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「虚礼廃止の徹底」というなら

 不平不満を書きます。


 休職前に、勤務先でお世話になっている方々へ社内メールで休職に入ることをお知らせした際、「休職中の連絡先」を記したんです。

 自宅のメールアドレスと、電話番号と、住所です。


 結構いろんな人に送りました。ざっと100人近いんじゃないかと思います。


 およそ100人に住所を知らせたんですから、正月になれば年賀状の2〜3通は来るだろうと考えていたんです。

 世間では年賀状を書く人が減っているらしい、とはいえ、それを差し引いてもそのくらいは見積もっていました。


 フタを開けてみれば、前職場の上司から一通届いただけで、特に本社採用の皆さん方からはついぞ一通も来ませんでした。

 ……「ゼロ」はおかしくないですか。これだけいろんな社員がいれば、私へ年賀状を送ってくる変わり者がもう1人か2人くらい、いたってよさそうなものです。


 住所を知らないから送ってこないんじゃなかったんですね。

 分かってはいましたけど、あらためて、自分は社内の人々(特に本社採用の皆さん方)にとって「(どうでも)いい人」だったんだなぁ、と思い込んで正月を過ごしました。


 正月も終わり、きのう国立競技場へラグビーを見に行くついでに新宿の誰もいない職場の自席へ行って、メールサーバーに溜まっているメールをパソコンへ落としました。

 落とした膨大なメールは復職したらゆっくり目を通すとして、一通気になるタイトルのメールがあったので開きました。


「虚礼廃止の徹底について」


 そこには「社員相互間での年賀状送付をしないこと」と明記してありました。


 そりゃぁ自営業をやっている私の父親のもとへ取引のある人々から届くようなダイレクトメール的な年賀状と、それへ同じように印刷屋さんのデザインに住所屋号名前電話番号を入れただけで宛名もパソコンに印字させて返事をする年賀状のやりとりは「虚礼」といえるでしょう。


 しかし、私は、年賀状のすべてが虚礼だとは思っちゃいません。

 何もお歳暮で金品を贈るわけじゃなし、年始の挨拶に上司の家へ行かされるわけじゃなし、50円のハガキ一枚で済ませること自体がすでに簡略形なんですから、そこへ手書きで一枚一枚あいさつを書き、宛名を書き、投函するくらい、いいじゃないですか。


 一律に年賀状=虚礼などといわず、「1枚50円の年賀状を送るという多様性」くらい、認めてもらいたいもんです。


 むしろ、嫌気がさしているのは、職場の忘年会での「プレゼント交換」。

 忘年会シーズン=クリスマスの時期だからそんなことをやるんですね。


 その場限りのネタにしかならない「1000円相当」のものを職場全員で押し付けあって、持って帰ったらゴミにしかならないんですから、あれこそ虚礼の権化みたいなものじゃないですか。


 楽しくてやってるんならこんなふうに書きませんけど、いまの職場はどことなく「楽しがっているだけ」のように感じてしまうので、余計そう思うんです。


 かように考える自分は、年賀状をここまで徹底してやめさせているなら、忘年会のプレゼント交換や、バレンタインデーとホワイトデーこそ徹底してやめさせればいいと思ってます。

 プレゼント交換とかバレンタインとかそのお返しとか、要は自分は気が進まない(←重要)のに「みんないっしょに」(←超重要)お金を消費させられるイベントのことなんですけど。


 辞書にも書いてあります。


>きょ‐れい【虚礼】
>うわべばかりで誠意を伴わない礼儀。形式的な礼儀。「―廃止」


 逆に、やりたくてやるんなら、年賀状を送ったって、プレゼント交換をやったって、チョコレートをあげたって、そのお返しをあげたって好きにすればいいと思います。


 ……そんな、本音丸出しのコミュニケーションばっかり志向して、「建前」も世の中で潤滑油としての一定の役割を果たしていることを理解しないような人間だから、会社へ行けなくなるんだよ。>自分
author by よんなん
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