「底辺声優の所感」がグサッと刺さった話

 2月にバズっていた「底辺声優の所感」を書いた泉水みちるさんという方の文章が結構おもしろかったので、久しぶりにnoteを見に行ったら、「底辺声優の所感」が賞を取っていたのだそうで、その話を読んでいたら結構グサグサ刺さるお話でした、ということを書きます。

 この方が「底辺声優の所感」を書いたときは

ある日の夜10時から朝方まで、8時間くらいぶっ通しで書いて、ほとんど手直しをせず、そのまま投稿しました。

とのことで、40年と少しの人生の間にかれこれ失敗を重ねた身には「『深夜のハイテンション』で書いたメールやブログをそのまま出してはいけない」と思えるエピソードですが、とはいえ自分自身でも、そういえば勤務先の作文コンクールに書くまともなネタが思い浮かばないまま締め切りが近くなってしまい「大事なのは内容じゃなくて『出したか出さなかったか』だ」という社畜の掟でまさに深夜にあわてて後先考えずに書き上げて提出したのがそれなりに社内選考を進んでしまった、なんてことが今年ありましたっけ。


 今回読んだエントリで一番グサッと来たのは

書いているときは、もうとにかく書きたいこと、伝えたいことがあふれてきてキーボードを打つ手が止まらなかったのを覚えています。

わたしが書かなきゃだれが書くんだ!!! 書きたい!!!! 伝えたい!!!! 伝われ!!!!!!!!

そんな想いで書きつづけました。

のくだりでした。

 私が自分で書いたブログを読み返してみて、最近のは面白くないなぁと思っていました。

 こんなブログでも7〜8年くらい前は、感想のメールが年1回あるかないかのペースではあっても(見ず知らずの方から)届いたりしていたものですが、最近はそんなこともなく、自分が読んでも面白くないのですから、そりゃ誰かに響くこともないでしょう。

 かつて活躍されていた鉄道ライターの種村直樹さんの文章が、くも膜下出血を患われてから精彩を欠いていた(とWikipediaにも書いてある)ように、自分もメンタルを患った前と後で違ってしまったのだろうかと思っていました。

 しかし、このnoteを読んで、頭の働き云々以前の話として、誰かに伝えたいという思いがなくなって、ただの個人的な備忘録と、ただ炎上しないことだけを意識した文章しか書かなくなっていたんじゃないか、とふと気づいたような気がしました。


 もともと誰かに何かを伝えるというよりは個人的備忘録のブログではありましたが、それでも「つまらない」という反響を含めて反響がありました。(もちろん「つまらない」以外の感想や情報などの反響もありました)

 「つまらない」という(今でいえばクソリプ相当の)反響はまさに「個人的備忘録だからそもそも人に読ませるものじゃない」というスタンスで気にしないでいましたが、それでも心の奥底には「伝えたい!」「だれか読んで!」という気持ちは無意識レベルであったのだろうと思います。

 ……そんな性格でなかったら、学生時代にラジオ局で番組を作ったり、就職活動でアナウンス職なんか受けたりしないです。


 メンタルを患う前後で変わったことといえば、批判を極度に避けるようになったことじゃないかなぁという気がします。……そんなのに耐えられるメンタルじゃないんだから当たり前ですが。

 あと、こだわりは意識的に持たないようにしたというのもあるでしょうか。こだわりを持つあまりにメンタルを病むくらいだったら、自分の思いと違ってもそんなのどうだっていいじゃないかと思うように心がけることが増えました。

 「伝われ!」ではなく「炎上しないことが第一」、「結局はどうでもいい」ようなお話なんて、そりゃぁつまらないわけです。


 もちろん個人のブログが炎上して(へたすると)仕事を追われる、なんてことになってはかなわないので、その辺は引き続き気をつけるとしても、いくら個人的備忘録のブログだとはいっても、「だれか読んで!」「(万人受けじゃなくてもいいから)伝われ!」という気持ちはいま一度意識してみようかと思ったのでした。
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行き過ぎた区別だと思っている

 妻の勤務先で新型ウイルスのクラスターが発生しました。

 幸い、妻とは部署も違い、妻が感染することも、濃厚接触者に指定されることもなく、部署の業務はこれまで通りで、妻も引き続き勤務して職責を果たしています。

 しかし、市の施設ということもあってか、市が(指定管理者である妻の勤務先とともに)発表をして施設の名前が新聞にも載ったところ、その翌日にさっそく娘が通う保育園から園長先生じきじきに「登園の自粛にご協力をお願いします」と告げられ、以来、娘は保育園に通えずにいます。

 文字に起こせば「自粛」に「協力」を「お願い」されているだけなので、よくよく考えてみれば強制ではないのですが、突然「園長先生からお話があります」と言われてそんなことを告げられたら、強制ではない旨を説明でもされない限り、言われた側にとっては事実上「明日から保育園に来ないでください」という通告です。

 不幸中の幸いで、妻の職場の事業所内保育室に空きがあり、その翌日から通うことができて、私や妻が仕事を休むあるいは最悪の場合辞めなければいけないという事態に陥らずには済んでいます。

 しかし、持ち物は保育園より多く、一時的だと考えているので哺乳瓶などは買い足すことをせずに家で使っているものを持って行ったりしているので、家での授乳などは不便に感じる場面もあります。

 あと、事実上の保育園側の要請で登園せずに(登園できずに)いるのに、形式上は保護者側の判断で登園させていない建前なので、保育園の保育料も返ってきません。(市の登園自粛は6月までで、保育料の日割り計算も6月で終わっています→市のウェブサイト

 ……とまぁ、考えれば考えるほど、家族が感染したわけでも、濃厚接触者に指定されたわけでも、ましてや娘本人がどうかしたわけでもないのに、単に妻の勤務先の別部署でクラスターが発生したと発表されたというだけで、保育園側の不安にしか基づかない対応……要は受けるいわれのない差別をされたと感じるわけです。

 こんなもの、保育園を所管する行政当局に電凸だ、と家庭内で息巻いてはみたものの、妻から「これ以上の精神的な負担には耐えられない」と言われてしまいました。

 確かに、保育園は我が家からは遠く、妻の職場の近隣にあるのでどうしても日々の送り迎えで保育園側と接するのは妻ですから、保護者会くらいでしか園に足を運ぶことがない夫が息巻いて余計なことを言ったら何されるか分からない、という不安も残念ながら理解できます。

 どう見ても、子どもが「お前の母ちゃんコロナだろ! 学校来るなよ! うつるだろ!」といじめるのと同じ構図で「先生に言ったら余計にひどい目に遭う」というやつです。……しかも大人の世界だから余計に陰湿なことが起こるかもしれません。
(冒頭の園長先生の「お願い」一つとっても、すでに保護者が自発的に協力したことに仕立て上げられています)

 もちろん、こんな差別まがいのこと……いや差別そのものを許すつもりは毛頭ないので、時期は今でないにしても、何らかの形で行動を起こすつもりです。


 それにしても、自分でも悔しいのは、4月に藤田医科大学病院で医師の感染が発表された際に看護師の子が同様の扱いを受けていたニュース(NHK日テレ)を知っていながら、そこから学ばずに適切な対応をとれなかったことです。

 NHKはハッキリ「拒否」と書いていますが、日テレは保育園が求めたのは「自粛」であると報じています。

>「保育園のほうから『自粛していただくようにお願いします』とメールがきました」

まさに今回、娘が通う保育園が妻に言ったのと同じ言い回しです。

 3月には、日本赤十字社が「新型コロナウイルスの3つの顔を知ろう!〜負のスパイラルを断ち切るために〜」というリーフレットを作っています。

 未知の感染症への不安が差別を生み、差別への怖れが受診の抑制を生み、感染の拡大を生むというスパイラルの図は、私も見たことがあります。

 不安だからと言って(根拠もなく)誰かを偏見の目で見て遠ざけることは、まさか自分はするまい、と思っていても、他人からされたときに毅然と拒否することを家庭内で意思統一しておくことができていなかったのです。


 一度こうなってしまった以上、いきなり現状を変更して元の保育園へ戻れるよう行動を起こすのは家族にも負担が大きく、上記のように(負担はありますが)いまのところどうにかなっているのも事実ではあるので、保健所のクラスター収束宣言をもって娘も元の保育園へ復帰と想定されることもあり、落ち着いたころに何らかの意思表示をしたいと考えています。

 少なくともこのまま黙っていたのでは、こんなことがまかり通る世の中を娘の世代へ引き継ぐことを私も黙認したことになってしまいます。
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保育園を休園する自治体と登園自粛にとどめる自治体

 先月の話ですが、船橋市も4月21日から保育園が臨時休園になりました。

 ただ「医療従事者や社会機能を維持するために就業することが必要な方、ひとり親などで仕事を休むことが困難な方、事情により家庭での保育が特に困難な方等」は引き続き同じ保育園を利用できる、という、後述する自治体に比べればかなりゆるいもので、申請書を出して引き続き利用しています。

 ちょうど20日から妻が再就職予定で慣らし保育中だったので、妻が就業日の日延べをお願いしたところ断られていました。(ただ、どうしても預けるところがなければ事業所内保育所が利用できるとのことでした)


 小学校以上の学校が休校するなか、保育園をどうするかは自治体によりかなり違いがあります。

 これはひどいと思うのは渋谷区で、特別保育の対象は「世帯全員が警察官、消防官及び医療従事者のご家庭等」とかなり厳しく設定していて、非常事態のなかではこの3つの職業があれば社会はまわると言わんばかりです。(渋谷区公式ページ

 実際にどのような運用がなされているのか知りませんが、「世帯全員」ということは、保育園に通う子がいる時点で「世帯全員」が「警察官」「消防官」「医療従事者」ではない(子は世帯の一員だけど職業に就いていない)のでは? という気もして、誰がこんな日本語を考えたのかということも含めて、(自分が影響を受けるわけでもないのに)はらわたが煮えくり返る思いです。

 渋谷区の休園は4月10日からで、緊急事態宣言が4月7日に出て3日後から、とちょうどスーパーマーケットで買い溜め騒ぎが起きていたころです。

 都知事は「お店は普通にやっていますし、物流も止まらないので心配はありません。買い溜めや買い占めなどは、むしろ避けていただきたいと思います。大丈夫です」と語りましたが(食品作業新聞社のニュース)、渋谷区のような自治体があっては、スーパーマーケットの従業員が出勤できない=「お店は普通にやれ(営業でき)ない」ことになり、買い溜めの抑制など呼び掛けられたものではないはずです。


 千葉市は「登園自粛」にとどめていて、千葉市の熊谷市長はFacebookへの投稿

>千葉市では、保育を必要とする児童に必要な保育を行えるよう、「休園」ではなく「登園自粛」としております。一律に「休園」として各家庭から詳細に保育を必要とする理由を聴取するという方法もあろうかと思いますが、保育を必要とする理由は人により様々であり、原則「休園」とすることによる「歪」が生じることが懸念されることから、現時点では「登園自粛」を継続いたします。

と述べていて、まさに「保育を必要とする理由は人により様々」に尽きる、と思いました。


 一方、何らかの理由で「この時期に子を保育園に行かせたくない」と考える親にとっては、「保育園が休園ならば仕事を休んで家で子の面倒をみられる」という事情もあるのかもしれません。

 そういう点では、船橋市のような「申請を出せば利用できる休園」もありなのかもしれませんが、妻に聞くと、娘と同じ保育園に通っている同僚の方が預けられずに無認可保育所に預けているという話です。(事業所内保育所も必要な人全員の子を預かれるわけではないのでしょうか)

 申請をしたが認められなかったのか、「我が家は特別保育の対象ではない」と思い込んで申請をしなかったのか、そこまでは分かりませんが、結局そういう家庭が発生してしまうので、やはり千葉市のスタンスがしっくりくる気がします。
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寛解後はどこまで復調を望めるのか

 去年7月に企画部門へ異動になり、最近痛感するのは「頭が働かない」「作業に時間がかかる」「記憶力が低い」ということです。

 上司から付与される課題は、なかなか期待に沿って成果を出すことができずにいます。

 そのほか、1時間あればできると思っていた作業に2時間以上かかってしまうこともざらです。……これはもともと2時間以上かかる作業を「1時間あればできる」と考えてしまうのが問題なのだろうとも思いますが。

 先輩から仕事を教わりつつメモを取るとき「メモを取るほどのことじゃないですよ」と言われることも一度や二度ではありません。(→ほかの人はメモを取らずに覚えられる)


 家で妻と話をしていても「もっと頭を使って?」と言われる始末です。

 このところテレビ番組も総集編や再放送が増えましたが、一度見たはずの話題をちっとも覚えていない(一緒に見ていた妻は覚えている)のも気になります。


 職場でも家でも、言われたことはできるのですが、自分で考えることはなかなか周囲のスピード感に追いつかないようです。


 病気休職から復帰して8年、服薬が終わって5年が経ち、さらに通院が終わって間もなく5年になろうとしています。

 業務復帰後の過ごし方について、Google先生に聞いても勤務先の保健スタッフのみなさんも、主に言及するのは「再発防止」で、これまで自分でもそれを主に考えて過ごしてきました。


 そういえば、周りの人々ができているくらいに頭を働かせられるようになれるのだろうか? とGoogle先生に聞いてみても、これといった答えが返ってきません。


 『ツレがうつになりまして』でも、ツレはそれまでのサラリーマンを辞めて主夫になっています。

 やはり、そういう既往歴があると、周囲と同じように頭を使った仕事をすることは難しいのでしょうか。


 もっとも、前々職に復帰して1年〜1年半くらいは、職場には「出勤するのが仕事」状態ではあったものの、家のことや趣味のことはもう少し頭を使ってやっていた気がします。

 8年前の出身サークル60周年記念行事を(頭が回らないなりに)切り盛りしたころのFacebook投稿を見ると、「いま同じことはとてもできないし思いつかない」と考えてしまいます。

 既往歴がどうとかではなく、この7〜8年間の過ごし方に課題があったのでしょうか。


 つらつらとそんなことを考えている昨今です。
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Ghosn is gone

 本当は正月のうちに書きたかった話題だったのですが、気がついたらもう2月になってました。


 日本の刑事当局に一時拘束されて保釈中だった自動車会社のフランス人元経営者が、レバノンへ逃げおおせたという事件がありました。

 私の目には、我が国は大手自動車メーカーをフランス政府も出資する外国の会社に吸収されるのは会社の内部関係者と経済産業省と刑事当局も連携して阻止したものの、最後の最後にフランス政府の手先だったスパイもどきの身柄だけは取り逃がした格好に映りました。

 今回の国外逃亡を被告個人だけで手配したのか、フランスやレバノンの当局が一枚かんでいたのか、それは分かりません。

 ただ、自動車会社の経営に関する事件は日本の公安当局が関与するような事件でなかったにせよ、仮に外国政府が関与せずに民間人だけでこんな国外逃亡ができてしまうのなら、国家がバックにいるような隣国のスパイなんて我が国の入国管理体制をすり抜けて出入りし放題、工作活動やり放題ということになります。


 今回の事件を受けて、プライベートジェットでも保安検査をやることにしたのだそうですが、お門違いにもほどがあると思っています。

 プライベートジェットはそもそもハイジャックする必要がない飛行機ですから、保安検査に意味がないことは明白です。……テロリストが自分で飛行機を飛ばしてしまえば、危険物など持ち込まずに飛行機を意のままに操れるのです。


 本来なら、大きな楽器ケースをスルーさせた税関は何をしていたのかと問われるべきで、強化するべきは税関の体制のはずです。

 保安検査は航空会社が行うもので、保安検査の強化に国の直接的な負担はありませんから、国家的事件の被告をみすみす国外に取り逃がしておいて保安検査の強化で終わらせるなど、目くらましもいいところです。


 しかしあれだけの人物に当局の監視ひとつついていなかった(のか、派手に取り逃がしちゃってとても監視してましたなんて言えないのか)なんて、我が国は本当に監視社会とは程遠い平和な国だということだけはよく分かりました。
author by よんなん
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2〜30代のうちにしておく苦労を今している

 7月に異動して、40歳にして実質的に初めてのホワイトカラー業務に就いてみると、「ホワイトカラーの仕事のABCがまったく身についてない」ことを痛感するばかりです。

 「上司への報告」ひとつとってみても、上司はみな忙しいのでまずスケジュールを押さえることとか、そうすると作業の締切は実質的に早くなるとか、最終的に報告する相手が幹部クラスになればなるほど事前に説明する相手が増えてスケジュール管理はもっと大変……などなど。

 25歳で就職をして、5年間の現場第一線経験を経て30歳でいったんホワイトカラー職場へ来たものの早々に体調を崩して以降は主に倉庫の在庫管理などを担当していた身には、まったく初めての経験です。

 あと、それに加えて(入社以来の希望分野とはいえ)初めて経験する分野の業務に就いたこともあって、1年間の業務の主な流れがまだつかめていない段階では、本当に目が回るような日々です。


 特に、取り組む仕事の作業量がよく分からず、どのくらいで資料が形になるのかもよく分かっていなくて、それでいて上司に報告するスケジュールは前もって決めておかないといけない(その日時が来て資料ができてないとかありえない)のは、プレッシャーが大きすぎます。


 こういう苦労は、ほかの方々は2〜30代のうちにしてきているのだろうなぁ……と感じながら、指導を受けています。


 ただ、10年前だったら「この目が回る日々が定年まで30年続くのか……」と絶望していたに違いない環境でも、40歳のいまだと「仕事を覚えるまでの(長くても1〜2年の)辛抱」とどうにか受け止められるのが救いです。

 前職の在庫管理の仕事も、赴任時点では周囲で飛び交っている言葉の意味も分からず、何をどうすればいいのかも分からず目が回るようだった日々が、1〜2年して全体がつかめてくると新任の方にもある程度教えられるくらいになりました。

 仕事の全体像をつかむのに1〜2年は長すぎで、本当に仕事ができる人は1〜3か月くらいなのだと思いますが、それでも「この苦労が定年までずっと続くわけではない」と受け止められるだけでも、10年間のブランクの意味はあったと思うことにしています。
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「MaaS」とは何なのか自分なりに考えてみた記録

 きのう、休暇を取って「鉄道技術展」に行ってみました。

 目当ては展示よりも初日の「MaaS」に関する基調講演(事前参加予約制)で、事前予約では満席でしたが当日の空席待ち整理券の5番目を手に入れて入場できました。……実際には空席もちらほらあり、空席待ちの人は全員入れたのではないかと思います。

 平日の開催なので、予約はしたものの仕事の都合がつかなくて欠席する方が少なくないのかどうか。

 公演に登壇した鉄道事業者の幹部と、国立大学の先生のお話で共通したのは、「『MaaS』という言葉は2014年ごろに出てきたが、その内容はすでにわれわれが手掛けていたものだ」というものでした。


 じゃぁこれまで通り事業者は鉄道と電子マネーをやっていればいいのか、というとそんなことはなくて、目下MaaSの覇権争いの真っただなか、というお話でした。


 個人的に理解したところでは、要はアプリ開発というか、バーチャル交通事業者の出現と競争、ということなのかなというところでしたが、合っているでしょうかどうでしょうか。

 たとえば「OK Google、家から大阪までの電車か飛行機とホテルをお願い」とスマホに話しかけるとGoogle先生が乗換検索とホテル検索をしてくれて予約と決済が完了して、駅へ行けば「地下鉄の切符を買う」とか「JRの新幹線に乗る」ということを意識せずに「Googleで予約してGoogleが手配してGoogleで決済した(あたかもGoogleが提供したかのような)サービス」を利用して出かけて帰ってくる、というような生活スタイルのことを言っているのかなと受け取りました。

 携帯電話でいえば、実際にアンテナを立てて電波を出しているのはドコモとauとソフトバンク(とこれから参入する楽天)だけですが、3社から電波を調達してサービスだけ提供しているMVNOは無数にあります。

 たとえばLINEモバイルの利用者は、自分のスマホが3社のどの通信網を使っているかなんてほとんど意識しないわけです。(3社から選ぶこともできますが)


 同じようなことが交通事業でも起こり始めていて、それは楽天トラベルや各交通事業者のスマホアプリだったり、スマートスピーカーやウェアラブル端末も連携できるシステムだったり、名乗りを上げている事業者があまたある、ということなのでしょう。たぶん。


 MaaS事業者が存在感を示すようになってくると、交通事業者は「お客さまに選ばれる」ことと並んで「MaaS事業者に選ばれる」ことも重要視しなければいけないことになります。

 交通事業者みずからMaaSアプリを開発して競争に勝って自社サービスへ誘導する手法も考えられますが、それと同じくらい“バーチャル交通事業者”のMaaSアプリでサービスを利用できるようにすることが必要になってくるはずです。


 JR東日本がGooglePayやApplePayに(決してグローバルスタンダードとはいえない)FeliCaの交通系ICカードを取り込ませているのは、将来、GoogleやAppleが世界的なバーチャル交通事業者になりかねないことを見据えてなのかなと思ったり思わなかったり。

 2020年には楽天PayにもSuica機能が入ることになっていますし、JR東日本にはビューカードというハウスカードやモバイルSuicaという自社アプリもありながら、それだけにこだわっていたら“楽天経済圏”のユーザーもみすみす逃してしまうということなのでしょうか。(個人的な推測)


 ふとそんなふうに「MaaS」をいまのところ理解しています。
author by よんなん
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育児休職1週目

 今週の月曜(9月30日)から育児休職に入りました。男親に産前産後休暇はありませんが、女性の産後休暇にならって産後8週間となる11月初旬までの予定です。

 産後8週間で終える理由はもう一つ、男性が産後8週間以内に育児休業を終えると同じ子の育児休業をもう一度とれる特例があり、もしもこの先保育園に落ちた時はそうする予定だからです。
(妻は今年3月で仕事を辞めていて、来年5月から再度働く予定)


 実際の休みは、妻が退院する27日(金)に年次有給休暇、そのまま土日の休みを経て30日(月)からの育児休職なので、きのうで実質的に休み始めて1週間が経過しました。


 「育児休職」の文字通り子守にかかりっきり、ということはなく、そのほか炊事・洗濯・掃除・買い出しなどの家事も含めて妻と分担してやっているのが現状です。

 夜のことは後述するとして、朝は6時ごろから炊事洗濯掃除とミルクやりを終えて娘が昼寝に入ってしまえば、10時ごろから昼まで2時間ほど自分の時間ができます。

 ……フルタイムで働いているときのような、平日は朝7時に家を出て夜9時に帰ってきて、家では風呂に入って寝て週末に作ったおかずとご飯を食べるだけ、という暮らしに比べれば、自分のことをする時間が作れるわけです。


 最初の数日は、病気休職をして家で療養していたころのようにポカーンと過ごしていましたが、きのうから勤務先の通信研修テキスト講座を進めたり、きょうはパソコンを広げてブログをつけたりしています。……通信研修テキストも手元に1冊しかなくて早々に提出課題を終えてしまい、もっと申し込んでおくんだったと後悔するなんて、自分のどこにそんな意欲があったんでしょうか!

DSC_5469.JPG また、食事も最初は野菜炒めとか焼きそばとかラーメンとかだったのが数年ぶりにレシピ本を広げて何か作ってみたくなって豚の生姜焼き(昨晩・写真)やらクロックマダム(今朝)やらを作ったり、おまけに手のひらの汗疱もこれまで薬を塗る間しか改善していなかったのがすっかり治ったり、もろもろの意欲が出てきたり日ごろ手に汗をかくことが減ったと思うようなできごともありました。

 そういう一面を見ると、炊事なんて総菜を買ってくれば“お金で解決できる”のに仕事もしないでそんなものに精を出したり(実際、妻が事前に買い込んでいた冷凍食品が手つかず)、そのほか通勤のストレス(推定)からも解放されたりして、「男の育児休職は、単なる『夫の休み』だった!」という面もゼロとは言い切れない、のは事実かもしれません。


 一方、夜の子守当番を妻に命じられてベビーベッドの傍らで寝るときは、「授乳は3時間おき=3時間睡眠を繰り返す」のかと思いきや、実際には授乳には3〜40分ほどかかるのと、前後のゲップの時間やらオムツ替えの時間を含めれば1時間ほどかかるので、実際には2時間睡眠を繰り返すのがせいぜいです。

 しかも、泣く→オムツ替え・ミルクやり→寝る、と素直にいくかといえばこれまで自分が担当した2晩は全然そんなことなくて、どういうわけか延々と泣かれてしまい、泣く原因も分からずオムツチェックだったり抱きかかえてあやしたりうちわで扇いだりを繰り返すうちに2時間以上経過して気づけばもう次のミルクの時間で、次のミルクを飲んでようやく寝る、なんてこともあり、そうすると

21時のミルクを終えて22時ごろ就寝→(約2時間)→0時ごろ泣き声に起こされて最初のミルクの時間→ミルクをやっても泣き止まないのでずっとあやし続ける(でも泣き止まない)→3時になり次のミルクの時間→ミルクを飲んでやっと寝る→4時近くに自分も寝る→(約2時間)→6時ごろ泣き声で起きて3回目のミルクの時間(そのころ妻も起きてきて交代)

こんな感じで2時間睡眠×2=トータル4時間睡眠、という感じです。


 我が家は妻という交代要員(妻にとっては夫という交代要員)がいるから交代したあと昼寝だって気晴らしの散歩だってできますが、これがワンオペだったらこの状態でまた1日が始まるわけです。

 産後の女性は最低でも6週間は働いてはいけない状態の体なのにもしも母親がワンオペで育児してたらそりゃぁ鬱にだってなるだろう、と思いつつ、自分の育児休職もあと5週間で終わることを考えると、そこから先どうしたらいいんだ……とすでに途方に暮れています。


 妻からは「先の心配をする暇があったら今日の育児をなんとかして」と言われつつも、いろいろ考えてしまいます。
author by よんなん
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多様性ということ

 勤務先で「育児休職を取ります」と言い出した瞬間、いろんな言葉があちこちから飛んできました。

 飛んでくる言葉の過半は、20年くらい前に世の中の過半の女性の働き手が浴びてきた言葉なんじゃないかと思うくらい時代遅れのように感じる言葉で、要は多様性なんか認めないとでも言わんばかりに聞こえなくもありません。

 ……とはいえ、これからより一層多様な人が働く世の中(+社内)になれば、考えが相いれない人たちと一緒に仕事をしなければならない場面も増えることでしょう。


 現状だと私のような(従来型の考え方で見れば)「男のくせに女のような働き方をしようとしている」人はきっと少数派でしょうが、時代が進むと(仮に私が昇進したとして)私のような上司の生き方と相いれない部下との接し方もひとたび誤るとハラスメントになりえます。


 多様性の尊重、というのは実は決して生易しいというか、一両日中に世の中が虹色になるようなものでは決してなくて、その現場では価値観のぶつかり合いというか小競り合いのようなものはどうしても起こってしまうのだろうなぁと思いました。
author by よんなん
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ショーザフラッグ

 また更新頻度がかなり落ちているんですが、そうこうしているうちに妻が妊娠しました。

 私はいまの勤務先に入る前から、結婚して子ができたあかつきには自分が育児休職をするつもりでいました。


 ……ですが、実際に「妻が妊娠したので出産したあとはしばらく育児休職を取りたい」と宣言し始めてみると、世間であれだけ「男性の育児休業取得率の向上」が言われているわりに、周囲からは渋い反応も少なくありません。


 たとえば

「権利だからなぁ」

 世の中にブラック企業があまたあるなか勤め先は年次有給休暇は難なく取れる会社ですが、いちいち年次有給休暇を取る人にそんなこと言ったりしないわけです。

 つまり、言葉にこそしませんが「法律で決まってるしダメとは言えないけれど、快くは思っていない」という反応です。



 なかには

「お前が生む子供じゃないだろう」
「それでも総合職か?」
「昇職や栄転はもうあきらめるんだな」

という声まで耳に入ってきます。


 一方、

「決して会社全体がそういう風潮ではない」
「そういう場面に出くわしたなら、それを変えるのこそ総合職の役目」

というふうな声も聞こえてきます。


 確かに、私が入社以来順風満帆でここまで来ているならともかく、2010年から病気休職を経て、同期のみなさんとのキャリアの差が開く一方というか後輩にどんどん上位職へ追い抜かれるばかりというありさまです。

 そこへ、さらに年単位で業務経験のブランクを自分から作ろうというわけですから「もう出世はあきらめろ」というのも、要は「業務経験のブランクが(病気と合わせて)10年近くできてしまったら逆立ちしたってもはや出世は無理」というのも分からないではないです。


 また、たとえば「育児休職をするなら栄転の話は消える」と言われたとしても、逆にじゃぁ「育児休職をしなければ栄転するのか」といえばそれはきっと違うでしょう。

 かなしいかな、異動が3年おきくらいにある総合職の世界で現職5年8か月(しかも自宅から通勤に片道2時間かかる場所)という立場に身を置いていると、実は育児休職をしようがしまいがもともと栄転とか上位職登用の話なんてないんじゃないか……くらいには考えます。


 病気休職から復帰して以来、「自分の考えにこだわらない」を心がけてきたつもり(それでも「高橋には協調性がない」と言われている模様)ですが、ここへきてまずはハッキリ「私は育児休職します」と、ちょっとやそっと何か言われたくらいでぐらつかない程度に旗幟を鮮明にしなくてはいけないのかもしれません。
author by よんなん
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