鉄道事業会社と自治体の使命の違い

 私が思うに、鉄道事業会社の使命は「そこにある輸送需要を満たす輸送力を安定して供給すること」なのだろうと思っています。

 鉄道に限らず、電気、都市ガス、上下水道などといったライフラインは、最初に整備する時点では生活水準の向上であるとか、生活衛生の改善、あるいは民間資本によるお金儲けといった動機があるやもしれませんが、その後の運営に関していえば「需要を満たす供給を過不足なく安定して行うこと」が事業体の使命となります。

 料金の許認可に際して総括原価方式が認められるのもそうした特性ゆえでありましょう。

 東日本大震災で被災した路線のうち、仙石線が復旧したのは鉄道でなければ満たせない輸送需要があったからで、気仙沼線や大船渡線がBRTとなったのは、バスでも満たせる輸送需要しかなかったからです。

 整備新幹線のように、需給の問題とは別のところで新線を作るようなケースは、特殊法人が建設してJRに「受益の範囲内」のリース料で貸し付けをしますし、それまで機能していた在来線は鉄道では輸送力(供給)が過剰となるので(旅客会社は)手放してよいことになっています。

 さて、2024年3月ダイヤ改正の京葉線の改正内容はどうでしょうか。

 快速電車をデータイムのみとして、朝10時までと夕方16時以降は各駅停車しか運転しない、という改正で、県内の自治体に衝撃を与えました。

 自治体の反応は要約すれば「地域振興に支障が出かねない」というものです。





 一方でJRは、各駅停車に対して通勤快速は7割程度の利用しかなく、混雑の平準化と、通勤快速通過駅の停車回数拡大と、(通勤快速の追い抜きをなくすことで)各駅停車のスピードアップを目的とした、としています。



 通勤快速が通過する駅に輸送需要があり、その駅を通勤快速が定員に余裕を残した状態で通過しているのなら、その電車を停めて輸送需要を満たす、あるいは快速が混雑しているなら供給に余裕のある各駅停車へ誘導する、という理屈です。そこには「需要を満たす供給を安定して行う」という思想しか存在しないのではないでしょうか。
(需要が不均衡なら快速を増やし各駅停車を減らす選択肢もあるでしょうが、各駅停車を快速にして通過させるとその駅から乗れる電車がなくなるので、速達性よりもその課題を重視していると考えられます)

 足元の地域振興、つまり将来の需要を増やす、あるいは現状以上に減らさないことを考える自治体と、現時点の路線全体の需要(あるいは現状を元に予想される将来推計)をまかなう輸送力の供給を考える鉄道会社は、それはそれは考え方がかみ合わないはずです。

 日本には、大正から昭和にかけて都市部の鉄道を整備してきた事業体として国鉄や営団地下鉄、それから自治体による公営のほかに、私鉄という自己資本で線路を敷いて土地を切り開いて大規模な不動産開発を行って収益を上げるガラパゴス並みのビジネスモデルがありました。

 関東では田園都市線を最後にそうした鉄道整備は行われなくなり、平成に入ってからの鉄道新線は国鉄線と同じように鉄道公団〜鉄道・運輸機構が建設して私鉄へリースする仕組みに変わりました。

 令和に入ってからの神奈川東部方面線、いわゆる相鉄・東急新横浜線は、相鉄沿線と都心との行き来が横浜まわりだったものをショートカットする新線です。新横浜駅から東海道新幹線に乗れるようになり、いずみ野線沿線の不動産は多少売れるか分かりませんが、おそらくは相鉄にも東急にも減収要因ばかりで整備する動機がないはずの新線だったのではないでしょうか。

 しかし国の審議会で整備が決まり鉄道・運輸機構が建設してしまうとあっては、運営を他の事業体に持って行かれたらそれ以上の減収となるので引き受けている要素があるやに私は考察しています。

 需要を喚起するのでなくそれを満たす供給しか行わないことは、一歩間違えると「乗せてやる」という思想になりかねません。

 昭和末期に「乗せてやる」から「乗っていただく」への転換を期待された国鉄〜JRですが、それから35年以上を経て民鉄を含めて鉄道業界全体、いや、サービス業そのものが「乗せてやる」「売ってやる」「提供してやる」へ向かいつつあるのでしょうか。

 主題とはやや変わりますが、消費者保護どころか「カスタマーハラスメント」という言葉まで生まれ、2023年にはバスやタクシーの車内に運転者氏名を掲出する義務がなくなりました。

 昭和末期から平成にかけてサービスの評判が悪かった国鉄〜JRや東武や京成が制服に名札を着用するようにした動きとは逆の時代の流れも感じます。
author by よんなん
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