経営(政治)判断と財務のはざまで

 現在、勤務先で老朽設備更新の計画に携わっています。

 社内には本社にも支社にも事業部門と投資財務部門があって、自分がいる支社の事業部門は本社の事業部門を通じて投資財務部門から設備投資予算を取り付ける流れです。

 目下、勤務先の営業収入は振るわず、当然、設備投資できる総額は限られていて、ほかにも設備投資案件が山積みのなか本社の投資財務部門はあれやこれや(事業部門から言わせれば)難癖をつけて予算を渋ろうとします。

 コストダウンが無限にできるはずもなく、それを超えて設備更新の投資額を減らすことは、当然、今後の事業規模が縮小することを意味するので、事業部門は最大限の抵抗を試みます。

 が、そこはビジネスライクな数字の世界であり、事業部門がいくら社会科や道徳の教科書に出てきそうな文言を並べたてたところで投資財務部門の首を縦に振らせることはできません。

 最終的には事業担当と財務担当の役員クラスの出番となり、事業部門の他の投資案件と引き換えに、自分が担当する設備投資案件は予算が認められる流れになりました。


 こうした業務に携わるのは初めてだったので、いろいろ新鮮でした。

 きっと国でも財務省と各省庁で似たようなやり取りがあるんだろうなぁと思いをはせる次第です。

 債務を減らしたい財務省と予算が欲しい省庁間であれやこれややり取りがあるところへ、大臣クラスの政治決着で予算がついたりはがされたりなど、きっと珍しくもないのでありましょう。


 会社全体、あるいは国全体のことを考えれば、本来、成長分野へ予算を振り向けるために売上(税収)に応じた適切な事業規模にすることは、社員、役人が総出で取り組むべきテーマのはずです。

 しかし、勤務先のように大きな組織になると、設備投資縮減を勉強したとしても他の案件に予算を取られるだけで、短期的には予算をゴネ続けた部署がゴネ得して予算縮減を勉強した部署がバカを見たように映るのが実情です。……きっと、国でも同じことが起きているのではないかと思います。

 今回の案件でいえば、我々が投資予算を獲得したのと引き換えに投資が見送られる案件があるわけで、会社全体で見れば何が最適だったのか考えさせられます。

 「経営判断」とは、ときには下々の者が数字をもとに折衝したものをひっくり返すものです。何か一貫して筋の通った経営理念や哲学があってそれに基づくものならよいかもしれませんが、3年おきに人事異動で替わる役員のお気持ち次第とあっては、財布をあずかる部署の人たちはやり切れないだろうなぁと思います。

 そういう高度な判断の現場とは程通い私のような万年係長には永遠に理解できない話なのかもしれませんが。
author by よんなん
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