思わぬナイトハイク
2010.10.18 Monday | よんなん的日常
外苑前の「和民」からの帰りは、銀座線で新橋へ出て総武線の快速電車に乗りました。
新小岩駅を発車して、ドアの上の電光掲示に「次は 市川」と表示されて、あぁ京葉線で新浦安へ帰るのに比べて便利なものだなぁ……と思ったが最後、次に気がついたときの表示は「次は 津田沼」でした。。。orz
電車は千葉行きだったので、あぁ、津田沼より先へ行かなくてよかった、と津田沼で降りて引き返す上り電車は……ないよ!!! 上りの終電ちょうど行ったばっかりだよ!!
下りの終電は京葉線より遅い(1時台まである)のに、上り終電が0:03発って、新習志野駅の東京行き終電は0:16なのを考えると、逆に総武線の上りは終電が早いのかぁ……これは盲点でした。orz
まぁ、高崎のときもそうでしたけど、生活拠点を移した直後は、こうして痛い目に遭いつつ電車の乗り方を覚えてゆくのですね。。。
さて、電車で帰れなくなった経験は何度かありますが、基本的にタクシーは深夜割増運賃がバカバカしくて使いません。歩いて帰るか、始発を待つか、です。
今回は歩いて帰ることにしました。幸い、この辺りは一度クルマで走ったことがあり、国道296号線(成田街道)の中野木交差点へどうにか出られれば、あとは特に地図がなくても帰れるでしょう。
下総中山までJRで4駅。……4駅と言ってもJRの駅間って結構長くて、遠さにうんざりしそうですが、並行する京成電鉄にはこまめに駅があって、自分の土地勘も合わせると、10〜15分おきくらいに電柱を見れば
・「習志野市谷津」の地名=京成谷津駅の近く
・「避難場所 県立船橋高校」の看板=JR東船橋駅の近く
・「船橋市宮本」の地名=京成船橋競馬場駅(というか、旧「センター競馬場前」駅)の近く
・「避難場所 船橋大神宮」の看板=京成大神宮下駅の近く
といったふうに、徐々に下総中山へ近づいていることを実感できたので、気分的に楽でした。
……そういえば、電線が地中化されてしまうと、こうして地名を実感することってなくなっちゃうんでしょうかね?
深夜とはいえ、広い船橋市内をこうして自分の足で歩いていると、いろいろ発見があります。
(津田沼駅は習志野市ですが、谷津を過ぎるとすぐ船橋市に入ります)
たとえば、よく道路脇に見かける「消火栓」の赤くて丸い看板が、「海水取水口」になっていて、その下の広告スペースには「海水等を利用した大規模消化システム」なんて書いてあります。
へぇ、そんなのがあるのかぁ。…海水が使えるのは、導水管に鉄管ではなく(腐食しにくい)塩ビ管を使うのが一般的になった現代ならではですね。たぶん。
私が生まれ育った浦安は、井戸を掘っても塩水(≒海水)しか出ないんですが、ここでいう「海水等」って海から引っ張ってきているのか、浦安のように井戸を掘っているのか、どっちなんでしょうか。(「等」という典型的お役所用語が気になる)
そのほか、西船橋駅までもう少しという場所へ差し掛かると、総武線の信号機に「JR1場」「地1場」って、えー! 駅そのものからこんなに離れたところに第一場内信号機があるんだぁ、なんて発見も。
マニア話ですが、たいてい第一場内って「一場」と表記されるのがここは「1場」とアラビア数字なんですね。
……国鉄時代は「JR」の部分になんて書いてあったのだろう、と思うものの、信号機に看板をつけ始めたのはJR化後の「来宮事故」がきっかけなので、当時は看板そのものがなかったのかもしれません。
(現在も、あくまで鉄道の運転士は線路形状・信号配置を全て暗記しているのを前提に線路・信号設備が設計されるので、こういう看板やATSなどはあくまでヒューマンエラーを防ぐバックアップでしかないのです…で合ってますよね?)
駅に近づくと、5番線からJRの下り線へ向かう立体交差の向こう側に電車が見えて、この電留線って本当に夜間滞泊に使ってるのね、とか、そんなどうでもよいことばかり観察してしまいます。
西船橋駅を過ぎたあたりで、地下鉄の保守用車とすれ違いました。(写真)
そういえば駅構内でも(たぶん)ポイントの点検作業をやっていましたし、こうして、私達は(うっかり寝過ごすほど)安心して電車に乗れるのですね。夜遅くにお疲れさまです。
さて、いつも気になるのは、総武線の上り電車で西船橋駅を発車してすぐ左手に見えるビニールハウス。電車だとあっという間に通り過ぎますが、歩きで目の前にいると、かなりの規模です。
その正体はいちご農園なんですけど、西船橋って地下鉄・JRの始発電車がある駅で、住宅として開発すればすっごくいい値段がつきそうな場所ですよ!?
農園のような(土や水・空気の質を別とすれば)どこでもできる土地の利用方法だったら、もう少し郊外でやってもよさそうな気がするのですが……いや、別に農園つぶしてマンション建てちゃえという意味ではなくて、どんな信念か考えがあってのことなのかなぁ、と不思議です。
#群馬在勤経験がある私には、上越線で渋川〜敷島の左側に見えるいちご農園のほうが…
そんなことを考えながら歩いているうちに、案外早く下総中山の新居に午前2時に着きました。所要2時間でした。
……たまたま履いていた靴がミズノのウォーキングシューズで、足に負担が少なかったのは運がよかったです。
余談ですけど、シャワーを浴びて寝るかぁと思っていたら玄関先でガサゴソと何やら不審な音がします。
え!? ドロボウ? かといって武器になりそうなものもないし……どうしよう、、、と思ったら、ポストにゴトンと新聞が投函されました。新聞屋さんだったのですか。
……って、午前2:20ですよ!? 朝刊ってこんなに早く配達されてたんですか!
逆に言えば、この時間に配達されるということは、記事の締切は何時ごろなのかなぁと考えると、新聞にもはや速報性は期待できませんね。
ちょっと痛い目に遭いましたが、いろいろ収穫のあった晩でした。
新小岩駅を発車して、ドアの上の電光掲示に「次は 市川」と表示されて、あぁ京葉線で新浦安へ帰るのに比べて便利なものだなぁ……と思ったが最後、次に気がついたときの表示は「次は 津田沼」でした。。。orz
電車は千葉行きだったので、あぁ、津田沼より先へ行かなくてよかった、と津田沼で降りて引き返す上り電車は……ないよ!!! 上りの終電ちょうど行ったばっかりだよ!!
下りの終電は京葉線より遅い(1時台まである)のに、上り終電が0:03発って、新習志野駅の東京行き終電は0:16なのを考えると、逆に総武線の上りは終電が早いのかぁ……これは盲点でした。orz
まぁ、高崎のときもそうでしたけど、生活拠点を移した直後は、こうして痛い目に遭いつつ電車の乗り方を覚えてゆくのですね。。。
さて、電車で帰れなくなった経験は何度かありますが、基本的にタクシーは深夜割増運賃がバカバカしくて使いません。歩いて帰るか、始発を待つか、です。
今回は歩いて帰ることにしました。幸い、この辺りは一度クルマで走ったことがあり、国道296号線(成田街道)の中野木交差点へどうにか出られれば、あとは特に地図がなくても帰れるでしょう。
下総中山までJRで4駅。……4駅と言ってもJRの駅間って結構長くて、遠さにうんざりしそうですが、並行する京成電鉄にはこまめに駅があって、自分の土地勘も合わせると、10〜15分おきくらいに電柱を見れば
・「習志野市谷津」の地名=京成谷津駅の近く
・「避難場所 県立船橋高校」の看板=JR東船橋駅の近く
・「船橋市宮本」の地名=京成船橋競馬場駅(というか、旧「センター競馬場前」駅)の近く
・「避難場所 船橋大神宮」の看板=京成大神宮下駅の近く
といったふうに、徐々に下総中山へ近づいていることを実感できたので、気分的に楽でした。
……そういえば、電線が地中化されてしまうと、こうして地名を実感することってなくなっちゃうんでしょうかね?
深夜とはいえ、広い船橋市内をこうして自分の足で歩いていると、いろいろ発見があります。
(津田沼駅は習志野市ですが、谷津を過ぎるとすぐ船橋市に入ります)
たとえば、よく道路脇に見かける「消火栓」の赤くて丸い看板が、「海水取水口」になっていて、その下の広告スペースには「海水等を利用した大規模消化システム」なんて書いてあります。
へぇ、そんなのがあるのかぁ。…海水が使えるのは、導水管に鉄管ではなく(腐食しにくい)塩ビ管を使うのが一般的になった現代ならではですね。たぶん。
私が生まれ育った浦安は、井戸を掘っても塩水(≒海水)しか出ないんですが、ここでいう「海水等」って海から引っ張ってきているのか、浦安のように井戸を掘っているのか、どっちなんでしょうか。(「等」という典型的お役所用語が気になる)
そのほか、西船橋駅までもう少しという場所へ差し掛かると、総武線の信号機に「JR1場」「地1場」って、えー! 駅そのものからこんなに離れたところに第一場内信号機があるんだぁ、なんて発見も。
マニア話ですが、たいてい第一場内って「一場」と表記されるのがここは「1場」とアラビア数字なんですね。
……国鉄時代は「JR」の部分になんて書いてあったのだろう、と思うものの、信号機に看板をつけ始めたのはJR化後の「来宮事故」がきっかけなので、当時は看板そのものがなかったのかもしれません。
(現在も、あくまで鉄道の運転士は線路形状・信号配置を全て暗記しているのを前提に線路・信号設備が設計されるので、こういう看板やATSなどはあくまでヒューマンエラーを防ぐバックアップでしかないのです…で合ってますよね?)
駅に近づくと、5番線からJRの下り線へ向かう立体交差の向こう側に電車が見えて、この電留線って本当に夜間滞泊に使ってるのね、とか、そんなどうでもよいことばかり観察してしまいます。
西船橋駅を過ぎたあたりで、地下鉄の保守用車とすれ違いました。(写真)
そういえば駅構内でも(たぶん)ポイントの点検作業をやっていましたし、こうして、私達は(うっかり寝過ごすほど)安心して電車に乗れるのですね。夜遅くにお疲れさまです。
さて、いつも気になるのは、総武線の上り電車で西船橋駅を発車してすぐ左手に見えるビニールハウス。電車だとあっという間に通り過ぎますが、歩きで目の前にいると、かなりの規模です。
その正体はいちご農園なんですけど、西船橋って地下鉄・JRの始発電車がある駅で、住宅として開発すればすっごくいい値段がつきそうな場所ですよ!?
農園のような(土や水・空気の質を別とすれば)どこでもできる土地の利用方法だったら、もう少し郊外でやってもよさそうな気がするのですが……いや、別に農園つぶしてマンション建てちゃえという意味ではなくて、どんな信念か考えがあってのことなのかなぁ、と不思議です。
#群馬在勤経験がある私には、上越線で渋川〜敷島の左側に見えるいちご農園のほうが…
そんなことを考えながら歩いているうちに、案外早く下総中山の新居に午前2時に着きました。所要2時間でした。
……たまたま履いていた靴がミズノのウォーキングシューズで、足に負担が少なかったのは運がよかったです。
余談ですけど、シャワーを浴びて寝るかぁと思っていたら玄関先でガサゴソと何やら不審な音がします。
え!? ドロボウ? かといって武器になりそうなものもないし……どうしよう、、、と思ったら、ポストにゴトンと新聞が投函されました。新聞屋さんだったのですか。
……って、午前2:20ですよ!? 朝刊ってこんなに早く配達されてたんですか!
逆に言えば、この時間に配達されるということは、記事の締切は何時ごろなのかなぁと考えると、新聞にもはや速報性は期待できませんね。
ちょっと痛い目に遭いましたが、いろいろ収穫のあった晩でした。