未来をひらく福澤諭吉展
2009.03.06 Friday | よんなん的日常
そのうち行こうと思っていたら今週末で終わってしまう時期になってしまい、早大理工キャンパスへ行ったついでに上野の国立博物館へ行きました。
(福沢諭吉展公式サイト)
上野駅の公園口改札内にある窓口で上野公園内の各博物館・美術館の入場券を売っていたのでそこで買ってしまいましたが、国立博物館のキャンパスメンバーズになっている大学の学生証があれば、博物館の入場券売り場で大学生料金からさらに200円引きになることがあとで判明。
……法政大学の学生証持ってるよ! (=通信課程の科目等履修生)
JRの駅なんかで買うんじゃなかった!(ぉぃ)
(↑通常の大学生料金だった)
#あと、上野駅にある入場券売り場ではSuicaが使えませんが、国立西洋美術館では直接美術館のチケット売り場へ行けばSuicaで買えて、そっちのほうが便利です。
<お願い> ここからは、他大出身者による妄想混じりの感想ですので、承知してください。
さて入場して最初のコーナーは、福澤諭吉の遺品などの展示で、真っ先に目に入ったのが、生前に好んで着ていたという紺色の「紋付長着」。
早稲田大学の会津八一博物館に、大隈さんが好んで着ていたという緋色(=早稲田カラーのエビ茶色・えんじ色を明るくしたような色)のガウンが飾ってあるのと対照的です。
おまけに、この紺色がブルー・レッド・ブルー(=慶應の「三色」)のブルーに見えてしまい、絶対に早稲田の博物館を意識して展示してるだろっ! と最初から勝手な妄想をしてしまいました。
それと、福沢諭吉の身長について、“170cmを超えて当時としては大男の部類だった”という解説がありましたが…大隈さんが183cmだったという事実の前には(以下自主規制)。
というか、福澤諭吉ゆかりの展示の一角に、遺品でも写真でも当時の肖像画でもなんでもない「一万円札」が展示品になっているのはどうなんだ! どうせこっちにはお札になった人いないよ! 悪かったな!
さて、展示を通じて慶應義塾につきまとうステレオタイプなイメージとは裏腹に、福澤諭吉は質素な人だったことが分かりましたが、それがどうして、、、という疑問が生じます。
順路に従って2階へ行くと、福澤諭吉は「官尊民卑」を戒め、民間の実業を通じた国の発展を説いたことを示す展示が並んでいます。
そして「福澤山脈」と呼ばれる明治〜大正期の日本を支えた実業家を多く慶應義塾から輩出したあたりから、どうやらねじ曲げて受け止められた節があるようです。
……「民間にできることは民間に」という、慶應出身の元総理大臣のフレーズに通じるものがありそうですね。
一方、早稲田大学系属のどこぞの実業学校では、入学試験の父母面接で大学の総長兼・実業学校理事長が寄付金を出せるか聞くという露骨なマネをしていたことがありましたっけ。
(落ちたら子供が学校に入れない面接でそんなこと聞かれて「(授業料だって高いのに)さらに寄付金なんてとても出せません」と言える親なんかいるわけがない)
どっちが「金の亡者」で、学校名に「実業」を入れる資格があるのはどっちだという気分になります。
と思っていたら、「塾生風俗の変遷」という、塾生のスタイルを解説する展示で「仰々しい角帽は好まれず…」という非常に当て付けな解説を見つけてしまいました。
(↑重箱の隅をつつく奴)
あのね! 角帽は大隈さんが作らせた早稲田の学生である目印で、当時は角帽が早大生の身分証明書代わりだったんだよ! それを塾生がかぶるものじゃないだろう!
だいたい、丸帽なんかその辺の東大とか他の学校の学生と同じじゃないかっ!
……にしても、お札にはなるわ、国立博物館でこんな展示をしてもらえるのは、福澤諭吉が生涯「無位無官」の民間人だったからなんでしょうか。
大隈さんは、作った大学の校風が「反骨精神」だとかどうとか言われる割には、総理大臣という国家権力の最たる地位(天皇は別格として)にいたこともあるわけです。
このご時世、明治憲法時代の総理大臣を称えるような紙幣や国立施設での展示は、残念なことに簡単ではない気がします。
(福沢諭吉展公式サイト)
上野駅の公園口改札内にある窓口で上野公園内の各博物館・美術館の入場券を売っていたのでそこで買ってしまいましたが、国立博物館のキャンパスメンバーズになっている大学の学生証があれば、博物館の入場券売り場で大学生料金からさらに200円引きになることがあとで判明。
……法政大学の学生証持ってるよ! (=通信課程の科目等履修生)
JRの駅なんかで買うんじゃなかった!(ぉぃ)
(↑通常の大学生料金だった)
#あと、上野駅にある入場券売り場ではSuicaが使えませんが、国立西洋美術館では直接美術館のチケット売り場へ行けばSuicaで買えて、そっちのほうが便利です。
<お願い> ここからは、他大出身者による妄想混じりの感想ですので、承知してください。
さて入場して最初のコーナーは、福澤諭吉の遺品などの展示で、真っ先に目に入ったのが、生前に好んで着ていたという紺色の「紋付長着」。
早稲田大学の会津八一博物館に、大隈さんが好んで着ていたという緋色(=早稲田カラーのエビ茶色・えんじ色を明るくしたような色)のガウンが飾ってあるのと対照的です。
おまけに、この紺色がブルー・レッド・ブルー(=慶應の「三色」)のブルーに見えてしまい、絶対に早稲田の博物館を意識して展示してるだろっ! と最初から勝手な妄想をしてしまいました。
それと、福沢諭吉の身長について、“170cmを超えて当時としては大男の部類だった”という解説がありましたが…大隈さんが183cmだったという事実の前には(以下自主規制)。
というか、福澤諭吉ゆかりの展示の一角に、遺品でも写真でも当時の肖像画でもなんでもない「一万円札」が展示品になっているのはどうなんだ! どうせこっちにはお札になった人いないよ! 悪かったな!
さて、展示を通じて慶應義塾につきまとうステレオタイプなイメージとは裏腹に、福澤諭吉は質素な人だったことが分かりましたが、それがどうして、、、という疑問が生じます。
順路に従って2階へ行くと、福澤諭吉は「官尊民卑」を戒め、民間の実業を通じた国の発展を説いたことを示す展示が並んでいます。
そして「福澤山脈」と呼ばれる明治〜大正期の日本を支えた実業家を多く慶應義塾から輩出したあたりから、どうやらねじ曲げて受け止められた節があるようです。
……「民間にできることは民間に」という、慶應出身の元総理大臣のフレーズに通じるものがありそうですね。
一方、早稲田大学系属のどこぞの実業学校では、入学試験の父母面接で大学の総長兼・実業学校理事長が寄付金を出せるか聞くという露骨なマネをしていたことがありましたっけ。
(落ちたら子供が学校に入れない面接でそんなこと聞かれて「(授業料だって高いのに)さらに寄付金なんてとても出せません」と言える親なんかいるわけがない)
どっちが「金の亡者」で、学校名に「実業」を入れる資格があるのはどっちだという気分になります。
と思っていたら、「塾生風俗の変遷」という、塾生のスタイルを解説する展示で「仰々しい角帽は好まれず…」という非常に当て付けな解説を見つけてしまいました。
(↑重箱の隅をつつく奴)
あのね! 角帽は大隈さんが作らせた早稲田の学生である目印で、当時は角帽が早大生の身分証明書代わりだったんだよ! それを塾生がかぶるものじゃないだろう!
だいたい、丸帽なんかその辺の東大とか他の学校の学生と同じじゃないかっ!
……にしても、お札にはなるわ、国立博物館でこんな展示をしてもらえるのは、福澤諭吉が生涯「無位無官」の民間人だったからなんでしょうか。
大隈さんは、作った大学の校風が「反骨精神」だとかどうとか言われる割には、総理大臣という国家権力の最たる地位(天皇は別格として)にいたこともあるわけです。
このご時世、明治憲法時代の総理大臣を称えるような紙幣や国立施設での展示は、残念なことに簡単ではない気がします。