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美幸線延伸区間その後

IMGP0741.jpg 美幸線は、国鉄時代に営業していた「美」深〜仁宇布から先、計画されていた北見枝「幸」までの区間はほとんど完成して後はレールを敷くだけ、というところで「国鉄再建法」が成立・施行されて、未成線区間は日の目を見ないまま営業線区間の廃止とともに葬り去られました。

 人が住んでいる場所では撤去工事が進み、北見枝幸市街では「美幸線通り」という道路の名前と、「19xx-x」みたいな鉄道建造物特有の完成年月を示す銘盤が貼ってある謎のコンクリ壁に痕跡を残すのみです。


 志美宇丹の跨線橋も、自分が仁宇布にいた7年前に撤去工事をしていました。


IMGP0798.jpg で、有名だった歌登市街を少し外れたところの雪覆い群は、きょう通ってみたら道道の拡幅工事の餌食になって全部撤去されていました。あー。

 ……とはいえ、削った山肌から道路を守る土留壁は鉄道用のものを一部活用している様子で、うち捨てられるよりはこうして活用される=日々のメンテナンスが行われるほうが、見ているこちらにも幸せのような気がします。


 それにしても、今もなおあちこちに残る痕跡を見ると、本当に、後はレールを敷くだけだったんだなぁ、と思わされます。

 当時の美深町長が「赤字日本一とか二とか言う前に、一度全通させてから判断してほしい」と東京の銀座で美幸線の切符を売った(それで一時期、国鉄赤字線ランキングの4番目までに上がった)のも、現地を見るとなるほどなという気がしました。

 鉄建公団が歌登駅予定地に積み上げられていたレールと枕木を引き上げようとしたときも、歌登町役場がバリケードを作ってにらみ合いが何ヶ月も続いたとかどうとか。


 ……全通したところで、100円の収入を得るのに3000円以上のコストがかかる路線が一転して黒字化することはなかったと思いますが、いちおう、町長の頭の中には、枝幸港で獲れた魚を満載した鮮魚列車が美幸線を疾走する姿があったようです。。


 確かに、北見枝幸は札幌との直通バスが通じるなど、それなりに規模のある町ではあるんですよね。


 とはいえ、本当に成り立つなら第三セクターでもなんでも地元が引き受けたでしょう。

#国鉄再建法では、国鉄〜JRではなく第三セクターが引き受けると宣言すれば全額国費負担で未成線部分を完成させてくれる枠組みになってました
(「ほくほく線」や「智頭急行線」などがそれで、黒字経営しています)
author by よんなん
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