2〜30代のうちにしておく苦労を今している

 7月に異動して、40歳にして実質的に初めてのホワイトカラー業務に就いてみると、「ホワイトカラーの仕事のABCがまったく身についてない」ことを痛感するばかりです。

 「上司への報告」ひとつとってみても、上司はみな忙しいのでまずスケジュールを押さえることとか、そうすると作業の締切は実質的に早くなるとか、最終的に報告する相手が幹部クラスになればなるほど事前に説明する相手が増えてスケジュール管理はもっと大変……などなど。

 25歳で就職をして、5年間の現場第一線経験を経て30歳でいったんホワイトカラー職場へ来たものの早々に体調を崩して以降は主に倉庫の在庫管理などを担当していた身には、まったく初めての経験です。

 あと、それに加えて(入社以来の希望分野とはいえ)初めて経験する分野の業務に就いたこともあって、1年間の業務の主な流れがまだつかめていない段階では、本当に目が回るような日々です。


 特に、取り組む仕事の作業量がよく分からず、どのくらいで資料が形になるのかもよく分かっていなくて、それでいて上司に報告するスケジュールは前もって決めておかないといけない(その日時が来て資料ができてないとかありえない)のは、プレッシャーが大きすぎます。


 こういう苦労は、ほかの方々は2〜30代のうちにしてきているのだろうなぁ……と感じながら、指導を受けています。


 ただ、10年前だったら「この目が回る日々が定年まで30年続くのか……」と絶望していたに違いない環境でも、40歳のいまだと「仕事を覚えるまでの(長くても1〜2年の)辛抱」とどうにか受け止められるのが救いです。

 前職の在庫管理の仕事も、赴任時点では周囲で飛び交っている言葉の意味も分からず、何をどうすればいいのかも分からず目が回るようだった日々が、1〜2年して全体がつかめてくると新任の方にもある程度教えられるくらいになりました。

 仕事の全体像をつかむのに1〜2年は長すぎで、本当に仕事ができる人は1〜3か月くらいなのだと思いますが、それでも「この苦労が定年までずっと続くわけではない」と受け止められるだけでも、10年間のブランクの意味はあったと思うことにしています。
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「MaaS」とは何なのか自分なりに考えてみた記録

 きのう、休暇を取って「鉄道技術展」に行ってみました。

 目当ては展示よりも初日の「MaaS」に関する基調講演(事前参加予約制)で、事前予約では満席でしたが当日の空席待ち整理券の5番目を手に入れて入場できました。……実際には空席もちらほらあり、空席待ちの人は全員入れたのではないかと思います。

 平日の開催なので、予約はしたものの仕事の都合がつかなくて欠席する方が少なくないのかどうか。

 公演に登壇した鉄道事業者の幹部と、国立大学の先生のお話で共通したのは、「『MaaS』という言葉は2014年ごろに出てきたが、その内容はすでにわれわれが手掛けていたものだ」というものでした。


 じゃぁこれまで通り事業者は鉄道と電子マネーをやっていればいいのか、というとそんなことはなくて、目下MaaSの覇権争いの真っただなか、というお話でした。


 個人的に理解したところでは、要はアプリ開発というか、バーチャル交通事業者の出現と競争、ということなのかなというところでしたが、合っているでしょうかどうでしょうか。

 たとえば「OK Google、家から大阪までの電車か飛行機とホテルをお願い」とスマホに話しかけるとGoogle先生が乗換検索とホテル検索をしてくれて予約と決済が完了して、駅へ行けば「地下鉄の切符を買う」とか「JRの新幹線に乗る」ということを意識せずに「Googleで予約してGoogleが手配してGoogleで決済した(あたかもGoogleが提供したかのような)サービス」を利用して出かけて帰ってくる、というような生活スタイルのことを言っているのかなと受け取りました。

 携帯電話でいえば、実際にアンテナを立てて電波を出しているのはドコモとauとソフトバンク(とこれから参入する楽天)だけですが、3社から電波を調達してサービスだけ提供しているMVNOは無数にあります。

 たとえばLINEモバイルの利用者は、自分のスマホが3社のどの通信網を使っているかなんてほとんど意識しないわけです。(3社から選ぶこともできますが)


 同じようなことが交通事業でも起こり始めていて、それは楽天トラベルや各交通事業者のスマホアプリだったり、スマートスピーカーやウェアラブル端末も連携できるシステムだったり、名乗りを上げている事業者があまたある、ということなのでしょう。たぶん。


 MaaS事業者が存在感を示すようになってくると、交通事業者は「お客さまに選ばれる」ことと並んで「MaaS事業者に選ばれる」ことも重要視しなければいけないことになります。

 交通事業者みずからMaaSアプリを開発して競争に勝って自社サービスへ誘導する手法も考えられますが、それと同じくらい“バーチャル交通事業者”のMaaSアプリでサービスを利用できるようにすることが必要になってくるはずです。


 JR東日本がGooglePayやApplePayに(決してグローバルスタンダードとはいえない)FeliCaの交通系ICカードを取り込ませているのは、将来、GoogleやAppleが世界的なバーチャル交通事業者になりかねないことを見据えてなのかなと思ったり思わなかったり。

 2020年には楽天PayにもSuica機能が入ることになっていますし、JR東日本にはビューカードというハウスカードやモバイルSuicaという自社アプリもありながら、それだけにこだわっていたら“楽天経済圏”のユーザーもみすみす逃してしまうということなのでしょうか。(個人的な推測)


 ふとそんなふうに「MaaS」をいまのところ理解しています。
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育児休職1週目

 今週の月曜(9月30日)から育児休職に入りました。男親に産前産後休暇はありませんが、女性の産後休暇にならって産後8週間となる11月初旬までの予定です。

 産後8週間で終える理由はもう一つ、男性が産後8週間以内に育児休業を終えると同じ子の育児休業をもう一度とれる特例があり、もしもこの先保育園に落ちた時はそうする予定だからです。
(妻は今年3月で仕事を辞めていて、来年5月から再度働く予定)


 実際の休みは、妻が退院する27日(金)に年次有給休暇、そのまま土日の休みを経て30日(月)からの育児休職なので、きのうで実質的に休み始めて1週間が経過しました。


 「育児休職」の文字通り子守にかかりっきり、ということはなく、そのほか炊事・洗濯・掃除・買い出しなどの家事も含めて妻と分担してやっているのが現状です。

 夜のことは後述するとして、朝は6時ごろから炊事洗濯掃除とミルクやりを終えて娘が昼寝に入ってしまえば、10時ごろから昼まで2時間ほど自分の時間ができます。

 ……フルタイムで働いているときのような、平日は朝7時に家を出て夜9時に帰ってきて、家では風呂に入って寝て週末に作ったおかずとご飯を食べるだけ、という暮らしに比べれば、自分のことをする時間が作れるわけです。


 最初の数日は、病気休職をして家で療養していたころのようにポカーンと過ごしていましたが、きのうから勤務先の通信研修テキスト講座を進めたり、きょうはパソコンを広げてブログをつけたりしています。……通信研修テキストも手元に1冊しかなくて早々に提出課題を終えてしまい、もっと申し込んでおくんだったと後悔するなんて、自分のどこにそんな意欲があったんでしょうか!

DSC_5469.JPG また、食事も最初は野菜炒めとか焼きそばとかラーメンとかだったのが数年ぶりにレシピ本を広げて何か作ってみたくなって豚の生姜焼き(昨晩・写真)やらクロックマダム(今朝)やらを作ったり、おまけに手のひらの汗疱もこれまで薬を塗る間しか改善していなかったのがすっかり治ったり、もろもろの意欲が出てきたり日ごろ手に汗をかくことが減ったと思うようなできごともありました。

 そういう一面を見ると、炊事なんて総菜を買ってくれば“お金で解決できる”のに仕事もしないでそんなものに精を出したり(実際、妻が事前に買い込んでいた冷凍食品が手つかず)、そのほか通勤のストレス(推定)からも解放されたりして、「男の育児休職は、単なる『夫の休み』だった!」という面もゼロとは言い切れない、のは事実かもしれません。


 一方、夜の子守当番を妻に命じられてベビーベッドの傍らで寝るときは、「授乳は3時間おき=3時間睡眠を繰り返す」のかと思いきや、実際には授乳には3〜40分ほどかかるのと、前後のゲップの時間やらオムツ替えの時間を含めれば1時間ほどかかるので、実際には2時間睡眠を繰り返すのがせいぜいです。

 しかも、泣く→オムツ替え・ミルクやり→寝る、と素直にいくかといえばこれまで自分が担当した2晩は全然そんなことなくて、どういうわけか延々と泣かれてしまい、泣く原因も分からずオムツチェックだったり抱きかかえてあやしたりうちわで扇いだりを繰り返すうちに2時間以上経過して気づけばもう次のミルクの時間で、次のミルクを飲んでようやく寝る、なんてこともあり、そうすると

21時のミルクを終えて22時ごろ就寝→(約2時間)→0時ごろ泣き声に起こされて最初のミルクの時間→ミルクをやっても泣き止まないのでずっとあやし続ける(でも泣き止まない)→3時になり次のミルクの時間→ミルクを飲んでやっと寝る→4時近くに自分も寝る→(約2時間)→6時ごろ泣き声で起きて3回目のミルクの時間(そのころ妻も起きてきて交代)

こんな感じで2時間睡眠×2=トータル4時間睡眠、という感じです。


 我が家は妻という交代要員(妻にとっては夫という交代要員)がいるから交代したあと昼寝だって気晴らしの散歩だってできますが、これがワンオペだったらこの状態でまた1日が始まるわけです。

 産後の女性は最低でも6週間は働いてはいけない状態の体なのにもしも母親がワンオペで育児してたらそりゃぁ鬱にだってなるだろう、と思いつつ、自分の育児休職もあと5週間で終わることを考えると、そこから先どうしたらいいんだ……とすでに途方に暮れています。


 妻からは「先の心配をする暇があったら今日の育児をなんとかして」と言われつつも、いろいろ考えてしまいます。
author by よんなん
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多様性ということ

 勤務先で「育児休職を取ります」と言い出した瞬間、いろんな言葉があちこちから飛んできました。

 飛んでくる言葉の過半は、20年くらい前に世の中の過半の女性の働き手が浴びてきた言葉なんじゃないかと思うくらい時代遅れのように感じる言葉で、要は多様性なんか認めないとでも言わんばかりに聞こえなくもありません。

 ……とはいえ、これからより一層多様な人が働く世の中(+社内)になれば、考えが相いれない人たちと一緒に仕事をしなければならない場面も増えることでしょう。


 現状だと私のような(従来型の考え方で見れば)「男のくせに女のような働き方をしようとしている」人はきっと少数派でしょうが、時代が進むと(仮に私が昇進したとして)私のような上司の生き方と相いれない部下との接し方もひとたび誤るとハラスメントになりえます。


 多様性の尊重、というのは実は決して生易しいというか、一両日中に世の中が虹色になるようなものでは決してなくて、その現場では価値観のぶつかり合いというか小競り合いのようなものはどうしても起こってしまうのだろうなぁと思いました。
author by よんなん
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ショーザフラッグ

 また更新頻度がかなり落ちているんですが、そうこうしているうちに妻が妊娠しました。

 私はいまの勤務先に入る前から、結婚して子ができたあかつきには自分が育児休職をするつもりでいました。


 ……ですが、実際に「妻が妊娠したので出産したあとはしばらく育児休職を取りたい」と宣言し始めてみると、世間であれだけ「男性の育児休業取得率の向上」が言われているわりに、周囲からは渋い反応も少なくありません。


 たとえば

「権利だからなぁ」

 世の中にブラック企業があまたあるなか勤め先は年次有給休暇は難なく取れる会社ですが、いちいち年次有給休暇を取る人にそんなこと言ったりしないわけです。

 つまり、言葉にこそしませんが「法律で決まってるしダメとは言えないけれど、快くは思っていない」という反応です。



 なかには

「お前が生む子供じゃないだろう」
「それでも総合職か?」
「昇職や栄転はもうあきらめるんだな」

という声まで耳に入ってきます。


 一方、

「決して会社全体がそういう風潮ではない」
「そういう場面に出くわしたなら、それを変えるのこそ総合職の役目」

というふうな声も聞こえてきます。


 確かに、私が入社以来順風満帆でここまで来ているならともかく、2010年から病気休職を経て、同期のみなさんとのキャリアの差が開く一方というか後輩にどんどん上位職へ追い抜かれるばかりというありさまです。

 そこへ、さらに年単位で業務経験のブランクを自分から作ろうというわけですから「もう出世はあきらめろ」というのも、要は「業務経験のブランクが(病気と合わせて)10年近くできてしまったら逆立ちしたってもはや出世は無理」というのも分からないではないです。


 また、たとえば「育児休職をするなら栄転の話は消える」と言われたとしても、逆にじゃぁ「育児休職をしなければ栄転するのか」といえばそれはきっと違うでしょう。

 かなしいかな、異動が3年おきくらいにある総合職の世界で現職5年8か月(しかも自宅から通勤に片道2時間かかる場所)という立場に身を置いていると、実は育児休職をしようがしまいがもともと栄転とか上位職登用の話なんてないんじゃないか……くらいには考えます。


 病気休職から復帰して以来、「自分の考えにこだわらない」を心がけてきたつもり(それでも「高橋には協調性がない」と言われている模様)ですが、ここへきてまずはハッキリ「私は育児休職します」と、ちょっとやそっと何か言われたくらいでぐらつかない程度に旗幟を鮮明にしなくてはいけないのかもしれません。
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10年のブランク

 「その仕事ぶりじゃ企画部門で通用しないぞ」

 このところ、このように上司から忠告を受ける機会が増えた気がしています。

 総合職の異動はおおむね3年おきくらいの企業に勤めながら、私は現在の職場に5年半いますから、やはり何かしらの事情があって異動させるわけにはいかないのだろうとは(いくら鈍感な自分でも)察しがつきます。

 前の職場で2012年に病気休職から復職はしたものの、ずっと「出勤するのが仕事」のような状態だった自分が、自分にも何かしらの成果が出せる業務を、と希望したところ、2013年の9月に異動先として命じられたのが現在の職場です。

 それ以来、徐々に復調をして、2015年には通院が終わり、2017年には(同期諸君から5年遅れましたが)係長級に昇級をして、歩みは遅いけれども少しずつ復活してきていると思っていました。

 ただ、現在の職場で業務に求められるハードルは、ほかの総合職諸君に与えられる業務に比べてかなり低く設定されていることは確かです。(だから2013年当時の自分でも成果が出せる場所として異動してきた……はず)

 そういう場所に5年半いた結果が、冒頭の上司の言葉になるのでしょうか。


 匿名掲示板の煽り文句に「>>1がクソスレ立てている間に文明はどんどん発達してゆく」というのがありますが、「タカハシが病気でぼんやりしている間に、周囲はどんどん経験を積んでゆく」というやつだなぁと思い知るわけです。

 2009年に前職場に赴任してから半年ほどで病気を発症して以来、総合職として期待される(であろう)経験値はほとんど増えていないまま、2019年を迎えました。
(表題を「10年」としたのは2009年の異動から数えてそろそろ、という意味です)

 それでも入社から15年が経ち、見かけの経験年数だけは増える一方ですから、「2004年入社でその仕事ぶり!?」「2004年に入社したのに、いまになってそんなこともできないの?」「あなた40歳でしょう?」「それでも総合職?」というぐあいに、「2004年入社の総合職」という前提で私を見る人をがっかりさせてしまうことはこれからも増えることでしょう。

 ……そうするとなおのこと「その仕事ぶりではほかの職場で通用しない」となって、ほんとにどこへも異動で行けないんじゃないか、という気がするきょうこのごろです。

 といって、伝え聞くような過酷な状況に身を置いたら、そう時間をおかずにメンタルに不調をきたしそうな気もします。……そんな状況で勤め続けられるなんて、ほんとにほかのみんなはスーパーマンなんじゃなかろうか、、、というくらい不思議です。
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父の生家が人手に渡っていた

 父の実家は新潟にあって、我が家の墓もその近くにあります。

 祖母が15年前に亡くなってからは空き家で、父の姉(私の伯母)がときおり手入れをしていましたが4年前に亡くなって以後、荒れる一方でした。

 父は以前から売る売る、隣の店が買って駐車場にしてくれる、と言いつつかれこれ15年で、2年前には脚を悪くして祖母の13回忌が新潟に来る最後なんじゃないかというあんばいでした。

 自分はどうせ売ったところで更地にして駐車場にされてしまうのなら活用したほうがいいんじゃないか、と妄想をふくらませていました。

 それより、家がなくなったら我が家にとって新潟はお墓しかない場所になってしまい、私の代くらいまではともかくその後の代になるとだんだん来なくなって無縁墓になってしまうのではないか、という考えもありました。

 更地化して駐車場にするにしても隅っこに小屋の一軒でも置いておいて立ち寄れるようにするとか、あるいは建物にお金をかけてビフォーアフターして一棟貸しの民泊にするのもいいなぁ……などといろいろ考えていました。

 妄想をするのはなかなか楽しいもので、実際に現地に足を運んで、近隣のスーパーやら城やその地出身の画家の記念館などの見どころを歩いたりしていました。

 ただ難点は駅から遠い(徒歩20分)ということです。自分が仮に新潟に赴任したとしてもそこに住んで電車で日々通勤するのは少々つらいなぁという立地ではありました。……城とか移転前の市役所や移転前の県立病院には近かったんですけどね。


 そんな昨年末、用件があって父に連絡を取ると新潟にいると言います。

 脚が悪くてもう遠出は無理だったのでは……? 

 しかも司法書士の先生のところにいるからあとにしてくれというので、これはもしや……と年が明けて父の実家の登記情報を見てみたら、ちょうど父が新潟に行った日から隣の店の名前と同じ苗字の方の所有になっていました。

 あーあ。


 もっとも、登記上は父と存命の姉妹の共有だったので、父の一存ではなく3人で決めたのなら孫としては口出しをするところではありません。

 さて長男として本気で考えなければならないのは、墓だけが残った新潟に誰が行くのか、というところです。……いまのところ自分が入るはずの墓ですから、無縁墓になっては困ります。

 父のことなのでへたをすると墓じまいまでやって、自身は海上散骨か何かにしてしまいそうでもありますが。


 墓じまいまではしないにしても、特に現地には資産を持たず、定期的に近隣の温泉で一族を集める場を設けるのも一つの考え方ではあります。

 ……別宅を持っていても維持費がかかるばかりで、そのぶんのお金で旅館に泊まれば豪勢なことができる、というのも一理あります。

 しかし実際には、家の手入れがされなくなってからはとんと誰も行かなくなって、13回忌でようやく実際に温泉に一族を集めはしたものの、これで最後にしましょう、みたいな話をしていた始末です。

 やはり、きちんと維持されていて一族が気兼ねなく立ち寄れる場があるのとないのとでは違うんだなぁと思っている次第です。


 元の家は駅から遠いという難もありましたので、駅とお寺の間に手ごろな物件でも探してみようか……などと新たな妄想を膨らませることにします。

 たぶん、家を買ってビフォーアフターするなら、どんなに小さい物件でもそれなりにまとまった自己資金も必要でしょうから、元手を貯めるのにも精を出したいです。
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「俺は怒っているぞアピール」

 前回こんなことを書いたばかりですが、そのあと先週末から今週はじめにかけて、業務上のことで非常に憤慨していました。

 カーッとなって物に当たるのは小学生以来からの癖で、あと何か月かで不惑を迎えるというのになかなか直らないのですが、自分を別室に呼んで叱るでもなく諭してくれた上司はこんなことを言ってくれました。

「事務室で(また印刷すれば出てくるような)書類を破って見せるなど『俺は怒っているぞアピール』が有効なことも場合によってはあるが、アピールにならない怒り方はまったく意味がない」

 アピールにならない怒り方とは、要は「頭を冷やしてくる」と事務室を出てロッカー室で私物の傘をへし折って捨てたり、ロッカーの扉を凹ませることなど、誰も見ていないところでやっているもろもろのことをいうのでしょう。
(ロッカーの扉が凹んでいるのはあとで露見するのですが)


 ただ、本当に怒ってしまってからでは、なかなか書類を破ったくらいで気が済んだり、それで落ち着いたりなんかしないです。

 まだ理性が残っているうちに、アピールとして、ポーズとしてそういう行動をとるのでなければ、「俺は怒っているぞアピール」で終わらせることなんてできないものです。

 そうやって、怒るのも理性的にできるのが大人というものなのだろうなぁ、と39歳になっていまさら思ったりしています。


 それはそれとして、凹ませてしまったロッカーの扉は、少なくとも自分が次に転勤するまでに直すか弁償するかしなくてはいけません。
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傍若無人な人の向こうにいるもっとひどい人

 街を歩いていると、人々に(わざと?)ぶつかりながら歩いている人や、 宇宙と交信 よく分からないことを喚き散らしながら歩いている人をたまに見かけます。

 特に人々にわざとぶつかって歩いている人は、決して自分より強そうな人には向かっていかないので、弱い人だけに痛い思いをさせているひどい人、と映ります。


 ……いや実際にひどい人ですし、許されることではないんですけれども、その人はきっと職場や家庭で(周囲に分からないように)もっと陰湿なひどい目に遭っていて、その陰湿なひどい目に遭わせている人はのうのうと生きているんだろうなぁ、なぜ「弱い者いじめが下手な人」だけ白い目で見られるんだろうなぁ、と気持ちは分かるような気もしています。


 自分もそういう面では非常に弱い人間で、人々にぶつかることはないまでも、扉を思いっきり蹴飛ばして閉めたり、物を置くときにそっと置かず渾身の力で投げつけたり、要は「決して向かってくることのない弱いもの」に思いをぶつけている点では同じレベルのことをやるのです。
(まれに投げつけたものが跳ね返って自分に当たって痛かったり血が出たりすることはあるんですが)

 そういうときってどういうときか、というと、いまの私でいえば職場でストレスを抱えているときで、よくもまぁこんな陰湿なことができるものだと思うくらい、周囲には分からないような声で罵声を浴びせたり、あれやこれや(思い出したくもない)ことをする人とコンビを組んで仕事をしなきゃいけなかったりするわけです。


 で、そうやって社内で下の立場の人にひどい目に遭わせるのがうまい人は、特におとがめもなくのうのうと日々を過ごしていて、弱いものに当たるのがヘタな自分はたとえば扉をドカーンと閉めたり書類をぶん投げたり、あからさまに周囲に分かるマネをして、上司に呼ばれて職場の秩序を乱してはいけないと叱られたりするわけです。なんで俺だけ? と思うわけです。


 そんな経験があると、街中でわめきながら歩いていたり、人々にぶつかりながら突進している人を、その人だけ責めるのってきっと違うんだろうなと思ったりします。
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終身雇用企業の5日間休暇

 今回の新婚旅行は、勤務先の結婚休暇制度を使って5日間の休暇を取り、6日間のツアーにしました。

 勤務先の就業規則解説集(←そんなのがある会社)を読むと、人生に一度のイベントに際して長期休暇を付与する、と趣旨が書いてあります。


 ……レジャーに5日間の休暇を認める(+前後の週末で9連休)なんて、40年の会社人生で一度きりだよ! といわんばかりです。


 今回はベトナムのリゾートホテルでだらだら過ごすことにしたので、リゾートホテルの滞在記などをGoogle検索すると、別に新婚旅行じゃなくて毎年どこかへ出かけているような人たちのブログや口コミばっかりヒットするわけです。

 こちとら一生に一度の休暇で行くというのに……。


 いまの職場は3人体制なので、1人休めば残り2人の業務量が1.5人分になります。

 病気や何かで長期休暇を取るのはまだ理解されますが、遊びに行くからとドカーンと連続休暇を取るのは、制度上は認められますし実際に休めるものの、戻ってから針のむしろで過ごす覚悟をしなければいけません。


 それか、長期のバカンスに出るたびに会社を辞めて転職するかです。
 ……入社同期だった知人は入社2年でさっさと会社を辞めましたが、その後、転職するたびに世界一周の旅に出ています。

 辞めるといえば新入社員研修で、こういう仲間たちと会社を変えていくんだ! と思っていた人たちからどんどん辞めています。
(辞めた人の全員が全員旅行好きというわけではないですが)


 そんなのひとつとっても、我が勤務先は遅れているなぁと思う、出発初日の機内です。
author by よんなん
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