 NEXCO東日本の公式ページでは「NEXCO東日本以外の道路 建設中路線」とされている区間(のさらに先)ですよ??

 これ、何かの高等なギャグ・笑い話以外に、何だというのでしょう。


 だって、「新直轄方式」の区間ですらないんですから。

 というか、小泉内閣当時の「道路公団分割民営化」って、何だったんでしょうね。

 もう面倒だから全部直轄にしてガソリン税値上げしちゃえよ。
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「喫茶お天気屋」初履修

IMGP0913.jpg 稚内の「喫茶お天気屋」は、存在は前から耳にしていたものの、まだ行ったことがありませんでした。

 稚内駅・稚内フェリーターミナルに近く、利尻・礼文島へ渡る旅人が多く立ち寄る店です。


 今回、島へは行きませんが、お店は履修してみるべくナビをセットして向かいました。


 名物という「リシリアンカレー」は、利尻富士をかたどったキーマカレー。

 店主は鉄道がお好きなようで、店内には途中で挫折したという天北線(=平成元年廃止)各駅の駅舎模型や、数々のHO鉄道模型が飾ってあります。


IMGP0911.jpg 店主曰く「運がいいね、明日で店を閉める予定だったんだ」……って、なんだってー!

 店仕舞いではなく、大家さんの都合で引越をする由。


 大家さんの急な体調悪化で早めに資産を整理したいという都合も都合であんまり立ち退き料をゴネられなかったらしく、店主と昨晩の宿のオーナーとで少しずつ引越をするので、再開は1月になるのでは、とのこと。

 あと数日ずれていたら来ても空振りだったばかりか、仮に再開していてもカーナビではたどり着けないところでした! なんという強運!


 ここで運を使い果たした、なんてことのありませんように……ナムナム。
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宗谷岬バス待合所の悲劇

IMGP0900.jpg 兜沼の宿を後にして、豊富温泉、大規模草地牧場を通って一路宗谷岬を目指します。

 ……宗谷岬といえば、あのバス待合所の落書き。


 10年前に書いた天井の落書きは……もし残ってたらその上から今の名刺貼ってやる、とワクワクしていたら


 きれいになってるーーー!!!


 まぁ、バスにも乗らずにレンタカーやマイカーで来た挙句に落書きして帰っておいて、文句言えた立場ではありませんが。

 せっかく来たのにな。。。
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美幸線延伸区間その後

IMGP0741.jpg 美幸線は、国鉄時代に営業していた「美」深〜仁宇布から先、計画されていた北見枝「幸」までの区間はほとんど完成して後はレールを敷くだけ、というところで「国鉄再建法」が成立・施行されて、未成線区間は日の目を見ないまま営業線区間の廃止とともに葬り去られました。

 人が住んでいる場所では撤去工事が進み、北見枝幸市街では「美幸線通り」という道路の名前と、「19xx-x」みたいな鉄道建造物特有の完成年月を示す銘盤が貼ってある謎のコンクリ壁に痕跡を残すのみです。


 志美宇丹の跨線橋も、自分が仁宇布にいた7年前に撤去工事をしていました。


IMGP0798.jpg で、有名だった歌登市街を少し外れたところの雪覆い群は、きょう通ってみたら道道の拡幅工事の餌食になって全部撤去されていました。あー。

 ……とはいえ、削った山肌から道路を守る土留壁は鉄道用のものを一部活用している様子で、うち捨てられるよりはこうして活用される=日々のメンテナンスが行われるほうが、見ているこちらにも幸せのような気がします。


 それにしても、今もなおあちこちに残る痕跡を見ると、本当に、後はレールを敷くだけだったんだなぁ、と思わされます。

 当時の美深町長が「赤字日本一とか二とか言う前に、一度全通させてから判断してほしい」と東京の銀座で美幸線の切符を売った(それで一時期、国鉄赤字線ランキングの4番目までに上がった)のも、現地を見るとなるほどなという気がしました。

 鉄建公団が歌登駅予定地に積み上げられていたレールと枕木を引き上げようとしたときも、歌登町役場がバリケードを作ってにらみ合いが何ヶ月も続いたとかどうとか。


 ……全通したところで、100円の収入を得るのに3000円以上のコストがかかる路線が一転して黒字化することはなかったと思いますが、いちおう、町長の頭の中には、枝幸港で獲れた魚を満載した鮮魚列車が美幸線を疾走する姿があったようです。。


 確かに、北見枝幸は札幌との直通バスが通じるなど、それなりに規模のある町ではあるんですよね。


 とはいえ、本当に成り立つなら第三セクターでもなんでも地元が引き受けたでしょう。

#国鉄再建法では、国鉄〜JRではなく第三セクターが引き受けると宣言すれば全額国費負担で未成線部分を完成させてくれる枠組みになってました
(「ほくほく線」や「智頭急行線」などがそれで、黒字経営しています)
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「もぬけの殻」の志美宇丹

IMGP0747.jpg 昨日話をした仁宇布の農場オーナーの方が、仁宇布が活気付いているのと対照的に

「志美宇丹なんてハコモノばっかりで『もぬけの殻』だぞ」

と言っていたのにびっくりしたんです。

 志美宇丹といえば、美幸線の延伸区間で駅もできる予定だった場所で、私が仁宇布で居候をしていた頃もそれなりに人が住んでいて小中学校や郵便局だってあったんですから。


 百聞は一見に如かず、とばかりに、天塩川温泉をチェックアウトしたら早速クルマを志美宇丹へ走らせました。


 すると……

 本当だよ! 建物はいっぱいあるけど、人が住んでいる気配のある家がないよ!!


IMGP0760.jpg 30分ほどぶらぶらしたなかで、クルマがあったのが小学校跡向かいの1軒だけ。
(でも、このページによると保育所の跡で、人家とは考えにくい)

 小学校だって、さすがに最近の建物ではないものの、仁宇布の(確か)木造校舎に比べれば立派な鉄筋建てなのが校門を柵で封鎖され、ひっそりと風化していくのを待つのみです。

IMGP0778.jpg 農村集落多目的共同利用施設「志林」なんていう、築年数の新しそうなものもあったんですけど、仁宇布と比べると、いかにハコモノよりも「内発的な」活動のほうが大事かよく分かります。

 地域で生徒数一ケタの小中学校に通わせるより町の小中学校でみんなと一緒に勉強させたい、と地域の親御さんが考えてしまったが最後、小中学校が廃止されれば、集落では非常に貴重な若手住民である「教員」が去り、あとは急坂を転げ落ちるように限界集落化するようです。

IMGP0761.jpg 特に、小学校では教員はクラスの数だけですが、中学校は科目の数だけ教員が赴任するの(が原則)で、限界集落すれすれの地域にとって最重要問題なのは、実は中学校を維持すること、最悪でも小学校は残ってもらう(それでも校長・教頭・クラス担任の3人は残る)なんです。


 「山村留学」も都会から子どもとその親御さんを呼び寄せるひとつのやり方ですが、あまりうまく行っているケースはないようです。

 仁宇布には、新築ではありませんが美幸線建設のための鉄筋建ての作業員宿舎がそのまま残っていて、「ホスターホーム」として子ども単独で山村留学に来ている子の宿舎に転用できたことなど、好条件もあったかもしれません。

 子の山村留学をきっかけに定住する方もいらっしゃるようですし。
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仁宇布の人々その後

IMGP0591.jpg 大学院1年の夏休みに、北海道美深町仁宇布にある農場で居候をさせてもらいました。

 社会人になってから1度遊びに行きましたが、それ以来、すっかりご無沙汰でした。


 下川からクルマを仁宇布へ走らせ、ちょうど仁宇布の交差点のところにある食堂へ差し掛かると、ちょうどお世話になった農場のオーナーがいました。

 かれこれ5年ぶりくらいかと思いますが、すぐにタカハシ君だと分かってくれました。


 仁宇布は、鉄道マニアには知る人ぞ知る旧国鉄時代の「日本一の赤字線」美幸線の暫定終着駅だった場所で、鉄道は昭和60年に廃止になっています。

#美幸線は名前のとおり「美」深から仁宇布を越えて北見枝「幸」までの計画で、延伸部分もほぼ完成していた


 そんな場所なので、衰退する一方の“限界集落”かと思いきや、この地域の面々の「内発的な」努力によって移住者も徐々に増え、いまや「20代の会」が毎月開催されるレベルになっているのだとか。


 農場のオーナーは、60も過ぎたしそろそろ……とか弱気なことを口にはしていましたが、この人、内面は非っっっっ常にシタタカですからね。少なくとも70になるまでに、また何か一つくらい興すことでしょう。


 さて、居候をしていたときにこの食堂を切り盛りしていた方は、町へ降りていわゆる授産施設に支援員として就職して月給を得ている、ということで職場を訪ねてみました。

IMGP0634.jpg 突然のアポなし訪問でしたが、21時ごろまで待ってくれれば夕飯の相手ができる、とのことで、ひとまず今晩の宿(天塩川温泉)を押さえにいったんオイトマします。

 14日(日)に美深町の文化祭でここの利用者がYOSAKOIソーランを披露するのだとかで、20時からその練習を見学させてもらい、終了後は仁宇布で別のお店をやっていた方が町で開いているお店で23時近くまで過ごしていましたとさ。
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北海道の「軍艦島」その1 下川鉱山

IMGP0538.jpg 九州在住の某マイミク嬢が、軍艦島へ行く船に乗ったものの天候の都合で上陸できなかった、という話を日記に書いてました。

 それならば、と、今回の渡道で「軍艦島」のような場所を2ヶ所選んで訪れてみることにしましたよ。


 今日はまずお手軽なところで「下川鉱山」。

 下川町の中心部からクルマで10分ほど、と、本当にお手軽です。

 また、鉱山は閉山しましたが、鉱山跡からの有害水を処理するための工場が稼動しているのかどうか、無人地帯ではありません。……何かあればすぐ助けを呼べる場所です。


IMGP0555.jpg そんなような場所なので、見どころらしい見どころもあんまり大したことはないのですが、残っているハコモノは

・菱光小学校の校舎と体育館
・トロッコの線路(←写真)
・周囲に何もないのに横断歩道だけが残っている道路

くらいです。……「くらいです」って、何もないのに横断歩道の白線だけが残っている時点で、廃墟感満載ですが。

IMGP0549.jpg 小学校は、学校の名前もそうですし、校章にスリーダイヤがデザインされていることからも、この鉱山は三菱系列だったのが分かります。

 ……っていうか、三菱の私立小学校じゃなくて町立小学校なのに、地名も「下川町ペンケ」(現在は「下川町班渓」に統合)なのに、この校名と校章ってありなの!?


 前回来たときにはなかった柵が、小学校の校門のところにできていましたよ。

 廃墟ブームの中であまりに有名すぎ、また、あまりにお手軽すぎて、不法侵入する人が少なくないのでしょう。きっと。
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