ニニウという集落と公立学校

IMGP2935.jpg きのう北海道の石勝線で起こった特急列車の脱線・火災事故で、事故現場となった「第一ニニウトンネル」(ここ)という文字で久しぶりに「ニニウ」という地名を目にしました。

 夕刊でしかもトップではないとはいえ、一面で「ニニウ」の文字を目にするとは……。

 北海道の占冠村にある無人の集落「ニニウ」は、「ニニウへ急げ!」という特集サイトがあるほど、知る人には知られた場所です。

 自分も、昨年の秋に北海道へ行った際にぜひ立ち寄ってみたいと思っていましたが、あいにく道路が災害通行止めで行くことはかないませんでした。

 ……現在も通行止めのはず(参照→胆振管内上川管内)で、消防・警察・報道・そしてJRはどうやって現地入りしたのか分かりませんが、ニニウへ陸路で入るには道道610号線〜136号線のルートしかありません。ニコニコ動画に2009年時点の走行映像がUPされています。(その1その2
(事故現場に隣接する清風山信号場=ニニウ駅になるはずだった場所へは「その2」の動画の0:51付近に見える分岐路を左折する)

 国道ではない道道とはいえ、立派な悪路です。。。


 事故の原因究明や復旧は関係各者の仕事で自分がどうこういう話ではないニュースなのですが、そんなわけで個人的に以前から(中学3年の春休みに北大へ進学した中高鉄研の先輩から「ニニウ」という地名を聞かされてから)注目していた「ニニウ」がニュースに出てきたものですから、久しぶりに「ニニウへ急げ!」を読んでみました。

 集落がなくなって住民がいなくなると地名もなくなる例もあるんですが(例:北海道下川町の下川鉱山は閉山とともに住民がいなくなったので集落の地名「ペンケ」が消えて隣の「班渓」にまとめられた)、ニニウは住人がいなくなっても地名がそのままです。

#なんと郵便番号まである!(日本郵政のページ


 「ニニウへ急げ!」のこのページによると集落がなくなったのは昭和49年度いっぱいで「新入(ににゅう?)小中学校」が閉校したことが直接的なきっかけだったようです。

 ……公立学校の閉校で集落が消えた例といえば、去年の秋に訪れた志美宇丹が記憶に新しいです。

 いまも昔も、学校が限界集落の防波堤になっているんだなぁと思いました。

 集落の戸数が少なくなっても、せめて公立小学校さえあれば校長・教頭・クラス担任の3人が赴任(=3世帯が定住)します。中学校もあればさらに科目別の教員も赴任します。

 教員が集落から去ると、給与所得者が一気に減った集落から次は郵便局がなくなります。郵便局は集落で唯一の金融機関でもありますから、郵便局がなくなると現金を引き出せなくなります。……集落での生活が一気に困難になることは想像に難くありません。


 志美宇丹とは峠を一つ越した仁宇布では集落の子が軒並み学校卒業の年齢に近づくと「山村留学」と銘打って都会から生徒を呼び集めて学校を維持してきました。……教員が残っただけでなく、山村留学に来た子とその親が定住するケースも出始め、集落の人数も増えているようです。

 山村留学はあまり成功している事例がないようですが、住民が引き続きその地での生活を望むなら、小中学校に通う世代の子を産むなり国内海外問わず留学生を呼ぶなり、なんとしてでも学校を維持するのは効果が大きいでしょう。


 一方で、和寒町福原のように小学校がなくなり郵便局もないのに集落で生活が続いている例もあるにはあります。一つとなりの集落(和寒町西和)まで6kmくらい、町中心部までも15kmくらいしか離れていないのと、旭川に比較的近いからでしょうか?


 「ニニウへ急げ!」でも触れられていますが、ニニウで残念なのは、集落が無人になってから鉄道が通り(駅の設置予定はあったので信号場になった)、送電線が通り、そしてついに高速道路までが通る(2011年秋開通予定)ようになったことです。

 ニニウのために作られた鉄道や送電線や高速道路ではなく、その先に帯広や釧路、根室という都市があるからなのですが、なんとももったいない話です。
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NTTドコモの企画部門が月・火休みに

 めずらしく、ニュース評論にかこつけた自己主張などを。

 ドコモ、休日を「土・日」から「月・火」に変更 7月から東電管内で(MSN産経ニュース)

 コールセンターやドコモショップといった、そもそも年中無休で営業している現場第一線は除外だそうですから、ホワイトカラーの企画部門で、ということなのでしょうね。

 世間には異論が多々あることを承知していますが、自分は「週末分散」論者です。

 世の中の大多数がいっせいに土日と祝日に休んでいることによる弊害と、平日に休みをずらすメリットはとても大きいと思うんです。


 まず、通勤ラッシュ・待機児童問題について。

 すでに鉄道各社は「時差通勤」という、曜日ではなく時間で混雑を平準化させようといろいろキャンペーンをやってますが、他社に先駆けて平日に休んで土日出勤を始めれば、社員は5日中2日はすいている電車で通勤できることになります。……まぁ、社員が通勤地獄で苦しもうと何だろうと経営者は知ったことではないのかもしれませんけれども。

 ……いずれ後追いする企業が増えて土日も朝の電車が混むようになったとしても、5日間に集中していた需要が7日間に平準化されれば、単純計算で30%近く混雑が緩和されることになり、これは劇的な効果です。

#月〜金の輸送量を100×5日として日〜土に均すと71.4となる


 同様に、夫婦共働きで子供を保育園に預けようという需要は、当然ながら平日の5日間に集中しているわけです。これを土日も含めて平準化できれば、保育所で受け入れられる児童の数は、これも単純計算で4割(!)増えます。

#仮に保育所の1日当たり定員を1000人、月〜金のみ定員いっぱいの子を預かっているとして、同じく日〜土に均すと714人となり、新しく286人の子を受け入れることができる

 おまけに夫婦で休日の曜日が違えば、そもそも子を保育所へ預ける日が週3日でよいことになり、さらに保育所の定員に余裕が生まれます。

 ……まぁ、土日も保育所を開けることになれば、当然先生を増やして交代で休日を取ってもらうことになりますから、小学校にあがる前の子にとって「曜日ごとに先生が変わる」というのが理解できるのかどうかは、家族も子も持たない現在の自分には分かりませんが。。。


 そのほか、週末が分散すると休日も充実すると自分は考えています。

 観光産業、とくに宿泊施設は「年100日の黒字と265日の赤字」(←リンク先はPDFファイル)という、星野リゾートの星野佳路社長の言葉に象徴されます。

 カレンダー上の休日はどこへ行っても混んでいてサービス水準が平日に比べて著しく低くなっているのに、料金(特に宿泊料金)は高く設定されています。

 旅行のパンフレットなどもらってくると、平日と休日の値段の差、特に大型連休中の価格設定を見るや、バカバカしくて旅行に行く気がしなくなるというものです。

 いろんな人から「家庭、特に学校にあがった子を持つようになると、そういう考えは変わるよ」と言われるのですが、、、

 一人旅ですらこの価格差がバカバカしいのに、家族旅行となれば価格差×人数分ですよ? ……おまけにどこへ行っても混んでいて夫婦は渋滞中に狭いクルマのなかでイライラし始め(夫婦揃って延々と平然としていられるほうがどうかしていると思う)、子供は渋滞はおろか現地でも行列に退屈してぐずり始めるし、誰がカレンダー上の休日、特に連休に旅行なんか行って楽しいんだろうね? と自分は思うのです。。。

 少なくとも自分には、国内家族旅行で楽しかった思い出など一つもありません……いや、「一つもない」は語弊で、小学5年の夏休みに飛行機で連れて行ってもらった沖縄と、新幹線の指定席で行く父親の実家は楽しかったな、、、って、レジャーに出かけているのに、楽しかった思い出が数えるほどしかない、という時点でおかしいんです。


 一方、週末が分散すると友人知人と休みが合わなくなる「デメリット」もあるでしょう。……土日の結婚式に呼ばれたのに、自分は平日が休みだ、なんてこともあるかもしれません。

 そうなると、こんどは必然的に有給休暇取得率の劇的な向上が見込まれます。

 読まなくていい空気を読んで有給休暇を取得できない、だとか「そもそも平日にプライベートな用事がない」結果が現状の低い消化率だと思うのですが、「結婚式だから」「家族サービスだから」といって申し込めば消化率はかなり上がるのではないでしょうか。

 ……自分の勤務先は有給休暇の消化率が高い(年度中に使い切ってしまい「次の4月までカゼも引けない」という人すらいる)のですが、一因には、土日休みとは限らない職場で上記の事由で有給休暇を取得するケースが多いからではないかと推察しています。

 逆に、どうしても大安に結婚式をやりたい人が土日で大安の日を探せば21日に1回しかありませんが、世間の休みに曜日が関係なくなれば6日に1回チャンスが巡ってきて式場の予約も取りやすくなるでしょう。


 これまでtwitter上で「週末分散」「時差勤務」「時差昼休み」を主張すると、会社や職場や人によって執務時間が違うと連絡が滞って業務の執行に支障が出る……という反論を多く頂戴し、こうした意見を持つ人が多いことは承知しています。

 ですが、業務の効率性のみをとにかく追求するのはどちらかといえば経営者の理屈であって、これからライフ・ワークバランスを追求していくべき勤労者が自ら主張するのは少々間違っているのでは、と考えています。……もちろん、会社が傾けば社員の立場も危ういわけで、労働者といえども経営者の感覚を持つことは当然必要ですが。

 そもそも、デスクワーク職場で残業がない職場なんかないと思うんですけれども、残業を終えて何時に帰るかは、現状でも人それぞれですよね?


 休日は土日祝日、昼休みは12〜13時、始終業は9時5時、プライベートな時間がいつどこへ行っても混んでいるような生活スタイルで一生満足できちゃう人は、それはそれでいいと思います。自分は否定しません。

 一方、始終業を1〜2時間早くすれば電車はガラガラだし、昼休みを15分早くするだけで外食はどこへ行ってもすいていて、休日を平日にすれば安い料金で満足度の高いサービスが受けられるのになぁ……という世間とズレた人もここにいます。


 存在自体が迷惑という人でもない限り、ある程度は世間とズレた人も許容される、多様性のある社会が健全というものではないかなぁと思っています。
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組織で責任を取るということ

 近所の市川市立図書館に、柴田俊一という京都大学原子炉実験所長を務めた人の『原子炉お節介学入門』(上・下巻)という本が置いてありました。

 どうやら専門書というよりエッセイに近い本らしいのですが、京都大学の学者先生が書く難解極まりない内容に、私の頭では理解するに至らず途中で挫折しました。

#学者が「一般の人にも分かるようできるだけ平易な説明につとめた」みたいなことを「はしがき」に書いている本で平易に読めたためしなど一度もない。


 そんな本に京大実験炉を立ち上げたときのこぼれ話がいくつか書いてあるなか、すごい違和感があったのが、

「私が責任を持つからこれでやろう」(上巻23ページ)
「何かあれば責任は取ると言っている」(同25ページ)
「当然引責辞職も覚悟しての発言」(同24ページ)

というくだりです。

 いや、原子炉が噴いたらあなた一人で責任なんか取りきれないでしょうよ。

 ……と、自分なんかは「おかしい」と思うわけです。


 ただ、京大実験炉ができたのは1964年(昭和39年)と、47年も前の話です。

 あの頃は、いまと比べてまだまだ「肩書き」や「地位」というものが権威ある存在で、そういったものを欲しがる人が大勢いた時代だったのでしょう。

 その人がせっかくのぼりつめた「地位」を手放す、と宣言すれば、とにかく「偉い人」をやっつけてそれで納得する人が大勢いた時代が過去にはあったのかもしれません。


 時代は変わって21世紀になり、原子力発電所が事故を起こしました。

 まさか、「東京電力の会長と社長が辞めます」で通用するはずがないんです。

 しょせんサラリーマンでしかない経営陣の代わりなんていくらでもいますし、極端な話、誰がなっても大して変わりません。(ズバリ)

#だから、現在の会長と社長がすぐに辞めるのはあまり意味がない、と自分は思う。

 もしもソフトバンクの孫正義氏が不慮の事故で急逝でもすればソフトバンクグループの命運に関わり、系列各社のサービス内容にも影響が及ぶかもしれませんが、仮に東京電力で同じことが起きても、部屋のスイッチを入れれば当然のように電気が点く世の中は、これからも変わることがないでしょう。

 そういう会社のしくみができているからです。

 経営陣や従業員という個人をクビにするなり牢屋に入れるなりで責任を取らせたことにしてその場は決着しても、いずれまた別の人が同じことを繰り返すだけ(←重要)ですから、もしも東京電力にこそ事故の原因と責任があるのだと仮定すれば、責任を取るというのはつまり東京電力という組織が「しくみを変える」ということでなければいけないはずです。

#そういう観点では、JR西日本の過去の社長「個人」に事故の予見可能性を問うのは疑問


 何かあればいち個人を血祭りにあげればそれでいい、という時代はとっくに終わりました。

 それが通用するのは、オーナーとして会社を自分で経営する資本家くらいでしょうね。


 つけ加えて、沖縄電力を除く独占系電力会社は、まさか純粋な民間会社としての自律的な経営判断で原子力発電事業をやるはずがないんです。

 (一定の条件下で)電力事業への参入が自由化された現在、純粋な民間事業として本当にソロバンが合うんなら、いまごろ独立発電事業者(IPP)がこぞって自発的に原発建ててますって。……もしそれで噴いたら、政府は知りませんから破産でも何でもして自分で尻拭いしてくださいね、という話に当然なるでしょうけれど。


 日本の原子力発電所は「エネルギーの安定確保」という、市場経済の論理を超越した国家的な課題のために、国の政策として、沖縄電力を除く地域独占の電力会社と、日本原電という特殊法人と、最近民営化されたばかりの電源開発にやらせてるんじゃないですか。

 浜岡原発の件も、総理大臣にハシゴを外されちゃったら、原子力発電所を100%中部電力の自己責任で稼動させることなど到底無理なんですよ。


 そこへきて、今回の事故は「異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によつて生じたもの」じゃありません、通常起こりうるレベルの津波で発生した東京電力の責任事故です、とでも言いたげな政府首脳の姿勢は筋違いだと思います。

 現時点での世論はおよそ許さないでしょうが、個人的には東京電力が「政府のエネルギー政策のせいでソロバンに合わない原子力発電をやらされたあげくに損害をこうむった!」と主張してもよいとすら思います。

 東京電力として主張するのが無理でも、虎の子を東京電力株にして安定資産のつもりで老後の資金か何かにしていた零細個人(←重要)が集まって国家を相手に集団訴訟でも起こせば、一定の支持は得られるんじゃないでしょうか。


 今回の事故は、東京電力の国有化なり電力料金の値上げなり何なりやり方はどうあれ、国家として、安定したエネルギーを要求し消費してきた主権者である国民が、最終的な責任を取らなくてはいけない事柄だと自分は考えます。
author by よんなん
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選挙活動を振り返り

 知人が市議選に立候補してその選挙運動を手伝う、という経験をしました。

 1週間、「政策を聞いてほしい」「候補者のことを知ってほしい」側として活動をしました。


 こういう立場で活動してはじめて知ったのは「政治家は、有権者からの接触を歓迎する」ということです。……少なくとも、人口1万人に1人の議員を選ぶような地方議会ではそうです。


 時代遅れな公職選挙法は、候補者から有権者へ積極的なコミュニケーションを働きかけることを制限しています。

 街頭では、演説はしてもいいけどチラシを候補者から有権者へ配布してはいけません。

 あいさつ状は、有権者から届いたものへの返事のみが合法です。

 候補者が拡声器を使わずに有権者宅を一軒一軒訪問するのはいけませんが、有権者が選挙事務所へ行くのは構いません。


 有権者から候補者に接触することには、制限がないのです。

#一方的に演説を妨害したりすると「選挙の自由妨害罪」に問われますが


 それを知ったので、自分も他の気になる候補が街頭にいたら声をかけてみることにしました。……特に、候補者本人がマイクを持たずに立っていたら「声をかけてください」と言っているようなものです。

 別に、詳しい政策が聞きたいというわけでなければ、特に難しいことを考える必要はなくて、「がんばってください」と声をかけて手を差し延べ握手を求めれば十分です。

 これに候補者がどういう反応を示すか、それだけでも、ポスターや選挙公報、告示前に更新を終えたWebサイトでは分からない、候補者本人の素顔が垣間見えて「どんな人か」という情報量はかなり増えます。

 いやいや、選挙期間中だもの、政治家なんて有権者にはヘラヘラと愛想笑いをして頭を下げるだけに決まってるでしょ? ……という先入観は、(少なくとも市町村議選レベルでは)実際にやってみるとブチ破られることうけあいです。


 もちろん、何らかの主義主張を持っていてそれを尺度に選びたいとあれば、簡単な質問を1つ2つしてみるとよいです。(ex.無所属候補なら「あなたは保守系ですか?」等)


 ……って、選挙終わっちゃいましたよ。

 次は4年後ですか。


 ちなみに、候補者が駅前などの街頭に突っ立っているのは、鉄道の利用者が多い都市部ならではのことで、クルマ社会の地方では有権者もクルマに乗りっぱなしなら候補者も選挙カーに乗りっぱなしで、上に書いたようなことをやるのはとても難しいと思います……。
author by よんなん
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NHK科学文化部の果たすべき役割

 「全体から部分へ」

 物事を口頭で説明する際の基本中の基本です。アナウンス教室で真っ先に習います。

 NHKの科学文化部は、今回の原発事故の解説でこの原則を全然守れませんでしたね。


 「ベント」という言葉が出てきたとき、山崎記者はフラスコのような「格納容器」のイラストだけを描いたパネルで説明しました。

 そのあと、建屋が水素爆発で吹っ飛びました。

 東大かどこかの学者が、もうちょっと詳しいイラストのパネルを持ってきました。

 それから、燃料棒の損傷だとか溶融だとか、次から次へと「新しいこと」が起こって、解説が後手後手に回って、すっかり市中の人を不安に陥れてしまいました。


 いまさらではありますが、NHKという音声と映像で伝えるメディアに従事するのであれば、最初に解説すべきは「5つの壁」だったと思います。

 原子力発電所は放射性物質の漏洩を防ぐために5重の防護をしていることを、今回google先生に聞いて初めて知りました。

1.燃料ペレット
2.燃料被覆管(燃料棒)
3.原子炉圧力容器
4.原子炉格納容器
5.原子炉建屋

 全体像を知ってはじめて、「なぜ圧力容器や格納容器を守るためにベントをするのか」「爆発したのに官房長官が平然としているのはどういうことか」あるいは「こうなると本当に危ない状況だ」「安定するまで長い時間がかかりそうだ」ということを「より正確に」理解できるというものです。


 昨今、枝野官房長官の次に寝ていないのは、NHK科学文化部の山崎淑行記者だとかどうとか……本当かは分かりませんが。

 NHK科学文化部は自他ともに認める「オタク集団」だそうで(NHK科学文化部onTwitter)、出世欲がないのは結構ですけれども、もしも「使えない人たちの集まり」だとしたら困ったものです。(←他人のこと言えた口か)

 ちなみに山崎記者っててっきり理系かと思ったら、経済学部出身なんですね。(参照

 大学受験で「文転」する人もいるので、学部の4年間が文系だったからといって科学に関心がない人かどうかは決めつけられませんが。


 どちらにせよ、新聞社の科学部も含め日本の科学ジャーナリズムは本当に未熟です。
author by よんなん
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こういう「外圧」は歓迎しない

 自分は、プロ野球のペナントレースそのものにはあんまり関心がないので、セ・リーグが予定通り25日に開幕するとか、29日に延期するとか、それはけしからんとかいう話は、聞き流していました。

 民間事業者の興行なんだから、事業者どうしが自主的に決めればよいことです。

 ところが、文部科学省が口を出し、ついに節電啓発担当大臣様までもがお出ましになって、なにやら東京ドームで試合をすること自体がいけないかのような話になってきました。

 電力不足が夏まで続きそうだというところでそういう話が出ると、ええ? セ・リーグの開幕延期を求める人は何が目的なの? 「選手会の声はファンの声」って、アマチュア野球ファンのことはどうでもいいんだね? と思ってしまうわけです。

 東京ドームで野球をやるのはジャイアンツだけじゃなくて、6月の全日本大学野球選手権や、8月の都市対抗野球もあるんだけどな……。


 古新聞を引っ張り出してさかのぼれば、パ・リーグが開幕を4月12日に延期したのは、楽天が代替球場を用意するためで、楽天は4月下旬を要望していたのを急がせてまでの開幕日程です。(3月18日朝刊)

 1日も早く開幕したいという姿勢はパ・リーグも変わんないんじゃないですか。

 特にそうした事情を持たないセ・リーグが予定通りの開幕を選んでも、そういう判断はそういう判断であっていいだろうと思います。

 選手会の「問題がまだ動いている状況で野球をやることはできないという気持ちになっている」(3月17日朝刊)というコメントについても、あれだけの大地震の後ですからそれはそれで否定はしませんが、プロがそんなことを言っている一方で、春のセンバツ大会に予定通り出場する高校野球の選手は立派だなと思います。


 おそらく、このあたりから、ジャイアンツ会長をバッシングするためなら、選手会を擁護するためなら、セ・リーグの開幕を延期させるためなら、どんな口実でも構わなくなってきたんじゃないでしょうか。

 そこへ、役所が口をはさんできました。

 文部科学省が、可能な限り東京電力・東北電力以外の地域での試合を開催することと、電力2社管内でのナイターは厳に慎むように通知したんですね。(3月19日朝刊)

 東京ドームで1試合やると5〜6000世帯の1日分の電力を消費する、という、ターゲットが明らかな報道も出てきました。(zakzak

 選手会は「25日のセ・リーグ開幕を延期すべきと要望する」とのみ声明を出し、文科省通知がパ・リーグの日程に及ぼす影響には「現段階ではコメントできない」としています。(3月19日朝刊)


 自分はプロ野球ファンではないので、そういう立場から見ると、選手会は、いま野球やる気分じゃないから延期だけしてくれればあとのことは知らない、とでも言っているかのようにも受け取れます。


 その後、セ・リーグは何の根拠があってのことか、開幕日を4日延期して29日にする、と19日に発表しました。

 文科省の節電要請に関しては、この時点で「延長戦をしない」「4月3日までは東京電力、東北電力管内のナイターを取りやめる」など、パ・リーグと大差ないかむしろ踏み込んでいる内容になっています。

 この時点でのパ・リーグは、千葉ロッテが「当面」ナイターを行わないと決めたほかは、埼玉西武が4/12・13の西武ドームでの試合をナイターにしないと決めているだけです。(3月20日朝刊)


 パ・リーグが「4月中は東京電力、東北電力管内のナイターを取りやめる」「延長戦の際に3時間30分を超えた場合、新しいイニングに入らない」と決めたのは21日のことです。(3月22日朝刊)

 パ・リーグが4月中のナイターをやめるのにセ・リーグがナイターを強行しようとしている、だからセ・リーグ、特にジャイアンツがけしからん、という意見も目にしましたが、いや、パ・リーグは明らかな「後出しジャンケン」ですよね。

 おまけに、神宮球場は4月16日・17日(土・日)に、昼の東京六大学野球、ナイターでプロ野球という「プロ併用日」を抱えています。パ・リーグにそういう併用球場はありません。
(いずれ夏の甲子園や都市対抗などの予選でバッティングしてくると思いますが)

 六大学野球ファンとしては、そういう観点ではプロの選手会に野球をやる気がないんなら、もっと延ばしてくれてもいいですけど。


 ところが、ここで選手会は「選手も野球をやりたいと思っている」「一番悲しむのはファン」(3月22日朝刊)って、変わり身がはやいですね。


 で、22日にセ・パ理事長とコミッショナー、選手会会長が文科相と節電啓発担当相に説明に行ったらば、ついに節電啓発担当大臣が

ドーム球場でのデーゲームについて「(ナイターと)類似の電力需要があるなら控えていただきたい」(3月23日朝刊)

あーあ。出ちゃったー。

 東京ドームで野球をやるのはジャイアンツだけじゃないのに。


 そりゃぁ、民主主義の基本は「多数決」で、世の中に圧倒的に多いのはプロ野球ファンであり反ナベツネの考えを持つ人だと推測しますが、アマチュア野球ファンという「少数意見の尊重」もきちんとやっていただかなければ。

 節電啓発相はセ・パで開幕日が違うことにも「もう一度考えて」と言及し、選手会会長も前言を翻すかのように「セ・パ同時開幕で、プロ野球が一体となって……」などと言っています。(3月23日朝刊)

 節電啓発担当相も、選手会会長も、そういう主張をするからには、パ・リーグが開幕日を「4月12日」にした根拠と、セ・リーグもそれに合わせなければいけない合理的な理由を、説明する必要があると思います。


#この記事を書くに当たって参照した新聞記事は、購読している読売新聞です
author by よんなん
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地震四日目 電車が止まったって、いいじゃないか

IMGP2476.jpg 最初におことわりをしておきます。この文章を書いているのは、仕事にも行けずに毎日「自宅警備」をしているような人間です。

 月曜日になって経済活動が再開されて電力需要が増えるのにともない、「計画停電」が実施される、と昨晩いきなり発表されて、けさ走ったJR線は

・山手線
・京浜東北線(赤羽〜蒲田)
・中央線(東京〜立川)
・埼京線(大崎〜大宮)

だけで、あとは全部運休でした。

 最初これを知ったとき、「停電で走れない」のではなく「節電に協力している」のではないかと思ったほどです。……実際、朝6:20から予定されていた停電は「需要の見通しを精査した結果」回避されました。大口需要先である鉄道が走らなかったからです。

 電車が走らない→出勤できない社員多数→経済活動も抑制的、という二次的な効果もあったかもしれません。

 あとで報道されたところによると、JR線の運行電力は自営電力でほぼ賄えるものの、信号保安設備に東京電力から受電しているものがあって、その電源を精査して順次運行区間を決めていたから、とのことで、午後から運行範囲は徐々に拡大しました。

 朝の時点であまりの運休範囲の広さに衝撃を受けた人が多かったようですが、自分は「電車の運行よりも、本当に必要な人への電力を確保するほうが、大事なのではないか」と思いました。

 今回の地震で、千葉県内では在宅療養中に停電で人工呼吸器が止まって亡くなられた方もいました。……電車が止まることで「人為的な停電」を防げるなら、自分は「しばらく電車が走らなくてもいい」と思います。

 「計画停電」といっても計画的なのは東京電力だけで、ユーザーにとっては「突然の停電」でしかないんです。


 その仕事、本当にオフィスに行かなきゃできない仕事ですか?

 日ごろから「持ち帰り残業」を家でやっている人、いますよね?

 停電が起きなければ、家でパソコンも電話もインターネットも安心して使えますよ?


 電車が走ってなければ、嫌でもそれを考えることになります。

 そういうときだから、工夫が生まれると思います。

 この国をこの災害から復興させるのは、そういう状況下で生まれる工夫の積み重ねだと思うんです。


 鉄道会社は電車が走らなければ商売あがったりな事業ですが、自営電力を持たない鉄道会社が14日(月)の朝に運行した区間、というのは、まさに最低限の現金収入を得られるギリギリの営業区間だったんじゃないでしょうか。(推測)

 電車が走っているからといって社員を出勤させている会社の人、そういうギリギリの判断、してますか?


 結局、鉄道には優先的に電力を確保する方向へ進み、夕方以降、停電が始まりました。

 真っ先に電気が止まったのが茨城県や千葉県の被災地、って、東京電力の判断は非常にシビアで正直で的を射ていると思いました。

 だって、停電が命に直結しない人しか残っていないエリアなんだもの。

 誰が現に電気で生命を維持しているとも知れないエリアの電気を「ポチッとな」で止めるより、「よりによって被災地の電気を止めるなんて!」という批判を受け止めて謝るほうを、東京電力は選んだんだと私は推測しています。
author by よんなん
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地震三日目 先行きの不安

 休職中の身なので、職場へ行けば「業務に従事すること」ほぼイコール「被災地支援・復興支援」というダイレクトな職業でありながら世の中の役に立つことができません。

 服薬中なので、献血に行っても断られます。

 とりあえず、募金だけはできる、というわけでポイントでの寄付を受け付けていたTカードのサイトでTポイントを全部寄付しました。それだけです。


 あとは、不要不急の外出を控えて「自宅警備」しかすることがありません。


 報道を通じて刻々と伝わってくる、被災地の状況、被災地にある事業所の被害状況を見ると、不安にならずにいられません。

 この会社、大丈夫?

 勤務先には大きな収益事業が2つあって、中越地震ではその一つが3か月止まりましたが、そのときは持ちこたえました。

 今回、ほんの一瞬流れて、ほかの被害報道に埋もれてしまいましたが、収益事業の柱(←まさに「柱」)が中越地震以上に大きく被害を受けているようです。

 そこまでいっても「解雇」という言葉を連想しないだけ恵まれている会社でありますが、それでも「一時帰休」という単語は現実的に頭に浮かびます。


 業務に従事していれば、そんな不安なんか抱いている余裕もなく働けるのかもしれませんけれども、症状も比較的落ち着いて徐々にリハビリのまねごとができるレベルでポケーッとしていると、そんなことばっかり考えてしまいます。


 別の仕事を探せるように心積もりをしておいたほうがいいのではあるまいか。


 元気だった頃の自分を知る方からは、「高橋さんらしくないです」「前向きにがんばりましょう」というメッセージが届きます。


 ごめんなさい、いまの自分は当時の自分とまるで別人です。

 いまは世間の足を引っ張らないようにするのが精いっぱいです。
author by よんなん
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ユーカリが丘の電気バス

IMGP2435.jpg 新聞折込にユーカリが丘の宅地分譲チラシがあって、なんだか見覚えのある「電気バス」の写真が載っていました。

・旧型日野ポンチョの改造
・エンジ色(=早稲田カラー)

案の定、早稲田大学と昭和飛行機(=三井造船系列)のチームで開発した電気バス……どう見ても私が大学院時代にいた研究室の成果品です本当にありがとうございました。(参照

 自分は電気バスを作るのではなく、どう走らせるかが課題として与えられ、修士論文では

コミュニティバスは
・人口密度が7500人/km2以上で、
・小売業の年間商品販売額が750億円以上
の地域で走らせないと一定の利用者を期待できない

と結論づけて、教授陣が期待していた(であろう)「本庄キャンパス周辺」が見事に枠から外れる内容に、論文発表会は針のムシロだった記憶があります。

#いま読み返すと、本当にひどい日本語で書かれた論文だ……orz

 論文の内容もさることながら、院生として学部生の指導もロクにしないでやれ神宮球場だ新生早稲田祭だと遊びまわる、とんでもない不良学生でした。

 自分は、今でも出身研究室にはとても怖くて顔を出せないです。……たぶん塩をまかれて追い返されるのが関の山です。


 こんな自分によく修士号をくれたなぁ、と、指導教授の懐の深さには頭が上がりません。


 それから7年が経ちました。

 その間、電気バスそのものは2005年に完成し、本庄、堺、と、実証実験場所が転々としている様子をちらほら目にしていましたが、チラシによればようやく2011年度からユーカリが丘で「本格運行」する運びになったようです。

 ユーカリが丘がある佐倉市志津地区の人口は74000人あまり。

 同地区の市街化区域は749ヘクタール(=7.49km2)。

 人口密度は単純計算でおよそ1万人にのぼり、地区別の数字はないものの佐倉市の小売業年間販売額はおよそ1200億円という、見事な地域です。


 自分の修士論文では、各地の「コミュニティバス」の例を集めて「人口の散らばり具合」や「にぎわいの有無」などの視点から統計分析するまでが手一杯で、「じゃぁどこに適切な場所があるのか」まで至りませんでしたが、実証実験場所として、よくユーカリが丘を見つけてくれたと思います。

 多くの乗客で賑わうバスになってくれれば、あんな論文でも少しは役に立った……のかな? と思えてちょっぴり嬉しいものです。
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これで75万円弁償せよと言われたら!

 最近の自分は新聞をナナメ読みしてしまうので見落としていたんですが、昨年、船橋市役所で臨戸徴収した市税のうち300万円を紛失する事故があり、このたび職員が地方自治法第243条の2の規定に基づいて利息つきで賠償した、というできごとがあったのだそうです。
毎日新聞産経新聞東京新聞

 船橋市では新しく臨戸徴収マニュアルを決めたそうで、見てみるとまず冒頭に

納税は憲法により国民の義務とされていることから、納税者は定められた期限までに自主納付することが原則である。

(中略)

納税者に対しては、定められた納期限までに自主的に納付するよう促す事が必要であり、徴収を目的とする臨戸は、自主納付との公平を図るため、納税者が特に外出困難な方であって、やむを得ない場合を除き、原則行わないものとする。

極めて当たり前すぎることが書いてあります。

 税金は役所が取りに来てくれるのではなく、自分で銀行やコンビニへ払いに行くか給料天引きされるもの……さもなくば、滞納になって鬼の行政権力によって(利息つきで)差し押さえられるんじゃなかったんですか。

 ニュース記事をよく読むと、

市によると、納税課の職員五人が昨年四月、六十代の男性方を訪れ、本年度の固定資産税など計二千百四十一万三千七百円を現金で徴収。会計課の金庫に保管し、翌日朝に確認すると三百万円がなかった。(東京新聞)

 職員総勢5人で「臨戸徴収」に出かけたのは滞納の催促でも差し押さえでもなんでもなく「本年度」の税金で、詳しい人に話を聞けば「納税者に呼びつけられた格好で、現地では威圧されて職員はすっかり萎縮していた」のだとか。

 地方自治法では、こうしたとき職員に賠償責任があるかどうか首長が監査委員に監査請求することになっていて、東京新聞によると監査結果は

自分が何を数えたかなど多くが不明で、公務員としての責任、自覚が感じられない

と批判しているそうですが、気の毒としか言いようがないです。

 いや、「公務員としての責任・自覚」、言い換えれば「公務員としてのプライド」を散々奪ってきたのって、われわれ市民であり国民じゃありませんか。

 自分の勝手な推測ですが、この税金泥棒だの、これだけ払ってるんだから少しはサービスしろだの、●●課(←まったく関係ない部署)のあいつの態度が気に食わないだの、何べん数えれば気が済むだの、このバカアホマヌケカスだの、何だかんだと言われては弁解しながらのやりとりだったんじゃないでしょうか。

 しかも、現金をドサドサ積まれたあと、実は納付済みの分があってその金額を返したり、右へ左へ(手品でやってそうな)やり取りがあったのだとか。

 それで間違えずに持って帰ってこれたら、むしろスーパーマンだと思います。


 これまで、「高額納税者に呼びつけられれば市役所から受け取りに出向いていた」というのがおかしかったのであって、これが300万円の紛失をきっかけに改まったと思えば、60万市民が平等に1人5円の「授業料」を分かち合ってもよいのでは、と私は思いました。


 公務員は「公僕」かもしれませんが、「奴隷」じゃないんです。
author by よんなん
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