10年のブランク

 「その仕事ぶりじゃ企画部門で通用しないぞ」

 このところ、このように上司から忠告を受ける機会が増えた気がしています。

 総合職の異動はおおむね3年おきくらいの企業に勤めながら、私は現在の職場に5年半いますから、やはり何かしらの事情があって異動させるわけにはいかないのだろうとは(いくら鈍感な自分でも)察しがつきます。

 前の職場で2012年に病気休職から復職はしたものの、ずっと「出勤するのが仕事」のような状態だった自分が、自分にも何かしらの成果が出せる業務を、と希望したところ、2013年の9月に異動先として命じられたのが現在の職場です。

 それ以来、徐々に復調をして、2015年には通院が終わり、2017年には(同期諸君から5年遅れましたが)係長級に昇級をして、歩みは遅いけれども少しずつ復活してきていると思っていました。

 ただ、現在の職場で業務に求められるハードルは、ほかの総合職諸君に与えられる業務に比べてかなり低く設定されていることは確かです。(だから2013年当時の自分でも成果が出せる場所として異動してきた……はず)

 そういう場所に5年半いた結果が、冒頭の上司の言葉になるのでしょうか。


 匿名掲示板の煽り文句に「>>1がクソスレ立てている間に文明はどんどん発達してゆく」というのがありますが、「タカハシが病気でぼんやりしている間に、周囲はどんどん経験を積んでゆく」というやつだなぁと思い知るわけです。

 2009年に前職場に赴任してから半年ほどで病気を発症して以来、総合職として期待される(であろう)経験値はほとんど増えていないまま、2019年を迎えました。
(表題を「10年」としたのは2009年の異動から数えてそろそろ、という意味です)

 それでも入社から15年が経ち、見かけの経験年数だけは増える一方ですから、「2004年入社でその仕事ぶり!?」「2004年に入社したのに、いまになってそんなこともできないの?」「あなた40歳でしょう?」「それでも総合職?」というぐあいに、「2004年入社の総合職」という前提で私を見る人をがっかりさせてしまうことはこれからも増えることでしょう。

 ……そうするとなおのこと「その仕事ぶりではほかの職場で通用しない」となって、ほんとにどこへも異動で行けないんじゃないか、という気がするきょうこのごろです。

 といって、伝え聞くような過酷な状況に身を置いたら、そう時間をおかずにメンタルに不調をきたしそうな気もします。……そんな状況で勤め続けられるなんて、ほんとにほかのみんなはスーパーマンなんじゃなかろうか、、、というくらい不思議です。
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父の生家が人手に渡っていた

 父の実家は新潟にあって、我が家の墓もその近くにあります。

 祖母が15年前に亡くなってからは空き家で、父の姉(私の伯母)がときおり手入れをしていましたが4年前に亡くなって以後、荒れる一方でした。

 父は以前から売る売る、隣の店が買って駐車場にしてくれる、と言いつつかれこれ15年で、2年前には脚を悪くして祖母の13回忌が新潟に来る最後なんじゃないかというあんばいでした。

 自分はどうせ売ったところで更地にして駐車場にされてしまうのなら活用したほうがいいんじゃないか、と妄想をふくらませていました。

 それより、家がなくなったら我が家にとって新潟はお墓しかない場所になってしまい、私の代くらいまではともかくその後の代になるとだんだん来なくなって無縁墓になってしまうのではないか、という考えもありました。

 更地化して駐車場にするにしても隅っこに小屋の一軒でも置いておいて立ち寄れるようにするとか、あるいは建物にお金をかけてビフォーアフターして一棟貸しの民泊にするのもいいなぁ……などといろいろ考えていました。

 妄想をするのはなかなか楽しいもので、実際に現地に足を運んで、近隣のスーパーやら城やその地出身の画家の記念館などの見どころを歩いたりしていました。

 ただ難点は駅から遠い(徒歩20分)ということです。自分が仮に新潟に赴任したとしてもそこに住んで電車で日々通勤するのは少々つらいなぁという立地ではありました。……城とか移転前の市役所や移転前の県立病院には近かったんですけどね。


 そんな昨年末、用件があって父に連絡を取ると新潟にいると言います。

 脚が悪くてもう遠出は無理だったのでは……? 

 しかも司法書士の先生のところにいるからあとにしてくれというので、これはもしや……と年が明けて父の実家の登記情報を見てみたら、ちょうど父が新潟に行った日から隣の店の名前と同じ苗字の方の所有になっていました。

 あーあ。


 もっとも、登記上は父と存命の姉妹の共有だったので、父の一存ではなく3人で決めたのなら孫としては口出しをするところではありません。

 さて長男として本気で考えなければならないのは、墓だけが残った新潟に誰が行くのか、というところです。……いまのところ自分が入るはずの墓ですから、無縁墓になっては困ります。

 父のことなのでへたをすると墓じまいまでやって、自身は海上散骨か何かにしてしまいそうでもありますが。


 墓じまいまではしないにしても、特に現地には資産を持たず、定期的に近隣の温泉で一族を集める場を設けるのも一つの考え方ではあります。

 ……別宅を持っていても維持費がかかるばかりで、そのぶんのお金で旅館に泊まれば豪勢なことができる、というのも一理あります。

 しかし実際には、家の手入れがされなくなってからはとんと誰も行かなくなって、13回忌でようやく実際に温泉に一族を集めはしたものの、これで最後にしましょう、みたいな話をしていた始末です。

 やはり、きちんと維持されていて一族が気兼ねなく立ち寄れる場があるのとないのとでは違うんだなぁと思っている次第です。


 元の家は駅から遠いという難もありましたので、駅とお寺の間に手ごろな物件でも探してみようか……などと新たな妄想を膨らませることにします。

 たぶん、家を買ってビフォーアフターするなら、どんなに小さい物件でもそれなりにまとまった自己資金も必要でしょうから、元手を貯めるのにも精を出したいです。
author by よんなん
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「俺は怒っているぞアピール」

 前回こんなことを書いたばかりですが、そのあと先週末から今週はじめにかけて、業務上のことで非常に憤慨していました。

 カーッとなって物に当たるのは小学生以来からの癖で、あと何か月かで不惑を迎えるというのになかなか直らないのですが、自分を別室に呼んで叱るでもなく諭してくれた上司はこんなことを言ってくれました。

「事務室で(また印刷すれば出てくるような)書類を破って見せるなど『俺は怒っているぞアピール』が有効なことも場合によってはあるが、アピールにならない怒り方はまったく意味がない」

 アピールにならない怒り方とは、要は「頭を冷やしてくる」と事務室を出てロッカー室で私物の傘をへし折って捨てたり、ロッカーの扉を凹ませることなど、誰も見ていないところでやっているもろもろのことをいうのでしょう。
(ロッカーの扉が凹んでいるのはあとで露見するのですが)


 ただ、本当に怒ってしまってからでは、なかなか書類を破ったくらいで気が済んだり、それで落ち着いたりなんかしないです。

 まだ理性が残っているうちに、アピールとして、ポーズとしてそういう行動をとるのでなければ、「俺は怒っているぞアピール」で終わらせることなんてできないものです。

 そうやって、怒るのも理性的にできるのが大人というものなのだろうなぁ、と39歳になっていまさら思ったりしています。


 それはそれとして、凹ませてしまったロッカーの扉は、少なくとも自分が次に転勤するまでに直すか弁償するかしなくてはいけません。
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傍若無人な人の向こうにいるもっとひどい人

 街を歩いていると、人々に(わざと?)ぶつかりながら歩いている人や、 宇宙と交信 よく分からないことを喚き散らしながら歩いている人をたまに見かけます。

 特に人々にわざとぶつかって歩いている人は、決して自分より強そうな人には向かっていかないので、弱い人だけに痛い思いをさせているひどい人、と映ります。


 ……いや実際にひどい人ですし、許されることではないんですけれども、その人はきっと職場や家庭で(周囲に分からないように)もっと陰湿なひどい目に遭っていて、その陰湿なひどい目に遭わせている人はのうのうと生きているんだろうなぁ、なぜ「弱い者いじめが下手な人」だけ白い目で見られるんだろうなぁ、と気持ちは分かるような気もしています。


 自分もそういう面では非常に弱い人間で、人々にぶつかることはないまでも、扉を思いっきり蹴飛ばして閉めたり、物を置くときにそっと置かず渾身の力で投げつけたり、要は「決して向かってくることのない弱いもの」に思いをぶつけている点では同じレベルのことをやるのです。
(まれに投げつけたものが跳ね返って自分に当たって痛かったり血が出たりすることはあるんですが)

 そういうときってどういうときか、というと、いまの私でいえば職場でストレスを抱えているときで、よくもまぁこんな陰湿なことができるものだと思うくらい、周囲には分からないような声で罵声を浴びせたり、あれやこれや(思い出したくもない)ことをする人とコンビを組んで仕事をしなきゃいけなかったりするわけです。


 で、そうやって社内で下の立場の人にひどい目に遭わせるのがうまい人は、特におとがめもなくのうのうと日々を過ごしていて、弱いものに当たるのがヘタな自分はたとえば扉をドカーンと閉めたり書類をぶん投げたり、あからさまに周囲に分かるマネをして、上司に呼ばれて職場の秩序を乱してはいけないと叱られたりするわけです。なんで俺だけ? と思うわけです。


 そんな経験があると、街中でわめきながら歩いていたり、人々にぶつかりながら突進している人を、その人だけ責めるのってきっと違うんだろうなと思ったりします。
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終身雇用企業の5日間休暇

 今回の新婚旅行は、勤務先の結婚休暇制度を使って5日間の休暇を取り、6日間のツアーにしました。

 勤務先の就業規則解説集(←そんなのがある会社)を読むと、人生に一度のイベントに際して長期休暇を付与する、と趣旨が書いてあります。


 ……レジャーに5日間の休暇を認める(+前後の週末で9連休)なんて、40年の会社人生で一度きりだよ! といわんばかりです。


 今回はベトナムのリゾートホテルでだらだら過ごすことにしたので、リゾートホテルの滞在記などをGoogle検索すると、別に新婚旅行じゃなくて毎年どこかへ出かけているような人たちのブログや口コミばっかりヒットするわけです。

 こちとら一生に一度の休暇で行くというのに……。


 いまの職場は3人体制なので、1人休めば残り2人の業務量が1.5人分になります。

 病気や何かで長期休暇を取るのはまだ理解されますが、遊びに行くからとドカーンと連続休暇を取るのは、制度上は認められますし実際に休めるものの、戻ってから針のむしろで過ごす覚悟をしなければいけません。


 それか、長期のバカンスに出るたびに会社を辞めて転職するかです。
 ……入社同期だった知人は入社2年でさっさと会社を辞めましたが、その後、転職するたびに世界一周の旅に出ています。

 辞めるといえば新入社員研修で、こういう仲間たちと会社を変えていくんだ! と思っていた人たちからどんどん辞めています。
(辞めた人の全員が全員旅行好きというわけではないですが)


 そんなのひとつとっても、我が勤務先は遅れているなぁと思う、出発初日の機内です。
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往復4時間通勤はつらいけれど

 自宅から往復4時間かかる職場に日勤職で赴任して4年半が過ぎました。

 泊まり勤務なら通勤の手間は半分ですが、日勤職だと日々4時間かけて職場から家に帰り、寝て起きたら家から職場に向かう繰り返しです。

 平日は寝に帰っているようなものですし、赴任した34歳のころならまだしも、すでに39歳になり不惑も間近になってくると週末の2日間のうち1日は体を休めるだけで終わってしまうことが増えました。

 週末に知人と会うなど外出の用事をひとつ入れてしまうと、それともう1日で体を休めただけでもう月曜日です。

 家のことがもう何年も先送りになっていて、部屋は散らかり放題、妻にあてがった部屋はいまだにエアコンもなければ幹線道路に面した部屋だというのに二重窓になっていません。
(妻の部屋はエアコンの電源もダクト穴もないので、大工さんを呼んで工事してもらわないとエアコンが買えない)


 休みが毎週3日あれば、家のことも多少は手をつけられるのに……と思うこともあります。


 勤務先で週休3日の制度というと、育児や介護をする社員は毎月4日間多く休むことができます。5週間ある月は休めない週がありますが、祝日を含めれば実質的な週休3日制といえそうです。

 その代わり、週5日働くところ4日しか働かないわけですから、月給もボーナスも定期昇給もすべて約2割カットになります。


 育児のために会社を辞めてパートで働くことを考えたら、2割減でもまだ収入面で(時給面で)有利かもしれませんが、もしも理由を問わず週休3日が認められたとして、じゃぁ「家が遠くて通勤が負担だから」と週休3日を選ぶ代わりに収入2割ダウンを受け入れられるかどうか……


 それだったら、もう少しでも職場に近い社宅なり単身赴任寮に入って週5日出勤したほうがまだソロバンが合いそうです。

 単身寮(週末などにいまの家に帰ってくる)はまだしも社宅に引越すには今の家を片付けなければなりませんから、そもそも家を片付けて引越しをする時間や体力がない(から週休3日がほしい)というジレンマもあります。


 実はもうこの職場から動くことなんかなくて会社が給料泥棒を抱え込み続けるか自分から会社を辞めるかの根くらべなんじゃないか、と思うことも時々ありますが、いまのところ次があると信じて引き続き日々往復4時間通勤をしていこうと思います。
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「いちかわエフエム」継承の私案(4) どんな収益事業をするか

 7月からすでに市川エフエム放送の周波数や送信設備を継承したエフエム浦安(市川うららFM)がFM放送を開始していますが、ここではそれとはまったく無関係に、引き続いて「自分が破産管財人の先生に手を挙げて継承していたとしたら」という個人的な妄想を書きます。


 さて、これまでスポンサー収入で経費をまかなえないぶんはスタッフの方々にもお願いする、と書いてさらに経費節減の道も探ると書きました。

 一方、できる限り(寄付でない)収入でまかなう努力をするにあたって、スポンサー収入以外にも方法がないか考えたいと思います。


 ひとつは「副業」をすることです。

 前の記事で、ボランティア(社外)スタッフが局舎に出入りする以上は社員が常駐しないといけない、と書きました。

 この、常駐する社員は放送局そのものの仕事以外に何かやっていたっていいわけです。

 旧市川エフエム放送でも、放送局事業のほかに技術コンサルタントを手掛けていて、ディレクターさんの中には技術が専門の方もいました。

 これらの方はおそらくコンサルの業務が本業で、そのかたわらでボランティアスタッフの指導をされていたはずです。……もっとも、放送局のコンサル事業に携わる方ですから、(コンテンツである)番組にもそれなりの知見はあったと思いますけれども。


 あるいは逆に、ほかの業態の事業者が副業として放送局をやることも考えられます。

 ボランティアスタッフなり社外の方がスタジオを使うときの「施設管理」の面だけでいえば、管理人さんのような方さえいればいいのですから、貸スタジオや貸会議室に似ています。
(世の中には無人の貸会議室もありますが…)

 社屋の一角がスタジオになっていれば、少なくとも9時5時の間は社内に誰かいるでしょう。……コンビニの2階がスタジオなら(アルバイトかもしれませんが)24時間人がいます。

 全国のコミュニティ放送局の中には観光地のロープウェー会社や、それこそ公民館の指定管理者が運営している局もあります。

 もちろん、社員ディレクターにはボランティアスタッフに対する番組内容のアドバイスや指導なども重要な役割として期待されるわけで、単にスタジオの施設管理だけで内容に関知しないようでは問題があります。

 とはいえ、放送局専業でボランティアスタッフがいる時間はワンオペの社員が外出もできない、というよりは人材のやりくりの面で自由度が上がるような気もします。


 ここまでくると、これまで述べたNPO法人よりは株式会社のままのほうがやりやすい面があるのかもしれません。
author by よんなん
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「いちかわエフエム」継承のあり方の私案(3)

 7月からすでに市川エフエム放送の周波数や送信設備を継承したエフエム浦安(市川うららFM)がFM放送を開始していますが、ここではそれとはまったく無関係に、「(2)」までに引き続いて「自分が破産管財人の先生に手を挙げて継承していたとしたら」という個人的な妄想を書きます。


 前回まで、放送局の収益でまかなえないぶんはスタッフに協力をお願いするなどなど書きました。

 もちろんそれには、スポンサー収入で経費をまかなう努力をするのが大前提です。


 経費節減の面では、固定費をより一層見直すには局舎をさらに移転するか、人件費を見直すしかなさそうです。

 そうすると、従前の「いちかわエフエム」のようなボランティアスタッフを起用した生放送を中心に編成するのであれば、週に何日か放送休止日を設けることも選択肢の一つと思っていました。

 いくら善意で参加しているボランティアスタッフといえど、放送局の施設管理も含めて全面的におまかせすることは難しいですから、生放送でスタジオを使う時間帯に社員の立ち会いを省略することはできないでしょう。

 潤沢なスポンサー収入が見込めるのでない限り、人件費が発生する時間=社員が勤務する時間は短くすることを考えなくてはいけません。

 収録した番組を流すだけなら送出はシステムにまかせて放送局内は無人にしてもよいわけですが、生放送にこだわるならば、立ち会う社員の人件費をどう賄うかがわりと大きな課題になります。


 「いちかわエフエム」当時も、最後のほうは社員数を5人から3人に減らしていて、おそらくそれに伴って23時台以降の深夜番組「夜もラジオぼーや」を取りやめていましたから、さらに人件費を絞り込もうと思えば生放送する日や時間帯を一歩踏み込んで見直すことになります。

 ……もっとも、週の何日かは休止する放送局となると、果たして放送局の存在意義とは? という話になってくるだろうとは思います。

 そのあたりは、社員が勤務する曜日を週替わりにして、隔週の生放送(そうでない週は収録を流す)という工夫もありかもしれません。


 全国的には、過半の時間帯でミュージックバードの番組を再送信しているコミュニティ放送局も少なくないのは、そういった事情なのだろうなぁと思い至ります。


 一方で、スポンサーを開拓して収入を確保することも追及する必要があります。

 ラジオ放送のCMは、端的に言えば「これだけの人が聴いているので、CMを流せば多くの人にPRできます」と売り込むわけで、まずは番組を聴いてもらうこと、がスタートになりそうです。

 しかし、鶏か卵かではありませんが「CMを聴いてください」とスポンサーみずからPRしてくれる仕掛けも考えられます。

 たとえば学校の運動会など、雨天中止(または予定通り開催)を知らせるのに学校の電話連絡網ではなくラジオCMで流すなどが考えられます。……当日の何時ごろにいちかわエフエムを聴いてください、と先生が生徒や保護者へPRしてくれるわけです。

 広域から生徒が通うような都内の私立学校がニッポン放送でこの種のCMを流しているのを聴いたことがあります。……コミュニティ放送局の放送料金(旧いちかわエフエムで20秒2,000円+制作費)ならば、市内にしか学区がない学校にも採用の可能性があるかもしれません。

 もっとも、いまどきは電話連絡網など使わずに電子メールの一斉配信で済ませる学校も多いかもしれませんが、町内会や商店会のおまつりなどにも応用が可能です。

 課題としては、運動会などイベントの決行・中止を判断するであろう早朝の時間帯に社員が出勤していなければ連絡を受られない点が一番大きいでしょうか。
(そういうときくらい管理職=経営陣が局舎に詰めていたってバチは当たらないでしょう)


 同様の発想で、旧いちかわエフエムが取り組んでいた秋の人権作文入選作の朗読のような番組は、学校が同様に放送のお知らせ(=宣伝)をしてくれますし、少なくとも入選した生徒の家族は周波数を83.0MHzに合わせて聴いてくれるはずです。

 そういう聴取者層は、放送時間ぴったりにラジオをつけるわけがなくて、しばらく前から流して時間になるのを待つわけです。……そういうタイミングでどんな番組が流れているかによって、放送局を気に入ってもらえる人が一人でも二人でも増えてくれればいいです。

 さらに妄想を膨らませると、花火大会の個人スポンサーのように誕生日祝いのメッセージなどをCMとして流すことも考えられます。……新生いちかわエフエムのCMでプロポーズをする人なんてのも出てくるかもしれません。


 もちろん、そんなのだけで大きく収支が改善できるわけではないでしょうし、もしかしたら旧市川エフエム放送の営業担当の方もとっくに取り組んでいた(けどCMを流してくれる学校がなかった)のかもしれません。

 しかし、パーソナリティに「逆ギャラ」をお願いするのならば、できることは一つでも二つでも取り組み、放送局の(主に収支の)現状をオープンにしなければ理解を得るのは難しいでしょう。……そうした点でも株式会社よりはNPO法人が向いているように思っていました。


 そんなことをつらつら考えていたら、ふと1998年の開局当初、放送局の営業対象にどんな顧客が考えられるかアイデアを求められたのを思い出しました。

 どうしてそのときこういうアイデアを出せなかったんだろう……。
author by よんなん
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転職活動をしているか

 病気で休職〜復職してからというもの、

「今の状態の自分をこの待遇で雇ってくれる会社はほかにないから、しがみつくしかない」

と考えてやってきました。

 7年前、ある日突然会社を休み始めて1年半も休職するようなマネをしたのにクビにならなかったどころか、復職したあとも始業から終業まで席に座っているのが仕事みたいな状態が1年半ほど続き、それはさすがに、と「今の自分が成果を出せる業務を」と希望したところ埼玉県内の事業場に転勤することになり、以来、倉庫の在庫管理の仕事をしています。

 もっとも、倉庫の在庫管理といっても古き良き時代のように倉庫で1日中座っている倉庫番ではなく、普段は倉庫から離れた事務室にいて簡単な仕訳の入力作業から予算要求時の積算、そのほか庶務関連のお手伝いもするのですが、でもメインの仕事は在庫管理です。

 そういう業務内容でも、休職中の定期昇給が止まっていた+昇進・昇級も同期諸君に比べて5年遅れていたとはいえ、休職する前の賃金水準は維持したままです。……いま会社を辞めてほかの会社に倉庫係なり経理係として転職しても、こんな給料は確かにもらえないだろうと思ってやってきました。


 そんな自分も、通院加療生活が2年前に終わり、1年前にはようやく社内の昇職試験も通って、すべてが順調とは言わないまでも、(少なくとも休職〜復職〜転勤当初に比べれば)それなりにしゃきっとしてきたように思います。

#休職前の水準に戻りつつあるようには感じていますが、この7年間で周囲の方々は7年分の経験を積んで成長しているわけで、道のりはまだ長いと思いますけれども


 そんななか、書店で中公新書の『左遷論』という本のタイトルが気になって買って読みました。(Amazon

 大手生命保険会社(おそらく日本生命?)を定年まで勤めて在職中は人事部門も経験された方の著作です。

 主に旧来型の企業や官僚組織での人事運用にまつわる本で、会社側が明らかに意図した左遷もあれば、会社の思惑とは裏腹に社員が左遷と受け止めてしまう例、そのほかに病気だとか家庭の都合でキャリアの蓄積が停滞してしまう例や、その後の道の進み方などいろいろ書いてありました。

 その中には、社外での居場所(趣味や転職など)に活路を見出す例もありました。


 読み終えてふと考えると、仮に転職をするのだとすれば、ヘッドハンティングでない限り自分で応募して書類なり面接なりで自分をアピールする必要があるわけです。

 はて自分がアピールできることってなんだろうな……と考えたとき、そもそも今の勤め先に自分をアピールしていただろうか、と思い当たるわけです。

 上記の本で、社内での人事運用のミスマッチを招かないように、自己申告の機会を設けている企業が過半、という話がありました。……確かに私の勤務先にも年1回、今後の進路について思うところを書いて上司の面談を受ける機会があります。


 そうした表立った機会のほかにも、会議で支社へ出張したときなど人事担当の方に顔を見せて自分の近況をお話しする機会もあります。(さすがに本社へ行く機会はありませんが)


 そのようなオフィシャル・アンオフィシャルも含めた場で、就職活動のときほどに熱意をもって自分の希望を伝えていただろうか、仮に社外へ転職活動をするとしてこれまで社内でしてきたようなトーンで自分の経歴や希望を述べるのか、といえば、答えは「ノー」といわざるを得ません。


 たまに社外の知人から「高橋君の勤務先ってそういう(病歴があってまともに働けない人は自宅から離れた場所に転勤させて4年近くそのままにする)人事運用をするんだね」という言われ方をするのですが、そもそも社内に自分をアピールしていたのだろうか……とつらつら考えるようになりました。
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硬軟使い分け

 学生時代に出入りをしていた放送局のつながりで、何年に一度かのペースで集まっている方々がいます。

 その中のお一人が海外へ赴任されることになり、先週、2年ぶりくらいに集まりました。


 みなさんおもしろい方ばかりで、なぜかその場に私も呼んでもらえるのは、酒の肴にちょうどよいいじられキャラということもあるのだろうと思います。


 さて、私のどうでもよさそうな身の上話を酒の肴に供しつつ盛り上がっているところ、主賓の席で終始笑顔だった方が急に怖い顔になって私にひと言

「待っていたってなんにも変わらないんだからね」

と超低音で告げられ、ふたたび元の笑顔で会話に戻られました。


 こんな急に怖い顔になれる方、という共通点でふと群馬在勤当時の上司(→いまは本社の部長)を思い出しました。

 今後の進路について面談をして自分が(はたから見れば)甘ったれたようなことを口にした瞬間、急に表情と声色が変わったのはいまでも記憶に残っています。


 自分は(感情的にカッとなる以外に)人に何かを伝える手段としてあえて怖い顔をする、というスキルを持ち合わせていないので、それなりの立場に進まれる方というのはそういうところが違うのかも……と思ったりしたのでした。
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