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10年目の深名線バス

IMGP7523.jpg 深名線バスに乗りました。

 鉄道としてのJR深名線は1995年9月に廃止され、それ以降、JRバス深名線として走りつづけています。(参考:Wikipedia「深名線」

 深名線に乗るのは、なんと5度目。
 鉄道時代の1994年3月に一度、バス化されて1999年8月、2000年2月、2001年2月、そして今回。

 夏にレンタカーなどで沿線を訪れた回数もカウントすれば、かなりの回数になります。


 鉄道がバスになって、年間10億円近い赤字は10分の1になったと言われ、本数も増え、停留所も増えました。

 一方、時が経るにつれて状況は刻々と変わっています。

 まず、1999年にJR北海道がバス事業を分社化し、ジェイ・アール北海道バスの路線となりました。
 名前からすると北海道全域で営業していそうな会社ですが、実状は単なる札幌近郊のバス事業者です。
(札幌近郊以外で営業しているのは、深名線とえりも岬付近の日勝線だけ)


 年間1億円近いと言われる赤字は、その10倍を垂れ流していたJR北海道にとってはまだマシだったかもしれませんが、ジェイ・アール北海道バスにとっては大きなお荷物に違いありません。

 バス化当時はJR北海道の社内からベテランの運転手を集めて発足した深川営業所も、分社化前から次第に契約社員主体の様相を見せ、2002年10月からは営業所ごと道北バスへ委託されました。

 現在、バスや停留所、乗車券や回数券はJRバスのものですが、運転手さんは道北バスの制服を着た方です。


 委託が始まってから乗るのは初めてで、どうなっているのやら、と、札幌からの特急「スーパー宗谷1号」を深川で降り、10:10発の快速幌加内行きを待ちます。

 車内にはおじさんとおばさん、それから僕、あとから高校生が6人乗ってきて、合計9人で発車。
 おそらく、これまで乗った中で一番にぎわっていたんじゃないかと思います。それにしても平日のこの時間に高校生がバスに乗っているのはどういうことだか……と気になります。

 「快速」と「普通」の違いは、途中の多度志まで直行するのが快速、鉄道跡に沿って円山、上多度志と迂回するのが普通。それだけです。……ちなみに、普通便が通る道道857号線の「多度志トンネル」は深名線の多度志トンネルを拡幅して道路に転用したもの、という情報もありますが、鉄道の多度志トンネル跡が入口・出口ともにまだ残っています。

 多度志までは地元の空知中央バスがこまめに停留所を置いているのに対して、JRバスは多度志までノンストップなので、その意味でも「快速」かもしれません。

 沿線は名だたる豪雪地帯ですが、今回はとんでもない吹雪の日で、前が見えません。
 対向車は昼でもライトをつけているものの、直前までわからないくらいです。

 一般に鉄道の運転士は「特殊勤務」手当がついて比較的高待遇ですが、これに乗っているとバスのほうがよほど緊張を強いられる「特殊勤務」のような気がします。
(もちろん、バスの運転手にも特殊勤務手当はあるのが一般的ですが)

 下幌成でおじさんが下車。幌加内峠を越え、深川市から幌加内町に入ります。
 改修が進んだ国道275号線で今なおカーブが多い幌加内峠は、6年前に買った地図には工事中のトンネル経由の新道が描かれていて、工事の様子も何度か目撃しているものの、一向に完成しません。

 雪がおさまった幌加内町側では、いったん国道275号線を離れ、「下幌加内」へ。停留所の名前とは違い、旧沼牛駅舎が雪に埋もれて現存しているところです。地名としての沼牛は少し離れていて、沼牛小学校停留所の辺りです。

 沼牛小学校そのものは2002年3月で閉校しています。今年の大雪でバスから見える校庭はとんでもない雪の高さになっており、校舎の1階が見えません。

 新成生三叉路で1人乗ってきて、9人のまま終点幌加内へ。時刻表では11:24着のところ、10分ほど遅れての到着でした。あれだけの吹雪なのに10分遅れで済んだのにはほっとしました。

 次の名寄行きは、深川を11:45に出る普通便がそのまま直通するので、幌加内では2時間ほど時間があります。幌加内と言えば日本一のそばの産地で、昼食は最近新しくできた「そば屋八右ヱ門」(町役場となり)で。

 八右ヱ門で食べていたら、先ほどのバスで見かけた高校生がやってきます。会話を聞いていると明日が卒業式だとかどうとか。平日の昼間なのに高校生が出歩いていられるのは、卒業間際の3年生だったからのようです。


 次の13:20発名寄行きが入ってきたところで、手元のデジカメがなんと故障。
 名寄で「レンズつきフィルム」を手に入れるまで写真が撮れませんでした。(^^;;)

 バスに乗ると運転手さんに「周遊フリーですか?」と言われ、きっぷを見せます。深名線は、JRの周遊きっぷで乗れる数少ないローカルバスなのです。

 名寄行きは、僕だけを乗せて発車。ロータリー車やトラックなどなど総出で除雪作業が行われる市街地を抜けて、北へ向かいます。

 上幌加内、雨煙別を過ぎて、ちょっとした峠越えにかかります。鉄道の深名線跡のハイライトもここで、バスの車窓から深名線の廃鉄橋を今でも見ることができます。

 廃止から今年の9月で10年になり、特に鉄橋はかなり撤去されてしまいましたが、ここは今でも当時のままです。

 峠を越えた先にある道の駅「ルオント」でおばあさんが一人乗車。
 旧政和温泉駅もこの辺りにあり、道の駅には温泉センターがあります。
(駅があった頃の政和温泉は一度枯渇しており、今のは新源泉だそうです)

 運転手はおばあさんに「添牛内郵便局でしたっけ?」と聞きます。
 すっかり、どの人がどこに住んでいるのか把握している様子で、私のような見慣れない人が乗ると「周遊きっぷの人」ということになるのでしょう。

 停留所の名前になっている添牛内郵便局は1999年に廃止されており、局舎跡は「霧立亭」というそば屋になっています。

 そういえば、旧政和駅舎も飲食店に改装されて営業しているのがバスの車内から確認できました。
 前回レンタカーで訪れたときは使われておらず、2003年8月にオープンしたとか。

 再び一人になり、朱鞠内を過ぎ、いったん道道528号線に入って旧湖畔駅付近にある三股バス停まで行って戻ります。鉄道の深名線はこのままずっと山奥に入って朱鞠内湖の北側をまわりこみ、途中、蕗の台、白樺、と駅がありましたが、今は誰も住んでおらず、道路も冬季は閉鎖です。
(それ以前に、しばらく行くと道道がとんでもないダート道になるので、夏もバスは通りません)

 バスは朱鞠内湖を南側からまわって母子里へ向かいます。
 周囲は北海道大学の演習林と、北海道電力の社有林(朱鞠内湖は発電用のダム)しかなく、無人の原生林(おそらく)です。深川市内の吹雪がウソのようにすっかり晴れて、サングラスを持ってこなかったのが悔やまれるほどの天気です。

 これまでもずっとそうでしたが、深名線は天気がよければ「寝るな」というのが拷問に感じられるほど退屈な沿線風景です。私がついウトウトするのはまだしも、バスも時々フラフラします。運転手は、運転席で姿勢をなおしたり、窓を開けたり、ハンドルを握ったまま軽く伸びをしたり、必死に抵抗している様子でした……。


 母子里バス停前にある、母子里小学校跡とおぼしきところも沼牛小学校跡並みにすごいことになっています。

 ここから国道275号線を離れて道道688号線に入り、名寄へ向かいます。名母トンネルを抜けて名寄市に入り、道道から脇道に入って「日塔宅前」「北川宅前」という北海道によくある名前のバス停を過ぎ、天塩弥生。ここでおじいさんが一人乗ります。

 西名寄駅跡にあるライスセンターを過ぎればもう名寄市街で、おじいさんとともに、西條デパート前の「西3条南6丁目」バス停で降りました。終点の名寄駅は目前で、西條デパートで買い物をしてから徒歩で向かいました。



 相変わらず、深川側はそれなりに乗っていて、名寄側は惨憺たる様子に見えましたが、幌加内5:55発の早朝便(名寄7:57着)は、名寄市立病院への通院客が結構乗っているという情報も耳にしました。

 路線開設の経緯からいまでもJR系列のバス会社で維持されている深名線バスですが、鉄道の廃止からまもなく10年になり、特に幌加内以北は見直しがあってもいいような気はします。

 とはいえ、何か代替案があるかといえば、現状以上のものは私自身もなかなか思いつきません。
(たまにしか来ない旅行客に思いつく程度なら苦労はしませんよね)

 個人的には、宗谷本線(国道40号線)方面へ出るのに、朱鞠内・母子里〜名寄より、幌加内〜和寒のほうがまだ便利なのでは……という気はします。が、沿線の「何もなさ」は似たようなものですし、朱鞠内や母子里と幌加内の間は同じ幌加内町内でも35〜50km離れていますから、わざわざそちらを切り捨ててまで取るほどのものではなさそうです。


 地元バス会社への委託運行で、朱鞠内〜名寄1日4往復(午前中の1往復は平日のみ)、というのが精一杯の最適解なのかもしれません。

 ただ、いつの日か、ジェイ・アール北海道バスが「この路線をやめたい」と言い出しても決しておかしくないのは確かだと思います。
author by よんなん
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