国鉄が私鉄になれなかったところ

 生まれ育った地元の京葉線について、私的に(←重要)つらつら考えております。

 少し強い風が吹いたら止まっちゃうし、新浦安から総武線沿線へ出るには西船橋方面は1時間に2〜3本しかないし、JRで都心まで乗ると運賃安くないし、かといって地下鉄東西線は西船橋へ行く本数が圧倒的に多い+都心へ出るには地下鉄が安い(渋谷や新宿へはJRの半額程度)といっても浦安駅までのバス賃や時間を考えれば、新浦安駅近辺に家がある身にとっては「ないよりマシ」程度に思ってたほうがよさそうな電車であります。

 あれはなんとかならんものか……。


 さて、幼い頃は浦安に東西線しかなかったのでよく乗りましたが、幼稚園児ながらも勝手に

「長い鉄橋を渡ると快速通過待ち駅がある法則」

なんてのを見つけて悦に入っていたものです。


 都心方面から東西線に乗ると、トンネルから地上に出て荒川中川橋りょう(私鉄単独では日本一長い鉄橋)を渡って、葛西駅があります。快速通過待ちがある駅です。
(西葛西駅はあとからできた)

 行徳駅を過ぎて第二江戸川橋りょうで江戸川を渡り、もしかして……と思っていると、同じように快速通過待ちがある原木中山駅があって、幼稚園児の自分は予想が当たって内心大喜びでした。


 ただ、以来30年近く「長い鉄橋+通過待ち駅(=連動駅・Wikipedia)」の組み合わせなんて何かの偶然だろうと思ってました。

 が、きのう、京葉線について考えているうちに


強 風 規 制 時 に 折 り 返 し 運 転 が で き る よ う に し て あ る ん じ ゃ な い か !


と、はたと気づきました。……30年間、どこに目玉をつけて鉄道マニアやってたんだか。。。


 荒川で風が吹けば、西船橋〜葛西で折り返し運転ができます。西船橋駅へ出られれば、総武線だって京成線だってあるわけです。

 江戸川で風が吹けば、原木中山駅で折り返し運転ができます。……といっても、西船橋駅は原木中山駅の次ですし、総武線の下総中山駅も徒歩圏なのでそこまでして輸送を確保する必要はないのかどうか、のちに折り返しができる設備は撤去したそうですが。
Wikipediaによると、国鉄のストライキが頻発して西船橋駅が機能しなくなっても原木中山始発ができるようにするための設備だった……とか??)


 ひるがえって、京葉線はどうでしょうか。

 蘇我方面へ折り返し運転ができるのは新木場駅だけです。

 よりによって、荒川の鉄橋があるのは新木場〜葛西臨海公園です。……荒川で強風が吹くと、京葉線には折り返し運転をできる駅がなくて電車が全線で止まるのです。

 せめて舞浜駅かそこらに折り返し設備があれば、旧江戸川・荒川・曙運河で強風が吹いても、西船橋・蘇我方面への輸送だけは確保できるのに。


 JRになって1〜3年後に開業した新木場・東京方面は、国鉄時代に開業した西船橋〜千葉みなとに比べてかなりスリムな印象があります。

 西船橋〜千葉みなとは、西船橋を出ると南船橋、新習志野、海浜幕張と連動駅が3駅も続いて、どの駅でも西船橋・東京方面へ折り返し運転ができます。

#海浜幕張駅の折り返し設備ができたのは1995年ですが、高架橋は開業時からあって線路を敷くだけでしたし、さらに、まだ何か作れるような準備工事の跡が南船橋駅などに見てとれます。

 新習志野に車庫があるから、という側面もあるにせよ、安定輸送の確保や運転系統を考えると、そんなに折り返し駅が要るのか、設備が過大気味じゃないのかという印象があります。(個人の印象です) 


 一方、JR開業区間の西船橋〜東京は、折り返し駅が新木場駅しかありません。……ゆえに、荒川で風が吹けば京葉線は全線が止まるという脆弱性を持っているわけで、国鉄開業区間の重厚長大なスペックをちょっとでも分けてほしいくらいです。

 折り返しの渡り線こそないものの連動駅が2駅ありますが、葛西臨海公園駅は荒川と旧江戸川の間にあって折り返し設備を作っても輸送の安定性にはあまり貢献しなさそうですし、新浦安駅で折り返したって、一大需要地が舞浜にあるのに何のための折り返し運転か、という話です。

 ……もちろんJR開業区間の仕様が、民営化後=開業1〜3年前なんていう間際に決まったとも思えず、どの駅にどんな設備を置くか決めたのは国鉄時代だったのでしょうが、国鉄が私鉄流の経営を目指したもののノウハウが不足していた時期の(負の)遺産のような気がします。


 たぶん、特急がビュンビュンかっ飛ばすのを最優先で考えて、そうすると各駅停車や快速電車が待避するのは葛西臨海公園と新浦安が最適だったんじゃないか、くらいしか思いつかないです。……そんな特急列車も、京葉線の最高速度は100km/hに押さえられたままですし、いまやアクアラインのおかげで特に内房線直通さざなみ号は風前の灯です。


 同じスリムにするのでも、営団地下鉄が風規制区間に隣接した葛西駅と原木中山駅にピンポイントで待避線+折り返し設備を置いて、残りは全部停留所にしたような思想はみじんもなさそうです……。

#そんな東西線も、行徳〜原木中山の車庫に出入りするための下妙典信号場が妙典駅になって、ここでも快速通過待ちをするようになってからは、原木中山駅の設備をもてあまし気味のように見えますけれども。


 運転規制が発生しうる場所を考慮して折り返し設備を置く、優等列車の待避などの機能もそこにまとめてスリムな設備にする、という点で、1988〜90年開業の京葉線をJRに引き継いだ国鉄は、1969年に東西線を開業させた営団地下鉄に比べて20年は遅れていた、というべきかもしれません。


 ついでにもう一つ書くなら、二俣新町駅のホームは何で京葉線の電車しか停まれないような場所に作ったのか……。京葉線の各駅停車って、もはや二俣新町駅のためだけに走っているようにしか見えないんだよな。。。

 個人的には、(たとえば二俣新町駅に南船橋方面の武蔵野線直通電車が停まれるようにしたと仮定して)武蔵野線直通電車を京葉線内各駅停車にすれば、京葉線って快速電車だけ走ってれば事足りて、その余力で西船橋発着の電車が増えれば喜ぶ人はきっと多いのではないかという気がするのです。(個人的な考えです)


 もともと貨物線として計画された路線を転用したから、旅客を運ぶのに適した形はしていない……のかどうかは知りませんが、立派な高架橋が延々と連なっているわりには活かしきれない設備をしているなー、と新浦安へ帰るたびに思います。
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昨日の記事について

 きのうの話、我ながら何をあほなことを考えているのかと思いながら書いてましたが、よくよく読み直してみると本当にばかだなと思いました。


 いかにも、

「いっぱいべんきょうをしてりっぱなかいしゃにはいれば、しあわせなじんせいがまっているんだ、とぱぱやままにいわれてやってきたのに、ぜんぜんそんなことないじゃないか」

とでも言いたそうじゃないですか。……ていうか、言ってるよタカハシ君。


 さっさと削除して穴があったら入りたいところですが、これはこれで、これだけ周りが見えなくなってるんだなー、という今の時期の記録のかわりに残しておくことにします。
author by よんなん
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働き始めたが貯金が減るようになった

 復職して、(業務内容はともかく)傷病手当金ではなく自分で働いて得たお金で暮らすようになりました。社会人として望ましいことです。

 ……が、通帳の残高は少しずつ減る一方。

 休職中は生活に困らないどころか貯金までできてたんだけどな。。。


 というのも、休職中に受け取ってきた傷病手当金の算出に使われる「標準報酬月額」には

・通勤定期代
・それまでの残業代

も含まれていたうえ、傷病手当金には所得税がかからなかったのです。


 復職してからは、通勤定期は現物貸与で現金収入にはなりませんし、残業をしないのだから残業代なんか出ませんし、給与所得には所得税もかかります。

 ……天引きで勤務先の株を買うのも自動的に再開されたので、手取りが減った分のいくらかは資産形成にまわっている計算ですが、現金の貯金は切り崩しながらの暮らしがしばらく続きそうです。


 もちろん、休職中の暮らしに困らなかったどころか元職に復職できて恵まれている立場です。

 世の中には職を失って路頭に迷う人もいるのに、自分なんか家など資産を手放さずともせいぜい冬のボーナスまでが当面の辛抱のしどころ……と理屈は分かっているものの、通帳に記帳するたび「働き始めたのに…」と釈然としないものです。


 なぜ夏のボーナスではなく冬のボーナスまでかというと、今夏のボーナスは昨年10月から今年の3月まで働いてない日があれば(当たり前ですが)日数に応じて減額されるので、今回は1月いっぱいまで休職していましたから単純計算して3分の1くらいしか出ないことになります。

#実はまるまる休んでも最低限いくらかは出る決まりで、休職中もいくらかもらっていたのとあんまり変わらない


 ほかにもため息をつきたくなる要素は山ほどあって、まず、働いていれば去年が昇進試験の受験資格がある年で、受かった同期諸君は4月1日付で昇進+昇給してさらに新たな手当も出るようになったはずなんですよね。

 休んだ分遅れるのは分かるのですが、タイミングの悪いことにこの4月から人事制度が大改正されて、自分が昇職試験(試験の名前も変わった)を受けられるのは1年遅れではなくなんと2年遅れ!

 まぁ、試験を受けたからといって受かるとは限らないので単純な比較は難しいものの、あの手当×2年分っていくらだよ……。安いクルマなら買えるよたぶん。


 おまけに4月の定期昇給も、惜しいことに前年度に2か月しか働いてないので今回はなし(のはず)です。
(1月に復職して3か月働いていれば所定の4分の1だけど上がりはした計算)

 ……昇給なし、って、たとえ月給1000円とか1500円でも会社を辞めるまで毎月の給料+ボーナス+退職金に影響するからな。。。この1か月を「ノーワーク・ノーペイ」で割り切るにはちょっと差が大きすぎたよな。。。


 そしてそういうことしか頭に思い浮かばないタイミングで届く固定資産税・都市計画税の納付書。……家を持っている以上払うことは分かってる税金ですからさっさと払ってきましたけども。


 何か少しでも手取りが増える展望があるかといえば、去年は税金がかかる収入がなかったので、住民税の所得割が6月から1年間課税されなくなる(はず)といったくらいでしょうか。

 それと強いて挙げれば、4〜6月に残業をしないなら標準報酬月額の定時決定に反映されますから、休職前に残業をしていた頃のままだった現在の額より社会保険料がほんの少し安くなる……かもしれません。(10月の給与天引から)

#余談ですけど標準報酬月額の「定時決定」は4〜6月の収入を元にするので「4〜6月は残業を控えて他の月で稼ぐのが得」と言う人がいますが、その後収入が大きく上下すると「随時決定」の対象になって標準報酬月額はその都度変わります。


 会社員たるものそんなシケたこと気にせずとも、仕事をがんばれば(時間で給料が出るうちは残業すればするほど来月の)給料は増える、という分かりやすいモチベーションみたいなものがあるわけですが、「このタイミングで仕事をがんばって再発させる人が多い」と指導を受けているうちはそれすら夢のまた夢です。


 もちろん、給料が変わらないなか目の前の現金収入を増やすのには、毎月定額で勤務先の株を買うのをやめる選択肢があります。……今の住まいを賃貸に出して自分は別の場所に住むのも一つの方法です。

 といっても現在のローン返済額+管理費・修繕積立金は賃貸住宅に住むよりかなりお値打ちで、賃貸収入を得ても自分が別に住む場所の家賃が当然かかりますし、引っ越しもそれなりに費用がかかることです。

 また、毎月定額(←重要)を積み立てて株で資産形成している場合、株価が安い時期に安易に積み立てを減らすべきではありません。……なにより、会社の持株会を通じている(=会社からいくらか補助が出る)ので、拠出を減らすことは会社からもらう補助も減らす=全体で見ると実は収入を減らしていることを意味します。


 先述の通り、満額支給を期待できる冬のボーナスまでが辛抱のしどころなのは分かっているので、貯金残高とにらめっこをしながら欲しい物は選んで買い、がまんするものはがまんしようと思います。

 なにより、休職中に作ってきた貯金も少しはあるうえ、仕事を失って路頭に迷うよりよほどマシなのです……んーむ、、、分かってはいるのだが、、、
author by よんなん
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【エネルギー】 短期の政策、中期の政策、長期の政策

 ニュースを見聞きしていて、「我が国の原子力発電所がすべて止まる日が来る」という話題がない日はないくらいです。

 個人的な考えとしては、(ほぼ友人の受け売りですが)中期的には現在の核分裂炉によるエネルギーには頼らざるを得ないものの、しかし長期的には核融合炉が実用化でき次第、核分裂炉は捨てて移行するべきだと思っています。


 とはいえ、じゃぁ一日でも早く原子力発電所を再稼動させないと! 地元では雇用が失われる! 路頭に迷う人が出る! 産業が国内からどんどん逃げ出してゆく!! と書きたてる新聞には、「次にあれだけの事故が起きたときどうするの?」という視点が抜けていると思います。

 まさに、事故が起こるその日まで「そもそも事故が起こる発電所なんか反対反対!」「いやいや事故なんか決して起きません、起こさせません」と(不毛な)やり取りをしてきた末の出来事だったのをもう忘れたのか、という気がします。


 当然、使われないに越したことはありませんが、最低でも

事故発生
 ↓
何のデータに基づいてどのエリアの人がどこへ避難するのか

くらいの段取りは用意しておかなければ、もし明日、事故が起きたとき再び行き当たりばったりの対応をすることになるのは目に見えています。

 また同心円状に逃げるんですか? 今回の事故での避難誘導が決して適切ではなかったことは明らかです。

 そのことに関してすら、まだ今回の事故の検証ができてないじゃないですか。


 現在の新潟県知事は経済産業省の官僚出身、と、経歴だけを見れば原子力発電に協力的であるようにも見えますが、県内の原子力発電所の再稼動に首を縦に振らないのは冷静な判断だと思います。


 本来であれば、総理大臣なり経済産業大臣なりが

・短期的(数年間)には節電をお願いするしかありません(期限を設けるから協力して下さい)
・中期的(50年間くらい)には核分裂炉をエネルギー源として頼らざるを得ません
  →世界的にもそうなので独・仏・韓のように我が国もシステムを海外へ売り込みます
・長期的(50年後くらいが目処)には核分裂炉を捨てて核融合炉へ

と、方針を示さなきゃいけないはずです。


 我が国の地形を考慮すると(=仮に過酷事故が起こり続ければ住む場所がなくなってしまう)直接的には核分裂炉へエネルギーを依存でき得なかったとしても、ドイツのように「国内では原子力発電所をやめるが海外へは売り込む」(相手国から代わりのエネルギー源を融通してもらうなりの取引もできる……かもしれない)、という選択肢も取りうるでしょう。


 ……が、宮城県や岩手県のがれき処理や、青森の雪を沖縄に運んで子どもに楽しんでもらうイベントが「放射能」の一言でぽしゃるような、我が国の現状では当分は無理だろうな。。。


 たぶん、ずるずると電力不足+エネルギー料金の高騰が続いて、原発再稼動の強硬論が増してきて、それで「なし崩し的に」再稼動を認める自治体が出てきて、事故もそんなに起こるものじゃないし、海外にもシステムとして売れるからナァナァに、ってなるんじゃないでしょうか。

 困るのは、確固とした先が見えない製造業を中心とした我が国の産業界でしょうね。……当然、我が国に進出してお金を落としてくれる海外企業なんかまれでしょう。
author by よんなん
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クルマのリース考

 群馬暮らしをしていた頃、マイカーはオリックス自動車のリース車でした。
いまのりくんというサービス)

 毎月19845円(≒2万円弱)で、税金やらオイル交換費用やら車検代やら全部入ってて楽でした。……多少のキズをつけても修理代10万円分までなら見逃してくれます。

 60か月(5年)契約のところ、24か月(2年)経つと違約金なしで返却できるのが、2〜3年おきに転勤がコロコロあるリスクを抱えるサラリーマンにとってポイントです。

#前回借りたときは、契約から1年半で新宿へ異動+高崎の寮からは追い出されるというハマリに遭ってしまい、残り半年以上の間、実家(浦安)でクルマの置き場に苦労しました。
(2年経たずに返すと、乗りもしない残り期間のリース料を払わなきゃいけない)


 自分で買っちゃって、要らなくなったら中古車として売れば? という考え方もあります。たぶんそれが一般的だと思います。

 が、前回乗ってたプレオは2年半借りてリース料59万5360円(≒60万円)だったところ、中古車買取会社へ電話してみたら「5〜25万円で買い取る」という話でした。

 仮に最高額で買ってくれたとしても、スバルのプレオバン(当時の国産車で一番安いクルマだった)といえども85万円であれこれオプションつけて新車で買えたんだろうか……という気がします。

 実際には、あれやこれやキズがついているだのなんだのと買取額が下がっても文句言えなさそうですし。
(しかもリース料には税金や車検代なども全部入っていた←貨物車は新車でも2年で車検)


 購入場面ではメーカー(orディーラー)との価格交渉力、売却場面では中古車オークションへの出品ノウハウを持っているオリックスに任せちゃったほうが、いくらかオリックスを儲けさせたとしても、こちらにはお釣りが来るんではないかという考えでした。


 さて、次に「クルマがあったほうが生活が便利な地域」へ異動があったらどうしようかなぁ、と、つらつら考えています。

 前回はなかったサービスは「中古車リース」。新車リースより納車が早くてリース料も安めなのがポイントです。


 まず参入したのが「ニコリース」。ニコニコレンタカーの会社です。

 リース料は1日500円(≒月額15000円程度)〜、1か月単位でいつでも契約解除可能(急な転勤でクルマが不要になってもすぐ返せる)、と、一瞬は魅力的に見えるのですが、

・初期費用53000円(返ってこない)
・キズをつけた場合の負担なしは修理代5万円まで
・車検代(工賃)は自分持ち

等々の違いがあり、月額のリース料ほどのメリットはないのでは? という気分になります。


 と思ってたら、オリックスも中古車リースを始めたようです……が、値段は安いランクのクルマを新車で借りるのと大差ないようです。それに、「いまのりくん」のように2年経ったら返せるような仕組みでもなさそうです。


 それとも、何年か乗ったら捨ててもいいような値段で売ってる中古車を探そうかなぁ。

 軽自動車でマニュアル車、4WD、パワーウインドウ(←運転席以外の窓を開けてくれる同乗者がいないから)、FMラジオ、ABS、エアバッグつきなら、あとはガソリンを入れて走ってくれさえすればよいのです。ハッキリ言って。
author by よんなん
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大学には行った方がいいか

 きょう久しぶりに会った方から、

知り合いの知り合いの知り合いが「大学へ行きたくない」と言い出して、専門学校出身の俺は、大学くらいは「親」というスポンサーがいるうちに出といたほうがいいと思うんだけど、大学を出てるタカハシさんはどう思います?

と聞かれました。

 また聞きのまた聞きなので詳しいことはよく分からないものの、高校2年生で、音楽をやりたいとかどうとか。


 音楽といってもどんな音楽をやりたいかによりますが、メシの種にするのが難しいジャンルであれば、まずは安定した収入を得る=安定した職に就くこと=最低限でも正社員の立場を得ることが最優先だと思います。

 東大へ行けちゃうほどの学力がある、だとか、世の中を変える仕事がしたい、学者になりたい、などの夢でもあれば別ですが、収入はきちんと確保しつつ趣味に生きたい、ということなら、いま通っている高校は出るとしても、大学は行っても行かなくてもいいんじゃないか、という気がします。

 この時代、学歴よりは資格と職歴のほうがモノを言うんじゃないか、というのが33歳にして社会人8年目、肩書きはヒラの自分の考えです。


 一昔前なら、「貧乏な思いをしない人生を送る手っ取り早い方法は、大学を出て会社で出世すること」だったかもしれません。

 でもそれは、結婚したら片方が専業主婦(まれに主夫)になって一家の大黒柱が家族を養うのが当たり前だった時代の価値観だと思います。

 きょうび、結婚しても夫婦が正社員で共働きなら、あるいは独身の正社員であれば、必ずしも出世を目指さなくても世帯収入はある程度豊かな暮らしをするのに充分な水準で得られるはずです。


 いまどき正社員をめざすのに大卒である必要はありません。

 むしろ大学を出ても、世に言う「ブラック企業」に職を得てしまう人や、職にも就けない人だって大勢いるわけで、学歴と生活の豊かさや安定度が比例するわけではなさそうです。

 そりゃぁタカハシさんは**社に本社採用で勤めているから「負け組」の気持ちなんか分かるはずがない……という向きもあろうかと思いますが、仮に今回のケースで「勝ち組」「負け組」の線引きをするなら、残業がそれほど多くない会社を探して正社員になれれば、充分「勝ち組」といえるのではないでしょうか。


 正社員になろうにも新卒で入れなかったらおしまいだ……というのも過去の話で、私の勤務先を例に出せば、年々、採用人数に占める社会人枠の比率は大きくなっているので、なにがしかの社会人経験を経てチャレンジすることも充分可能です。

 再チャレンジを目指す近道は、大学へ行くことより、社会人経験を積みながら技術系の資格(←重要)を多く取っておくことだと思います。


 そんなわけで、本人が大学へ行きたがらないのならまずは就職を目指すのが本人も家族も幸せなのでは? という考えを持っています。

#新卒時点で正社員にも契約社員にも派遣社員にもなりたくない、というのは料理人なり職人なりの道へ弟子入りするのでもない限り却下


 なにより、大学は後から行くこともできるのです。……実際、社会人経験がある学生のほうが意欲も高い傾向にあるようです。

 また、奨学金を借りて就職後に返している人は周囲に何人もいますし、通信や夜間の大学だってありますし、自分自身がスポンサーとなって大学へ行く方法もさほど珍しくはありません。

#ほかにも、大学へ行かせてくれる会社を探して就職する、などの方法もあります。

 ……って、それは親のスネをかじって修士号まで取らせてもらった自分が言えた口ではないのですけれども。
author by よんなん
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地元の稲門会に入ることになった

DSC01756.jpg きのう日色君から千葉稲門祭に誘われて、そのまま船橋稲門会に入ることになりました。

 地元の稲門会はそのうち入ろうと思ってましたから、それはよいです。

 が、聞けば、若手がほとんどいなくて、自分や日色君が最若手みたいじゃないですか。


 最若手ということは、いろいろ事務局的なことをやらなきゃいけないということです。


 まぁ、出身大学はOBの数の多さも国内有数ですし、いろいろ携わる過程で会社の外にそれなりの知り合いを増やす機会を持てるのは利点の一つです。


 それに、日色君が市議のかたわら青年会議所やこうした稲門会の用件も一人でこなすのを見て、ともに船橋に住む大学時代からの知人+支持者として、自分にもできることくらいは分担しないと男がすたるというものです。(いいのかそこまで言い切っちゃって)

 青年会議所はさすがに敷居が高い(月会費1万円+諸活動あり)ですが、地元の稲門会くらいは。


 とはいえ、何年もやっているわけにはいかないのも事実です。

 当面はともかく、長い目で見れば引越を伴う転勤はまたいずれあるでしょうし、仮に転勤がなくても仕事はそれなりに忙しくなることでしょう。たぶん。


 私が最若手を脱するには、誰か次を探さないといけないわけで、さてこれはどうしたものかなぁ、と今から考えています。
author by よんなん
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稲門鉄研・(現役)早大鉄研の懇親会

 私が提案しておきながら、まったく調整もしないままだったのが、先輩方の尽力により開催の運びになりました。

 来年、早大鉄研が創立60周年を迎えるに当たり、OBOG会である稲門鉄研を中心に記念事業が進んでいます。

 ……慶大鉄研のOB会「鉄研三田会」は活動が活発で、「鉄研三田会○○周年」で記念の団体列車を走らせたりしていますが、稲門鉄研はまだそこまでの組織ではありません。

 大学の校友会にも登録してませんし。


 私が知っているだけで(=21世紀に入ってから)過去2回、稲門鉄研の事務局が機能不全に陥っており(事務負担が特定の人に集中しすぎた)、残念ながらあまり褒められたOB会組織ではありません。

 伝え聞くところによると、現在は早大鉄研の代の引継のとき「稲門とは極力関わらないように」という、私が幹事長の頃にはなかった引継事項があるのだとか。。orz


 今夏、若手OBと現役会員の間でちょっとした(と言い切れるほど決して小さくはない)すれ違いが起こりましたが、振り返ると「情報や認識を共有してこなかったことによる誤解の積み重ねが生んだ不幸な結果」だと思っています。

 稲門と関わってこなかったからか、現役の執行部は10年前の50周年事業についてあまり知ることもなかったようで、あらぬ誤解がありました。

 じゃぁ現役諸君が悪いのかといえば、あんな引継事項ができたということは、過去に稲門鉄研も何かやらかしたのでしょう。(何があったかは知る立場にありませんが)


 短期的視点で来年の60周年記念事業のことだけを考えれば、あれこれやりたいOBと、あんまり余計なことに巻き込まれたくない学生諸君、という現実を前にいまごろ接触を試みるのは無駄に見えるかもしれません。

 それに、残念ながら稲門鉄研は、10年おきの周年事業でしか活動が活発化しない、情けない歴史を繰り返してきました。


 ただ、「ポスト60周年」の再来年以降どうなるやら分かりませんが、70周年を前にまたアタフタするのでなく、せめてそれまでの間、早大鉄研の公式コンパには年何度か稲門鉄研の執行部が呼ばれるくらいの関係は恒常的に持っておいたほうがいいんじゃないか、とは思うのです。。。
author by よんなん
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3.11から何も学んでいない

 台風15号が来ました。

 といっても、休職中の身ですから、こんな日は外出を控えるに限ります。


 本当は、夕方以降になって直撃となる前に床屋で髪を切ってくるか……と思っていたら、午後1時ごろになると雨の量がとんでもないことになってきて、あきらめました。


 朝の時点でYahoo!天気予報を見ると、18時の時雨量が「25ミリ」などと信じられない数字になっている一方、21時には1ケタに収まるようです。

 きょう出勤する人は、定時に帰らないで21時ごろまで会社に篭城しているのが勝ち組だろうなぁ、程度のことは、こんな自分でも分かります。


 が、報道によると、15時を過ぎて業務を切り上げて従業員を帰宅させる企業が次々と出たようです。

 17時ごろには風雨も強まって、首都圏の大半の鉄道が運転見合わせです。

 ニュース速報を見ると、渋谷駅前など、バスを待つ人たちがほんの半年前に見たような光景を再び繰り広げているじゃないですか。(日刊スポーツ

 3.11の帰宅困難から何を学んだのでしょうか。


 ましてや、地震の事前予知といえば緊急地震速報が関の山なのと違い、相手は天気です。21時にはある程度まで回復することは分かっているのに。

 東京都副知事、猪瀬直樹氏の考え方は個人的に好きではないのですが、たまにまともなことを言う方で、

台風はスピードを上げて関東地方を通過中。運休の路線が多いのは強風のため。無理に帰宅せず、しばらく残業を。たまっている仕事を片づけるころには動き出すでしょう。繰り返しますが大江戸線は大丈夫。(Twitter

最後の一言は余計ですが(笑)、まったくその通りです。
(実は、都電荒川線が通常運行していた、という話にもびっくり)

 というようなことを、窓の外でとてつもない轟音が響くのを久しぶりに聞きながら、思いました。


 ……マンションは一戸建てと違って雨戸がないので、何かが飛んでくれば一発で窓ガラスを突き破られてしまうこと確実で、かなりgkbrしてましたよ。。。
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その気になれば

DSC00718.jpg 一昨年の11月、泊まり勤務から日勤職に異動して失ったものは「泊まり勤務明け」と「平日休み」でした。

 それまでのおよそ4年間「明け」と「平日休み」がある勤務に生活が慣れてしまい、カレンダー通りの日勤職では、仕事が終われば外はもう真っ暗だわ、週末はもとより連休に至ってはどこへ行っても混んでいるわ、パック旅行は連休料金を取られるわ、すっかり調子が狂ってしまいました。

 役所も銀行も行けませんし、昼しか営業していない店へ行くには週末を当てるしかありません。(泊まり勤務の頃は勤務が終わってからでも行けた)

 泊まり勤務の頃、何かの拍子に泊まり勤務明け+2〜3連休が入ったりすると、カレンダーとは無関係の休みなので、全国どこへ行ってもすいていましたし、有給休暇をつけ足して海外へ行けば航空料金は安いし、いいことばっかりだったんですが。

 とりあえず、独身でいるうちはそうです。


 今回、「青春18きっぷ」3日分を使った旅行でしたが、おとといの岡山から引き返すと、同じく大阪23:50発の「青春中央エコドリーム24号」をつかまえることができます。(昨日と同じく大阪駅で12分しか待ち時間がないんですが)

 夜行バスを活用して京都・大阪起点なら、普通列車を使った旅行でも2日あれば四国を軽く一周できるわけです。案外遠くへ行けるものだなぁと思いました。


 泊まり勤務だった4年間、土日の用事に有給休暇を使うことがあった(←ここが世間とは違う点)ように、逆にこれまで所定の休みで出かけていたところを、たとえば水・木に有給休暇を取得して、火曜の夜行バスで出発すれば、丸々2日間を楽しんだ上で金曜の朝には新宿の職場へ出勤できるのです。

 金曜日の仕事は夜行バス明けでつらいかもしれませんが、すぐ土曜と日曜が来ます。

#意外にも今回の旅行で疲れが出たのは帰宅当日ではなく2〜3日後だった


 今回の旅行は、復職後の、個人的なリフレッシュ方法を見いだすきっかけになったような気がします。


 それはそうと、「青春中央エコドリーム24号」は途中の谷保駅(南武線)は30分ほど早着していたものの、新宿駅には若干遅れて9時ごろに着きました。

 新宿の職場は4月からフレックスタイム制になったので10時までに出勤すればよく、もしこのまま出勤するのでも時間的な余裕はあります。……心配なら谷保駅などで降りて電車で新宿へ向かう方法もあります。


 今日のところは休職中の身なので、新宿御苑前のジョナサンで朝ごはんをゆっくり食べながら、地下鉄の時差回数券が使える10時になるのを待って帰りました。
author by よんなん
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