古代アゴラ、という場所に来ました。ガイドブックによれば、昔の市場とその周辺施設の跡だとかどうとか。
世界史に疎い私は、神殿やら、基礎だけ残っている建物の遺構などを見ても、いまいちピンと来ません。
なにしろ、高校生活で唯一、通知表に赤い数字で成績を書かれたのが世界史でしたから。
ちょっとした神殿やら、音楽堂の跡やら、いろいろあるんですけど、見ているうちに、要はこれって廃墟めぐりだよな、と思えてきました。
鉄道マニアで廃墟めぐりといえば、廃線跡探索です。
草に埋もれた中から、昔の線路の跡とか、トンネルとか、築堤とか、はたまたトンネル名や鉄橋名などを記した銘板なんぞ出てこようものなら狂喜乱舞する、正気とは思えない趣味です。
……いや、鉄道の廃線なんて、ほとんどは20数年前のもので、特に歴史的に解明が必要なことがらもないでしょ? といえばそうかもしれません。
が、たとえば、名羽線(北海道の「未成線」)の白地畝(しらちせ)信号場付近は実際に着工されたのか=跡そのものが存在するのか…など、旧鉄建公団の部内者には分かりそうなことでも一般のマニアにはいまだに謎なこともあったりするのです。
(確かめに行こうにもハードルが高すぎることでごく一部のマニアに有名……でも、最近ようやく存在しない模様だと分かりつつある。
参考1、
参考2)
とまぁ、ただその辺にあるモノを見てもその歴史の背景なんぞまったく知らない私ですが、廃墟なんだ、という視点で神殿なんか見てみると、なんとなく分かるような気がするのです。
逆に言えば、北海道の士幌線跡がアーチ橋を文化財に指定されて駐車場も完備で散策しやすいようになっているのとかは、廃線めぐりの楽しみを半分持っていかれたような感じが私はしています。
(解体・撤去されて跡そのものが残らないよりマシなんですが)
そういう観点からは、こうして整備された遺跡を歩くのは、シュリーマンだとかそういう歴史家がいわゆる廃墟めぐりの楽しみの半分以上を持って行ってしまったあとをなぞるようなものなのかなぁ、などとも思うわけです。