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四国って意外と近い

 四国へ行ったのは、確か中学3年か高校1〜2年生のときだったかに四国のJR線を乗りつぶして以来(のはず)で、ずっと足が遠のいていました。

 あのころは京都始発の九州・四国・山陰行きの夜行列車があって、「青春18きっぷ」で四国へ行く(個人的な)定番は昼に東京を出て東海道本線を延々と下り、京都で「ムーンライト高知・松山」をつかまえるルートで、四国入りは翌朝だったのです。

 それでなんとなく「遠い」というイメージを持っていたのですが、実際に時刻表をめくってみると、青春18きっぷを使って「ムーンライトながら」号から乗り継いでいくと松山には17:12に着いて、道後温泉に泊まるにはちょうどよい時間です。

 今回は、夜行バスに乗って京都駅6:08発の快速電車から「18きっぷ」の旅をスタートさせたので、松山へはまだ日も高い15:06に着いてしまいます。


DSC00146.jpg 大阪、姫路と電車を乗り継いで、岡山から瀬戸大橋線へ。

 瀬戸大橋が雄大な吊り橋であるのを堪能できるのは上段を走る道路のほうで、鉄道で渡ると「ただの鉄橋でしかない」とは耳にしますが、車窓を見ながら、さだまさしの「帰郷」という曲が脳内で再生されると

今も あの海は 青く 澄んでいるか
オリーブ色の風は 今日も吹いているか
あの橋を渡って 故郷へ帰ろう

今もあの空は 島の影を写し
鳥たちは白い船を かすめて飛んでいるか
あの海を渡って 故郷へ帰ろう

「あ〜〜のはしをわた〜って ふ〜るさとへかえ〜ろぉ〜」という一節で(香川出身じゃなくても)泣けてきます。

#本州と四国を結ぶ橋は現在3ルートありますが、香川のイベントとのタイアップ曲であることと、歌詞や曲の発表時期(1996年)を考えると、「あの橋」は瀬戸大橋と思って間違いないはずです。


DSC00163.jpg 坂出で乗り継いだ観音寺行きは121系電車。……旧国鉄が1987年3月のダイヤ改正で“JR四国への置き土産”的に製造・投入した(JR発足は1987年4月)ような電車です。

 JR発足前後の似たような電車には「JR最初の新車」JR東日本の107系があり、121系ともども当時の国鉄〜JRの経営状況を鑑みて廃車発生品が多数流用されているのが特徴です。

 ……が! 107系が「車体以外の構造はほとんど165系」なのに対し、121系には電気指令式ブレーキが取り入れられていたとは。

 他の国鉄設計の電気指令式ブレーキ電車(205系や211系)の運転台はハンドルが固定された「ブレーキ設定器」なのに対し、121系のはハンドルが空気指令式車と共通の取り外せるタイプです。……電気指令式でもハンドルが取り外せるのは民鉄ではめずらしくありませんが、国鉄〜JRの車両では他にありましたっけ??


DSC00172.jpg 観音寺(かん「お」んじ)で乗り継いだ松山行きは7000系電車。

 1990年にJR四国が新製した電車ですが、東急電鉄に詳しいマニアの方が「当初、東急で廃車になった東急7000系電車を購入する(東急からJRへ払い下げてもらう)予定だったのでそのまま7000系と名づけられた」と言っていたのを聞いたことがあります。

 ……本当なのかどうかは知る由もないものの、7000系新製の9年後、JR四国はJR東日本で廃車となった113系電車を購入しています。

#なお、JR四国による「**00系」という民鉄のような形式名は、2000系気動車が先


DSC00178.jpg 「旅行といえばボックスシート」という向きもあるようですが、一人旅だとロングシートも悪くないと思っています。

 平成に入ってボックスシートとロングシートの千鳥配置を取り入れる車両が出はじめ、この電車もそうです。……観音寺駅でドアが開いた瞬間にボックスシートはそれっぽい人が真っ先に座ってしまいましたが、向かい側のロングシートから真正面に瀬戸内海を眺めながらの移動は、何気なくこちらのほうが勝ち組では? なんて思っちゃったり。

 15時過ぎに松山に着いたら、さっそくホテルにチェックインして大きめの荷物は置いて、身軽になって活動開始です。
author by よんなん
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