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笑の大学

 昨晩、三谷幸喜の映画が見たいなぁとTSUTAYAへ行って、1本だけ残っていたこれを借りてきました。

 戦時中の設定で、喜劇の台本を書く作家(稲垣吾郎)と警視庁の検閲官(役所広司)との7日間のやり取りの話です。

 「このままでは上演許可は出せない」と検閲官が小出しにしてくる無理難題に対して、翌朝にはそのハードルをクリアして、それでいてさらに笑える台本を書いてくる作家のやり取りが面白いです。


 このやり取りを見て連想したのは、テレビ局のプロデューサーと脚本家のやり取り。

 スポンサーの意向やら、タレント事務所の意向やらで、「このフレーズを入れてくれ」とか「このシーンはダメだ、スポンサーの競合会社の商品が出てくる」とか「このタレントが出てくるシーンを作ってくれ」とか、「予算の都合が…」とか、同じようなことをやってそうです。


 で、この映画の中で稲垣吾郎演じる作家は、6日目に

「検閲で何を言われようと僕はその一切を受け入れて、そして言われた通りにすべて書き直す。でも、直した本はさらに笑えて、さらにおかしくて、さらに面白い本にしてみせる」

と言うんですね。


 学生時代、機械工学科の教授が「工学は妥協の学問」と言っていたのを思い出しました。

 「妥協」という言葉はちょいと外れだと思いますが、たとえば「軽自動車」という規格が日本の自動車技術のレベルアップにどれだけ貢献したかを考えれば、この作家のセリフに通じるものがあると思うんです。

 自動車の技術者が、好きな排気量のエンジンで、好きなサイズの車体で、好き放題のクルマを設計していい、というのではなく、排気量は660cc以下、車体サイズにも制限あり、という「軽自動車」の規格があったから生まれた技術だって数知れずあるはずです。


 戦争が終わって国家による検閲こそなくなりましたが、本当の(表現の)自由などありえないことと、それと、実は本当の自由からは何も生まれないのだ、ということなんでしょう。きっと。
(自由度は高いほうがいいに決まってますが)

 「スポンサーの意向を排除する」とする「週刊金曜日」だって、おそらくはライターが何の制約もなく書けるという環境ではないに違いありません。


 ところで、もともとはラジオドラマや舞台劇だった作品だそうなので、オリジナルの作品のオチはどうだったのか、気になるところです。
author by よんなん
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