集まり散じて1年

 「新生早稲田祭したくスタッフ」や「早稲田祭運営スタッフ」出身の面々が、昨晩集まりました。
 地下鉄早稲田駅上の「一休」にて。

 公務員だったり、中小企業の社員だったり、自由業だったり、通信会社や今話題のIT企業への入社が決まっていたり、テレビ局の記者だったり、人気予備校講師だったり、さまざまです。

 若い人にだいぶ顔を知らない方も増えましたが。


 テレビ局の人とか予備校講師だとか、華々しい職に就いた人が普通にその辺にいる、というのが早稲田的だなと思いました。

 店内に貼ってある他のサークルやゼミの色紙を眺めていても、

「一休が生んだ NHKアナウンサー ○○○○(←名前)」

なんていう文字が目に入ったりすると、学生時代、日常的に早稲田にいることで受けていた影響というのは計り知れないものがあったのかもなぁ、と。


 社会人になって、そうした環境から距離を置くようになると、一見花形に見える職業も実際はどうかな……と少々醒めた目で見るようになりました。

 たとえば民放テレビ局の記者なんて、本当に記者といえるような仕事ができる環境にあるのかな、とか。

 でも、実際にその人の顔や話しぶりを見ていると、やっぱり後光がさして見えちゃったりするわけで、ただただ、すごいなぁ、と。


 それと比べると、今の私は、毎日作業服にヘルメット姿で、パソコンやメールアドレスや名刺ではなく工具一式が支給され、それでいて年下の先輩社員には経験や技能で及ぶべくもなく……と、彼らのような花形職業に見えるような要素はありません。

 それでも、来月受ける社内資格の試験に仮に受かったとしてその後予想される配属先云々の話になって、「高橋さんの仕事面白そう」と何人かから言ってもらえたりすると、満更でもない気分になったり。


 まぁ、年収の話だけは、忘れたほうがよさそうです。
author by よんなん
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3度目の第二志望1年目

 社会人としての1年目がそろそろ終わろうとしています。

 1年間、「とにかく今の勤務先を好きになること」だけを心がけていました。
 そう過ごして、よかった面もありましたし、反省点もあります。

 長くなりますが、少し振り返ってみようかなと思います。


 26年間で、人生のエポックになる「受験」の経験は3回ありました。

 中学受験、
 大学受験、
 就職活動。

 すべて、第二志望に縁がありました。
 中学受験は2月1日ではなく2月6日に受けた学校に、大学受験では国立大学ではなく私立大学に、就職活動では、放送局ではなく今の勤務先に。


 中学と大学の1年目は、5月病をずいぶん長引かせていた記憶があります。
 通うのが嫌で嫌で、どうやって第一志望に再チャレンジするか、それしか頭になかったように思い出されます。
(編入とか、高校や大学院でもう一度受けるとか)

 ま、1〜2年いるうちに、居心地のよさに気付いたり、自分なりの居場所を見つけたりして、中学・高校、大学・大学院ともに6年間いついてしまうことになるのですが。


 今回、社会人の1年目は、もうさすがに中学・大学の1年目のように毎日嫌々出勤するなんて、やめにしようと思いました。

「どの企業でも、入ったからには最低4年は勤めよう」

とは、学生のときから考えていたことです。
(幸い、今回入った会社は、4年で辞めるにはもったいない会社でしたが)

 大学で私の1年〜2年上の先輩だった方には入社1年目で会社を辞めてしまった方が、すぐに何人か思い浮かぶほどいらっしゃいます。
 ただ、それは社会人経験者としてのスキルを買われての転職でないことは確かです。「第二新卒」という言葉がそれを象徴しています。

 もし将来転職することがあるとしたらヘッドハンティングされる側になろう、くらいは、サラリーマンたるもの念頭に置いておきたい、と私は思うのです。(←身の程知らず)

……とまぁ、そんなわけで、冒頭のような心がけを決めました。
 第一志望だった企業が2006年度採用(=今春募集)まで採用数が多い新卒枠で受けられるという、誘惑も大きいなかでのことです。


 1年をそうして過ごして、よかった点、反省点を一言でまとめれば

よかった点:5月病にならなかった
反省点:特にこれといったスキルは身につかなかった

でしょうか。

 入社1年目の社員に何もスキルが身についていないことは当然で、だからこそこの時点で会社を辞めると「第二新卒」なんて呼ばれるのですから、そんなものかなと思います。

 もと第一志望の募集もやり過ごすことができ、その点では成功したと自画自賛するのです。


 ただ、2年目以降もそれでは困ることだけは確かです。

 たとえば、職場には「改善提案」という活動があります。
 「推進月間」のときは、上司から「仕事してれば、何かあるだろう」と言われました。
 が、会社のどんな側面もポジティブに解釈しようとしていた時期ですから、「あそこが悪い」「ここが悪い」「それを改善しなくちゃ」なんていう思考回路は、私の頭になかったのです。

 現状で特に文句なし、いい会社に入ったなぁ、なんて暢気な態度を続ければ、このご時世の民間企業で「給料ドロボー」と呼ばれる日はおそらく目前です。

 『釣りバカ日誌』の浜崎伝助になるには、まだ早いです。


 2年目は、少し違う心がけをする時期のようです。
……いまさら何言ってんだお前、と言われそうですが。
author by よんなん
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続・クルマ……

 「ごめん、実はあれ、リース品だったんだ」

 「えええ――――――――――――――」


 昨晩の送別会での一コマ。(3/23の続きです)
 どうりで、独身寮にお住まい(=若年層)の割には新しそうできれいなクルマに乗っていらっしゃるなぁ、と思ったものです。

 まぁ、毎月1万円の“金食い虫”を抱えて大丈夫なのか少々不安もありましたから、ホッとした部分のほうが大きかったんですけども。


 むしろ、そのクルマのリース料が月々8000円(+ボーナス時にいくらか上乗せ)だったというのに驚きで、そちらの話を詳しくうかがっておくんでした……。
(せめて業者の名前だけでも)

 というわけで、マイカー所有はまだまだしばらく先の話になりそうです。
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デジカメ故障

 先月末の北海道旅行中にデジカメが壊れ、修理中です。

 厳密には、18日(金)には出来上がっていて、あとは新宿のペンタックスフォーラムへ受け取りに行くだけなんですけども。
(宅配便で送ってもらえるように頼んでおけばよかった)


 というわけで、久々にフィルムを使うカメラの登場と相成りました。
 デジカメを買って以来、およそ2年使っていませんでしたが、きちんと動いてくれました。

 フィルムを使って撮った写真は当然ながら現像する必要があるわけでして、高崎で初めて写真を現像する店を探しました。

 デジカメを買う前は現像・同時プリント代込みで490円、なんていう店も東京近郊にはありましたが、デジカメ最全盛でそんな値段ではやっていられなくなったのか、近所のクリーニング屋に日本ジャンボーの628円という看板が出ていました。

 ただ、プリントをもらっても邪魔なだけですし、むしろCDに取り込んでほしいところです。


 高崎駅東口のビックカメラに行ってみると、「同時プリント」ならぬ「同時CD」というサービスがあり、昨日の会社帰りにそこでお願いしました。
 値段は現像代420円(36枚撮り以上だと475円)+同時CD代525円。24枚撮り、27枚撮り、40枚撮りを1本ずつお願いしたので、およそ3000円ほどかかる勘定です。


 デジカメの修理代は16000円と見積もられていて、修理中のフィルム代・現像代も含めれば2万円近い臨時出費ですが、この2年でデジカメを使って8000枚近く撮りましたから、この8000枚ぶんの現像代に費やしたと思えば安いものだと考えたほうがよさそうです。
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クルマ……

 「高橋君、クルマいる?」

 先週末、同じ社員寮にお住まいの先輩からこんなことを言われました。
 突然、東京への転勤が決まったそうで、東京ではクルマは必要ないし、駐車場代などコストがかかるだけだからのようです。

 そのときはハッキリお返事できなかったんですが、スキーに行っている間、クルマさえあれば群馬のスキー場にも行けるし、スキー帰りに温泉に寄るのも簡単だし、友達が遊びに来ればあちこち連れて行ってあげられるし……と、妄想が膨らみました。
(日ごろの足に使える、という発想はない)

 さて、維持費はどれだけかかるものなんでしょう。
 ほとんど乗らないことだけは確実なので、お金ばっかりかかる「置き物」をもらっても困るわけです。

 職場で先輩方に話を振ってみると、「自動車は金食い虫だからなぁ」「一人暮らしならその都度タクシーに乗ったほうが安上がりかもよ」なんていう答えばかり返ってきます。ざっと計算して月2〜3万円で、毎月している貯金を全部クルマに振り向けるようなものです。
 これはさすがに持てない、、、と思ってしまいました。


 ただ、資料を見て計算したわけでもないので、帰宅してあらためて調べてみました。

自動車税    34500
自動車重量税 12600
自賠責保険   14890 (24ヶ月契約 29780円÷2)
車検代      10000 (2年に1回、20000円÷2)
任意保険    42250 (勤務先の会社を通じて団体契約)
駐車場代        0 (社員寮の庭)
――――――――――
合計       114240≒12万円/年=1万円/月。

車検の業者をどこにするかとか、クルマの詳しい年式などが分からなかったり団体契約の割引率が毎年見直されたりで保険料は流動的なのとで、若干の変動がありそうですが、おおむねこんな感じでしょうか。


 維持費だけでこれですから、レンタカーが1日6000円程度で借りられて毎回新車同然のクルマに乗れるというのは実はとっても経済的なんだなとあらためて思うのです。

 まぁこの程度なら何とか………とは思いますが、まさかタダでくれるわけがないでしょうから、そのあたりも考慮すると、悩ましいものです。

 4月になれば後輩が入ってくるのでしょうから、負担になるようなら譲ってしまえばよいわけですし、それなら、という気もします。


 なんてことを考えているうちに、その先輩は今週末には転勤してしまいますから、結論を早く出す必要があります。
author by よんなん
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在来線の旅

 5人で行ったスキーの行き帰りには、青春18きっぷシーズンということもあって在来線の普通列車を使いました。

 行きは、3人が高崎線の始発でやってきた(1人寝坊)のに、高崎から合流。
 水上で乗り換えた長岡行きは2両編成でとても座れず、立ちっぱなしでしたが石打に着いたのは9:03。宿の迎えの車でスキー場へ向かい、午前中からスキーを満喫しました。


 帰りは、早めに宿の車で越後湯沢駅へ送ってもらい、1時間半ほど駅構内の「ぽんしゅ館」で酒風呂に入ったり、お弁当やお酒をみつくろったり。

 「東京行き新幹線の指定席は、20時半ごろまで普通車・グリーン車ともにすべて満席です」というアナウンスを耳にしながら、来たときの状況も合わせて座れるか不安でしたが、17:54発の上越線水上行き(3両編成)では、3人、1人、1人と離れ離れではあったものの席は確保。

 水上で乗り換えた高崎行きは6両編成で、通路をはさんだボックス席に3人、2人で座り、越後湯沢駅で調達したお弁当やお酒を広げて楽しいひとときを過ごせました。

 特に、「ぽんしゅ館」の酒販コーナーで入手した「純米酒 桃色にごり酒」(お福酒造)が見た目もさることながら予想以上に飲みやすく、いっそうの華を添えてくれました。

 新幹線なら高崎までたったの30分ですが、久々に会った友人どうしでの旅だからこそ在来線でよかったのでしょうか。


 スキーの後の心地よい疲労感と、温泉に駅弁においしいお酒。帰りは特に電車での旅の醍醐味を味わえた気がします。
author by よんなん
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今シーズン初スキー

 昨日・今日と、学生時代の友人5人で石打丸山へスキーに行ってきました。

 他地域と比べて雪質がよくないと言われる新潟県内で、さらに3月下旬ですから、ゲレンデの雪は…

「コンビニで買ってきたシャーベットを20分くらい放っておいて、付属の木のスプーンがすんなり入るようになった感じ」

で、すっかり春スキーという趣だったものの、散々すべって気分は上々でした。

 唯一、楽しみにしていたナイタースキーで雨に降られ、1回リフトに乗って滑り降りただけであきらめざるをえなかったのが残念でしたが。


 去年、自称「雪質日本一」の名寄ピヤシリスキー場(北海道)で滑ったときは、カービングスキーを借り、急にうまくなったような気分になったものでした。が、今回は、中学2年のときに従兄からもらったお下がりの板を持参しました。

 もらった時点から数えても13年目、おそらく従兄が使い始めたのは15年以上前に違いないので、昼食のときなど板から目を離しても、盗難の被害に遭う心配がまったくないのは気が楽でした。(^^;)

 当時の流行だったのか180cmもの長さがある板で、カービングだとそれより20cmほど短いのが一般的なのと比べて、やっぱりターンのときに苦労しました。

 そもそも、この板を前回使ったのは高校1年のときにガーラ湯沢スキー場へ遊びに行ったときですから、10年間使っていなかったわけで、滑っている途中に折れたり割れたりせずに2日間過ごせただけでも御の字です。

……ブーツだけは、先週、浦安の家の屋根裏部屋で試しに履いたらメキメキ音を立てて割れてしまったので、新しくシーズン終了間際で安かったのを買いましたが。。。
(ブーツはプラスチックが劣化するので5年くらいが限度なんだそうです)


 高崎からなら越後湯沢まで在来線でも結構近いことがあらためて分かり、シーズンが終わるまでにもう一回くらいすべりに行きたいところです。
author by よんなん
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「ラジオ深夜便」の意外な一面

 『眠れぬ夜のラジオ深夜便』(宇田川清江著・新潮新書)を8割方読みました。

 NHK「ラジオ深夜便」って私が中学生の頃にはすでにあったので、昔からある長寿番組かと思っていたら、1990年4月スタート、と、平成に入ってから始まった番組だったというのを知ったのが一番の驚きでした。

 それまで、NHKラジオは深夜放送すらやっていなかったというので、「24時間いつでもどこでも安心をお届けするNHKのラジオ放送」というフレーズは、最近になってつくられたもの、ということになります。

 本から少し離れますが、もっと衝撃的なのは、今夜の「ラジオ深夜便」の番組表
 23時台・0時台は「もっと身近にもっと世界へ“NHK80”」と題していて、NHKがここ連日やっているラジオ放送80周年記念の特集だと分かるんですが、今夜の「ビッグパーソナリティー〜深夜の解放者たち」の回のゲストは

> 俳優…愛川 欽也
> 作家…落合 恵子
> 元ニッポン放送アナウンサー…斉藤 安弘

 全員NHK以外で番組をやっていた人じゃないですか。
 特に、斉藤安弘さんはNHKの番組表上で「ニッポン放送」と記されているばかりか、現在も日曜〜木曜の「オールナイトニッポン」3〜4時台を担当されている、いわば「ラジオ深夜便」のライバルなのに。しかも、今夜はそれこそ日曜の夜だというのに。

 意外と、NHKはNHKでもラジオ放送のほうは時々ぶっ飛んだことをやってます。

 話は本へ戻って、1998年10月に「鉄道唱歌」を66番まで延々流す特集をやったくだり(151ページ〜)を読んだとき、「ズームイン!!朝!」より前に「ラジオ深夜便」でやっていたのか! と思ってしまいました。

 調べてみると、「ズームイン!!朝!」の放送記録(参照)にも1998年10月に「鉄道唱歌の旅 信越本線編」を流したことが記されているので、「ラジオ深夜便」が特集を組まないまでも毎年10月に部分部分を流していたのとどちらが本当に早かったのかは分かりませんが……。
 ちなみに、「ズームイン!!朝!」のほうは商品化までされています。。。


 意外といえばもう一つ、「ラジオ深夜便」の姿勢の一つに

・歌詞のある演歌は禁止

がある(18ページ)と読んで、あ、そう言われてみればそうだな、と。

 まぁ、NHKは深夜放送としては最後発でしたから、当時「走れ歌謡曲」(文化放送)「歌うヘッドライト」(TBS)というほぼ演歌専門のような番組が民放にあったなかでは、当然だったのでしょうけれど。

 でも、私が聴きはじめたとき、どちらかといえば中高年向きの番組内容なのにすーっと吸い込まれていったのは、演歌がほとんど流れてこなかったからかもしれません。



 今朝、筆者の宇田川清江アンカーの「ラジオ深夜便」を聴いてみました。
……土曜の夜は、いちかわエフエム「夜もラジオぼーや」のほうを聴いてしまうことが多いので、実は宇田川アンカーの「ラジオ深夜便」は初めてのような気がします。

 こんなに声のトーンが高い「深夜便」のアンカーがいらっしゃったのか、というのも意外です。
author by よんなん
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卒業式の歌

 職場で昼休みに見ているNHK「お昼ですよ!ふれあいホール」の今週のテーマは「今ドキ・卒業式の歌」。

 同世代の先輩社員に訊いてみると、「仰げば尊し」だったという方がちらほら。
 私の小学校の卒業式で歌ったのは「巣立ちの歌」で、これは木曜日に流れました。

 「巣立ちの歌」は比較的最近の曲かと思いきや、昭和40年に発表されたものだそうで。

 
 記憶が正しければ、卒業式の曲のラインナップは……

卒業生入場:「マイウエイ」(器楽合奏部の演奏)
卒業生の歌1:「あたらしい朝」
卒業生の歌2:「巣立ちの歌」
卒業生退場:「パッヘルベルのカノン」(音楽の先生がピアノで)

 「マイウエイ」は私が5年生のときのものだったかもしれず、私自身の卒業式では音楽の先生が違う曲をピアノで奏でていらしたような記憶もあります。(あいまい)

 このほか、5年生が6年生に贈る歌があった気がするのですが、これは覚えていません。。(「贈る言葉」か何かだったような……)

 卒業生の歌は、卒業生の中でピアノを弾ける子が伴奏をし、「あたらしい朝」では私が指揮をしたんでしたっけ(違いましたっけか?)。私の指揮が途中でだんだんずれていくのでピアノを弾いていたSさんが練習のたびに困り者を見るような顔をしていた(ように見えた)のは覚えています。
 それともあれは卒業式じゃなくて音楽発表会だったか。いや、確か卒業式だと…。


 まぁなにしろ14年前の話ですので。
author by よんなん
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♪ろく〜でなし〜(ウィッ)

 私が中学3年のときから、高校2年になるころまで、フジテレビに「志村けんはいかがでしょう」という番組がありました。

 で、番組中に出てくる「パピアント グッチャン」という方が、いったい誰なのか、学校で友人たちといつも話していましたっけ。

 「パピアント グッチャン」とは、毎週かならず、番組中のどこかのコントの中で、誰かが「この、ろくでなし!」と叫んだ瞬間、(コントのストーリーとは無関係に)越路吹雪の「ろくでなし」のメロディーとともに登場して、「♪ろく〜でなし〜(ウィッ) ろく〜でなし〜(ウィッ) なんて〜ひど〜い〜(あーウィッ) いいか〜た〜〜〜〜(ウィッ)」とワンコーラスだけ、特徴的な振り付けとともに歌い、志村けんにツッコまれるだけ(→その後たいていCMへ)、という人です。


 登場するときの脈絡のなさと「ウィッ」のときの手の形などとあわせてかなりのインパクトがあったように記憶しています。

 てっきり、志村けんの弟子か何かなんだろうと思っていました。


 ふと、きょう、そういえばパピアント グッチャンって今何してるんだろう、と勤務中に思いつき、帰宅後にgoogleで検索してみました。

 なんと、芸人ではなく、フジテレビの社員だったという記述が目立ちます。
 各ページの情報をあわせると、本名は川口誠さんといって当時はディレクターないしプロデューサーで、現在は番組宣伝のお仕事をされているとか。


 フジテレビの社員がみずからバラエティ番組に登場するのは、「ひょうきんディレクターズ」という前例もありますから、妙に納得してしまいました。
author by よんなん
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