市川エフエム放送の終焉

 6月13日(火)、破産手続中だった市川エフエム放送の放送エリアを、近隣の既存放送局であるエフエム浦安が継承することが、エフエム浦安により発表されました。

 まず、破産管財人の先生が、そもそも局舎内のがらくた同然の設備を中古品として売却して微々たる額を配当して破産処理を終結しても何の落ち度もないところ、放送局の事業譲渡という前例のない処理方法に取り組まれ、見事に成果を出されたことに、賞賛と感謝の意を表したいと思います。

 おそらくこれにより、市川エフエム放送株式会社が持つ資産の換価は終わることになると思われ、そう遠くないうちに計算報告のための債権者集会が開かれて破産手続は終結することになるでしょう。


 エフエム浦安は、もともと出力5Wでしか免許がおりておらず、放送エリアは浦安市全域すらカバーできていたかどうかという放送局でしたから、市川エフエム放送の放送エリア(浦安市内でもほぼ聴こえる)を継承できれば「業務拡大」ができるメリットがあります。

 また、現に放送をしている既存の放送局ですから、2月の説明会で破産管財人の先生が言われていた「リスナーなし、スポンサーなし、スタッフなしの状態からの再スタート」という課題をすでにクリアしている唯一の事業体だったことも間違いありません。

 ほかに名乗りを上げた事業体が仮にあったとしても、管財人の先生としては安心して電波法関係の手続きを進められる継承候補だったでしょうし、おそらくは譲受のために提示した金額もエフエム浦安にとってのメリットに相応するものだったのではないでしょうか。(推測)


 破産処理の過程での放送局事業の譲渡……でしたから、放送局の免許ごとの譲渡と思われましたが、コールサインはエフエム浦安のもの(JOZZ3AY-FM)が引き続き使われるとのことです。

 市川エフエム放送の放送局免許と、エフエム浦安の免許、どちらを存続させてどちらを廃止するかは、総務省により実態に即した指導があったものと思われます。(推察)

 このように、放送エリアは市川エフエム放送のものが継承されることになりましたが、中身としては現在放送をしているエフエム浦安がそのまま引越してくることになります。


 ひとくちに「コミュニティ放送局」といっても放送局それぞれに番組編成の特徴があります。

 放送休止前の市川エフエム放送は市民ボランティアを起用した生放送の自社制作番組を主体とした編成でした。……開局当時の社長の弁を借りれば「聴けば市川がどんな場所か分かる放送局」、確かに市民がパーソナリティですから、どんな人が住んでいるかはよく伝わってくる番組が多かったと思います。
(フィラーの時間も多かったですが)

 一方のエフエム浦安は、現在の番組表を見る限りでは平日昼のワイド番組以外は多くが社外制作番組となっており、放送料金の案内と合わせると、ほとんどが収録済みの番組として(いわゆる「完パケ」で)スポンサー料金とともに持ち込まれる番組のようです。

 週末にエフエム浦安のサイマル放送(インターネット同時放送)を聞いてみると雰囲気は元のいちかわエフエムとだいぶ違い、放送エリア(浦安市)内へ向けた放送というよりはインターネット放送をすることを主眼にした番組が過半のように感じました。(個人の感想です)


 「業務拡大」とともに、インターネット経由ではなく放送そのもので聴こえるエリアが大きく広がることで、スポンサー(←重要)や番組編成に変化があるかどうか、実際の放送開始を楽しみにしたいと思います。
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切れる包丁、切れない包丁

 社会人になって一人暮らしを始めて以来、包丁は100円ショップで買ったものを13年間使ってきました。

 よく「切れる包丁」やら「切れない包丁」やら耳にするものの、研いでいないからだろう……程度にしか思っていませんでした。


 さて先日、友人が持っている京セラから出ているセラミックの包丁を使ってみました。

 ところどころ刃こぼれしているし、見た目はいかにも切れなさそうなのですが……実際に切ってみると、こまめに研いでいる(つもりの)100均包丁と明らかに違う切れ度合いです。


 これはもしかして、、、、と、ずいぶん前に新聞屋さんが景品でくれた、「料理の鉄人」だった方の名前がついた包丁を戸棚から出してみると……いままでの100均の包丁は何だったのかと思うくらい違うじゃないですか!

 10年以上にわたって自炊生活を支えてくれたダイソーの包丁でしたが、その場で刃を養生テープでくるんで不燃ごみへ。


 いったい何が違うのだろうと思うわけです。

 職場の先輩から「100均の包丁にハガネなんか入っちゃいないだろうが」と耳にしたことはあって、それが違うのかなと考えてみたものの、ダイソーの包丁はもちろん、鉄人の名前がついた包丁も、どちらもステンレス製です。


 もっとも、Google先生に聞いてみると、鉄人の名前がついた包丁も実は大したことがないようで、うわぁすごいすごいと思うのも新品のうちだけなのかなという気もします。

 少なくとも、包丁の切れ度合いは「研いであるか否か」だけではない、ということだけはよくわかった一件でした。
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「ワークライフバランス」って要は家にいる時間

 今年のGWは水曜日から日曜日までの5連休になり、家にいる時間がそれなりに確保できて、少しは散らかった部屋を片付けたりできました。

 人を通せるには程遠いですが、床が見えるようになりましたよ。

 このところ月2〜3回程度の更新になっているこのブログも、5連休の間に2つも記事を書いたり。……1か月分の投稿を5日でですよ!


 日勤職で片道2時間、往復4時間かかる職場へ通勤をし始めて3年半が経ち、それなりに仕事も任されるようになって残業をすることも増え、日々、朝6時半に家を出て帰宅は21時前後という生活です。

 週2回は定時退社をするのですが、昨年に首をけがしてしまって(当時の記事)整骨院に寄って帰るので、やはり帰宅は21時前後です。

 (世の中にはもっと過酷に働いている人もいるのでしょうけれども)日々6〜7時間程度は寝るようにしていると、あとは入浴やら食事の準備をしに帰るだけの我が家になり果てている現状です。土曜日も昼まで寝ていることが増えました。

 月間の残業時間は多くても25時間を下回る程度なので、いま世の中で言われている80時間とか100時間に比べれば圧倒的に短いです。

 ……しかし、片道1時間で通える職場と比べて、毎日2時間余計に通勤時間を要しているので、出勤日が月20日なら合計40時間は家にいる時間が短い計算で、月間65時間の残業をしている人レベルになります。
(少なくとも、勤務先の36協定で月65時間の残業は労働組合との事前協議が必要なレベル)

 もちろん、行き帰りの通勤時間は電車内でマンガを読もうが居眠りしようがツイッターを見ていようが自由なので、労働時間として緊張感を持たなければいけない時間ではありません。

 この長い通勤時間を活かして勉強をして取った資格もあります。


 そうなのですが、この部屋の散らかりようや、すっかりオブジェと化してしまったピアノ(始めたころの記事)やらを見ると、ワークライフバランスっていうけれど、労働時間の長短というよりは家にいる時間なんだろうな……と思ったりするわけです。

 じゃぁ転勤が多い会社に勤めていて持ち家なんかにするのが間違いなんだ、賃貸住宅に住んで転勤のつど職場に近い場所へ引越せばいいんじゃないか、という考えもあるわけですが、勤務先は異動の通知が10日前なのと、35歳を過ぎて独身だと寮に入るのにも制限があり、実質的に転勤まで1回の週末で物件を探して契約する、、、というのはなかなか難しいところだと考えています。
(やり遂げている先輩方もいらっしゃいますが)
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自動車保険の中断から6年半

 群馬在勤時代に乗っていた軽自動車をリース会社に返却して6年半近くが経ちました。(当時の記事

 そのとき解約した自動車保険は「中断証明書」を作ってもらったので、10年以内に自動車保険を契約するときは等級が引き継げます。

 勤務先はおおむね3年スパンで転勤する人が多いので、10年あれば再び群馬のような自家用車が生活に不可欠なエリアへ赴任することもあるだろう……と思っていました。

 しかし、残り3年半になった現在まで転居が必要な転勤がなく、中断証明書が途切れたタイミングで自家用車が必要なエリアに転勤して6等級スタートになってしまう最悪のパターンが少しずつ現実味を帯びてきました。

 はて、中断したときの等級はどうだったかな……と中断証明書を引っ張り出してみるとなんと「20等級」!!! 再び到達するのに14年かかるじゃんか!

 解約したときの保険料は年額25,040円で、無事故20等級の割引率は63%ですから、6等級だと単純計算で年額67,675円になる計算です。
(当時から年齢も重ねていますし、次に契約するときの正確な保険料は見積もってもらわないと分かりませんが)


 いま住んでいるエリアは日常生活に自家用車の必要性をまったく感じないので、マイカーを持たないまま自動車保険を何らかの形で一旦再開する方法はないかと考えるわけです。

 しかし、

・ドライバー保険は等級を引き継げない(三井ダイレクト損保のページ
・二輪自動車(バイク)保険も等級を引き継げない(前から知ってた)

というわけで、自家用車がないと中断している等級で自動車保険を契約できないようです。

 ……確かに考えてみれば、ドライバー保険とマイカー保険で等級を引き継げたら、ペーパードライバーが乗りもしないのにドライバー保険を契約し続けておくだけで、自家用車を手に入れたときに高い等級でスタートできてしまうわけで、保険会社はいい顔をしないでしょう。


 次に思いつくのは、実家のマイカーに自分が任意保険をかけることはできるのか……? ということです。

 どうやら、親族のマイカーに任意保険をかけることは不可能ではないようでしたが、中断証明書の発行に条件がありました。

 「おとなの自動車保険」のFAQ「中断証明書(国内特則)の発行条件は何ですか?」によると、

(1)保険期間中に中断する理由が以下のいずれかであること。
  ・お車を廃車、譲渡またはリース会社へ返還する。
  ・お車が車検切れとなる。
  ・お車が車両入替手続きにより、他の保険契約の対象となる。
  ・お車が盗難された。
  ・お車が災害により滅失した。

つまり、実家のマイカーに現在かけている自動車保険の中断証明書を取得するにも、自分がかける自動車保険の中断証明書を取得するにも、自動車そのものの名義人も変えなければいけないことになり、両親に事情を説明したりいろいろ面倒そうです。

 結局、なんらかの形で自家用車を持つしかないのか……と思うわけですが、このごろはリース車のサービスも多彩になってきて、ニコリースは2か月経てば返せますし、あとは短期間でも貸してくれて車庫証明も取れる月ぎめ駐車場さえ見つけられれば、10万円程度かけて2か月間だけマイカーを持つことを考えてもいいのかもしれません。

 ただ、いまの住まいに移ってからクルマを手放すまでの駐車場を探したときに、近隣の月ぎめ駐車場はどこも「何か月というような短期間の契約はお断りします」という返事だったので、それが一番のネックになりそうです。

 そのときの不動産屋さんの話では短期間の契約をしたがる人は車庫証明を取ったらさっさと解約して「車庫飛ばし」をするケースが少なくないそうで、それを警戒しているとすると短期間で貸してくれてしかも車庫証明も取らせてくれる貸し駐車場はなかなかないのかもしれません。
author by よんなん
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「いちかわエフエム」のその後

 5月になり、市川エフエム放送が事業を停止して自己破産を申し立ててから6か月目に入りました。

 官報で公告されていた債権者集会の日(3月13日)もとっくに過ぎましたが、4月30日現在、本八幡駅近くのビル屋上にある送信アンテナはそのままで、放送局設備(や放送局免許)も含めた会社の清算処理には入っていない模様(推察)です。

 ということは、2月に説明会があったあとどこかしらの事業体と破産管財人の先生とで放送局事業の譲渡へ向けて取り組まれているに違いない、と期待をしています。

 インターネット上の匿名掲示板には4月17日に

自殺労災騒動で潰れた市川FMの事業譲渡。
入札落札したのがFM浦安。
FM浦安は移転。浦安は停波。
7月からの名称不明。病院みたいに市川浦安FMになるかな?

と、その事業体は隣接エリアの既存放送局だというような情報が書き込まれていましたが、真偽のほどは分からず論評は差し控えます。


 さて、現時点で確認をしている、昨年11月までのスタッフの方々によるインターネット上での情報発信についてまとめたいと思います。

 まずは元Web担当さん。

 ブログの新規記事はありませんが、indexページの文言はときどき変化があって、現在にわたってメンテナンスされ続けている様子です。Twitter(@ichikawafm_web)は12月から鍵つきアカウントになっていましたが、5月に入って元のアカウント名では存在を確認できなくなっています。

 そのほか、12月からさっそくインターネット上での情報発信を始められた方々の中では、日曜夜の「Nightでないと!」(Youtubeでの番組配信)や金曜夜の「きままなお部屋」(ブログ)が、更新を毎週継続中です。

 4月に入り、金曜昼の番組を担当されていた3人のパーソナリティのみなさんが「チームふらいでー」として不定期の番組配信を始められました。……毎週更新だとか毎月決まった日に更新というわけではないようで、まだ4月4日更新の第1回のみの配信ですが、次回を楽しみにしています。


 ところで個人的な話題ですが、自分はGWがカレンダー通りということもあり、部屋の掃除をしています。

 BGMは過去に録音してあった「いちかわエフエム」の番組を流しています……何年か前の番組でも、主に日常の話題を話している番組は4月末〜5月はじめに流れていたものならそんなに話題に違和感なく聴けて楽しいです。(新年度から1か月たったとかGWの過ごし方とかそんな話題)

 時事ネタが豊富な番組は、当時はそんなこともあったんだなぁという話題ばっかりですが。

 現時点では過半の番組は11月末でそれっきり、というのがとても寂しいです。
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歯が欠けた! →虫歯だったわけですが…

 歯みがきのあとにデンタルフロス(糸ようじ)をかけていると、左下の5番目と6番目の歯のあいだで糸が引っかかって切れてしまうことがよくありました。

 木曜の朝、同じようにデンタルフロスをかけていて、また切れてしまったので洗面所の鏡で見てみると何やら突起のようなものに引っかかっているみたいです。

 何かな……と糸ようじの柄でつついてみるとポキンと取れてしまいました。

 ごま粒くらいの小さなかけらですが、これは……「歯についていたもの」ではなくて、「歯」じゃないか! 歯が欠けたんだ!!
(袋に入れて歯医者さんへ持参しましたが、その前に写真に撮っておけばよかった)

 半年に一度は行くつもりでいるかかりつけ歯科医院の健診ですが、去年の1月に行ったのが最後で、昨夏〜昨秋はすっぽかしてしまい、4月のうちに行かねば、、、と思っているときに……


 で、土曜に行こうと思ったら第3土曜休診で、金曜(きのう)午後に半休を取って出かけてきました……。

 診てもらうと「中程度の虫歯ですね〜。これはレントゲンでも見つけにくいんですが、早いうちに見つかってよかったです」とのみたてで、あっという間に欠けた部分の周囲を削られて、うがいのときに手鏡で見たら穴になっていました。。

 持参した欠けた部分を貼りつけるのは無理にしてもその部分を修復してできあがりではなく、虫歯でしたか……。

 さらに、古いシーラント(=小学生のころ虫歯予防に奥歯表面の溝を埋めたもの)をはがしたらその下も虫歯でした、とのことで、欠けた部分の反対側(4番目の歯寄り)も同じように穴になってしまいました。

 シーラントでは歯の表面の溝から始まる虫歯は予防できても、隣の歯との間から始まる虫歯は予防できないそうで、ちゃんとデンタルフロスしてくださいね、特に夜寝る前(→自分は朝やることが多かった)と念を押されました。。。

 穴になった跡ですが、いまのレジン(詰め物)はよくできていて、先生の腕前も相まって見た目は治療前とまったく変わりません。


 歯そのものや神経を抜いたりしないで治せるうちに見つかってよかったと思う反面、削り取った跡しか手鏡で見なかったので、(自覚症状もなかったですし)どんなふうに虫歯だったのか分からないまま削られてしまったことに帰りの電車で気づき、帰宅後やその晩は「痛くもない歯をあんなに削る必要あったんだろうか」とかなり悶々としていました……。

 ここに通う前の先生が「歯は一度削ったら二度と元に戻らない」という先生だった(←すでに引退)ので、削られて穴になった歯を見たときはなかなかショックが大きかったのも確かです。
(見たときは「ここまで削らなければいけないほど虫歯を進行させてしまった」というショック →その後「どんな虫歯だったのか自分で見てない」という後悔)


 もちろん見た目(色など)の変化や痛みがなかったといっても、ちょっとようじでつついた程度で欠けるほど歯が弱っていたのですから、削って取らないといけない程度に虫歯が進行していたに違いない、と思うしかないです。。。

 それに、虫歯の程度によっては削らずに経過観察とする先生も世の中にはいらっしゃるようですが、定期的に通って診てもらうのが前提でしょうから、(仮にその程度の虫歯だったとしても)1年以上もすっぽかすような人は経過観察にしないで削ってしまうのがその人のため、という判断もあるかもしれません。


 いまのかかりつけの先生のところには船橋の我が家から23区を横断して電車とバスを乗り継いで出かけていますが、すっぽかさないで通うには近所の歯医者さんのほうがいいのかどうか、、、悩ましいところです。

 あと、これまで念入りに歯みがきをするのは朝でしたが、虫歯は就寝中に進行するそうなので寝る前の歯みがきをきちんとするようにします、、

 歯磨き粉も「発泡剤不使用」(だけど研磨剤はシリカだしフッ素も入ってない)のを週1回か隔週1回でしか使っていませんでしたが、フッ素入りの歯みがき剤も使うようにします……。(低発泡、低研磨性の歯磨き粉をもらいました)

 80歳まで(というか死ぬまで)自分の歯を20本残したままいられるんだろうか、、、
author by よんなん
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昇進しました

 同期諸君に遅れること5年、ようやく昨年の社内昇職試験に受かって4月1日付で昇進しました。

 8年前、主任に昇進したときは給料こそ主任級になったものの肩書は平社員のまま昇給通知を受け取るだけでしたが、今回は肩書も変わるので、辞令の通知書とともに新しい名札と名刺ももらいました。

 肩書はおそらく勤務先独特の名称ですが、おそらく世間でいうところの「係長」クラスととらえて差し支えないと思います。

 肩書は係長っぽく変わりましたが担当する仕事が変わるわけではなくて、日々の業務を担当しながら上司を補佐して後進の育成などにも携わりなさいという立場です。

 ……係長だろうがあるまいが仕事をしながら後進の育成をするのは当たり前、、、という気もしますが、わざわざ昇進させて手当をつけてやらせないといけないあたり、よほどOJTができてない勤務先ということなのでしょうか。


 昇進に伴ってかどうか仕事はさらに降ってくるようになりましたし、主任時代の去年に調子を崩して滞ったままの仕事(1月の記事)も積みあがったままですし、家から職場は相変わらず遠い(=残業して片付けるにも限度がある)ですし、上司を補佐するどころか上司にサポートしてもらわないと早々に破たんしそうな勢いですが、サポートが見込めない上司なのは昨年度思い知ってしまったので、半年後がおっかないです……。
author by よんなん
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満開宣言でしたが……

 桜の開花予想で東京は4/1が満開と出ていたので、きょう出かけてみました。

 ……そうはいっても我が家の近所はほとんど咲いていませんし、インターネット上の開花情報を見ても、都内のほとんどの場所が「咲き始め」です。

 そんななかでも、咲いていそうな場所を選んで出かけました。


DSC08682.JPG まずは、丸ノ内線を茗荷谷駅で降りて播磨坂へ。

 満開……ではありませんでしたがそれなりに咲いていて、とても賑わっていて幸先のよいスタートです。

 茗荷谷で営業している「丼太郎」で昼食を済ませ、丸ノ内線で後楽園駅へ戻ります。


DSC08690.JPG ところが、小石川後楽園は入場するのにものすごい行列で、最後尾はなんと黄色いビルの裏です!

 あきらめて後楽園駅へ戻って文京区役所へ転じ、25階の展望ラウンジへ。

 小石川後楽園を見下ろすと、確かに桜が咲いてはいますが桜が植えてあるのは園内のほんの一角だけで、あれを見るだけであんなに並ぶのか……と絶望的な気分になります。

 上から見下ろす限りでは、上野公園も、飯田橋〜市ヶ谷の外堀沿いもほとんど咲いていない様子です。


 六義園も混み具合は小石川後楽園と似たようなものでは……という同行者の懸念をよそに後楽園から南北線で駒込へ。

 案の定、六義園も入口から文京学院女子高校付近までのすごい行列で、結局あきらめました。

DSC08696.JPG 駅へ戻って地下鉄の入口を通り過ぎてJR駒込駅前にさしかかると「染井よしの桜まつり」をやっていました。……そういえばソメイヨシノ発祥の地ってこのあたりでしたっけ。

 ちょうど吹奏楽団が演奏をやっていたので見ていきました。

 おまつりにこういう吹奏を呼んでアトラクションをやるのって、もりあがっていいですよね。

 どこの大学のサークルだったんだろうかと後で調べたら、某宗教系学会の楽団だと知って軽く引いてしまいましたが。。。


 帰りの電車で同行者に聞けば、新宿御苑もこの時期は入場列がすごいことになるのだそうで、いやはや東京とは恐ろしいところです。
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ホテルニュー塩原へ行ってみた(1)

 いつぞやの「マツコの知らない世界」で「三大CMホテルの世界」として、ホテルニュー塩原、ハトヤホテル、ホテル三日月が取り上げられていたのを見ました。

 このうちホテルニュー塩原は経営破たん→ファンドに譲渡→さらに大江戸温泉物語に譲渡されて、いわゆる居抜きホテル(と私が勝手に呼んでいる)として比較的手ごろな値段で泊まれるホテルになっていました。

 居抜き温泉旅館といえば、伊東園ホテルが新聞折り込みチラシをよく入れていて、1万円でお釣りが出る値段でお酒も飲み放題な夕食バイキングつきの1泊2食で泊まれるイメージが強いです。


 伊東園は平日も休前日も同じ値段ですが、大江戸温泉物語は需要に合わせて値段を設定しているようで、週末よりは平日が比較的お得のようです。


 そこで、有給休暇の消化もかねて春分の日の3連休の翌日に休暇を取り、連休最終日+平日で出かけてきました。

 ホテルニュー塩原には本館と湯仙峡(ゆ〜せんきょう)、B&H館(新館)があって、本館の和洋室(1室2名)を選びました。

 プランは平日のみ設定がある「2名3名でお得! 室数&お日にち限定!とくとくバイキングプラン」(1人8,400円)を選びます。……低層階の部屋を割り当てられる代わりに「スタンダードグルメバイキングプラン」(1人10,600円)よりお得な設定です。


 首都圏からの有料往復送迎バスもある(松戸発着の場合1人4,320円)のですが、チェックイン15:00〜、チェックアウト〜10:00のところ、バスのホテル着が12:40、ホテル発が13:30ということもあってこれは使わず、那須塩原駅からの無料送迎バス(1日4便)を使うことにします。

DSC08543.JPG で、那須塩原駅からの送迎バスです。マイクロバスというのが少し衝撃ですが、休前日ではないのでそんなものなのかもしれないです。ナンバーが「1126」というのは「いいふろ」の語呂合わせでしょうか。……そういえば大江戸温泉物語の特典つき会員制度は「いいふろ会員」ですね。

 国道400号線を塩原温泉へ向かいますが、とんでもない山道を40分ほど走ります。

 破たん前の岡部グループは伊東と鬼怒川に系列ホテルを持っていましたが、鉄道でアクセスしやすい伊東や鬼怒川はともかく、こんなところ(失礼)に大規模ホテルを作って首都圏でCMをじゃんじゃん流して団体旅行が大挙してやってきていたのかと思うとにわかには信じられないものです。実際のところはどうだったのでしょう。


 チェックインして部屋の鍵を受け取ります。荷物を運んでくれる仲居さんやベルボーイは(当たり前ですが)いません。……意外にも宿泊料の支払いはチェックアウト時だそうで、前払いが過半なビジネスホテルに慣れた身には新鮮です。

DSC08546.JPG 部屋は、眺望がっかりプラン(意訳)の期待に反して渓谷側を割り当てられました。……本館そのものが湯仙峡やB&H館に比べて高い場所に建っていて、低層階でも悪くない眺めです。

 和洋室なのでタタミのほかにベッドがあって、ベッドメイクはすでに済んでいます。……布団の上げ下ろしを省くためのしくみだと思いますが、内装のくたびれ度合いから察するに、大江戸温泉物語がこのような部屋にしたのではなくて岡部グループのころからこういう部屋のようです。

 衝撃だったのは、部屋の座布団が経営破たん前の岡部グループのものだということです!

 まさか破けたり汚れたりしても、また同じものを作りなおすこともないでしょうし、いわゆる居抜き出店で大きくリニューアルするのかと思いきや、お金をかけるところとそうでないところは徹底的にメリハリをつけているようです。

 ほとんど使う人がないであろう、部屋にある小さなお風呂もまるでお化け屋敷です。

 一方でお手洗いは、部屋のものも共用スペースにあるものも、新しそうな温水洗浄便座がついて壁紙も替えられてかなりきれいでした。
(同行者は、部屋のお手洗いに換気扇がなかったと言ってましたが自分は気づきませんでした……)

 あとでショックだったのは、同行者ともども部屋のコンセントにつないでおいたスマホが全然充電できていなかったことです。つなぐと一応充電が始まるので電気は来ているようだったのですが、埋め込みの電気配線はかなり傷んでいるのではないかと思います。
(使わなかった冷蔵庫のコンセントを抜いてそちらから充電すればよかったか…)


DSC08557.jpg 夕食バイキングはまずまずの内容(優良可不可でいえば「良」)でしたが、とちおとめ(いちご)はバイキングで供されるものとは思えないくらいおいしかった! ……期間限定のようでしたが、夕食バイキングで一番おいしかったのはイチゴでした。

 あと、伊東園ホテルのイメージで居抜きホテルの夕食バイキングといえばアルコール飲み放題が当たり前だと思っていたのですが、大江戸温泉物語系列は基本的に別料金だそうで、ホテルニュー塩原の夕食でお酒飲み放題なのは今月いっぱいまでのキャンペーンだったと後で知りました。。

 お酒は(飲み放題だったからか)それ相応のものしか置いてなかったようで、ビールが一番おいしかったですね……。

 残念ながらコーヒーは全然おいしくなかったです。デニーズのホットコーヒーのほうが断然マシだったよ!

 それ以外は、(とびきりおいしいわけではないもの)まぁまぁ悪くないレベルのものが好きなだけ食べられるので、家族とかグループにはよさそうですね。


DSC08596.JPG 朝食バイキングはフレンチトースト食べ放題がうれしかったです。……とちおとめがバイキングに出るのは夕食だけだったようで、それはちょっと残念でした。

 夕食でてんぷらが出るのに麺類はうどんだけ、逆に朝食ではそばがあるのに揚げ物がない、というのも、少々ちぐはぐだった気がします。


 なんだかんだ言いつつ平日料金なら1万円でお釣りが出るのですから、かなり満足度が高い部類だと思います。
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「いちかわエフエム」継承のあり方の私案(2) というかハードルの話

 きょうは官報に告示されていた「市川エフエム放送株式会社」の債権者集会の日でした。

 私は債権者ではないので出席する資格もありませんでしたが、破産管財人の先生から破産財団の換価の見通し(≒放送局事業の譲渡のめどの有無)について、どのようなお話があったのかとても気になるところです。


 継承のあり方は前の記事に書いたようなことをなんとなく考えていました。

 元のスタッフで会社なりNPO法人なりを作り、放送局の収益で必要な経費をまかなえないぶんは、主に社会人のスタッフに協力をお願いするほかに、「応援団」を組織してリスナーからも寄付を募ることが主眼です。
(もちろん、スポンサー収入で経費をまかなえれば言うことありませんが)


 ただ、最大のネックは「誰が中心になってやるのか」です。


 新事業体で放送局の免許を引き継ぐには、単に元の会社と事業の売買契約を結べばよいのではなくて、総務省の審査があります。

 そろえなければならない書類もありますし、スポンサー候補との交渉も必要になるでしょう。

 ……総務省に顔を出すにも、まず想定されるスポンサー=放送エリア内の自治体などへ足を運ぶにも、平日の昼間に時間がなければいけません。

 仮に平日に休みが取れる人でも、会社勤めの方は勤務先の副業禁止規定との兼ね合いも出てくるかもしれません。


 私自身は、勤務先の副業禁止規定以前の話として月〜金勤務のサラリーマンですから、仮に副業云々をクリアしたとしても、官公庁との打ち合わせがあるたびに休暇をとるか、あるいは会社を辞めるかしかありません。

 立ち上げ時点のお金ならいくらか集まるだろうとは思いましたが、平日に自由な時間がある人がいるだろうか……というところで、私は見つけることができず断念しました。


 学生時代の知り合いには、いったん勤め先を辞めて他人の起業を手伝って新会社が軌道に乗ったら元の会社に再就職をした、という方が何人かいるのですが、残念ながら私のいまの勤務先はいったん辞めたら再就職の道はほぼない(いったん辞めた人を再度採用した話を聞いたことがないうえに、中途採用の募集要項を見てもいまの私の業務ジャンルは募集がない)ので、その点もある意味でネックでした。

 退路を断って本気で放送局の再建に臨むにはよいのでしょうが、今後の生活を考えると二の足を踏まざるを得なかったのも正直なところです。
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