変化の年にしたい

 髪形を変えました。

 無性に髪を短くしたくなり、勤務が終わって高崎駅のQBハウスへ寄るなり「スポーツ刈りにしてください」とお願いしました。

 今まで頼んだことがないような髪形に、店員さんがあっけにとられたような顔をしたものですから(←なぜかQBハウスで顔を覚えられている男)、軽く訳を話します。


 髪を切った理由はともかく、今年は始まって半月もしないうちから変化の多い年になりそうな予感です。

 まず、10年以上購読していた新聞を、論調がガラッと異なる新聞に思い切って変えました。(東京新聞→読売新聞)

 電話も、私にしては異例の短さ(1年半)で機種変更しました。

 空気を読めるようになろうと思い始めました。(見込みが薄いとはいえ)

 そして、これまでの悪行三昧を反省して、髪型を変えました。
(…これは1〜2か月もすれば元に戻ると思いますが)


 今年の誕生日がくれば30歳で「魔法使い」ですし、入社5年目ですし、入社以来だらけ放題だった日々を改めようという動機づけだけは今のところ満載です。

 三日坊主になりそうな気もするんですけど。
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空気が読みたいです

 きのう、スキーの帰りに近隣に住む知人Aの家へ招かれていたので、軽井沢駅で共通の知人B(都内在住)と待ち合わせをしました。

 知人Bは軽井沢で買い物をしていたと言うので何を買ったのだろうと思ったら、片手には菓子折りらしき包みの入った袋が。

 聞けば、軽井沢で買ったのではなく、出かける途中に都内で買ってきたのだとか。




……

………

…………なぜ?


 知人Bは私の表情を察するなり、「お前は他人の家に呼ばれて手ぶらで行くつもりだったのか!」とあきれたように言うわけです。

 そして、「あたしはちゃんと空気が読める子だから」と、涼宮ハルヒ並みの勝ち誇った表情でたたみ掛けるように一言追加。

 そうなると、もう私の立場などキョン以下、たぶん谷口・国木田レベルにも届かずに、コンピ研部長と同程度ですよ。
(例えが正しいかどうかは別として)



 残念ながら「人は見た目が9割」でして、こういうところでツボを押さえた振る舞いができるかどうかは、社会人生活を送る上で必要不可欠な要素なのは明らかです。

 どんなに日ごろ堕落していようと、空気を読むべきところでは読む能力の大切さは、織田信長・斎藤道三の正徳寺での会見を例に出せば、まさに歴史が教えてくれる事柄です。

 本来ならこういうのは社会に出る前に培われておくべきなんですよね。


 こうして振り返ると、中学から大学を出るまで鉄道研究部・鉄道研究会という、人生の急坂を転げ落ちるも同然の部活・サークルに軸足を置いていた私には、そういうのを背中で教えてくれる先輩がほとんどいなかったのかもしれません。

 先日も、グリークラブ出身の後輩(←同業他社)と飲んだとき、どちらの言動が社会人としてできているかと考えたら、彼のほうが数段上だと痛感させられて帰りの電車で落ち込んだものです。


 今年の目標は、「空気を読めるようにする」と掲げようと思ったはよいものの、はて、いまさら何(or 誰)をお手本にすればよいのだろう、と途方にくれるのです。
author by よんなん
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早稲田ワセメシ名店会

 3日前に有楽町のイトシアへ行ったら、地下に「東京カレー屋名店会」なんて店を見かけたんです。

 都内の5軒のカレー屋のカレーが食べられるんだそうで。

 最初は、「○○博物館」とか「○○ミュージアム」「○○スタジアム」「○○ストリート」みたいに、5軒の支店がそれぞれ集まったスペースかと思ったら、1軒の店が5軒のカレーをメニューにして出している様子です。


 こんなことできちゃうのか! と激しく衝撃を受けました。

 ここでどうしても思い出してしまうのが、大学生時代の先輩(仮に自称Pさんとする)の話。


 妄想癖が私以上に激しく、先輩とはいえ正直なところ少々手を焼いていたお方でした。

 当時、西早稲田キャンパスのすぐ目の前にあった旧第一学生会館(一学)。
 そこに陣取っていた某サークルの溜まり場で、まもなく戸山キャンパスの隣に新築・移転する新学生会館近辺にはこれまで出入りしてきた一学周辺のような店がない、という話になって、自称Pさんは

・将来起業して、新学館向かいのサイゼリヤの2階に店を出す
・メーヤウの激辛チキン、三品の赤ミックス、フクちゃんのチョコとん、ワセ弁…など、いわゆるワセメシが何でも食べられる店にする

と、妄想…よく言えば夢を語りだしたのです。


 後輩の立場の私は、そうですねー、早大生がこぞって出入りして大繁盛しそうですねー、なんて適当に相槌を打ちながら、……明らかにライバル店出現なのにレシピ教える店があるかよ、だいたい、三品で食べるから赤ミックスなんじゃねーか……と内心思っていました。


 それから7年近く経過して2008年。出しているメニューこそ違えど、同じコンセプトの店が目の前にあるわけです。

 実は先見の明があったのは先輩の妄想のほうだったのだろうか……と。


 ……そうはいっても、早稲田界隈のワセメシを早稲田以外の場所で展開して、誰が食べに来るのか、といえばたぶん閑古鳥が鳴くと思うんです。

 ただ、同じ早稲田の地でも日曜日や連休に開かれるオープンキャンパスとかホームカミングデー(その日は三品食堂などが軒並み休み)のようなイベント限定でやったら、少し話が違ってくるのではないか、、、といまさら自称Pさんに便乗して妄想を広げてみたり。


 しかしそれは、自称Pさんじゃなくて、企画サークルの面々に任せたほうがうまくいくのは確実だろうと思いますが。
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クルマを締め出して賑わう街

IMGP4112.jpg 有楽町へ行きました。

 1時間ほどヒマができたので東急ハンズやイトシアへ行ってみると、有楽町駅からイトシアまでの一帯から道路が取り払われて、全部歩道(というか、歩行者用の広場)になっていました。

 ここに路面電車さえ走っていれば、まるでヨーロッパの中心市街地であるかのようです。
(東京なので、JRの高架電車やら地下鉄はあるんですけど)

 ようやく日本もここまできたかー、と思うわけです。


 学生時代の主な研究テーマは、都市中心部に流入するクルマを抑制して公共交通と歩行者で賑わいのあるまちを取り戻す、ような話(←機械工学科なのに)でした。

 が、当時の東京周辺にはこのような具体的な事例がなくて、海外の先進的な事例を(資料で)見てもピンと来なかったんですよね。


 もちろん、電車の駅とクルマが来ない歩行者専用の広場があれば賑わうのかといえば大ウソで、ここにはイトシア、さらにその向こうには銀座という魅力的なコンテンツがあるからなんですけど。

 群馬で似たようなことをやるには、もはや高校生しか来なくなった駅周辺に、どうやって商業的に成立するコンテンツを持ってくるのか、というのが大きな課題になりそうです。

 たぶん、ニワトリが先かタマゴが先かの話で一向に進まないんだろうと思いますけど。

 まぁ少なくとも、高崎駅の中に吉野家とマツモトキヨシとマクドナルドとゲームセンターくらいしかないんじゃ、もっとお金を落としてくれる層は電車に乗って来てくれないでしょう。

 逆に、高校生しか来ないからそういう店を置くしかない、という事情もあるに違いないです。


 それでも、高崎駅周辺にマンションが次々と建って(売れているのかどうか謎ですが)、駅周辺に住む人が増えそうな予兆があるのは、客層の広がりによい影響があるに違いないです。

 …それに、今年の6月にヤマダ電機の都市型店舗が高崎駅東口にオープンすると同時に、大ペデストリアンデッキと高速バスターミナルができるので、期待を寄せてみたいものです。
(本来の繁華街は西口なんですけども)
author by よんなん
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安物125周年

IMGP4100.jpg 写真のマグカップは、早大125周年グッズのひとつで、学生時代にキャンパスツアーガイドか何かのからみで頂いたものです。

 当時、もらった瞬間に「こんな安物ありかよ!」と思いましたっけ。

 えび茶色のマグカップに、プリントで「早稲田ベアー」などをあしらったマークが入っているんですけど、プリントだからいずれ消えてしまう運命です。


 我らが母校、早稲田大学の125周年は今年でしたが、当時から記念グッズ販売などは始めていました。

 それまでの大学グッズは大学生協が(勝手に?)作って売っていたのを、大学当局が版権を整理するなどして、いくつかの生協版グッズがお蔵入りになった記憶があります。
(……で、合ってますか?>関係者)

 そうまでして出てきた「大学公認」グッズがこの程度だったんですよ。


 浦安の家で家族が日常的に使っており、久々に見たら、案の定、プリントがはげて写真のような有様になっていました。
 ……こういうのは「年季が入った」というのとは違うと思います。

 125周年だった今年まで持たない125周年記念グッズだったのか……。orz

 大隈重信の「人生125歳説」から特にアピールしていたはずの早稲田大学の125周年、という重みは、当局にとってその程度だったのだなぁ、と。


 …まぁ、それまでウヤムヤだったらしい権利関係を整理した取り組みは否定しませんが。
author by よんなん
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「魔法使い」まであと1年

 29歳になりました。
……といっても日付がそうなっただけで、当該時刻の19時過ぎまであと15時間近くあるんですけれども。

 今日は泊まりの仕事で、去年のように(参考1参考2)誰かさんが誘ってくれたりということはなさそうです。


 誕生日というと、最近特に意識するのは表題のことです。

 いや、趣味の鉄道方面でつるんでいた面々と顔を合わせると、ほぼ全員該当する(はずな)ので、そういう連中と飲んでくだ巻いているうちはいいんですが。


 別な(まともな人達が集まる)方面でこういう話が出ると、たいてい……

「生まれて今まで人を好きになったことがないなんておかしい」

だとかー、

「たかはしくんは男の人のほうがいいんだもんねー」

などとー、言われ放題言われ続けているのであります。


 確かに、他人への思いやりに欠けるという指摘をよくもらったり、「お前は自分の彼女にもそんな態度が取れるのか」と相手を怒らせてもピンと来なかったり、というのは事実です。

 そうすると、↑の「〜おかしい」というコメントは、あながち的を外したものではないということになります。


 社会に出たのは周囲の四大卒と比べても3年遅れだったんですが、こういう面では10年くらい遅れで追いかけている感じ(=19歳レベルかそれ以下)、と考えると妙にしっくりきます。

 といって、ここであわてふためいてどうなるもんじゃないし、ありのまま受け入れるしかないのだよ、と考えてしまう性格は高校生以来直っていません。
author by よんなん
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喪中ではあるのだけれど

 今年の1月に母方の祖母がこの世を去ったので、こんどの正月は年賀状のやり取りをしないのが建前です。

 ……そうはいってもこのご時世、年賀状の役割は、本当に新年がおめでたいので賀状を送るというより、あまり連絡を取らない人に年1回ハガキを出して近況を知らせる格好の機会、という性格のほうが大きいのかなぁ、と思うのです。

 それに、年賀状を誰に出すかといえば、前年に年賀状をくれた人に出す人も少なくないのではないでしょうか。

 喪中云々をきっかけに年賀状のやり取りが止まる相手も当然出てくるはずです。


 なにしろ、事の始まりは今年の1月ですし、もう「およそ1年」経過したからいいんじゃないか、とか、働き盛りの最中に家族を残していなくなってしまったのではなくて92歳で大往生だったのだし、丸々1年も悲嘆にくれている必要が果たしてあるのか、などなど都合のよいように考え始めてしまう始末であります。

 先月の初めに浦安へ帰ったとき、私の分の喪中ハガキをどうするか両親から聞かれたのでそう答えたら、30近くにもなって妙なことを言う子だ、というような顔をされましたが。
(当たり前)


 そんなわけで自分の分の喪中ハガキがまだないので、さてどうしたものか…と。

 こういうときに近況を知らせる「寒中見舞い」は松の内を過ぎないと出せませんし、そろそろ年賀状の受付も始まりますから、あと1週間も放っておくと年賀状が届いてしまいます。

 まぁ、高崎の寮に届く分には特に構わないんですが、浦安の家にどっちゃり届いてしまうと面倒なことになりそうです。


 こういうときに「クリスマスカード」というのは都合のよい代物ではあるんですけど……そもそもクリスマスというのが私にはどうにもピンと来ない日ですから。ねぇ。
author by よんなん
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閉架式図書館でも便利

 国会図書館へ行きました。

 国会図書館はすべて閉架式で、読みたい本やら資料は係の人に持ってきてもらわねばなりません。

 一方、某早稲田大学図書館は、基本的に全書架に入れます。(一部の貴重書などを除く)
 学生時代、キャンパスツアーガイドだった私は、この「開架式」が某大学図書館の特徴だとPRしていたものです。


 さて、久々に国会図書館へ行ってみると、何年か前まではひどく面倒だった閲覧・複写申し込みが、検索用パソコン上でできるようになっていました。

 学生時代に来たときは、

・コピーしたい記事が載っている雑誌の閲覧を申し込む
    ↓
・30分くらい待って、持ってきてもらう
    ↓
・当該の記事を見つける
    ↓
・複写を申し込む
    ↓
・また30分くらい待つ(または、後日受け取りや郵送受け取りも可)
    ↓
・代金と引き換えに受け取り
    ↓
・原本の雑誌そのものを返却

だったんですけど、国会図書館は、雑誌そのものだけでなく雑誌に載っている記事(論文)ごとに目録ができていて、きのうは

・端末上で、コピーしたい記事を見つける
    ↓
・端末上で当該の記事だけ複写申し込み
    ↓
・1時間くらい待つ(別の本を閲覧申し込みして読んでいればよい)
    ↓
・代金と引き換えに受け取り

で終了でした。
(端末上で申し込めるのは白黒コピーのみでしたが)


 国会図書館の「登録利用者」になれば、ネット上で記事検索→ネット上で複写申し込み→郵送受け取り、も可能なんだそうで。


 国会図書館は複写料金が高い(1枚25.2円)ものの、以前と違ってここまで「全部やってもらえる」となると、少しは納得してしまったりもするのです。

 それと、国会図書館の複写サービスは「日本キリスト教奉仕団」という団体に委託されていて、後日受け取り・郵送受け取りにすると、障害者雇用にも一役買うことができる(らしい)という一面もあります。


 こうしたサービスを利用してみると某大学図書館の「開架式」は、聞こえはよいけれど、すべてセルフサービスってことなんですよね。
(もちろんコピー代なども安いんですが) 
author by よんなん
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ポストドクター

 7月3日(火)の「クローズアップ現代」がポストドクターに関する話でした。
(ポストドクターとは→Wikipedia

 今回は、理系のポスドクに焦点を絞った話でしたけど。

 この30分で出てきたのは

1.東京大学の某研究室で研究を引っ張っている7人は全員ポスドク
2.生活のために研究を捨てて無関係の分野で営業マンになった博士
3.博士を採用しようとして頓挫した企業
 (↑どう見ても味の素です。本当にありがとうございました)
4.博士課程の学生に企業活動を身に付けさせる東北大学の取り組み
5.博士を活用できている上司がいる企業の例

と、結構中身の濃いものでした。
(短い番組なのに中身が濃いのがこの番組の特徴ですが)

 私が納得したのは「3.」の企業の担当者のコメントです。
 ナレーションで、この企業が博士を募集して定員の20倍もの応募があったにもかかわらず採用にいたる人材がいなかった、自分の専門以外のことになると具体的なアイデアを出す訓練を受けていない人が多かった、と紹介したあとに、

企業の担当者:
「私たちが求めている研究者というのは、自分で研究のプランを作って、大きな目標を立てて、それを実行に移せる人です。私たちは35歳の人を22歳で採用した人と同じレベルでは扱いません。やはり35歳なりの能力およびその将来性を期待します」

と続くのです。

 大学に35歳まで居続けたんじゃ、そりゃそうだろうなー、と思うのです。
 私自身については、よくあれで修士が取れたと思うレベルで大学院を出た(というか、追い出されたに近い)ので、そもそも博士課程に進める水準ではなかったと思っていますが。(笑)


 大学院の研究室の環境というか、特徴はというと、個人的に体験して実感した限りでは以下のようでした。

 ほとんどの研究室では1〜3年なんかで成果が出るような研究はしていませんから、学部の研究室配属後1年、あるいは修士2年では、研究は完結しません。

 私は偶然にも研究室での新研究テーマの立ち上げに関われました(で、大した戦力にならずに終わった)が、そうでなければ、研究室で先輩方が取り組んできた研究を数年間だけ引き継いで、途中経過を論文にして学位をもらい、後輩へ引き継ぐことになります。

 そこで求められる能力とは、プログラミングなどの計算処理能力や実験のための労働力であって、アイデアを出す能力や、問題を認識する能力ではありません。…シミュレーションをするときのモデルづくりで若干そういう頭を使うかもしれませんが。


 私立大学の場合、大学院生はさらに教員の仕事も一部します(学部生の指導、ゼミの指導など)。授業のTAは時給1200円が出ますが、これら研究室内の手伝いは無給です。

 はっきり言って、手足として使われるなら、こんなところへ学費を払って通うより、企業から給料をもらって同じことをしたほうがよほどマシだと思っていました。


 実際に就職をしてみると、ある程度の規模がある企業の場合、↑の担当者の言葉どおり、学部卒・修士卒に対する人材育成はかなり長い目で見た手厚いもののように思います。
……逆に言うと即戦力としては扱われないので、なかには「干されている」と不平を言って辞める人もいますが。


 アイデアと言えば、私の勤務先では「アイデア提案制度」があって、提出が盛んに奨励されています。
 一口にアイデアと言っても、雲をつかむような絵空事ではなく、自分で実行したような小さくても地道なアイデアのほうに重点が置かれています。

 大学の研究室では、この程度のアイデア発案+実行力すら養われない気がします。
(学生時代の私は、自分の手に負えない大風呂敷ばかり広げて窮地に陥って終わりました)


 とはいえ、同じ理系でも学科によって性格は異なるでしょうし、大学によっても雰囲気は変わってくるでしょう。
 ↑の「5.」のように博士を活用できている会社もありますし、逆に、20代前半の新卒者を即戦力にして半ば使い捨てのようにする会社もあるでしょうから、一概には言えないはずです。

 ただ少なくとも、博士課程には、高校を卒業→大学を4年で卒業→そのまま修士課程2年→さらに大学に残って博士…という画一的な人ばかりではなくて、高等専門学校などを経ての飛び入学だったり、いったん社会人を経験していたり、いろんな人がいたほうがいいんだろうな、とは思うわけです。
author by よんなん
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お客さまは「王様」ですが…

 「お客さまは神様です」とは三波春夫の言葉ですが、実際には「王様」と言ったほうが的確ではないか…という方がいました。

 神様は決して下々の者に無茶を要求しないに違いなく、王様なら中には暴君のような人もいるだろう、ということだとか。

 うまいこと言うなと思ったものです。

 きょうセントラルの玄関で、「入会の資料があったら欲しいんだけど」と、両手をポケットに突っ込んだ「上から目線」でスタッフに告げる30代くらいの男性がいました。

 どこぞの社長さんか成金か、という態度ですが、身なりはそうでもなく。

 …いくら客と従業員の関係とはいえ、人に物を頼む態度ってものがあるだろうよ、と(同じ客の立場として)思うのです。

 どこかの鉄道会社みたいに、どっちが客だか分からないような場面で怒っているならともかく、セントラルスポーツの従業員はよくやっていると思うのですけれども。


 第三次産業に従事する人が3分の2を超える(平成17年度国勢調査)この世の中、プライベートでは消費者でも出勤すればサービス業の従業員、という人が大半のはずです。

 小学校の先生じゃありませんけど、「自分がされて嫌なことを他人にしてはいけません」って言葉がそのまま当てはまるケースでしょう。


 もしかしたら、社会人になる前はそんな人じゃなくても、就業してからお客さま応対をする中で、「消費者はここまで強い立場で出ていいのか」と妙な勘違いをしてしまう人もいるのかも分かりませんが。


 話は少し変わって、新聞を賑わせている北海道の食品加工卸会社の話。

 社長が「冷凍食品を半額で買う消費者も悪い」と“暴言”を吐き、息子の専務が撤回したそうです(読売新聞の記事)が、商品を適正価格で買わないと粗悪品が出回るのは当然の帰結だと思います。

 かつて北海道の乳業メーカーが同じように問題を起こしましたよね。牛乳だってスーパーマーケットでは特売品の代表みたいな商品です。


 じゃぁ、メーカーや流通が何の工夫もしない物価高の世の中を容認するのか、といえばそんなことないんですけど、実は消費者が寄ってたかって虐めているのはどこかのお金持ちでもなんでもなくて、ああいう零細企業だったり、普通のサラリーマンだったりするんだよな、とふと思うのでした。
author by よんなん
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