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「愉快なり」考

 早稲田大学の応援の中で「愉快なり」という応援歌(?)があります。

(「うさぎとかめ」のメロディーで)
♪ああ愉快なり 愉快なり
   ああ愉快なり 愉快なり
 ああ愉快なり 愉快なり
   ああ愉快なり
        愉快なり
(繰り返し)

 早稲田大学が野球で10点以上の大量得点差をつけたり、一度に4〜5点を奪ったりすると「紺碧の空」や「ミニ校歌」に続けてやることが多いです。

 10点差をつけられたり、一度に何点も取られて意気消沈しかけている相手校の応援席にしてみれば、悔しいというか腹立たしいというか、そんな声も耳に入ってこなくはありませんが、やってるこちらは愉快このうえありません。


 ところが、考えてみると、「コンバットマーチ」を始め、ほぼすべてがオリジナル曲の早稲田大学の応援で唯一の替え歌です。

 一部の高校でも使われているらしく、私が早稲田の応援席で初めて経験したのは確か大学院2年の時だったので、もしや、当時のリーダー幹部が高校時代にやっていた応援スタイルを持ち込んだのでは…と思っていました。
(バンカラで知られる盛岡の高校では、はるか昔から続いているとか)

 楽しいのはよいけれど、アマチュア野球はもちろん一部のプロ野球の応援スタイルに影響を与えてきた東京六大学野球の応援で、“逆輸入品”を早稲田が使うのってどうなの、と。

 確かに、この応援歌を使わない年もありますし。
(その年のリーダー幹部の考え方によるようです)


 で、少し調べてみたら、「ビバ・ワセダ」の作詞者、牛島芳氏(故人)が著した『応援歌物語』という本に、早稲田の応援歌すべてについてその成り立ちが記されている、と知って、この本をあたってみることにしました。

 1979年(昭和54年)に出版されたというこの本はすでに絶版で、どういうわけか国会図書館にも納本されていませんが、早稲田大学図書館で5冊収蔵しています。

#国会図書館も、早稲田大学図書館も、Web上で蔵書が検索できるので便利なものです。

 きのう、都内へ出たついでに、早稲田大学図書館へ。
 校友(=OB・OG)は、貸し出しは受けられませんが、入館と閲覧ができます。
(学生時代に使い残していたコピーカードを持って行ったら、使えました……当たり前ですが)

 すると……載っていました。「ああ愉快なり」。
 同時期に使われていたらしい「見よや早稲田の健男児」(←これも既存曲の替え歌)という応援歌とあわせて紹介されています。

 我々は「愉快なり」と呼んでいましたが「ああ愉快なり」が正確のようです。

 写真も載っていて、キャプションには「大量のリードを奪って『ああ愉快なり』を歌う応援部員(昭和31年春 早慶戦)」とあります。

 この二つの応援歌は、大正末期から昭和二十年代にかけて、盛んに使用されたものである。
(中略)
 これらの歌がいつから使用されるようになったかは定かではない。しかし(中略)『ああ愉快なり』が、童謡『うさぎとかめ』(納所弁二郎曲、明治三十四年七月幼年唱歌として発表したもの)であることを考えると、早慶野球戦が復活した大正十四年ごろから歌われるようになったらしい。
(中略)
 なお、『ああ愉快なり』は、帝大と商大(今の東大と一橋大)の対校ボート・レースで流行っていたものを拝借したといわれている。

 大正時代の応援歌は基本的に軍歌や民謡の替え歌だったそうで、早稲田大学オリジナルのものは昭和に入って、第一応援歌「競技の使命」からのようです。

 今は「紺碧の空」を「第一応援歌」と紹介していることがありますが、使われる順番ではなく作られた順番で「第一、第二…」とつけていたようで、入学時にもらえる歌集にも「紺碧の空」は「第六応援歌」と書いてあります。
(ちなみに「天に二つの日あるなし」は第三応援歌)


 ともかく、大正時代までさかのぼる応援歌のようで、どうやら高校野球からの逆輸入ということではなさそうです。

 今でも伝統的に続けている高校も、おそらくは同じあたりの時期に何らかのきっかけで取り入れたのではないでしょうか。

 早稲田も、はるか昔には替え歌だけで応援をやっていたんですね。

 私が大学院2年の年といえばちょうど早慶戦100周年で、そういえばあの年は「昔やっていた応援」をいくつかやりましたっけ。「愉快なり」はその一環で復活したのかもしれません。

 この本には東大や一橋大が先にやっていたと書いてありますが、東大はこの応援をやりませんね。もう残っていないのか……仮に残っていても、東大は目下40連敗中ですからやる機会もないのでしょうけれど。


 この応援歌のほかにも、ダイナマイトマーチに至るまで、あらゆる応援歌に言及されていて、衝撃の事実がいくつかありました。

1.現在使われている「紺碧の空」の前奏は古関裕而オリジナルではなく、試合の進行に合わせるために応援部の依頼で牛島芳が昭和33年に編曲したショートバージョンである。
(オリジナルの譜面も掲載されています)

2.「ダイナマイト・マーチ」で現在「♪がーんばれ がーんばれ がんばれ早稲田」とついている部分は、掲載されている譜面では「ワセダ ワセダ ケイオーたおせ」になっている。
(昭和末期にやっていたらしい守備中の「ピンチパターン」で歌詞を変えたのでしょうか?)

3.「コンバット・マーチ」の譜面には、拍手のタイミングが載っている。
(当初は手をを叩いていたらしい…が、この前みたいな速いテンポではなく、プロ野球応援などの「× × ×××」に近い)

4.「早慶賛歌」はCDや歌集では単に「早慶賛歌」として収録されているが、「花の早慶戦」が曲のタイトル。「早慶賛歌」は「応援歌 紺碧の空」の「応援歌」と同じ位置付けで、「早慶賛歌 花の早慶戦」ということになっている模様。それと、「華の早慶戦」ではなく「花の早慶戦」。
(確かに、リーダーは現在でも「(前略)歌わんかな〜 早慶賛歌ー 花のー早慶戦ー」って言ってますから、「元気よーく 応援歌ー 紺碧の空〜」と対比すれば、同じだと合点できます)

5.「永遠なるみどり」は、冒頭にJRの特急列車名が5つも登場するが、作詞当時のエピソードでは当時の国鉄や鉄道に触れておらず、まったく関係ない模様。(当たり前)


 早稲田の応援歌には、慶應義塾の応援歌に対抗して作られたり、慶應義塾と共同で作られたものもあるので、一部慶應義塾の応援歌についても記述があります。

 マニアであれば、少なくとも半日はヒマをつぶせる本だと思います。

 在学生や教職員には貸し出しをしていますが、中央図書館2階の参考図書コーナー(禁貸出)にも1冊あるので、バッティングさえしなければ、必ず読めます。
author by よんなん
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