15年ぶり(くらい)の三厩駅
2009.07.09 Thursday | よんなん的旅行
津軽線に乗ったのは、乗りつぶしをしていた頃の(確か)高校1年の冬のはずで、15年ぶりということになります。大湊線とか、津軽線といった、下北半島や津軽半島を走る路線の車窓は、本州でありながら北海道に近いものがあるので、個人的に好きです。
逆に北海道へ渡ってしまうと、このあたりのような雰囲気は帯広や旭川よりも先へ行かないとないような気がします。
……要は「さいはて」といえそうな場所ですね。
駅を出て周辺を歩いていても、北海道の農村にありそうな、粗末な小屋などがぽつぽつ目に入ります。
住宅メーカー製の家がこのあたりへ流入してきたのはきっと最近のことで、それまでは、家専門の大工さんや棟梁もあんまりいなかったんじゃないかなぁと推測します。(船大工などが家の建築も兼業……みたいな)
おや、あの鉄筋4階建てのアパートは、もしや青函トンネル建設時に、工事の人が住むのに建てられたんだろうか……? と思いつつ近づくと、自衛隊の官舎でした。。。
#北海道だと、国鉄ローカル線建設に従事する人のために建てられた鉄筋アパートが、今も山村留学の子が住む家などに使われていたりする…んですよ。
さて、三厩といえば私の勤務先もこの地区に事業所を持っていて、実は入社前にこのエリアへの配属を希望したら本社の人に「それはどこですか?」と聞かれて憤慨したものでした。
三厩駅で降りると駅員さんがキップを集めていて、やけに帽子の“金筋”が多いなぁと思ったら、名札には
「三厩駅 駅長」
と書いてあってびっくりです。
てっきり、青森駅か蟹田駅あたりの社員が日替わりか何かで担当しているのかと思いきや、1日5本しか来ない駅でもちゃんと駅長(と、部下の駅員)が配置されているんですね。。
構内は1番線と2番線があって、1番線のレールはすっかり錆びていて使われていないようですが使用停止にはなっていないらしく、ちゃーんと1番線の出発信号機には赤信号が煌々と点いていたのも印象的でした。……1番線をさっさとはがしてしまえば、三厩駅は早々に無人化できそうなものなのに、きっと事情があるんでしょう。
折り返し列車の出発時刻になると、岩泉線の茂市駅同様、先ほどの駅長さんが出てきて車掌さんの目の前で緑の旗を振って列車を発車させていました。。。
津軽線は北海道の炭鉱路線じゃありませんが、まるで映画「鉄道員」の世界……と言っては言いすぎですかね?
こういう場所にも、来年の冬には新青森駅まで新幹線で来れるようになります。
久慈から八戸へJR八戸線で移動して、八戸から蟹田へは「スーパー白鳥」に乗りました。
以前、
その久慈駅には『鉄道むすめ』のコミックス発売記念、とかでスタンプが置いてありました。
岩泉線に乗りました。
手すりは片方にしかないし、傾いているし、増水したらあっという間に流されてしまいそうですが、対岸に渡って道路に出ると「←押角駅」と看板があったので、どうやらこの橋と線路脇のけもの道が、公式に「押角駅前通り」のようです。
水郡線からキハ110が転属してきてこのあたりもワンマン運行が始まったかと思い込んでいましたが、岩泉線も山田線も2両編成はもちろん単行でも車掌が乗務しており、おまけに無人化されただろうと思っていた茂市駅では、駅員が懐中時計を見つめながら緑の旗を振る合図をして車掌が発車させているじゃありませんか。
横手駅で北上線に乗り継ぎます。
昨晩泊まったホテルは7時から無料サービスの朝食があるそうでしたが、7:08発の列車に乗るので6時半ごろチェックアウトしました。
今月の勤務が発表されたのを見たら、7日が泊まり勤務明け、8・9・10日が3連休でした。
それと、車内販売のカタログに「生ビール ¥500〜 ※山形新幹線の一部列車にて販売しております」というのを見て、「一部列車」ってE3系のことだよね? よね? と意気揚々と車内販売のおねーさんを呼び止めたものの、この列車は缶ビールしか扱っていない由でした。。。orz
京都からの帰りに利用したのが、前橋に本社がある日本中央バスの夜行「シルクライナー」。
一方、日本中央はタクシーもやっている(というか、もともとタクシー会社)ので、頼んでおくと降車側停留所では早朝でもタクシーを確保して待っていてくれるんですね。
「スルッとKANSAI2daysチケット」の残り1日分は、京阪電車を乗り歩いて使いました。
私が早大鉄研の幹事長だった年に慶大鉄研の代表だった方が在阪の同業他社にお勤めなので、久々にお会いすることにしました。
このあと京橋の「餃子の王将」で食事をして、帰り際に「ぜひ昼も通り抜けてみてくださいよ」と言われ、翌日の午後にもう一度通ってみました。