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仁宇布の人々その後

IMGP0591.jpg 大学院1年の夏休みに、北海道美深町仁宇布にある農場で居候をさせてもらいました。

 社会人になってから1度遊びに行きましたが、それ以来、すっかりご無沙汰でした。


 下川からクルマを仁宇布へ走らせ、ちょうど仁宇布の交差点のところにある食堂へ差し掛かると、ちょうどお世話になった農場のオーナーがいました。

 かれこれ5年ぶりくらいかと思いますが、すぐにタカハシ君だと分かってくれました。


 仁宇布は、鉄道マニアには知る人ぞ知る旧国鉄時代の「日本一の赤字線」美幸線の暫定終着駅だった場所で、鉄道は昭和60年に廃止になっています。

#美幸線は名前のとおり「美」深から仁宇布を越えて北見枝「幸」までの計画で、延伸部分もほぼ完成していた


 そんな場所なので、衰退する一方の“限界集落”かと思いきや、この地域の面々の「内発的な」努力によって移住者も徐々に増え、いまや「20代の会」が毎月開催されるレベルになっているのだとか。


 農場のオーナーは、60も過ぎたしそろそろ……とか弱気なことを口にはしていましたが、この人、内面は非っっっっ常にシタタカですからね。少なくとも70になるまでに、また何か一つくらい興すことでしょう。


 さて、居候をしていたときにこの食堂を切り盛りしていた方は、町へ降りていわゆる授産施設に支援員として就職して月給を得ている、ということで職場を訪ねてみました。

IMGP0634.jpg 突然のアポなし訪問でしたが、21時ごろまで待ってくれれば夕飯の相手ができる、とのことで、ひとまず今晩の宿(天塩川温泉)を押さえにいったんオイトマします。

 14日(日)に美深町の文化祭でここの利用者がYOSAKOIソーランを披露するのだとかで、20時からその練習を見学させてもらい、終了後は仁宇布で別のお店をやっていた方が町で開いているお店で23時近くまで過ごしていましたとさ。
author by よんなん
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