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バブルへGO!! タイムマシンはドラム式

 12日にフジテレビが放映したのを見たのではなくて、TSUTAYAで借りて見ました。

 1990年3月というと、小学5年生〜6年生の春休みでした。


 映画の中身は時代考証が中途半端、の一言です。

 タクシーに使われているクラウンコンフォートは1995年にならないと登場しませんよ!


 鉄道関係のくだらない指摘は見苦しいので隠しておきます。
(お読みになる方は、下の白い部分をマウスでがーっと選択してください)


 公式サイトでは、あれこれこだわったかのような書き方ですが、鉄道マニアとしては、真弓と下川路が曙橋駅で待ち合わせをするシーンは「1990年にこれはありえない」に尽きます。

 「駅時計」が緑色なのとか、のりこし精算機があるのとかはもちろん、背景の柱に壁面ラッピング広告の一部が見えます。

 絵柄が分子構造を模した図柄なので、日比谷駅の三共製薬の広告かなーと思う(←合ってるか自信はない)んですけど、都営地下鉄がこの種の広告を始めたのは2001年3月のことです。

 というか、改札の外から改札口を見たアングルで、黄色の「都営新宿線 曙橋駅 出口」っていう案内看板があるのはあからさまにおかしいです。

 あの場所なら、入口を示す緑色で「都営新宿線のりば」でなくては……って、これは21世紀になっても同じなんですから、ちゃんとやってほしいです。。。

 たぶん、ロケを別の駅でやったとか、本物の地下鉄駅だと曙橋駅と分かる表示類が改札口周辺にない、とかそんな事情で苦し紛れにやっちゃったんだと思いますけど。


 まぁそういうわけで、「喫茶マイアミ」とか「森永LOVE」とか私の記憶にもあるような物が出てくると手をたたいて喜んではいたものの、上に書いたようなのが出てくるとちょいと興醒めでした。

 あ、鉄骨飲料はまだ売ってますからね。
(いつのまに特保になったのだろう…)


 さて、当時は小学5年生だったので一人で出歩いた場所というと、浦安市内と、通っていた中学受験塾があった八丁堀くらいで、山手線の内側は未知の世界でした。

 なので、バブルの華やかさというと、家族で外食へ行く日が多かったとか、お年玉総額が10万円を超えた同級生がいた(私はその半分くらい)とか、そんな程度の記憶しかないです。

 1990年にバブルがはじけたことになってますけど、その後数年間は、まだ余韻があったような気がします。

 中学生の頃でも正月のテレビ番組で、露天風呂に現金をばらまいて水着のおねーちゃんたちがつかみ取りをしている、なんていう、この映画のワンシーンのようなのを流してませんでしたっけ?


 それより、1990年というと、私が勤務先に入社した前後によくお世話になった平成2年入社の○○課長とか△△課長とかが入社した年なんですね。

 劇団ひとりが長銀に内定していい気になっている大学生役で出てきます。

 あの人たちもあんな大学生だったんですかねー。


 ただ、私が新入社員のときに△△課長から聞かされた話では、当時の某社の初任給は今の半分以下だったそうです。
author by よんなん
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