食らえ!福島の野菜祭 〜風評被害に負けないで〜

IMGP2566.jpg 表題の会に招かれて京成線沿線の都内某所へ行ってきました。

 会場は、私の勤務先と同業のM社の方の社宅!(写真の左から2棟目)

 築20年ほどで、家賃をうかがったら私の勤務先の社宅の家賃と比べておおむね築年数に反比例するようなイメージです。

 アンティークな社宅がほとんどを占める私の勤務先とは違って、築20年台でもM社さんでは古いほうの部類に入るのかどうか、勤務先の社宅では標準的な設備のことを話したら、「バランスガマ……?」という反応でしたよ!

 ……って、自分もバランス釜を(見たことはあるけど)実際に使ったことはないんですが。


 そんなM社さんですが、社宅はマイホームを購入するまでの一時的な住まい、という位置づけで積極的に増やしているわけではなさそうで、入居も順番待ちなら住み続けられる期間にも限りがあるのだそうです。

 ……まぁ、引越しが必要な転勤が考えられない会社だから、社員が「家を買うと転勤」という都市伝説にガクブルせず安心してマイホームが買える、というあたりも、私の勤務先とは違いますね。


 さて、表題の会、きのう自分も買い物へ行って野菜売り場を見てみたら、そもそも福島産の野菜が並んでいなくて、主催者夫妻はいったいどうやって入手するのだろう……と思っていたら、やはり入手できなかったとか。

 そんなわけで趣旨はすっかり変わって、ただ昼からぐだぐだ飲み続けるという会に。
(いちおう、茨城県産の食材を中心に揃えたそうですが)


 21時ごろにおいとまするまで、9時間くらいやってました。

 家に帰り、22時過ぎに床に就いてからは3時間くらい悶絶して4回くらい吐きました……。

 これは絶対に食材のせいじゃない、飲みすぎのせいだ、と自分に言い聞かせるのに必死でしたが、特に確たる根拠はありません……。。。

 ただ、吐くほど飲んだのは、12月以降ホームパーティー的なことを主催・お呼ばれ合わせて4回やって、2回目です。


 飲み屋と違って時間制限がないので、飲みすぎには気をつけないといけませんね……。
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実家周辺の現在

IMGP2539.jpg いまや立派な被災地として報道されている浦安市内にかかりつけの心療内科があり、きょうはもともと診察日だったので行ってきました。

 液状化の原理は、カップに米や豆を入れた後、カップをトントンと叩いてやると全体のカサが減る(米や豆が沈んで空気が浮き出る)のと同じで、砂でできた土地を地震が揺らすと、砂が沈んで水が浮き出るんですね。

#浦安の埋立地は、遠浅の海の砂を掘り起こして埋め立てたものです。

 マンションや鉄道の高架橋のような大規模構造物は、その砂の下にある岩盤まで基礎を打って建てているので、写真の新浦安駅ビルように地面が沈んでも建物はそのままで段差ができています。

IMGP2551.jpg 一方、戸建て住宅は岩盤に届くような深い基礎を打たないので、明暗が分かれました。

 幸い、実家は現在のところ素人の見た目や、DIY工具の水平器で分かるレベルの傾きは出ておらず、家族はそのまま暮らしています。
(詳細は専門家の診断を受ける必要があると思いますが)

 建築工学には詳しくないのですが、実家を建てた父親が「基礎は6メートルまで打った」「費用は100万円くらい」と言っている話を合わせると、どうやら「柱状改良杭工法」という方法がとられた様子です。

 岩盤まで届かなくても、直径50cmくらいの穴をおよそ2メートルおきに何本も掘ってセメントを流し込んで固めて杭状にしておくと、地震で揺らしても杭との摩擦で砂が動かない、という理屈です。

 写真は実家の近所で、もはやどれがまっすぐでどれが傾いているのか分かりませんが、真ん中の三角屋根のお宅で、建物の右側が沈んで左側が浮いています。

 実家周辺は30年ほど前に旧財閥系の大手不動産業者が開発した建売住宅団地で、歩いて見た範囲では傾いているのはその後に建て替えられた家が目立つ印象でした。

 建て替えたところはおおむね、庭をなくして建物を広くしていますから、元あった家の下には杭があっても、庭や犬走りだった部分に(お金をかけて)杭を打たなかったお宅は、そこが泥と化して沈んで傾いてしまったのでしょう。(推測)

 もちろん、建て替えてもまっすぐ残って(?)いる家もあります。そういうお宅は、地面にもお金をかけたのでしょう。

……ということで、合ってますでしょうか? >建築方面の方


 傾いた家は、ジャッキアップして元に戻すとか。

 杭を打つのにお金をかけるか、傾いてもお金をかければ元に戻るなら何十年〜何百年に1回あるか分からない頻度の液状化が起こればそれはそのときと考えるか、判断は人それぞれかと思いますけれども。


IMGP2545.jpg さて、道路に杭をバカスカ打ってしまっては水道管やガス管を簡単に埋設できませんから、今回は見事に液状化して上下水道・都市ガスの供給に支障が出てしまいました。

 あちこちで地面を掘り返してガス・水道の復旧工事をしていて、液状化で吹き出た泥を片付けた後の砂埃と合わせて、市内全体が埃だらけです。

 車が走れば目に見える量の埃が舞い、バスも高級車も泥だらけで走っている光景なんて、ずいぶん久しぶりに見た気がします。

 たぶん、4年ほど前に行ったギリシャの街並み以来じゃなかろうか……。


 きょう、花粉が積もるほど飛散してニュースになりましたけど、「花粉が積もったのが見える」なんて、日本の町はどれだけきれいなのかということです。


 話をライフラインに戻すと、電柱は傾きつつも、震災直後でもどうにか電気だけは通じていました。……きょうの時点で、実家では下水道と都市ガスが復旧していて、かなり状況は改善されたようです。


 それまで計画停電が実施されたわが新居とは逆に、ガスが復旧するまで“オール電化生活”を余儀なくされたという話で、リビングの食卓には所狭しとホットプレートや卓上IH調理器が鎮座していました。

#2011/3/25追記:3月25日に上水道も復旧しました。


IMGP2544.jpg 水道というのは、上水道よりも下水道のほうが重要ですね。

 上水道は、止まっても水を買ってくるなり給水車から汲んでくればよいものの、下水道は庭に撒いて捨てる以外にありません。……それも 庭 が あ れ ば できることです。

 マンション住まいの私の主治医の先生のお宅も診療所もまだ復旧しないようで「下水道が復旧したんですか、それはうらやましい限りです、だいぶ違いますね」というお話です。


 写真は、新浦安駅近くのマンションの中庭にあった仮設トイレ。

 下水道が通じない限り、用を足しにここまで来なきゃなわけです。


 ……家の建物には目に見える被害もなく、物が倒れたり落ちたりということもなく、家族にはケガもなく、本当に何よりではありましたが、このレベルでも実態として両親は少々疲れて参っている様子ではありました。

 家が傾いて疎開をされている方や、東北地方でもっと過酷な避難所暮らしをされている方々は、なおのことだと思います。


 浦安市内では、市立小中学校の建物は現在避難所として開放しておらず、避難所に指定されている公民館は(埋立地ではない)元町地区の2つだけ(3月24日現在)で、家に住めなくなった人たちの大半は自発的に知り合いや家族の単身赴任先を頼るなどして疎開暮らしをしているようです。


参考:浦安市公式サイト内「市内の被害状況
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大人の社会科見学 船橋市議会

IMGP2502.jpg 自宅警備ばかりしていても仕方がないので、市議会の傍聴へ行くことにしました。

 知人でもある日色健人議員は10日の本会議で質問予定、とのことでしたが、あいにく先約ありで、「そしたら予算委員会が一問一答形式で面白いかも」というアドバイスで今日から始まった予算特別委員会へ。

 本会議は録画中継で見るとおり、議員が半ば演説のように延々と質問をして、それから答弁、というスタイルですが、予算委員会は質問→答弁→質問→答弁という丁々発止のやりとり(のはず)です。

 本会議の傍聴はいつ行っても入れるんですが、予算特別委員会の傍聴は開会時と休憩時しか出入りできないそうです。

 今日は10時の開会で、昼ごはんを食べてゆっくり家を出たら13時の午後の開会に間に合わず、13:40ごろに受付。事務局の職員の方に次の休憩までお待ちください、と案内されて待ちます。

 実際に入れたのは14:50で、事務局の方も「普段ですと1時間ほどで休憩なのですが…」とおっしゃっていましたが、配布された「審査順序」に記されていた「順序1」の「総務費」に災害対策費が含まれていて、折も折で質問が多く出たようです。


 14:50の再開後は「審査順序」の「順序2」で「労働費、農林水産業費、商工費、消防費、中央卸売市場事業会計」。

 委員は好き勝手に発言できるわけではなく、委員長が指名した会派の順序にしたがって、各会派を代表する委員が会派人数に応じて割り振られた順序1〜7の総持ち時間を適宜使って発言します。

 たとえば民主党は3人しかいないので総持ち時間は31分で、委員長が「民主党の発言を許します」と言っても「民主党は順序5、6、7、に質問時間を使いたいので、順序2、3、4では質問を致しません」という旨を発言したり。

 そういう観点では、公明党(84分)や共産党(69分)はじっくり質問ができます。

 ただ、残念ながら質問の中身は、それって予算委員会で聞くこと? 普段の政務調査で分かるんじゃない? という話が多かったのが残念でした。

 たとえば、とある会派のとある委員の質問は……

問「船橋市内の畜産農家は何軒か?」
答「16軒。うち14軒が酪農、2軒は畜鶏」
問「撤退が起きる理由は?」
答「ニオイが原因」

そんなの、議員バッジをつけて市役所4階の農水産課へ行けば教えてくれるでしょうに。


 そういう観点では、共産党の石川委員は、イエスかノーか、やるかやらないのか、その点について市長はどうお考えですか、という質問のしかたで、その回答を議事録に引き出す(←重要)という手法は、さすが8期目のベテランだけあると感心しました。

 全体的にはそういう質問をできる議員が少なく、傍聴者を6人に限定して、おまけに会議中の出入りを禁じてまで静粛性を確保するべき委員会には思えなかったのは残念です。

#委員や、議員傍聴人、市役所の担当者は出入りできる

 本会議は、行けばいつでも入れますし、生中継・録画中継もしている一方で、委員会は議事録が文字で公開されるのみであるばかりか、傍聴者による撮影・録音も許可なくすることは禁止で、傍聴中にtwitterでつぶやいただけで新聞記事になって当人が陳謝する世界です。
議員がツイッター中継 船橋市議会 2010/3/24千葉日報ウェブ)
船橋市議・日色健人氏による船橋市議会の予算特別委員会ツイッター実況まとめ


 公開性の点のほかに、効率性の点でもどうかと思う部分がありました。


 国会の予算委員会なら、総理やその他の大臣の叩けば出るようなホコリをバンバンたたく舞台ですが、市長や副市長に、そんな話題性のあるスキャンダルがそうそうあるはずもなく、文字通りの予算を審議する会議になります。

 質問を受けて立つ市当局側は、市長、副市長、そのほか担当部局の職員がおよそ30人。

 ある程度テーマを分けて質疑が行われるとはいえ、大半の時間は、彼ら個々の所管には関係のない質疑です。総勢14人で来ていたヒマ……もとい熱心な消防局の職員をはじめ、これだけの職員を長時間拘束してやるような会議か、というのは考える必要がありそうです。


 どうでもいい質問をする議員の質問に答えるのに職員を待機させるのもばかばかしいですし、逆に、本格的な質問をする議員は事前に質問通告をする(そうでないと、担当者がいきなり聞かれても答えられず議論が進まない)ので、それはそれで事前に用意した質問と答えを台本のように読み上げ、それをまた議会事務局が議事録として文字に起こす二度手間で、およそ21世紀の時代にはそぐわないと思います。


 個人的には

1)9つもある会派を再編→3〜4つくらいの大会派にして、公明党や共産党のようなまとまった質問時間を確保する→ある程度の規模の会派内で政策勉強をして質問を練る
2)事前に質問通告をしたものは文書で回答して、それを正式な議事録とする
3)質問に対する回答は「宿題」があってもよいことにする(複数日開催にする)

が、さしあたってパッと思いつく、ヒョーロンカ的な改善案でしょうか。


 会派再編なんて、口で言うほど簡単じゃないのに。

 制限時間がある口頭での質問と回答を経ないで、文書でのやり取りを正式な議事録にしたら、「質問主意書」状態になってそれを濫用する議員も出るだろうし……。

 事前の質問通告は国会でも同じで、そんなものないほうが国会中継は面白いんですけれども、じゃぁ議会がいつも「朝まで生テレビ」状態でいいのか、というとそれはそれでもろ手を挙げて賛成するには微妙な話です。
author by よんなん
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地震六日目 自宅警備は続く

 本当なら、リハビリを兼ねて図書館通いを今週から本格的に始めるはずだったんですが、その矢先の大地震でした。


 なにその小学生みたいな「今やるつもりだったのに」的言い訳。


 きのうあたりから、簿記2級の勉強を再開しようと問題集とテキストを広げたんですけど、問題は何を問うているのか理解できず、テキストの解説も日本語が読めない体たらくで(←本当に!)、どうしようもありません。

 何もしないよりは、と、問題集の答えを見ながら、事実上の「書き取り練習」を2問だけ。

 特にきょうは寒い上に風も強くて、外出をする気にもなりません。


 マイミクさんのつぶやきに「ニュースを見続けないこと」という、災害時のストレス対処法があり、ニュースも消したら、あとはtwitterに向かうネット住民しかすることがありません。


 百歩譲って何かしらポジティブに考えるとすれば、夕方、浦安の実家から家族が風呂と洗濯機を使いにやってきたので、あぁ、自宅警備をしていた甲斐があったのかな、と思える程度でしょうか。
author by よんなん
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地震三日目 実は千葉県も被災地

IMGP2494.jpg きのうの朝刊では休みだった地域面が、きょうの朝刊に掲載されました。

浦安の医院 泥に埋まる
 東京湾を埋め立てて造成された浦安市の中町、新町地区では、地面の液状化による被害が相次いだ。
 同市美浜の産婦人科医院では、泥水が入り口のガラスを割って流れ込み、1階診療室の医療機器などは厚さ20センチ以上の泥で埋まった。女性看護師(57)は「患者さんを連れて外に逃げることで精いっぱい。機器を2階に上げる余裕もなかった」。

 ありゃ、実家のすぐ近くの産婦人科院じゃないですか。

 もしかして、実家も??

 きのう母親からの電話を「あーはいはい」と聞き流して切ってしまいましたが、泥をかき出しに帰らなくてはいけないのでは??

 それに、実家の診療所は、更新時期が来ている機器をどうにかこうにか使い続けて診療を続けているはずで、この産婦人科院と同じような被害なら跡継ぎを確保して機器を更新するか診療所をたたむか、という話に直結してしまいます。

 話題に触れなかったのは、心配させないためだったのでは?


 ……5分くらい思案して、googleマップのストリートビューで産婦人科院を見てみました。

 やっぱり。

 この産婦人科院だけ、あの界隈で(なぜか)地面を掘る形で「半地下」にあたるような場所に1階があります。

 地面が液状化すれば、泥が流れ込んでくるのは当たり前です。


 あの界隈は、道路・歩道から階段を数段上がるようにして玄関がある診療所や薬局がほとんどで、実家もそうです。

 幼い頃から、どうしてそういう構造なのかずっと不思議でしたが、やっと分かりました。

 「建物は、専門家の人に診てもらうまで分からないが、さしあたって被害はない」という母親の言葉を信じることにします。
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地震二日目 生活基盤の二重系

IMGP2467.jpg 夕方から飲み会の約束(@末広町)がありましたが、電車は一部区間で運転が始まったものの、運行本数は少なめで「通常通り」ではありません。

 東京メトロの運行情報を見ていると、銀座線に

【運転見合わせ】
8時38分頃、上野駅で混雑のため、全線で運転を見合わせています。

という表示が出た時間もありました。……電車が走り始めたからといって出かけると、こんどは「混雑」の一員となって電車を止めるのに加担してしまうわけです。

 それに、大きな余震があったりすれば、県境(というか、江戸川)を越える自分は帰宅困難者(しかも酔っ払い)になってしまいます。……だいいち、気の置けない友人どうしといえど、楽しく飲める気分でもありません。


 電車に乗るような外出は控えることにして欠席する旨のメールを送り、17時ごろ、ひとまず生鮮品を買い出しに地震後はじめて家を出ました。

#すぐに返事があって、飲み会を中止するメールのあて先から自分が漏れてたんだって! ……やっぱりみんな冷静ではなかったということですね。

 地震後、電気・ガス・水道も止まることなく、マンションの大規模修繕工事に至っては当日中に工事を再開するほど、特に大きな被害がなかった新居界隈でしたが、1か所だけ外壁のタイルが剥がれ落ちた建物がありました。(写真で布カバーがしてある部分)


 まず現金を引き出しに立ち寄ったセブンイレブンでは、弁当が全部品切れ。

 隣の「ジェーソン」というディスカウントストアでは、品薄ではあったものの、オレンジジュース(1000ml96円)を無事入手。

 次いで寄った「ローソンストア100」「ジャパンミート」「ちばコープ」も、同様に野菜ジュースなどを無事に入手できました。

 ジャパンミートだけは「品薄」の「し」の字も感じさせず、すごいです。


 驚いたのは、近所のガソリンスタンドが2軒とも店を閉じていることでした。

 設備が損傷したのか、品切れなのかは分かりません。


 新居は、暖房を3種類用意してありまして、

・エアコン
・ガスストーブ(乾電池着火)
・石油ストーブ(乾電池着火)

一応、電気が止まってもガスストーブ、都市ガスが止まっても石油ストーブがあるんですが、ガソリンスタンドが店を閉じているとなると、もし電気・ガスが止まればいまポリタンクに残っている灯油でおしまいです。

 まぁ、それでもフル稼働させて1週間くらいは持ちそうですが。

 灯油はシーズンを越せないので、あまり大量な買い置きも現実的ではなく、どれだけ備えておくかは悩ましいところです。


 で、帰宅をして手を洗おうとしたら蛇口から水が出ません。

 ありゃ、地震当日じゃなくてこの期に及んで断水ですか。……千葉県水道局のwebサイトには「船橋市の一部」で断水している旨が出ていますが、船橋市のwebサイトは水について何も触れていません。

 飲み物は買い置きのPETボトルや缶の「お茶」や「スポーツドリンク」があります。上水道が止まってもトイレなどちょっとした水なら浴槽の水があります。

 しかし、「飲み水」は加湿をかねてストーブに載せているヤカンの中身と、2リットルPETボトルの使いかけと、防災リュックに入れてある500mlPETボトル4本しかないです。

 高崎の寮にいた頃はリュックのほかに「防災ストック箱」を作ってあったんですが、寮を引き払うときに食べ・飲み尽くしてしまい、新居に移ってからはそこまで気が回るような状況じゃなかったんですよね……。それができるようなら仕事休んでません。

 幸い、水道はすぐに復旧したので、空きペットボトルや紙パックに水を入れておきました。


 20時半ごろには母親から電話がありました。

 家族の無事を知らせる内容、というよりは「ちょっと聞いてちょうだいよ」的な話で、地震当日の話はそれはいかがなものかなぁ、と思う部分もありましたが、聞き役に徹して切りました。

 浦安は液状化がひどいそうで「一度見にいらっしゃい」って、用もないのに「震災見物」なんて誰が行くもんですか。
author by よんなん
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地震当日

 昼寝をしていて、目覚まし時計が14:45にピピピピ…と鳴ったのを止めて、もう一度寝ようとしたときでした。

 細かい揺れがユラユラユラユラ……

 あー、これは震源遠いなぁー、と思っているうちに、身に覚えのない揺れの大きさになり、反射的に大型家電を押さえつけに飛び起きました。
(転倒防止の器具で壁に貼り付けてはあるんですが)

 現在マンションは大規模修繕工事中で、ベランダの外の足場からも作業員の方の「揺れてる…」「大きいよ…」という言葉が断片的に耳に入ります。


 新居は堅牢な鉄筋コンクリート建築ですが、「旧耐震基準」時代のものです。

 阪神大震災では「昭和55年以降の新耐震基準適合のマンションで倒壊した建物はなかった」、という知識が頭をかすめ、不安なまま家電を押さえつけます。

#このマンションの耐震性は管理会社が2年おきの検査で非公式な「太鼓判」のようなものを押しているそうですが、正式な耐震診断は管理組合が「仮に現行基準を満たさない数字が出れば住民が不安になるだけ」と言って受けていない

 マンション本体もさることながら、足場もあるのです。


 幸い、特にそのような衝撃や音は感じられないまま揺れが収まり、ラジオをつけ、PCからはYahoo!地震情報へアクセス。

 いちかわエフエムは、スタッフが情報を収集中、との男性パーソナリティによるアナウンスが繰り返されてヒーリングミュージックに切り替わっていました。


 とりあえず家の中を見て回ると、扇風機や折り畳みイスのような自立しているものが倒れ、引っ越したときのまま積み上げていたダンボール箱が崩れたほかは、特に大きな被害はありません。

 机やテーブルに積み上げた本や書類は雪崩を起こしていましたが。orz

 タンスや冷蔵庫などは壁側に傾けて自立させた上で転倒防止器具で壁に貼り付け、スチールラックは突っ張り棒タイプの支柱で固定してあったのが功を奏したようです。


 あとは、洗面所が水びたしでした。

 漏水なら水がどこかから出続けているはずですが、そのような様子はなく、どうやら隣の浴室から浴槽の水が波うってあふれてきたようです。

 ……半分しか入ってなかったのに、フタもしてあったのに、それだけ揺れたということか、と思い知らされました。

 Yahoo!地震情報での速報値では、千葉県北西部は震度6弱でした。


 すごいと思ったのは、これだけの地震直後でも、インターネット回線が生きていて、Yahoo!やtwitterが何のストレスもなくつながるということです。

 自分が使っている「ついっぷる」は自動的にリロードするので、タイムライン上に続々とフォロワーの皆さんの新しいツイートが続々と現れ続けます。


 きょうは昼寝から起きたら確定申告をしに船橋駅前へ行く予定でしたが、

・情報を収集しているうちに15時半近くなってしまったこと
 (自転車で行くとドアツードアで30分ほどかかる)
・東京湾にも津波注意報(予報値1.5m)が出ていること
・船橋駅前の受付は15日までやっていること
 (還付申告なので最悪その後に税務署へ直接持って行ってもいい)

といったことから、やめて家にいることにしました。


 これだけ大きい地震ならガスメーターが自動停止したはず、とガスストーブをためしに点火してみるとやはり点きません。

 去年、ガス栓を開いたときに京葉ガスの人に教わった復帰方法をさっそく実践するとは……と、玄関を出て階段の踊り場にあるガスメーターのボタンを押します。

 ここで、お隣さんも出てきてお互いに声をかけ合います。「あら、今日はお休みだったんですか?」……すいません、ずっと休みなんです。。

 お隣さんのガスメーターも復帰。
 

 そんなことをしていると、NHKが津波に飲み込まれる仙台市内の様子を中継しているまさにそのとき、外からザーという水が激しく流れるような音が聞こえます。

 何かと思えば、マンション外壁の高圧洗浄を再開したようです。

 余震も起きているのに、今日は工事中止じゃないのですか。……って、じゃぁ、明日ならいいのか、週明けならいいのか、なぜ今日だけ中止なのか、本震より大きい余震が来るのか、と自問すると自分には分かりません。

 工事会社もプロですから、プロなりの判断なのでしょう。


 自分は自分なりに判断して家に待機することにしました。

 勤務先には地震マニュアルがあって「非常参集」の決まりもありますが、残念ながら休職中の身です。ダテに仕事にドクターストップがかかってるわけじゃありません。

 ……仮に徒歩圏の事業所へ自発的にかけつけても、自分が何をすればいいのか分からない、指示を待つだけの人間はただの足手まといです。


 ただ、上司には無事で自宅で待機している旨を知らせなければいけません。

 とはいえ、災害時は優先されるべき通話があるはずなので、電話の使用は控えてひとまずPCからメールで送ります。……メールの送受信だって通信回線使ってんだろうが、というのはとりあえずさておき。

 これが17:15。地震発生から2時間半が経過していました。

 PHSのメールには、友人や家族からメールが続々と届きますが、同様の理由でひとまず放置です。

 ……が、その1時間後、上司からPHSへ「被害はありませんか? 連絡をください」とメールが届きます。orz

 メールが届かないのか、上司が外出中などPCメールを見る環境にないのか分からないので、ここではじめて上司の携帯へ電話をかけましたが、やはりつながりません。

 次善の策で、上司と家族へはPHSからのメールで無事でいる旨を返事しました。……上司への携帯メールは届いたようで、直後にPCメールの開封通知と上司からの返信がPCに届きました。


 仙台に赴任している早大鉄研の同期や後輩の安否が気にかかるばかりですが、被災地への通話は当然混み合います。それに、もし通じたとしても、自分と同業の彼らは業務に奔走しているに違いなく、「便りのないのがよい便り」と信じることにします。

#どちらも、そのあと無事が分かりました


 日が暮れてきましたが、ひとまず地震で破損しなかった安全な建物で雨・風を防げて電気・ガス・水道も通じている環境にいる以上、あとは「待機」する以外にすることはありません。

 変に動いて「二次被害」を惹き起こしては周りが迷惑です。


 当日、自分で自分に言い聞かせるようにツイートした内容について、タカハシは何様のつもりか、と気分を害している人がいるようだよ、と耳にしました。

 気分を害した方にはお詫びをいたしますが、何らかの指図をするような意図も権限も私にはありませんので、その旨、釈明をしておきます。


 まずは、休めるうちに休んでおこう、と、21時半過ぎに床に就きました。
(2時ごろに目を覚ましたあとはほどんど眠れませんでしたが)
author by よんなん
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変わらないのはあんたらだ

IMGP2333.jpg 京成電車に乗りました。

 新居最寄りの京成中山駅から目的地の海神駅まで普通電車で3駅なんですけど、東中山で特急と「シティライナー」の2本を通過待ちして7分くらい停まってました。

 で、通過待ちの間に目に入ったのが、春闘の「激看板」(?)。

政治じゃなにも変わらない 世の中変えるは労働者 未来につなごう 11春闘
電車支部工務分会

 朝ラッシュで電車にすし詰めになっている乗客もこの真っ赤な看板を見るんでしょうけど、この看板を見て奮起する人が果たしているのかどうか。

 実際に汗をかいて働く人が世の中を変えるのだ、というのはそのとおりだと思いますけれども、それは政治家だろうが実業家だろうがサラリーマンだろうが同じことです。

IMGP2335.jpg 一部のマニアに大人気な「京成パンダ」でありますが、中吊り広告の告知はweb連載中のマンガ「パンダのソナタ」だそうですよ。

 コミケへ行くと一部同人誌ですでに(勝手に)漫画化されている京成パンダですが、公式マンガも存在するという事実!

 しかも、第2話「3年P組金パン先生」では、

「腐ってゆくパンダ」
「荒れ狂うパンダ」

って、何でもありなキャラという時点で発想が同人作家と同じ!!

IMGP2334.jpg Suicaのペンギンは、広告代理店(電通)の中で喧々諤々やって「あのペンギンはこんなことしない!」とか、いろいろな規制(?)の末にあれだけのバリエーションがある、と何かで読んだことがあるのとは対照的です。

 そういえば、「ドアにご注意」のキャラってJR東日本は特に設定がないですよね。
author by よんなん
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中野駅の観察

IMGP1987.jpg 水曜日、江戸東京たてもの園へ行った帰り、中央線の中野駅で電車を乗り換えました。

 中野駅は、中央快速線は6・7・8番線の典型的な「2面3線駅」です。6番線が下り、8番線が上り、7番線は折り返し用ですが折り返し電車はほとんどなく朝ラッシュ時の「交互発着」用で主に上り電車のホームです。

 が、中央線の各駅停車(総武線)と東西線は線路が入り乱れてどのホームから何線のどこ方面の電車が出るのかよく分からず、一度見ておきたいと思っていました。

 結論から言っちゃうと、総武線も東西線も典型的な「JR型2面3線」でした。

 1番線は総武線の「下り本線」。新宿方面から三鷹へスルーしてゆくホーム。
 2番線は総武線の「中線」。中野での折り返し用。
(1番線からも新宿方面へ折り返しが可能)

 3番線は東西線の「B本線」相当。東西線から三鷹へ直通する電車が来ます。
 4番線が東西線の「中線」相当。中野での折り返し用です。
(3番線も1番線と同様に東西線方面へ折り返しが可能)

 そして、5番線が総武線の「上り本線」兼、東西線の「A本線」相当。三鷹から来る電車はすべて5番線に来て、発車してから新宿方面と地下鉄方面へ振り分けられる仕組みです。

Wikipediaによると、早朝深夜の「オレンジ色の各駅停車」は三鷹方面から2番線に到着するんだそうですが


 1番線から8番線まで、ホームの係員はJRの制服を着ています。

 5番線は、総武線新宿方面(JR)か東西線直通(東京メトロ)かで合図が違うので面倒だろうなぁ、と思って観察していたら、5・6番線ホームの立ち番は6番線からの中央線下り電車に合図を出すだけで、5番線は駅員からの合図がなくてもよいようです。


 3・4番線を見ていると、3番線からは総武線の電車として、4番線からは東西線の電車として発車していくのですが、合図を出すのは同じJRの駅員さんです。

 乗降が済んだのを駅員が確認して、白い合図灯を車掌へ向けて上下に振るのは同じです。

 3番線の電車はそれで車掌がドアを閉めれば、イコール運転士への出発合図で電車が発車します。

 4番線の電車は車掌がドアを閉めたあと、再度ホームを確認して車掌が運転士へブザー合図を出します。……ドアのセンサでは検知できない何かがホーム側から挟まっていれば、車掌がブザーを押さない限り電車は動きません。

 その際、支障がなければ駅員からも合図灯を高く掲げて車掌に見せるわけですが……観察する限りこれがまた上下に振っていたりテキトーなので拍子抜けです。

 ドアが閉まってから再度合図灯を上下に振るのは、東京メトロ的には「もう一度ドアを開けてくれ」という意味ではなかろうか……。(推測)

#それでも東京メトロの車掌は電車を発車させるので、あてにしてないんですかね?


 駅の設備は基本的にJR仕様なんですが、3・4番線の「発車標」だけ地下鉄仕様のもので、その一方、「電車が」「きます」を交互に表示しながら「ピッピッピッピッ」と鳴るアレはJRの駅と同じものがついています。

 3・4番線は東西線からの電車が来るのですから、「こんどの電車」の表示器が地下鉄仕様なのは分かるんですけど、「電車が」「きます」のアレはどうやって鳴り出すんでしょうね?


 あと5番線は新宿方面へは地上の出発信号機、東西線方面へは運転席にある車内信号機に信号を出すわけで、この駅の信号回路はどうなってるのか、一度見てみたいもんです。
(仮に入手したところで読み解けるのかどうか、という課題はありますが)

 特に輸送混乱時に3・4・5番線のルートを引く権限を持っているのはJRの指令室なのか地下鉄の指令所なのか、疑問が尽きることはありません。


IMGP1988.jpg それはそうと3・4番線の駅名標はラインカラーが東西線の水色というだけで形はJRのものなんですけど、何かヘンだなぁ……と思っていたら、文字のフォントが違うことに気づきました。

 自分はフォントの種類に詳しくないのでよく分かんないんですが、3・4番線のは東京メトロが採用している「新ゴ」と似ているようなそれとも少し違うような……。

 どうでもいいんですけど、3番線からの三鷹ゆき電車の発車ベルは地下鉄の「プー」じゃなくてJRの発車メロディでいいんじゃないかと思うんですがどうなんでしょうか。


 初めてやって来て乗り降りするには分かりにくい駅ですが、マニア的視点で観察するには面白い駅です。
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再・江戸東京たてもの園

IMGP1953.jpg 会社の事務手続きと、行きつけの歯科診療所での定期健診のついでに、再び江戸東京たてもの園へ足をのばしました。

 前回は雨模様で時間もあまりないなかほとんど見られませんでしたが、きょうは着く頃には午前中の雪がウソのような快晴で、3時間くらいじっくり見て回りました。

 一番気に入ったのは、写真の「前川國男邸」。

 面積は決して広くないのに、居間の吹き抜けと大窓の開放感と、狭さを感じさせない寝室・書斎・台所・風呂・便所・ロフトが満足に確保できているのが、素人目にもすごいです。

 しかも、これを戦争中の物資統制下で建てたっていうんですから。

 「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」は戦意高揚の標語でしたが、そういう目的ではなく、純粋に技術屋として頭の片隅に置いておきたい言葉だと思います。

 あと、自分は建築を専門に勉強したわけじゃないので「なんとなく」でしか分からないんですが、神社建築の「神明造」に通じる(らしい)左右対称の形も、惹かれるものがありました。


 で、鉄道マニアとしては、住宅開発の歴史は鉄道……というか郊外電鉄の歴史でもある、というところも着目点でしょうか。

 東武の常盤台、田園都市会社(=のちの東急)の田園調布の家も復元展示されています。


 目を見張るのは「三井八郎右衛門邸」。

 三井財閥解体後に新しく建てられた三井家の本邸で、広い台所に広い食堂、ふすま一枚一枚に描かれた絵といい、戦後の「財産税」で相当持っていかれた資産(あとでWikipediaで調べたら1500万円以上の資産家は税率90%だって!)の残りを集めに集めて建てたという家に圧倒されていたら、ボランティアガイドの方が

「(たてもの園の)敷地に収まらないので居間や台所などは復元しなかったんです」

って、あの広い台所は「お客さんが来たとき用」の“2つ目の台所”だというから驚きです。

 こうして家の建物を寄贈して、今はどこでどうして暮らしていらっしゃるのかは知る由もありませんが。


 戻る途中でまた前川邸を通り、あぁ、やっぱりこういう家のほうが身の丈に合っていそうだなぁ、と思ったのでした。

 ……って、前川邸すら、いま住んでいる(かなり広めの)マンションよりさらに広いですが!


 それはそうとマンションといえばコンクリート建築物ですけれども、木造・レンガ造りと違って、曳き屋でもしない限り、解体・復元ってかなり難しいですよね。

 50年くらいに後になって、「公団住宅」などは建物まるごとではなくモデルルームのように復元されるんでしょうか。
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