日本版シエスタ

 きのう、きょう、と我が家の室温が30℃になりました。でもエアコンは入れません。

 ……節電、、という高尚な意識があるわけではなく、我が家の電力契約は8時〜22時が割高な契約だから(その代わり22時〜8時が激安)で、エアコンがガスヒーポンだったらとっくに冷房を入れていたと思います。

 きょうの午後は家を閉めて近所の市川市立信篤図書館へ行ったら、さすがに4台中2台とはいえエアコンが稼動していました。……図書館は窓を開けないですからね。


 そういえば今月の12日(日)に簿記の試験を受けた市立船橋高校の教室にはエアコンがなかったのを思い出しました。

 公立学校のエアコン設置予算には議会で賛否があるようで、「何のための夏休みか」「エアコンを設置したら夏休みをやめるのか」という意見には、なるほど、と思う部分があります。

 学校が長い夏休みを取る理由の一つは、「教室が暑くなって授業が困難だから」です。


 逆に言うと、世間のオフィスは「本来、就業に適さない環境をエアコンによってデスクワーク可能にしている」という考え方もできます。

 スペインには「シエスタ」という長い昼休みがあって、その代わり就業時間帯は一般的に8〜12時、16〜20時なのだそうです。(Wikipedia

 まさに13〜16時という、東京電力のCMで菅野よう子が「♪いちじよじ〜いちじよじ とっても暑いのいちじよじ〜」と歌うとおり、電力需要のピークになる時間帯は仕事をしないで昼寝をするわけです。……本来、デスクワークに適さない時間帯なんだから、合理的な考え方という気がします。

#それにしてもあのCM、16年も前の作品なんですね……もうそんなに前ですか、、、


 ただし、日本で「職住近接」という人はまれで、「じゃぁ昼休みはどこで過ごすのか」という問題が出てきます。……1日2回通勤では、せっかくの昼休みが自宅への往復で終わる人も多そうです。


 そういえば、KDDIがきのうから9月末まで、勤務時間を

「午前7時から正午まで」
「午前8時から13時まで」

の2通りにしてピーク時の電力使用量を4割カットするのだと新聞で読みました。

 ……明らかに勤務時間足りないじゃん、と思ったら「午後の2時間30分は自宅で勤務する」のだそうで。


 昼になったら昼食を食べて、電車に乗って帰宅して、一休みして仕事を再開すれば、おおこれは事実上のシエスタではありませんか。

 今夏、新しい勤務スタイルの導入は通信会社に先行例が多いような気がします。そりゃ「通信」が売り物なんだから、自宅と職場を通信回線で結ぶくらい先行事例として示すのは当然かもしれません。


 私の勤務先みたいに、「通勤需要があるから会社が成り立っている」ようなところだと、社員を在宅で勤務させる≒出勤させない、だなんて自社の存在意義を半分以上否定しているようなもの……だからなのかどうか、どうも取り組みが保守的になりがちな気がします。

 通勤需要が減っても収入を落とさないアイデアはいくらかあると思うのですが。
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株主として気になること

 吹けば飛ぶような少ない持株比率ではありますが、一応、勤務先の株主でもある自分です。

 本当は「資産として勤務先の株を持つ」というのは、万が一、会社がひっくり返ると仕事と資産を同時に失うことになるので、非常に危険なことであります。

#逆に、業務を通じて会社の価値を上げられれば、持株数に応じて自分にもリターンがある、というモチベーションにもなりますが

 サラリーマンとして「持株会」を通じて資産形成をするにしても、一定の規模になってきたらいくらか売却して別の資産へ分散させたほうが賢明なんですが……それに気づいたのはリーマンショックのあと。。。

 リーマンバブル当時とまでいかなくても、せめて入社当時の株価まで戻らないかなー、という今日この頃です。


 さて、目下病気休職中で健康保険組合からの傷病手当金で生活費をまかなっています。

 主治医の先生から「○○社ともあろう会社が、復職プログラムや時短勤務の制度を用意していないのですか」とあきれられるのですが、どうやらよその会社には業務復帰がしやすい制度があるらしいのです。

 フルタイムでしか復職できないので、フルタイムで勤務できるレベルに回復するまで生活費はすべて傷病手当金のお世話になり続けることになります。


 で、その健康保険組合ですが、業界新聞の報道によると毎年赤字を出していて、積み立て金を取り崩して運営を続けているらしいんですね。

 ……まぁ、医療費負担だけじゃなくて、自分みたいにズルズル休んでいる社員の生活費の面倒まで見ていれば、そりゃぁ支出は増えるばかりでしょう。


 まさか積立金は「打ち出の小槌」じゃありませんから、いずれ底をつくのは明らかです。

 そうすると保険料を値上げするか、保険組合を解散して国民健康保険へ移行するか、という話になります。


 国民健康保険へは移行しないとすれば、組合健保の保険料は従業員と使用者で分担です。……あるいは、会社がまとまった額を積立金として新しく拠出するか、でしょうか。

 株主としては従業員の負担が増えるだけなら知ったことではありませんが、会社の負担が増えるとなると、(あくまで)株主という立場での話は変わってきます。


 であれば、「株主として」株主総会へ行って経営陣に

「復職制度の不備と、休職中の社員に傷病手当金を支給する健康保険組合の経営状況が、会社の経営において長期的な不安材料とならないのでしょうか」

こんなふうに質問したとしたら……「1人3問」のルールの中でうまく質問を組み立ててよほど建設的な中身にしないと、あの株主誰だ→まさに病気休職中の社員であることが判明→その後の社員人生オワタになりかねませんが。
author by よんなん
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時給5000円のアルバイト

 大学時代の後輩でフリーライターとして活躍中の小林拓矢さんのツイートにこういうものがありました。

大学の非常勤講師の報酬は安い。月に(1回ではない)1コマ3万円程度で、非常勤をいくつもかけ持ちして食べている人もいる。知られざる社会問題ではある。

 私はフリーランスではなく「宮仕え」の身なので、何を書いたところで「あなたにフリーランスの気持ちが分かるか」と言われればそれまでですが、このツイートには非常に違和感を持ったので感じたことを書きます。


 大学の授業は1コマ90分ですから、月4週として、非常勤講師の報酬3万円を時給換算すれば「時給5000円のアルバイト」ということになります。

 とはいえ、まさか何の準備もしないで講義しに行く先生もいないでしょうから、授業時間と同じ時間を準備に費やしたと仮定して時給を半分に見積もっても、時給2500円です。

 時給2500円ですか……あの、自分の月給の時給換算より相当いいお給料ですね。

 出るのか出ないのか分からないボーナスを考慮して、ようやく肩を並べられるかどうか、といったところです。

 翌年も同じ科目を担当すれば、あるいは同内容の授業を複数の大学で掛け持ちすれば、講義ノートを使いまわすなどの「工夫」も可能になってきます。


 もちろん、サラリーマンのように所定の勤務時間を拘束される=一定の労働時間(残業があればそれ以上)を確保できる就労形態と、朝から晩まで講義を入れられるわけではない非常勤講師では「それだけでは生活の糧にならない」点が異なるのは確かでしょう。


 ただし、いまどき、フリーランスのナレーター、声優、モデル、漫画家、著述業、役者といった職業の皆さんが、「副業を許される会社」ないし単純作業のアルバイトを見つけてひとまず生活の基盤を確保しながら活動することは決して珍しくありません。

 一方、大学の非常勤講師、すなわち“フリーランスの学者”が「講義の報酬だけではメシが食えない」ことが「問題」だと言うのは、、、「『メシを食うための仕事』はしない」とか「こんな現状の社会構造は認めない!」とか言ってふんぞり返っている(だけ)……ように感じるのです。


 大学が学者の育成を一切しないで必要な教員を非常勤講師のみに依存している、ということであれば大学の存立基盤に関わる話でしょうが、それは法人経営体としての大学当局が問題意識を持っていると思います。
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しかるべき機関を通じ被災地に…

 少々旧聞に属する話ですが、日本赤十字社に寄せられた義援金の配分が遅れているというニュースがありましたね。(6月18日付毎日.jpの解説

 表題の言葉は、今春の東京六大学野球リーグ戦で義援金の呼びかけがあったときのアナウンスです。


 「しかるべき機関」ってどこだよー、と思ってましたが、こういうニュースがあるとなるほど赤十字じゃだめだなと思うわけです。

 4月のリーグ戦開幕時点で義援金をどうするか明確にしないで先送りしたのは賢明でした。

 アマチュア野球団体に集まったんですから、生活資金として送らなくても、野球場の復旧費や野球用具の購入資金にしてもらう、というのも選択肢の一つでしょう。


 といっても、東京六大学野球連盟に集まった義援金のその後は「被災地に送る」としか報じられていないのですが。(スポニチ産経

 連盟公式サイトにもトップページに「募金活動についての御礼」と題して「被災地に送ります」としか書いてありません。

 コンビニの店頭募金だって、どの機関に納めたか掲示しますよねぇ。

 4,248,842円、どこへ行ったんでしょう。


 自分は一円も寄付しなかったので知ったことじゃないんですけれども。(何)
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高い授業料

 わが国は現在「政権交代可能な野党を育ててこなかった」とても大きな授業料を払っている、と思っています。

 というか、旧来の自民党に見切りをつけるのが遅すぎたというか。

 ……そうはいってもまさか、旧社会党に政権なんか任せていたらとんでもない国になっていたでしょうから、野党が再編されて現在の民主党ができてからです。


 「たられば」の話をしても仕方がないんですが、遅くても民主党が「岡田500日プラン」を掲げ、小泉内閣が「郵政」のみを争点にした2005年の総選挙で旧来の自民党に引導を渡しておくべきだった、というのが自分の考えです。

 その後犯罪人として収監されることになる人を自民党の幹事長が「我が弟です! 息子です!」とまで言ったあの選挙でわが国が失ったものは多すぎた。。。


 仮に2005年で「岡田内閣」ができていたとして、2009年の総選挙で引き続き民主党政権が続いたか再び自民党が返り咲いたか、は分かりませんけれども、「新生自民党」であれば福田康夫氏や麻生太郎氏なんかも今ごろはもうちょっとまともに総理をやってられたんじゃないかなぁ、と残念に思ったりするわけです。


 現在の総理大臣の体たらくを何から何までやり玉にあげて「スッカラ菅」だの「いやんバ菅」だの言っていかに「自分はヤツらと違ってまともな思考である」か主張するのも結構ですが、私から見れば旧社会党と同じで「建設的な意見を言わずに反対だけしている人」にしか見えません。ごめんなさい。

 自分ですか? 自分には建設的な意見が思い浮かばない(思い浮かぶくらいなら仕事できます)ので、不満は持ちつつも「これは授業料だ」と思うしかないと考えています。


 強いて言えば、仮に現在総選挙があったとして自民党に再度政権を任せられるとは考えられない状況のもと、日本でようやく世界に追いついて実現できた「二大政党制」すら実はすでに時代遅れなのかもしれません。

 現在の議院内閣制・二大政党制に代わって何か別の体制を考えられれば声を大きくして現政権・現体制を批判しつつ堂々と意見を述べられるのではないかと思います。


 さもなくば、現在の民主党政権のありようは甘受しつつ、自民党はあと2年辛抱して「政権交代可能な野党」に生まれ変わって戻ってこい、と思うしかないでしょう。

 なにかといえばすぐ「内閣不信任」などと言い出す自民党その他勢力を見る限り、ひとまずはドイツのように議会が次期首相を明示しないと不信任案を可決できない「建設的不信任」制度を取り入れるのが現実的なところと考えます。
author by よんなん
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ニニウという集落と公立学校

IMGP2935.jpg きのう北海道の石勝線で起こった特急列車の脱線・火災事故で、事故現場となった「第一ニニウトンネル」(ここ)という文字で久しぶりに「ニニウ」という地名を目にしました。

 夕刊でしかもトップではないとはいえ、一面で「ニニウ」の文字を目にするとは……。

 北海道の占冠村にある無人の集落「ニニウ」は、「ニニウへ急げ!」という特集サイトがあるほど、知る人には知られた場所です。

 自分も、昨年の秋に北海道へ行った際にぜひ立ち寄ってみたいと思っていましたが、あいにく道路が災害通行止めで行くことはかないませんでした。

 ……現在も通行止めのはず(参照→胆振管内上川管内)で、消防・警察・報道・そしてJRはどうやって現地入りしたのか分かりませんが、ニニウへ陸路で入るには道道610号線〜136号線のルートしかありません。ニコニコ動画に2009年時点の走行映像がUPされています。(その1その2
(事故現場に隣接する清風山信号場=ニニウ駅になるはずだった場所へは「その2」の動画の0:51付近に見える分岐路を左折する)

 国道ではない道道とはいえ、立派な悪路です。。。


 事故の原因究明や復旧は関係各者の仕事で自分がどうこういう話ではないニュースなのですが、そんなわけで個人的に以前から(中学3年の春休みに北大へ進学した中高鉄研の先輩から「ニニウ」という地名を聞かされてから)注目していた「ニニウ」がニュースに出てきたものですから、久しぶりに「ニニウへ急げ!」を読んでみました。

 集落がなくなって住民がいなくなると地名もなくなる例もあるんですが(例:北海道下川町の下川鉱山は閉山とともに住民がいなくなったので集落の地名「ペンケ」が消えて隣の「班渓」にまとめられた)、ニニウは住人がいなくなっても地名がそのままです。

#なんと郵便番号まである!(日本郵政のページ


 「ニニウへ急げ!」のこのページによると集落がなくなったのは昭和49年度いっぱいで「新入(ににゅう?)小中学校」が閉校したことが直接的なきっかけだったようです。

 ……公立学校の閉校で集落が消えた例といえば、去年の秋に訪れた志美宇丹が記憶に新しいです。

 いまも昔も、学校が限界集落の防波堤になっているんだなぁと思いました。

 集落の戸数が少なくなっても、せめて公立小学校さえあれば校長・教頭・クラス担任の3人が赴任(=3世帯が定住)します。中学校もあればさらに科目別の教員も赴任します。

 教員が集落から去ると、給与所得者が一気に減った集落から次は郵便局がなくなります。郵便局は集落で唯一の金融機関でもありますから、郵便局がなくなると現金を引き出せなくなります。……集落での生活が一気に困難になることは想像に難くありません。


 志美宇丹とは峠を一つ越した仁宇布では集落の子が軒並み学校卒業の年齢に近づくと「山村留学」と銘打って都会から生徒を呼び集めて学校を維持してきました。……教員が残っただけでなく、山村留学に来た子とその親が定住するケースも出始め、集落の人数も増えているようです。

 山村留学はあまり成功している事例がないようですが、住民が引き続きその地での生活を望むなら、小中学校に通う世代の子を産むなり国内海外問わず留学生を呼ぶなり、なんとしてでも学校を維持するのは効果が大きいでしょう。


 一方で、和寒町福原のように小学校がなくなり郵便局もないのに集落で生活が続いている例もあるにはあります。一つとなりの集落(和寒町西和)まで6kmくらい、町中心部までも15kmくらいしか離れていないのと、旭川に比較的近いからでしょうか?


 「ニニウへ急げ!」でも触れられていますが、ニニウで残念なのは、集落が無人になってから鉄道が通り(駅の設置予定はあったので信号場になった)、送電線が通り、そしてついに高速道路までが通る(2011年秋開通予定)ようになったことです。

 ニニウのために作られた鉄道や送電線や高速道路ではなく、その先に帯広や釧路、根室という都市があるからなのですが、なんとももったいない話です。
author by よんなん
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NTTドコモの企画部門が月・火休みに

 めずらしく、ニュース評論にかこつけた自己主張などを。

 ドコモ、休日を「土・日」から「月・火」に変更 7月から東電管内で(MSN産経ニュース)

 コールセンターやドコモショップといった、そもそも年中無休で営業している現場第一線は除外だそうですから、ホワイトカラーの企画部門で、ということなのでしょうね。

 世間には異論が多々あることを承知していますが、自分は「週末分散」論者です。

 世の中の大多数がいっせいに土日と祝日に休んでいることによる弊害と、平日に休みをずらすメリットはとても大きいと思うんです。


 まず、通勤ラッシュ・待機児童問題について。

 すでに鉄道各社は「時差通勤」という、曜日ではなく時間で混雑を平準化させようといろいろキャンペーンをやってますが、他社に先駆けて平日に休んで土日出勤を始めれば、社員は5日中2日はすいている電車で通勤できることになります。……まぁ、社員が通勤地獄で苦しもうと何だろうと経営者は知ったことではないのかもしれませんけれども。

 ……いずれ後追いする企業が増えて土日も朝の電車が混むようになったとしても、5日間に集中していた需要が7日間に平準化されれば、単純計算で30%近く混雑が緩和されることになり、これは劇的な効果です。

#月〜金の輸送量を100×5日として日〜土に均すと71.4となる


 同様に、夫婦共働きで子供を保育園に預けようという需要は、当然ながら平日の5日間に集中しているわけです。これを土日も含めて平準化できれば、保育所で受け入れられる児童の数は、これも単純計算で4割(!)増えます。

#仮に保育所の1日当たり定員を1000人、月〜金のみ定員いっぱいの子を預かっているとして、同じく日〜土に均すと714人となり、新しく286人の子を受け入れることができる

 おまけに夫婦で休日の曜日が違えば、そもそも子を保育所へ預ける日が週3日でよいことになり、さらに保育所の定員に余裕が生まれます。

 ……まぁ、土日も保育所を開けることになれば、当然先生を増やして交代で休日を取ってもらうことになりますから、小学校にあがる前の子にとって「曜日ごとに先生が変わる」というのが理解できるのかどうかは、家族も子も持たない現在の自分には分かりませんが。。。


 そのほか、週末が分散すると休日も充実すると自分は考えています。

 観光産業、とくに宿泊施設は「年100日の黒字と265日の赤字」(←リンク先はPDFファイル)という、星野リゾートの星野佳路社長の言葉に象徴されます。

 カレンダー上の休日はどこへ行っても混んでいてサービス水準が平日に比べて著しく低くなっているのに、料金(特に宿泊料金)は高く設定されています。

 旅行のパンフレットなどもらってくると、平日と休日の値段の差、特に大型連休中の価格設定を見るや、バカバカしくて旅行に行く気がしなくなるというものです。

 いろんな人から「家庭、特に学校にあがった子を持つようになると、そういう考えは変わるよ」と言われるのですが、、、

 一人旅ですらこの価格差がバカバカしいのに、家族旅行となれば価格差×人数分ですよ? ……おまけにどこへ行っても混んでいて夫婦は渋滞中に狭いクルマのなかでイライラし始め(夫婦揃って延々と平然としていられるほうがどうかしていると思う)、子供は渋滞はおろか現地でも行列に退屈してぐずり始めるし、誰がカレンダー上の休日、特に連休に旅行なんか行って楽しいんだろうね? と自分は思うのです。。。

 少なくとも自分には、国内家族旅行で楽しかった思い出など一つもありません……いや、「一つもない」は語弊で、小学5年の夏休みに飛行機で連れて行ってもらった沖縄と、新幹線の指定席で行く父親の実家は楽しかったな、、、って、レジャーに出かけているのに、楽しかった思い出が数えるほどしかない、という時点でおかしいんです。


 一方、週末が分散すると友人知人と休みが合わなくなる「デメリット」もあるでしょう。……土日の結婚式に呼ばれたのに、自分は平日が休みだ、なんてこともあるかもしれません。

 そうなると、こんどは必然的に有給休暇取得率の劇的な向上が見込まれます。

 読まなくていい空気を読んで有給休暇を取得できない、だとか「そもそも平日にプライベートな用事がない」結果が現状の低い消化率だと思うのですが、「結婚式だから」「家族サービスだから」といって申し込めば消化率はかなり上がるのではないでしょうか。

 ……自分の勤務先は有給休暇の消化率が高い(年度中に使い切ってしまい「次の4月までカゼも引けない」という人すらいる)のですが、一因には、土日休みとは限らない職場で上記の事由で有給休暇を取得するケースが多いからではないかと推察しています。

 逆に、どうしても大安に結婚式をやりたい人が土日で大安の日を探せば21日に1回しかありませんが、世間の休みに曜日が関係なくなれば6日に1回チャンスが巡ってきて式場の予約も取りやすくなるでしょう。


 これまでtwitter上で「週末分散」「時差勤務」「時差昼休み」を主張すると、会社や職場や人によって執務時間が違うと連絡が滞って業務の執行に支障が出る……という反論を多く頂戴し、こうした意見を持つ人が多いことは承知しています。

 ですが、業務の効率性のみをとにかく追求するのはどちらかといえば経営者の理屈であって、これからライフ・ワークバランスを追求していくべき勤労者が自ら主張するのは少々間違っているのでは、と考えています。……もちろん、会社が傾けば社員の立場も危ういわけで、労働者といえども経営者の感覚を持つことは当然必要ですが。

 そもそも、デスクワーク職場で残業がない職場なんかないと思うんですけれども、残業を終えて何時に帰るかは、現状でも人それぞれですよね?


 休日は土日祝日、昼休みは12〜13時、始終業は9時5時、プライベートな時間がいつどこへ行っても混んでいるような生活スタイルで一生満足できちゃう人は、それはそれでいいと思います。自分は否定しません。

 一方、始終業を1〜2時間早くすれば電車はガラガラだし、昼休みを15分早くするだけで外食はどこへ行ってもすいていて、休日を平日にすれば安い料金で満足度の高いサービスが受けられるのになぁ……という世間とズレた人もここにいます。


 存在自体が迷惑という人でもない限り、ある程度は世間とズレた人も許容される、多様性のある社会が健全というものではないかなぁと思っています。
author by よんなん
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組織で責任を取るということ

 近所の市川市立図書館に、柴田俊一という京都大学原子炉実験所長を務めた人の『原子炉お節介学入門』(上・下巻)という本が置いてありました。

 どうやら専門書というよりエッセイに近い本らしいのですが、京都大学の学者先生が書く難解極まりない内容に、私の頭では理解するに至らず途中で挫折しました。

#学者が「一般の人にも分かるようできるだけ平易な説明につとめた」みたいなことを「はしがき」に書いている本で平易に読めたためしなど一度もない。


 そんな本に京大実験炉を立ち上げたときのこぼれ話がいくつか書いてあるなか、すごい違和感があったのが、

「私が責任を持つからこれでやろう」(上巻23ページ)
「何かあれば責任は取ると言っている」(同25ページ)
「当然引責辞職も覚悟しての発言」(同24ページ)

というくだりです。

 いや、原子炉が噴いたらあなた一人で責任なんか取りきれないでしょうよ。

 ……と、自分なんかは「おかしい」と思うわけです。


 ただ、京大実験炉ができたのは1964年(昭和39年)と、47年も前の話です。

 あの頃は、いまと比べてまだまだ「肩書き」や「地位」というものが権威ある存在で、そういったものを欲しがる人が大勢いた時代だったのでしょう。

 その人がせっかくのぼりつめた「地位」を手放す、と宣言すれば、とにかく「偉い人」をやっつけてそれで納得する人が大勢いた時代が過去にはあったのかもしれません。


 時代は変わって21世紀になり、原子力発電所が事故を起こしました。

 まさか、「東京電力の会長と社長が辞めます」で通用するはずがないんです。

 しょせんサラリーマンでしかない経営陣の代わりなんていくらでもいますし、極端な話、誰がなっても大して変わりません。(ズバリ)

#だから、現在の会長と社長がすぐに辞めるのはあまり意味がない、と自分は思う。

 もしもソフトバンクの孫正義氏が不慮の事故で急逝でもすればソフトバンクグループの命運に関わり、系列各社のサービス内容にも影響が及ぶかもしれませんが、仮に東京電力で同じことが起きても、部屋のスイッチを入れれば当然のように電気が点く世の中は、これからも変わることがないでしょう。

 そういう会社のしくみができているからです。

 経営陣や従業員という個人をクビにするなり牢屋に入れるなりで責任を取らせたことにしてその場は決着しても、いずれまた別の人が同じことを繰り返すだけ(←重要)ですから、もしも東京電力にこそ事故の原因と責任があるのだと仮定すれば、責任を取るというのはつまり東京電力という組織が「しくみを変える」ということでなければいけないはずです。

#そういう観点では、JR西日本の過去の社長「個人」に事故の予見可能性を問うのは疑問


 何かあればいち個人を血祭りにあげればそれでいい、という時代はとっくに終わりました。

 それが通用するのは、オーナーとして会社を自分で経営する資本家くらいでしょうね。


 つけ加えて、沖縄電力を除く独占系電力会社は、まさか純粋な民間会社としての自律的な経営判断で原子力発電事業をやるはずがないんです。

 (一定の条件下で)電力事業への参入が自由化された現在、純粋な民間事業として本当にソロバンが合うんなら、いまごろ独立発電事業者(IPP)がこぞって自発的に原発建ててますって。……もしそれで噴いたら、政府は知りませんから破産でも何でもして自分で尻拭いしてくださいね、という話に当然なるでしょうけれど。


 日本の原子力発電所は「エネルギーの安定確保」という、市場経済の論理を超越した国家的な課題のために、国の政策として、沖縄電力を除く地域独占の電力会社と、日本原電という特殊法人と、最近民営化されたばかりの電源開発にやらせてるんじゃないですか。

 浜岡原発の件も、総理大臣にハシゴを外されちゃったら、原子力発電所を100%中部電力の自己責任で稼動させることなど到底無理なんですよ。


 そこへきて、今回の事故は「異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によつて生じたもの」じゃありません、通常起こりうるレベルの津波で発生した東京電力の責任事故です、とでも言いたげな政府首脳の姿勢は筋違いだと思います。

 現時点での世論はおよそ許さないでしょうが、個人的には東京電力が「政府のエネルギー政策のせいでソロバンに合わない原子力発電をやらされたあげくに損害をこうむった!」と主張してもよいとすら思います。

 東京電力として主張するのが無理でも、虎の子を東京電力株にして安定資産のつもりで老後の資金か何かにしていた零細個人(←重要)が集まって国家を相手に集団訴訟でも起こせば、一定の支持は得られるんじゃないでしょうか。


 今回の事故は、東京電力の国有化なり電力料金の値上げなり何なりやり方はどうあれ、国家として、安定したエネルギーを要求し消費してきた主権者である国民が、最終的な責任を取らなくてはいけない事柄だと自分は考えます。
author by よんなん
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選挙活動を振り返り

 知人が市議選に立候補してその選挙運動を手伝う、という経験をしました。

 1週間、「政策を聞いてほしい」「候補者のことを知ってほしい」側として活動をしました。


 こういう立場で活動してはじめて知ったのは「政治家は、有権者からの接触を歓迎する」ということです。……少なくとも、人口1万人に1人の議員を選ぶような地方議会ではそうです。


 時代遅れな公職選挙法は、候補者から有権者へ積極的なコミュニケーションを働きかけることを制限しています。

 街頭では、演説はしてもいいけどチラシを候補者から有権者へ配布してはいけません。

 あいさつ状は、有権者から届いたものへの返事のみが合法です。

 候補者が拡声器を使わずに有権者宅を一軒一軒訪問するのはいけませんが、有権者が選挙事務所へ行くのは構いません。


 有権者から候補者に接触することには、制限がないのです。

#一方的に演説を妨害したりすると「選挙の自由妨害罪」に問われますが


 それを知ったので、自分も他の気になる候補が街頭にいたら声をかけてみることにしました。……特に、候補者本人がマイクを持たずに立っていたら「声をかけてください」と言っているようなものです。

 別に、詳しい政策が聞きたいというわけでなければ、特に難しいことを考える必要はなくて、「がんばってください」と声をかけて手を差し延べ握手を求めれば十分です。

 これに候補者がどういう反応を示すか、それだけでも、ポスターや選挙公報、告示前に更新を終えたWebサイトでは分からない、候補者本人の素顔が垣間見えて「どんな人か」という情報量はかなり増えます。

 いやいや、選挙期間中だもの、政治家なんて有権者にはヘラヘラと愛想笑いをして頭を下げるだけに決まってるでしょ? ……という先入観は、(少なくとも市町村議選レベルでは)実際にやってみるとブチ破られることうけあいです。


 もちろん、何らかの主義主張を持っていてそれを尺度に選びたいとあれば、簡単な質問を1つ2つしてみるとよいです。(ex.無所属候補なら「あなたは保守系ですか?」等)


 ……って、選挙終わっちゃいましたよ。

 次は4年後ですか。


 ちなみに、候補者が駅前などの街頭に突っ立っているのは、鉄道の利用者が多い都市部ならではのことで、クルマ社会の地方では有権者もクルマに乗りっぱなしなら候補者も選挙カーに乗りっぱなしで、上に書いたようなことをやるのはとても難しいと思います……。
author by よんなん
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NHK科学文化部の果たすべき役割

 「全体から部分へ」

 物事を口頭で説明する際の基本中の基本です。アナウンス教室で真っ先に習います。

 NHKの科学文化部は、今回の原発事故の解説でこの原則を全然守れませんでしたね。


 「ベント」という言葉が出てきたとき、山崎記者はフラスコのような「格納容器」のイラストだけを描いたパネルで説明しました。

 そのあと、建屋が水素爆発で吹っ飛びました。

 東大かどこかの学者が、もうちょっと詳しいイラストのパネルを持ってきました。

 それから、燃料棒の損傷だとか溶融だとか、次から次へと「新しいこと」が起こって、解説が後手後手に回って、すっかり市中の人を不安に陥れてしまいました。


 いまさらではありますが、NHKという音声と映像で伝えるメディアに従事するのであれば、最初に解説すべきは「5つの壁」だったと思います。

 原子力発電所は放射性物質の漏洩を防ぐために5重の防護をしていることを、今回google先生に聞いて初めて知りました。

1.燃料ペレット
2.燃料被覆管(燃料棒)
3.原子炉圧力容器
4.原子炉格納容器
5.原子炉建屋

 全体像を知ってはじめて、「なぜ圧力容器や格納容器を守るためにベントをするのか」「爆発したのに官房長官が平然としているのはどういうことか」あるいは「こうなると本当に危ない状況だ」「安定するまで長い時間がかかりそうだ」ということを「より正確に」理解できるというものです。


 昨今、枝野官房長官の次に寝ていないのは、NHK科学文化部の山崎淑行記者だとかどうとか……本当かは分かりませんが。

 NHK科学文化部は自他ともに認める「オタク集団」だそうで(NHK科学文化部onTwitter)、出世欲がないのは結構ですけれども、もしも「使えない人たちの集まり」だとしたら困ったものです。(←他人のこと言えた口か)

 ちなみに山崎記者っててっきり理系かと思ったら、経済学部出身なんですね。(参照

 大学受験で「文転」する人もいるので、学部の4年間が文系だったからといって科学に関心がない人かどうかは決めつけられませんが。


 どちらにせよ、新聞社の科学部も含め日本の科学ジャーナリズムは本当に未熟です。
author by よんなん
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